IS-アンチテーゼ-   作:アンチテーゼ

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第十二話 雨の中、少女の声は涙すら枯れて(ウォークライング・イン・ザ・レイン)

 ◇

 

 

 

 混乱、悲嘆、失意、絶望――

 どんな言葉を選んでも、少女の胸中を表すには足りない。

 自分という存在が根元から崩れ去っていく感覚。なぜこんなところにいるのか、それさえもわからない。

 光をなくした瞳で見るネオンが気持ち悪いほどに明るくきれいに感じた。

 生きる意味と生きてきた意味を見失った少女は、土砂降りの中、夜の街をあてもなくさまよっていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「おいおいおい……なんてこったい」

 

 入手した情報を読み終えた砕次郎はおもわず右手で頭を押さえた。

 

人造兵士計画(バーサーカープロジェクト)ねぇ……。まったく、テロリストよりよっぽど非人道的じゃないか」

 

 金虎(ジンフー)の詳細な稼働データや操縦者の個人情報が手に入ればそれでいいと考えていた。だがまさかこんな獲物が釣れるとは。

 

「さて、どうしたもんか」

 

 倒れるように床に寝転がり、ため息をつく。

 だが十数秒後、砕次郎は突然体を起こすと再びディスプレイを見つめはじめた。なにかを考えこむ砕次郎。その口元がだんだんと歪んでいく。

 薄暗い部屋で、画面の光を反射した眼鏡が不気味に光っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 エリスは雨を浴びるのは割と好きだった。

 とくに今のような、土砂降りから小降りになったような雨は好きだ。曇り空がたまっていたものをあらいざらい吐き出した後のわずかに残った小雨。それは冷たくて、しっとりしていて、なんだかわからないが心地いいのだ。

 だからなおのこと、その時間を邪魔されると腹が立つ。

 

「お嬢ちゃん、傘もささずに何やってんだ」

 

 おそらくそんな意味のことを言われたのだろう。振り返ると缶ビールを片手に持った男がにやにやとエリスを見ている。

 だが当然、エリスは中国語などわからない。なのでエリスは返事をすることもなく、突然話しかけてきたうっとうしい男を無視して、早々に立ち去ろうとした。仮に中国語が話せたとしても、エリスは同じように無言で去っていただろう。

 しかし男は背を向けたエリスの手をつかむと、強引に自分の方に引き寄せた。安いアルコールの匂いがぷんとして、その不快感にエリスのイラつきが増す。

 男が早口でなにか喋り散らした。あいかわらず何を言っているのか、エリスにはさっぱりわからない。

 だが男がにやつきながら、なめまわすような視線を雨に濡れたエリスの体に這わせているあたり、ろくなことではないのだろう。

 

「……」

 

 いいかげん腹が立っていたエリスは無言で手を振り払い、ついでに相手の足をすばやく跳ね上げる。バランスを崩した男は「ぎゃっ」と声をあげて水たまりに尻もちをついた。

 エリスは無様に転がる男に背を向けて歩き出す。と、背後から怒鳴り声とともになにかが飛んできた。それは男が持っていたビールの缶だった。エリスはそれを見えているかのような最小限の動きでかわす。

 無表情のままで、しかし心底うんざりという雰囲気で振り返るエリス。

 男が興奮気味にがなりたてる。こちらをにらみつける男の顔が赤いのは酔っているせいだけではなさそうだ。そしてその手には小ぶりな拳銃が握られていた。

 

 ――めんどくさい……

 

 ここで男を叩きのめすのは簡単だった。しかし砕次郎からあまり目立つことはしないよう言われている。

 もちろんこんな酔っ払いがからんでくる路地だ。ただのケンカなら日常茶飯事だろう。だが、エリスのような華奢な少女が銃を持った男を蹴散らしてしまえば、さすがに噂になりかねない。

 かといってこちらが逃げだすのも、エリスとしてはどうにも納得がいかなかった。

 さてどうしようか、とエリスが軽くため息をついた時だった。

 

让一下(どいて)

 

 男の後ろから誰かが声をかけた。なにかをわめきながら男が振り返った瞬間――

 男の体が真横に吹き飛んだ。くの字で路地横のゴミ捨て場につっこみ、そのまま動かなくなる男。小さくうめき声が聞こえるので、とりあえず生きてはいるのだろう。

 

没事吧(だいじょうぶ)?」

 

 男を吹き飛ばした誰かが声をかけてきた。もちろんエリスには何をいっているのかわからない。が、とりあえず敵意はなさそうである。

 と、エリスは首をかしげる。目の前の人物――それは小柄な少女であったが、その少女をどこかで見たことがあるような。

 エリスは人間にあまり関心がない。それゆえに彼女は人の顔を覚えることがとにかく苦手だった。まともに覚えているのは自分と砕次郎の顔くらいのものである。いや、もうひとり、忘れようのない『ある人物』をのぞいて、だ。

 とにかくどこかで会った気がするのだ。とくに先ほど男を蹴り飛ばした時の動きに見覚えがある。

 

「……ありがとう」

 

 通じるかはわからなかったが、とりあえず日本語で礼を言うエリス。これは助けてもらったお礼というよりは少しスッキリさせてもらったお礼だ。

 

「ああ、日本人でありましたか……」

 

 意外にも少女は日本語で返事をした。その口調でようやくエリスは思い出した。この少女が、金虎(ジンフー)の操縦者、熊 美煌(シォン メイファン)だと。

 しかし美煌(メイファン)は今朝戦った時とはあきらかに様子が違っていた。らんらんと輝いていた目は生気を失い、暗くよどんだ瞳にはエリスも何も映ってはいない。

 

「夜はひとりで出歩かない方がいいでありますよ……」

 

 そう言って背中を向け歩き出す美煌(メイファン)

 エリスはゴミ捨て場でうめく男を冷めた目で見ると、美煌(メイファン)の背中に問いかける。

 

「人を傷つけるのは嫌いなんじゃなかった?」

 

「え?」

 

 美煌(メイファン)が足を止め振り返る。

 (あお)ろうとしたわけでも皮肉を言ったわけでもない。浮かんだ疑問をそのまま口にしただけだった。

 

「今朝言ってたこと」

 

「あなた……まさか……!」

 

 どうやら美煌(メイファン)も気づいたようだ。目の前にいるのが今朝の襲撃者だと。

 

「っ……! あなたが……あなたのっ……せいで!!」

 

 美煌(メイファン)の目の色が変わる。エリスを刺し殺そうとするような鋭い目。

 その目でにらまれたエリスが感じたのは、まるで帯電した空気がビリビリと肌を貫くような感覚だった。

 

 ――ああ、これが殺気を感じるってこと……

 

 ならばISと戦う時の自分も、今の美煌(メイファン)と同じ目をしているのだろうか。

 冷静にその感覚を分析するエリス。

 だが、直後にエリスはその冷静さを捨てた。美煌(メイファン)が声にならない叫びをあげ金虎(ジンフー)を展開したためだ。

 倒すべき、いや壊すべきISを見て、エリスの目も凍てつくような冷たさを帯びた。同時にその首元が輝き、エリスの全身を光の粒子が覆う。

 

「へぇ……ここでやりあうつもり」

 

 エリスの言葉とともに粒子が収束し、フェアリア・カタストロフィが展開される。その手にはすでにグラスコフィンが握られていた。降り注ぐ雨粒は一瞬で凍りつき、剣身に歪な氷柱を形作っていく。

 いつのまに意識がもどったのか、ゴミ捨て場の酔っ払いが悲鳴をあげてよろよろと逃げていった。おそらく、いや確実に騒ぎになる。

 

 ――砕次郎、怒るかな

 

 頭の中がISへの憎悪で満ちる直前、また砕次郎の言いつけを破ってしまうことに軽い罪悪感を覚えるエリス。

 だがそう考えた時にはすでに金虎(ジンフー)が目前に迫っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 この白いISが現れてから何かがおかしくなってしまった。

 こいつに出会いさえしなければ、きっと自分は何も知らなくてすんだのだ。

 何も知らないまま、(リュウ)と偽りの誕生日を祝って、ケーキを食べて、プレゼントをもらって。何も知らないまま、笑いあっていられたのだ。

 

 叫びをあげ、拳を打ち込む。

 

 この怒りが見当違いなのはわかっている。だが何かに憎しみをぶつける以外、どうしていいのかわからない。

 いいじゃないか。テロリストなんだから。悪い奴なんだから。

 

 迫る刃を蹴りで打ち払う。

 

 いいじゃないか。戦うために生まれたんだから。誰かを傷つけるために生まれたんだから。

 それが自分の存在意義だから。

 だから――

 だから――

 

「……!」

 

 けさ掛けに振り下ろされた大剣を受け流し、水たまりの中に着地した時、美煌(メイファン)は地面がアスファルトではなく土に変わっていることに気づいた。

 一定の距離を保ちながら戦うフェアリア・カタストロフィを追ううちに、戦いの場は公園のような広場に移っていたのだ。

 

 ――誘導された……のでありますか

 

 金虎(ジンフー)は純近接格闘型の機体。狭い路地での戦いはフェアリア・カタストロフィに不利だ。逆にこの広場のようなひらけた場所なら、中遠距離の攻撃手段を豊富にもつフェアリア・カタストロフィは、金虎(ジンフー)よりも有利に戦える。

 知らぬうちに敵の戦いやすい場所へと誘導されていたこと、そしてそれにまったく気づけなかったことに美煌(メイファン)は動揺した。

 

「っ!?」

 

 突然右腕を強く引っ張られ、美煌(メイファン)がバランスを崩す。いつのまにか金虎(ジンフー)の右腕には細いワイヤーが巻き付けられていた。

 そのままフェアリア・カタストロフィに引き寄せられる金虎(ジンフー)。同時に突き出される銀色の剣を美煌(メイファン)は紙一重にかわし、すれ違いざまに左拳を叩きこむ。

 が、相手もそれを読んでいたのか、ワイヤーを振って金虎(ジンフー)の体勢を崩し、飛んでくる拳をずらした。かすめた拳を蹴りつけると勢いをそのままに距離をとろうとする。

 そうはさせない、と今度は美煌(メイファン)が巻き付いたワイヤーを握り、思い切り引き寄せる。だがその直前にワイヤーはフェアリア・カタストロフィから切り離(パージ)され、てごたえなく振られただけだった。

 上昇しつつ距離をとるフェアリア・カタストロフィを追うため、瞬時加速(イグニッションブースト)の体勢に入る金虎(ジンフー)。しかしその目の前に2つの球体が投げつけられた。

 

 ――これは……手榴弾!?

 

 瞬時加速(イグニッションブースト)のチャージは続けたまますばやく後退する金虎(ジンフー)

 その瞬間、球体から強烈な閃光が放たれ、美煌(メイファン)の視界を白く塗りつぶした。

 

 ――せ、閃光弾……!

 

 ハイパーセンサーの感応調整(チューニング)によって光はすぐに遮断された。だが美煌(メイファン)は反射的に両腕で目をかばってしまった。

 視界を奪われ過敏になった耳に、ささやくような声が聞こえた。

 

「やっと崩れた」

 

 美煌(メイファン)の背筋が凍る。

 

 ――しまった! 防御が……

 

 そう思った時にはもう遅かった。

 がら空きになった金虎(ジンフー)の胴に、グラスコフィンが横なぎに叩きこまれる。

 

「ぐっ……は……!」

 

 全身で振りぬかれた大剣の一撃に金虎(ジンフー)の薄い装甲が耐えられるはずもなく、腹部のアーマーは瞬時に凍りつき粉々に砕け散った。突き抜けた衝撃が内臓に伝わり美煌(メイファン)の口から赤いしぶきが飛ぶ。

 吹き飛ばされた金虎(ジンフー)は地面に叩きつけられ、水たまりを跳ね散らかしながら転がっていった。美煌(メイファン)はなんとかPICをはたらかせ、機体を停止させる。

 

「……くっ」

 

 バシャ、と水たまりの中に足を踏みだし再び構えをとる美煌(メイファン)

 その口元から細く血が流れだし、頬をつたう雨に溶ける。

 体が真っ二つになってもおかしくはなかった。そうならなかったのは絶対防御が発動したためだが、そのせいでシールドエネルギーがごっそり減っている。もしあのまま連続で攻撃されていたら、すでに負けていたかもしれない。

 しかしなぜかフェアリア・カタストロフィは追撃を行わず、そんな彼女をじっと見つめていた。

 

「なぜ……攻撃をしてこないのでありますか……!」

 

「……」

 

 フェアリア・カタストロフィが無言で仮面を解除した。

 純白の仮面の下から現れた黒よりも深い藍色の瞳が、美煌(メイファン)を冷たく見つめる。

 

「……弱くなったね」

 

「っ!!」

 

 憐れむように投げられたその言葉に、美煌(メイファン)の中で何かが爆発した。

 

「勝手なことを……! あなたに何がわかるのでありますかっ!!」

 

 自分は人ではなく兵器として生まれた。

 その事実を知った今、自分に残されたのは兵器としての力だけなのに。

 

「あなたさえ現れなければ……自分は自分のままでいられたのであります!」

 

 力まで否定されてしまったら、自分にはもう何も残ってないじゃないか。

 もう失いたくない。

 自分が生まれた意味が戦うためだけだというなら――

 残されたのがそれだけなら――

 

「証明するのであります……! あなたを倒して、強さを……自分の生まれた意味をっ!!」

 

 火花を散らすような殺気をこめ、美煌(メイファン)は敵を睨み据える。その視線が、こちらに向けられた冷たい眼差しとぶつかった瞬間、美煌(メイファン)は殺気を爆発させた。

 

 ――よこすであります金虎(ジンフー)! 力を! 生まれた意味(じぶん)を守る力を!

 

 人間としての郷愁(きょうしゅう)が弱さを生んでいるのか。

 あのあたたかい日々が迷いになっているのか。

 それが(かせ)に、鎖になっているのか。

 

 だったらそんなものはいらない。

 戦う力があればそれでいい。

 

 ――ぜんぶ……捨ててやる!!

 

 すべてを拒絶するように美煌(メイファン)は吠えた。

 

虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)――断链(ドゥァンリェン)ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「優しい決着(トラストユー)

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