人の名前を間違う雪ノ下はまちがっている   作:生物産業

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13話 貴方がいたから/納得いかない

 八幡を強襲してすぐの放課後、秋太たちは会議室に集まっていた。普段は教職員の会議に使われる場で、教室二つ分ほどの広さを有している。

 

 会議室には見知ったメンバーがいた。雪乃はもちろん、八幡に生徒会の面々だ。席は自由に座れるようで、すでに席に座っていた雪乃の隣に、秋太は腰を下ろす。八幡もそれに続き、秋太の隣に座った。

 

「……意外ね」

「そっちこそな。お前がこういうのに参加するとは思わなかった」

 

 秋太を挟んで行われる会話。秋太はうんうんと頷いているだけだ。

 

「私の場合は、この男のせいよ」

 

 隣にいた秋太を雪乃は指さし、ついでに非難の視線も向けた。

 

「……秋田が授業をサボっている間に、クラスメイトたちに無理やり決められたってところか。で、秋田と割と仲の良い雪ノ下にパートナーのお鉢が回ってきたと」

「……比企谷君にしてはなかなかの推察力ね。褒めてあげるわ」

「全然褒められてる気がしねえよ」

「ゆっきーは他人を素直に褒めることができない心が小さな人間なんだ。許してやってほしい」

「なぜそこで貴方が出てくるのかしら? それに私は褒めるときはちゃんと褒めるのよ」

 

 絶対に嘘だ。秋太と八幡の思考がシンクロした瞬間だった。自分が負けを認めたくない相手なら、絶対にそんなことはしないだろうと、普段の陽乃とのやりとりよく理解している。

 

「はい、皆席についてー」

 

 なんとも暢気な声であったが、ざわついていた会議室の中でひと際通る声だった。生徒会長として現れためぐりの言葉に、話をしていた生徒たちが素直に従った。さすがは生徒会長と言ったところだ。

 教師も合わせて全員が席に着いたところで、めぐりがぱちんと両手を合わせた。

 それが合図となり、会議が開始される。

 

「えーと、生徒会長の城廻めぐりです。皆さんのご協力で今年もつつがなく、文化祭を開催できることをうれしく思います。それでは会議を始めたいと思いまーす」

 

 とても明るい声だ。見知らぬ人が大多数を占めるこの空間でめぐりの存在は、張りつめていた何かを霧散させる。

 

「では、まず実行委員長の選出から行きたいと思います。やりたい人は手を挙げて」

 

 手を挙げてくれる人がいることを本気で信じているのだろう。楽しそうにめぐりは片手を挙げて、賛同者を募った。だが、そんな彼女の思いとは裏腹に、しーんと黙りこくってしまった。

 

「城廻先輩がやればいいんじゃないですか?」

 

 静まった空気の中、秋太は率直な意見を述べた。生徒会長という役職に就いているのだから、文実の委員長に就任しても誰も文句は言わず、理想的だとも思える。

 

「あー、秋田くんは知らないのかな? 文実の委員長は2年生がやることになっているんだ。この時期だと3年生は忙しいから」

 

 普段は下の名前で呼んでいるが、こういった場では気を使い名字で呼んで違和感を周りに与えないように努めた。秋太としては、生徒会を継続しているのにと疑問を抱いたが、めぐり以外の3年生に適用できるわけではないので、一応納得した。

 そして、めぐりという最有力候補がいなくなると必然、次に回ってくるのは2年生の面々であろう。そして、この場にいる2年生でおそらく最も知名度が高いであろう彼女に視線が集まるのも当然だった。

 彼女とはもちろん、雪ノ下雪乃である。

 

 だが雪乃は目を閉じるばかりで、うんともすんとも言わなかった。秋太がわざと雪乃を肘で軽く小突いたが、全く反応するそぶりも見せない。自分は傍観者であると言い聞かせているようだった。

 それに痺れを切らしたのか、文化祭の担当になった教員が、怒鳴るように声をあげた。

 

「なんじゃい、お前らもっとやる気出せ。覇気が足らんぞ。いいか、文化祭はお前ら自身のイベントなんだぞ」

 

 やる気のない生徒に対し、やる気のある教師。明らかな温度差がここには存在した。教員の発破掛けも意味なく終わる。それを見て、露骨にため息をついた後、教員は辺りを見回した。

 そしてというか、やはりというか、教師の視線は彼女のところで止まった。そして嬉しそうに笑みを浮かべると、彼女に話しかけた。

 

「……お、お前、雪ノ下の妹か! あのときみたいな文化祭を期待しとるけぇの」

 

 広島弁のようなしゃべり方で雪乃に話しかけた。そしてその言葉に、「お前が委員長をやるよな?」と暗にふくめていた。

 

「実行委員の一人として頑張ります」

 

 強面の教師に、半ば脅しのような提案を受ければ、気の弱い生徒であれば頷いてしまうものだが、こと雪ノ下雪乃にはそれはない。言葉を選びつつ、明確に拒絶の意志を示して見せた。

 

「あはは……じゃ、じゃあ秋田くんはどうかな? ほら成績も良いし」

 

 良案を思いついたとばかりに、めぐりがそう告げた。

 めぐりのような美少女に頼まれれば思春期の男なら頷いてしまうだろう。だが、秋太はめぐりとの付き合いは長い。そんなことで舞い上がったりはしないのだ。いらんことを言ってくれたなと思うだけである。

 

「どうかな?」

 

 めぐりが困ったような顔で見つめる。相変わらずのあざとさだなと思う反面、これが彼女の良いところなのだろうと秋太には思えた。

 

「えーっと、やってもいいですけど、その場合完全なトップダウン制になりますよ?」

「うーん、もうちょっと詳しく」

 

 ほかの生徒たちが首を傾げているのを見て、めぐりが補足するように促す。

 

「簡単です。上の命令は絶対。このシステムを導入するだけです。ここにいるメンバーの中にはやりたくてやっているわけじゃない人も多かれ少なかれいると思うんです。俺とか全然やる気ないですし」

 

 その言葉に教員が立ち上がろうとするが、もう一人の教員が宥めることでなんとか収まった。問題発言した秋太を睨み付けることは忘れずに。

 

「ただ、任されれば仕事は果たします。組織とはそういうものでしょ? 本人のやる気いかんにかかわらず仕事を回してく。じゃあその組織の中で一番厄介なのは何か?」

「働かない怠け者。そしてさらに悪いのが、組織にとって損としかならない人間」

 

 秋太の言葉に雪乃が澄ましたように答える。

 

「そう。バイトをやったことがある人間なら誰しもが思ったことがあるでしょ? なんであいつと同じ給料なんだって。大して働いてもいないし、なんならマイナスにだってなっているのに、時給は同じなんてことが普通にあったでしょ?」

 

 秋太の言葉に同意した者は、小さく頷いている。そしてその数は決して少なくなかった。

 

「俺が委員長になるならそういうのは許さない。課された仕事は必ず期限内に終わらせる。部活がとか、個人的な用件とか泣き言は言わせない。学校にいる間に終わらないのなら、家でもやってもらう。俺がトップに立った場合はそういった強権を発動するんですけど、それでも良いなら委員長になりますよ」

 

 秋太がそう言うと一部の生徒は嫌そうな顔を浮かべる。八幡などその最たる例であろう。学校の文化祭程度になぜそこまで本気にならなければいけないのかと、秋太の考えに全く乗り気じゃない。

 当たり前だ、文化祭の実行委員の中には嫌々やらされている者もいるのだから。

 

 組織を運営する上で、自分のやりやすい環境に持っていくという至極真っ当な意見であっても、誰しも面倒を負うことはしたくないのだ。秋太がこう言った後で彼を委員長に推薦するというなら、それは彼の言葉に従ったことを意味する。つまり、文句は言えない。

 秋太もそれを見越しての提案だろう。自分の意見が通るとは思っていない。万が一通ってしまった場合でも、自分のやりやすい環境づくりに成功しているのだから、取り立てて問題はない。

 

「あの……」

 

 小さな声ではあった。ただ静寂が支配しているこの状況では、そんな声でもよく聞こえた。

 

「皆がやりたがらないなら、うち、やってもいいですけど」

 

 秋太の感想でいえば普通な女の子。確かに今どきの女子高校生といえる雰囲気であるが、これと言って際立ったところもない。明るい茶髪にピアスとギャル系と言えなくもないが、由美子や結衣という存在を知っている彼からすれば、普通な部類に入ってしまう。

 

「本当? 嬉しいなー。それじゃあ、自己紹介からしてもらおうかな」

 

 彼女の提案に飛びついたのはめぐりだ。秋太のせいで微妙になってしまった空気を変えるために、めぐりは素早く動いた。

 

「二年F組の相模南です。実は前からこういうのには興味あって、でも人前に出るのとかは得意じゃないから、敬遠してたんだけど、自分が成長できると思って、あれうち何言ってんだろ? なんか恥ずかしいこと言ってるよ……」

 

 顔を真っ赤にする南。ただ周りはそんな南を好意的に見ている。近くにいた女子は小さな声で頑張れと声援を送っていた。

 

「ありがと。自分が成長できる場があるならそこに飛び込んでいくことも大切かなって。さっきの人が言ったみたいに完全管理みたいなことはできないと思うけど、うちはうちなりに楽しくやれるように頑張っていきます」

 

 上手い。秋太はそう思った。雪乃も秋太の隣で感心したように目を少しだけ見開いた。

 協調性を重んじる高校という空間で独裁を打ち出した秋太の印象は最悪といってもいい。その中で秋太とは違う方針を示すことで一気に人心を掌握しにきた彼女の手腕に、二人は素直に驚いた。人の観察に長けているのだ。

 

 それから秋太という異物に対し、高校生の正道とも言える南が受け入れられるのは明白であった。賛同した者が、拍手で南の委員長就任を迎えている。

 

「中々だね。その後の進行のグダグダがあるから、能力的には残念そうだけど」

「そうね。彼女のリーダーとしての能力は不明だけど、流れをつかむという一点においては優れていると言わざるを得ないわね」

 

 めぐりに代わって南が進行し、会議は進んでいった。慣れていないとの本人の弁もあって決して円滑に進みはしなかったが、そこはめぐりがサポートしたことで問題にはならなかった。

 

「ただ状況を理解しているのかは疑問だね。俺の提案を反対するように立候補しちゃったから、色んな制限がかかるはずなんだけど」

「普通の人であれば茨の道よね。綺麗ごとだけじゃ組織は回らないもの。周囲の人気を得るために大きく失われたものがある。体のいい言葉を吐くだけのお飾りさんではないことを祈るばかりだわ」

 

 秋太と雪乃は宣伝広報担当になり、今は二人でしゃべっている。さきほどの流れに乗った南に各々が評価を下していた。それと同時に危惧もしている。あの状況で立候補するという危険性を理解しているのか、それが二人には疑問だった。

 

「八幡は馬鹿だね。記録雑務担当なんて」

「そうね。たぶん、当日しか仕事があまりないから飛びついたんでしょうけど、全く状況を読めてないわ」

 

 班分けは次の六つである。

 宣伝広報、有志統制。物品管理、保健衛生、会計監査、記録雑務。

 事前説明では、確かに記録雑務が一番仕事量が少なく簡単なものであるのだが、安易に飛び込んではいけない仕事だ。

 

「雑務なんて体の良い言葉で、実際は何でも屋。面倒ごとを押し付けられる場所なのに」

「それに、普段の仕事量が少ないと思われているから押し付ける側の良心も傷まないし。一人が押し付けだしたら、後はもう悲惨な未来しか待ってないわ」

「役職的にも微妙だしね。こういう時でも上下関係とかってあるだろうし。八幡め、策に溺れたな」

 

 八幡の残念な未来に合掌する二人だった。

 

「でも、ゆっきーが広報担当なんてすると思わなかった。どうして?」

「それは貴方がいるからに決まってるじゃない」

 

 にっこりと笑う雪乃はそれはもう可愛くて、綺麗だった。

 冗談だ。それは分かっている。

 ただ、雪乃の笑顔が今までの彼女がしてきた冗談のそれとは違うように見えた。

 どこか余裕があるのだ。

 

「……なぜだろう、全然好意的な言葉に聞こえないんだけど」

「何を言ってるの? パソコンが得意で、ポスター制作に必要な画像の編集ができて、仕事の関係上色んなところに人脈を持っていそうな貴方がいるのよ? ここの仕事量は確実に少ないわね」

「もうちょっとオブラートに桃色な感じで言ってほしかった」

 

 そう、雪乃は小さく答える。手を顎に当て、何やら考える素振りをしてから、改めて秋太を見つめた。

 真っすぐに、はっきりと。

 

「貴方がいるから私はここを選んだの」

 

 秋太は言葉を失った。冗談なのは分かる。自分でそういう振りを頼んだのだから、今言われている言葉が本気でないことは理解している。

 だが、理解していても、本能がときめいてしまった。理性を本能が凌駕したのだ。

 

「ふふ、冗談よ。もしかして本気にしてしまったかしら?」

「分かっていても反応してしまった自分が情けない……っく」

「実は貴方って初心なんじゃないかしら?」

「……むっきーって発狂しようかな。恋愛上級者みたいでしょ?」

「それは怖いからやめなさい」

 

 雪乃に良いようにやられてしまった。そのことが悔しくてたまらない。いつか仕返ししてやる、そう心に誓いつつ、昔のようにうじうじしなくなった雪乃にちょっとだけ悔しくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(か、顔が熱いわ)

 

 すまし顔を装っていた雪乃はそそくさと、会議室を後にした。

 初心であるのは彼女も変わらない。

 

 ◆

 

「…………」

「何?」

 

 秋太が作業場として使っている奉仕部に向かう途中、やたらと睨み付けてくる女子生徒と出会った。

 中学からの付き合いなのだが、目の前の女の子が同じ学校に通っていることを知ったのは、本当についさっきのことだった。

 

「何でもないし」

「そっか。じゃ、またね、あーし」

「ちょっと待ちな!」

 

 用はないと言われれば、秋太にとってはそれまでである。彼女を無視して、そのまま部室に向かおうとしたわけだが、それを女性のほうが止めてきた。

 

「もう、全くもうっ! あーしは相変わらず面倒なんだから。言いたいことははっきりと言う」

「うっさいしっ! あんたに文句があったから待ってただけだしっ!」

 

 がるると威嚇するように少女は秋太を睨み続ける。自分を忘れていたことに対する彼女なりの復讐だ。

 

「どうして、俺の周りにはこんなに攻撃的な女子しかいないんだろうか?」

「……あんたが挑発するからじゃないの?」

「っく、あーしに物を教わる時がくるなんて」

「そういうところだからっ!」

 

 少女は秋太を叩くように腕を上げたが、それが振り下ろされることはなかった。

 

「変わったね。昔なら叩いてた」

「どうせ避ける癖に」

「まあ、そうなんだけど、あーしも少しは大人になったんだなって思って。今、少し感動している」

「あんたは昔のまんまで嫌な奴だし」

「子供心を忘れない、そんな大人に俺はなりたい」

「知らないし」

 

 少女は疲れてため息を吐くと、全身の力を大きく抜いた。

 

「あんたは変わらないままでいい。その方が張り合いがある」

「あーしは変わった方がいい。顔は綺麗なんだけど、品がないし。まあ、キャバ嬢とか向いてそうだから、そのままでいるというのもありかな。お金は稼げるだろうし、天職かもね」

「……なんで、あんたにあーしの将来を心配されないといけないんだし」

 

 「綺麗……」とあーしはぽつりとつぶやいたが、それを隠すようにして、不満そうに返答した。

 

「ああ、でもなんか懐かしい。このどうでもいい感じの会話。中学の頃を思い出す」

「どうでもいいとか、かなり失礼だし。あーしが話しかけてるんだから、少しは嬉しそうにしろ」

「わあーすごくうれしいー」

「ぶち殺すっ!」

 

 ふんっと全力で蹴りを見舞う。ただ予測していたのか秋太は軽くバックステップをしてかわす。

 問題なのは少女の方だ。怒りに任せて全力で足を上げてしまったため、とある部分が秋太の眼前に晒されることとなった。

 

「あーし、恥じらいを持ちなさい」

「――ぁ」

 

 急いで足を閉じて、しゃがみ込む。耳まで真っ赤にして、少女は秋太を睨んだ。不幸中の幸いなのが、周りに人が誰もおらず、見られたのが秋太だけであったということ。

 ただ、恥ずかしいことには変わりない。

 

「あーし、どんまい」

「お前、マジで最悪だしっ!! つうか少しくらい反応しろっ!!」

 

 少女はそう言ってから、逃げるようにして秋太から離れていく。

 

「秋田っ!」

 

 少しばかり離れてから、少女は振り返って叫んだ。

 顔を赤くして照れている。それでも楽しそうに笑ってから、突き出した親指を下に向けた。

 

「ば~かっ!」

「あーしに馬鹿呼ばわりとか納得いかない」

 

 秋太は走り去る少女の後姿を不満げに見つめていた。


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