IS-アンチテーゼ- 作:アンチテーゼ
◇
混乱、悲嘆、失意、絶望――
どんな言葉を選んでも、少女の胸中を表すには足りない。
自分という存在が根元から崩れ去っていく感覚。なぜこんなところにいるのか、それさえもわからない。
光をなくした瞳で見るネオンが気持ち悪いほどに明るくきれいに感じた。
生きる意味と生きてきた意味を見失った少女は、土砂降りの中、夜の街をあてもなくさまよっていた。
◇
「おいおいおい……なんてこったい」
入手した情報を読み終えた砕次郎はおもわず右手で頭を押さえた。
「
「さて、どうしたもんか」
倒れるように床に寝転がり、ため息をつく。
だが十数秒後、砕次郎は突然体を起こすと再びディスプレイを見つめはじめた。なにかを考えこむ砕次郎。その口元がだんだんと歪んでいく。
薄暗い部屋で、画面の光を反射した眼鏡が不気味に光っていた。
◇
エリスは雨を浴びるのは割と好きだった。
とくに今のような、土砂降りから小降りになったような雨は好きだ。曇り空がたまっていたものをあらいざらい吐き出した後のわずかに残った小雨。それは冷たくて、しっとりしていて、なんだかわからないが心地いいのだ。
だからなおのこと、その時間を邪魔されると腹が立つ。
「お嬢ちゃん、傘もささずに何やってんだ」
おそらくそんな意味のことを言われたのだろう。振り返ると缶ビールを片手に持った男がにやにやとエリスを見ている。
だが当然、エリスは中国語などわからない。なのでエリスは返事をすることもなく、突然話しかけてきたうっとうしい男を無視して、早々に立ち去ろうとした。仮に中国語が話せたとしても、エリスは同じように無言で去っていただろう。
しかし男は背を向けたエリスの手をつかむと、強引に自分の方に引き寄せた。安いアルコールの匂いがぷんとして、その不快感にエリスのイラつきが増す。
男が早口でなにか喋り散らした。あいかわらず何を言っているのか、エリスにはさっぱりわからない。
だが男がにやつきながら、なめまわすような視線を雨に濡れたエリスの体に這わせているあたり、ろくなことではないのだろう。
「……」
いいかげん腹が立っていたエリスは無言で手を振り払い、ついでに相手の足をすばやく跳ね上げる。バランスを崩した男は「ぎゃっ」と声をあげて水たまりに尻もちをついた。
エリスは無様に転がる男に背を向けて歩き出す。と、背後から怒鳴り声とともになにかが飛んできた。それは男が持っていたビールの缶だった。エリスはそれを見えているかのような最小限の動きでかわす。
無表情のままで、しかし心底うんざりという雰囲気で振り返るエリス。
男が興奮気味にがなりたてる。こちらをにらみつける男の顔が赤いのは酔っているせいだけではなさそうだ。そしてその手には小ぶりな拳銃が握られていた。
――めんどくさい……
ここで男を叩きのめすのは簡単だった。しかし砕次郎からあまり目立つことはしないよう言われている。
もちろんこんな酔っ払いがからんでくる路地だ。ただのケンカなら日常茶飯事だろう。だが、エリスのような華奢な少女が銃を持った男を蹴散らしてしまえば、さすがに噂になりかねない。
かといってこちらが逃げだすのも、エリスとしてはどうにも納得がいかなかった。
さてどうしようか、とエリスが軽くため息をついた時だった。
「
男の後ろから誰かが声をかけた。なにかをわめきながら男が振り返った瞬間――
男の体が真横に吹き飛んだ。くの字で路地横のゴミ捨て場につっこみ、そのまま動かなくなる男。小さくうめき声が聞こえるので、とりあえず生きてはいるのだろう。
「
男を吹き飛ばした誰かが声をかけてきた。もちろんエリスには何をいっているのかわからない。が、とりあえず敵意はなさそうである。
と、エリスは首をかしげる。目の前の人物――それは小柄な少女であったが、その少女をどこかで見たことがあるような。
エリスは人間にあまり関心がない。それゆえに彼女は人の顔を覚えることがとにかく苦手だった。まともに覚えているのは自分と砕次郎の顔くらいのものである。いや、もうひとり、忘れようのない『ある人物』をのぞいて、だ。
とにかくどこかで会った気がするのだ。とくに先ほど男を蹴り飛ばした時の動きに見覚えがある。
「……ありがとう」
通じるかはわからなかったが、とりあえず日本語で礼を言うエリス。これは助けてもらったお礼というよりは少しスッキリさせてもらったお礼だ。
「ああ、日本人でありましたか……」
意外にも少女は日本語で返事をした。その口調でようやくエリスは思い出した。この少女が、
しかし
「夜はひとりで出歩かない方がいいでありますよ……」
そう言って背中を向け歩き出す
エリスはゴミ捨て場でうめく男を冷めた目で見ると、
「人を傷つけるのは嫌いなんじゃなかった?」
「え?」
「今朝言ってたこと」
「あなた……まさか……!」
どうやら
「っ……! あなたが……あなたのっ……せいで!!」
その目でにらまれたエリスが感じたのは、まるで帯電した空気がビリビリと肌を貫くような感覚だった。
――ああ、これが殺気を感じるってこと……
ならばISと戦う時の自分も、今の
冷静にその感覚を分析するエリス。
だが、直後にエリスはその冷静さを捨てた。
倒すべき、いや壊すべきISを見て、エリスの目も凍てつくような冷たさを帯びた。同時にその首元が輝き、エリスの全身を光の粒子が覆う。
「へぇ……ここでやりあうつもり」
エリスの言葉とともに粒子が収束し、フェアリア・カタストロフィが展開される。その手にはすでにグラスコフィンが握られていた。降り注ぐ雨粒は一瞬で凍りつき、剣身に歪な氷柱を形作っていく。
いつのまに意識がもどったのか、ゴミ捨て場の酔っ払いが悲鳴をあげてよろよろと逃げていった。おそらく、いや確実に騒ぎになる。
――砕次郎、怒るかな
頭の中がISへの憎悪で満ちる直前、また砕次郎の言いつけを破ってしまうことに軽い罪悪感を覚えるエリス。
だがそう考えた時にはすでに
◇
この白いISが現れてから何かがおかしくなってしまった。
こいつに出会いさえしなければ、きっと自分は何も知らなくてすんだのだ。
何も知らないまま、
叫びをあげ、拳を打ち込む。
この怒りが見当違いなのはわかっている。だが何かに憎しみをぶつける以外、どうしていいのかわからない。
いいじゃないか。テロリストなんだから。悪い奴なんだから。
迫る刃を蹴りで打ち払う。
いいじゃないか。戦うために生まれたんだから。誰かを傷つけるために生まれたんだから。
それが自分の存在意義だから。
だから――
だから――
「……!」
けさ掛けに振り下ろされた大剣を受け流し、水たまりの中に着地した時、
一定の距離を保ちながら戦うフェアリア・カタストロフィを追ううちに、戦いの場は公園のような広場に移っていたのだ。
――誘導された……のでありますか
知らぬうちに敵の戦いやすい場所へと誘導されていたこと、そしてそれにまったく気づけなかったことに
「っ!?」
突然右腕を強く引っ張られ、
そのままフェアリア・カタストロフィに引き寄せられる
が、相手もそれを読んでいたのか、ワイヤーを振って
そうはさせない、と今度は
上昇しつつ距離をとるフェアリア・カタストロフィを追うため、
――これは……手榴弾!?
その瞬間、球体から強烈な閃光が放たれ、
――せ、閃光弾……!
ハイパーセンサーの
視界を奪われ過敏になった耳に、ささやくような声が聞こえた。
「やっと崩れた」
――しまった! 防御が……
そう思った時にはもう遅かった。
がら空きになった
「ぐっ……は……!」
全身で振りぬかれた大剣の一撃に
吹き飛ばされた
「……くっ」
バシャ、と水たまりの中に足を踏みだし再び構えをとる
その口元から細く血が流れだし、頬をつたう雨に溶ける。
体が真っ二つになってもおかしくはなかった。そうならなかったのは絶対防御が発動したためだが、そのせいでシールドエネルギーがごっそり減っている。もしあのまま連続で攻撃されていたら、すでに負けていたかもしれない。
しかしなぜかフェアリア・カタストロフィは追撃を行わず、そんな彼女をじっと見つめていた。
「なぜ……攻撃をしてこないのでありますか……!」
「……」
フェアリア・カタストロフィが無言で仮面を解除した。
純白の仮面の下から現れた黒よりも深い藍色の瞳が、
「……弱くなったね」
「っ!!」
憐れむように投げられたその言葉に、
「勝手なことを……! あなたに何がわかるのでありますかっ!!」
自分は人ではなく兵器として生まれた。
その事実を知った今、自分に残されたのは兵器としての力だけなのに。
「あなたさえ現れなければ……自分は自分のままでいられたのであります!」
力まで否定されてしまったら、自分にはもう何も残ってないじゃないか。
もう失いたくない。
自分が生まれた意味が戦うためだけだというなら――
残されたのがそれだけなら――
「証明するのであります……! あなたを倒して、強さを……自分の生まれた意味をっ!!」
火花を散らすような殺気をこめ、
――よこすであります
人間としての
あのあたたかい日々が迷いになっているのか。
それが
だったらそんなものはいらない。
戦う力があればそれでいい。
――ぜんぶ……捨ててやる!!
すべてを拒絶するように
「
次回「