人の名前を間違う雪ノ下はまちがっている   作:生物産業

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16話 文化祭準備がようやく始まる

【大事な話があります。予定が空いている日はありますか?】

 

 珍しく丁寧な文章だった。そのあまりの珍しさに一度見て、さらにもう一度見て、電源を落としてから再度メールの内容を確認した。

 

 結論、

 

【病院にでも行け】

 

 そう返信した。

 そしてそのメールを返信してから1分後、自宅のインターホンが鳴らされる。

 嫌な予感だ。

 居留守をしろという本能からの指令だったのかもしれない。

 時に人間は科学では解明できない何かを発揮することがあるのだ。

 

 ガチャリ。居留守をすると決意した次の瞬間だった。まるで初めから開いているかのように、事実鍵を閉め忘れていたのだろう、玄関の扉がゆっくりと開いた。

 

「警察に電話するか」

「こらこらこら」

 

 雪ノ下陽乃の襲来である。

 

 ◆

 

「で、何このふざけたメールは?」

 

 陽乃は当たり前のように秋太のベッドに腰を下ろす。ぐーっと伸びをするとそのままぱたりと背中から倒れた。

 夏休みが明け、文化祭が始まるという時期である。蒸し暑かった季節が徐々に涼しさを取り戻していく時期だ。

 本人の持っている上品さとは異なって、陽乃の格好は露出が多い。隠すべきところはちゃんと隠されているため、下品というわけではないが、年頃の男の前でもこうも無防備が晒されると、勘違いする者も出るはずだ。

 

「あ~それ? シリアスな感じを出せば秋太の反応が変わるかなと思って♪」

 

 ただ少なくともこの二人の間柄で、そんな過ちが起こるはずもなかった。

 

「自殺するとか、そういうたぐいじゃない限り反応しない」

「あ、そこは心配してくれるんだ」

「俺は姉乃さんと違って良識と良心を持ち合わせているんだ」

「それは私が無慈悲で残酷って言っているのかしら?」

「悪意100%で錬成されているのが雪ノ下陽乃」

 

 ふんっと陽乃は手近にあった枕を投げつける。適当に投げた割には恐ろしい速度だが、秋太は容易くキャッチした。

 

「で、こんなしょうもない事実の確認をするために来たの?」

「こらこら。私が悪意で構成されているなんて、そんな事実はない」

「あ、ごめん。悪意で構成されているんじゃなくて、悪意を構成しているんだった。悪の権化だもんね。ま、俺にだって間違いはあるから、許してほ――」

 

 秋太が頭を下げる前に、陽乃は女子にはありえない身のこなしでベッドから飛び起きると、タックルを仕掛ける。秋太の背後にはパソコンが置いてあり、避ければ大切な仕事道具が壊れる可能性があった。

 それを計算したうえでの突撃。秋太は簡単に捕らえられてしまった。雪ノ下陽乃108戦闘技術の一つ、コブラツイスト。人類最強女子もビックリの体さばきで、タックルからプロレス技への完璧な流れ。所詮は通信で学んだ程度の秋太の技術では逃げることはできなかった。

 

「オラオラオラァ」

「いたたたたたた」

「謝りなさい。ごめんなさい陽乃様と謝りなさい」

「……む、胸……揉むぞ」

「秋太に揉まれてもなんとも思わないわよ。私は雪乃ちゃんと違って心が広いの」

「……大きい……の間違え」

 

 雪乃がこの場にいたら、秋太はアバラ以外のダメージを負うことになっただろう。

 

「ゴ、ゴメンナサイ……ハルノサマ」

「片言発言は頂けないけど、まあ許してあげましょう」

 

 コブラツイストは見掛け倒し、そう思っていた過去の自分を叱ってやりたいと本気で思った。アバラが嫌な音を鳴らした時点で、危険な技であることを強制的に認識させられた。

 

「そ、それで俺の肋骨ちゃんに損傷を与えるのが目的なわけ? ミドルネームにバイオレンスでも入れる気? 陽乃・V・雪ノ下とかちょっと怖い」

「秋太って頭良いくせにバカよね。相手を怒らせない方法とか分かるでしょ?」

「退かぬ、媚びぬ、省みぬを座右の銘としてるんで」

「あんたはもう死んでるわよ」

 

 ネタが通じたことに、なぜか満足感を得る秋太であった。

 

「俺が貴女の下手に出るなんてあるわけがない。死なば諸共。倒れるなら陽乃を埋めてからの精神」

「あんた、どんだけ私のこと好きなのよ」

 

 やや呆れたようにため息をつく。

 

「冷蔵庫の下から急に現れた黒光りの物体と同程度の好感――」

「殴るわよ?」

「殴ってから言うな」

 

 陽乃の脇腹への攻撃をギリギリでかわしながら、文句を言う。

 もう本当にこの人何なのと秋太が思い始めたその時である。

 

「ねえ秋太。文化祭でさ、私とバンドをやらない? 雪乃ちゃんとか、めぐりとかも誘って」

 

 突拍子もない提案がなされた。

 その提案に間髪入れずに答える。

 

「嫌に決まってるじゃん」

 

 簡潔にして明瞭な答え。

 

「というか、俺は楽器全般がダメ。おたまじゃくしは暗号だから」

「あら、意外ね。あんたなら、こんなこともあろうかと、とか言ってなんでもそつなくこなすと思ったんだけど」

「楽器なんて人前で披露してなんぼでしょ? さらに言うならチームプレー。友達の少ない人間には残酷な世界」

「確かに。あんたは友達が少なそうだものね」

「ブーメラン?」

 

 人当たりがよく誰からも慕われる陽乃。だが、彼女が本音をさらけ出せる人間などごくわずかしかいない。友達に関する発言は、自爆ものだ。

 

「で、本当の要件は何? どうせめぐり先輩あたりから俺が文化祭の実行委員長になったことを聞いて、無駄に絡みに来たってとこ?」

「あ、やっぱ分かる? わざわざ面倒なことをしたなって思って」

「まあ、流れ的に言うのが一番なんだけど、ちょっとだけ興味はあった」

「へぇー意外ね。さっきも言ってたけど、基本は前に出ないんじゃないの?」

「そ、基本はね。だから今回は偶然。色んな事がたまたま巡り合ったの。めぐり先輩だけに」

「全ー然面白くな~い!」

「うるさいよ。それで顧問の先生が言っていたけど、姉乃さんもやったんでしょ?」

「そうね。私の時はそれはもう盛り上がったわ」

 

 ふふーんとドヤ顔の陽乃。

 

「そ、だからその文化祭を記憶から抹消しとこうかなって。俺の持てる技術を使って、雪ノ下陽乃を亡き者にしようかと」

「殺人予告ね。警察に訴えておくわ」

「まあまあ、俺からの挑戦状だよ。正攻法で雪ノ下陽乃を倒すというのもやってみたいことの一つだからね。高校生活の記念には丁度いいかな」

 

 その言葉に陽乃はニッコリとほほ笑む。

 

「お姉さまの偉大さを再確認するだけよ」

「誰が姉だ」

「まあ、頑張りなさいな。あんたの泣きっ面を拝みに行くからね」

「あ、俺が委員長になったから、貴女の校内への侵入は許さないよ」

「侵入とか言うな。ふっふふ、私を甘く見てもらっては困るわね。許可証なんて簡単に貰えるの。これが権力よ」

「大人って汚い」

 

 満足そうに陽乃は帰っていった。

 

「全教師の弱みを握って脅しを――」

 

 物騒なことを企む少年が居たが、それは犯罪だ。

 

 ◆

 

 文化祭実行委員の活動が始まって数日。進行具合は概ね順調であった。

 

「ほい、ホームページの更新はおしまい」

「……なぜ高校のホームページにアニメーションが付いているのかしら? 劇場版って言葉が見えるのは、私の目がおかしいということなのかしら?」

「この学校のは普通すぎるからね。進学実績をメインに載せているけど、名門って呼ばれているところの実績なんてさほど気にしないよ。凄いって知ってるんだから。だから、これぞ総武ってところを前面に押し出してみました」

「どこら辺が総武をアピールしているのかしら? 生徒会長がどこぞの勇者になっているのだけど? そして何よりも、文化祭の告知ページしか操作できないようにロックを掛けられているはずなのに、どうしてホームページそのものを編集できるのかしらね?」

 

 口角を上げる嫌な笑い方。秋太はそれだけですべてを伝えることが可能なのだ。

 

「それで、次は機材の方の確認は出来ているのかしら?」

 

 秋太が実行委員長になったことで、変わったことが二つある。雪乃の副委員長と八幡の雑務班長の就任である。

 雪乃は特に反論を示さなかったが、八幡の方はかなり渋った。仕事が少ないから記録雑務を選んだのに、秋太の下につけば、確実に仕事量が増えると分かっているからだ。

 ただ、

 

「君の天使がニッコリ笑っているよ」

 

 その言葉で十分だった。写真(わいろ)を受け取った八幡は、顔をだらしなくして、「マイエンジェル彩加」と呟きながら別世界の住人になった。

 秋太によっていとも容易く落とされた八幡は、今必死になって報告書を作成している。

 秋太、雪乃、八幡の三人は横並びで仕事を続けていた。

 

「今、生徒会の人が確認してる。故障なりしてたら、平塚先生に回すようにとも伝えているよ」

「私、貴方の補佐に就いた意味はあるのかしら?」

「あるよ。今から美術部に行って文化祭ポスターの件で交渉してくるから、ゆっきーはこの場の統率をよろしく。一応各班に指示は出し終えているけど、サボっている奴が居たら睨みを利かせてね。あと、もしOBの方が来たら丁寧な対応をよろしく。一人だけ例外がいるけど、それは来たらデストロイ。問答無用で叩きだして」

「任せなさい」

 

 意志が言葉に乗っている。雪乃の返答はまさしくそれだ。彼女には珍しく、メラメラと熱い何かが燃え上がっている。

 

「つうかあの人のことどんだけ嫌いなんだよ、お前ら」

 

 そう言う八幡も名前を口には出さなかった。何となく名前を言ってしまえば、現れそうな気がしたからだ。「気づいた時にはすぐ後ろ」、彼女を表すキャッチフレーズは、現実に起こりうるから怖い。

 

 ◆

 

 秋太は美術部を訪れた。ポスター制作に関して、本日打合せすることになっている。

 

「失礼しまー……」

 

 美術室のドアを開けると、目的の人物が席について何かを描いていた。それが美術部の活動に関係ないことは見てすぐにわかった。顔があまりにも酷かったから。

 

「きゃー八×隼はやっぱりやばい! ぐへへ」

 

 黙っていれば、そして普通にしてさえいれば美少女とも呼べるのに、顔を真っ赤にして下卑た笑みを浮かべるその様は、いかんとも言葉にできないものがある。

 

「あ、秋田君。はろはろ~」

「えーっと海老名さんだっけ? 先日はどうも。部長さんは?」

 

 秋太は空気の読める人間である。女性の醜態を目撃したとしても、そこを指摘するなんてことはしないのだ。

 

「一応、私ってことになるのかな? うちの美術部は幽霊部員が多くてね、実質的に活動しているのは私くらいだよ」

「うそーん。顧問の話だとそれなりに活発って言ってたけど」

「あはは、顧問の先生はほとんど来ないから。実情をあまり把握してないんじゃないかな?」

 

 それは顧問としてダメだろう。

 

「となると、海老名さんだけにポスターをお願いするしかないけど、さすがに悪いね。うーん、俺が作った方が早いかな」

「秋田君は絵を描けるの?」

「まあね。ただ絵を描くっていうより、画像の編集かな。パソコン使ってちょこちょこっと」

 

 秋太の技術からすれば問題なくできる。

 彼が最初からそれをしなかったのは、高校生らしくなかったから――ではなく、面倒の一言に尽きる。

 だが、ここで姫菜一人に仕事を押し付けるわけにもいかないので、自分で作成することに決めたのだ。

 

「あ、それならお願いしようかな。私としてはクラスの方で忙しいから、実はちょっと困ってたんだよね。他の部員にも声を掛けてみたんだけど、あまり芳しくなかったから」

 

 美術部として色々終わっていた。

 

「じゃ、話は以上ってことで。お疲れさん」

 

 無駄な時間を過ごした。そんな感想を抱きながら、秋太が会議室に戻ろうとしたとき、旧友に出会った。

 

「海老名ー、部活終わった? あーし、アイス食べに行きたいんだけ――ど……」

「じゃ、お疲れさん」

「待ちな」

 

 やはりか。何事もなかったかのように、スルーできるんじゃないかと思った。だが、現実はそんなに甘くない。

 がっちりと肩を掴んできた金髪美少女に、秋太はため息を吐いた。

 

「もーう、あーしは全くだよ。本当に。空気読んで」

「はぁ? 意味分かんないし?」

 

 秋太にとってなのか、優美子にとってなのか、タイミングが悪かった。

 

「なんでこのタイミングで来るかな」

「どんな理不尽だし。あーしはただ海老名と帰ろうかなって……」

「じゃあ、帰れし」

「あーしの真似すんな」

「優美子、喧嘩腰になっちゃダメだよ。ほらスマイルスマイル」

「あーしがにぱーとかちょっと気持ち悪いんですけど……」

「ふんっ!」

 

 乙女の怒りである。だが、無情にもそれは空振りに終わる。秋太の反射神経は常人のはるか上を行くのだ。

 

「あーし、はしたないぞ」

「明らかに秋田君が、挑発したんだけど」

「あーしと俺の仲ならこれくらい普通」

 

 優美子も気にしてないようで、空振りに終わった一撃で怒りを収めていた。

 腕を組んで、姫菜の方に歩いていく。その行動を見て、帰って良いんじゃないかと秋太は思ったが、それは優美子の鋭い眼光によって阻止された。

 

「二人の中学時代が少し気になるよ」

「それを語るのには二日必要。あーし誕生の序章から始まって、あーし乙女モードの第二章。なんやかんやあって、終章のあーし笑顔で旅立つの長編物語」

「嘘言うなしっ! つーか、あーしとアンタが絡んだのは最後の一年だけだから!」

「絡んだなんて」

「やだ優美子、いやらしい」

 

 ぐへへとおっさんのような笑い方をする二人。嫌な光景だ。

 

「海老名、そっちに行くなしっ! 変になるから」

「いや、たぶんもう手遅れ。俺とか関係なく、海老名さん、結構やばげ」

「大丈夫、大丈夫。私は腐ってるだけだから。秋田君と優美子がちちくりあってても平気で観察してるよ。あ、でもこれがアキ×ハチだと自制する自信はないな」

「なんて嫌な掛け算。俺の常識という方程式だと絶対に解けない」

「ぐふふ、最初だけだよ。小学生のころを思い出して。皆、最初は九九を覚えるのに手間取ったでしょ? でも、すぐに自然になった。つまりはそういう事だよ」

「あ、ちなみにあーしは中三の時点で八の段を間違えるほどの秀才だから、その理論は崩れるね。掛け算は難しい。これが世の理なんだ」

 

 ばらすなっと優美子は秋太を叩こうとしたが、それも簡単に躱される。優美子のせいで自分の理論が否定されてしまった姫菜はムスッとしている。優美子、掛け算くらいしっかりしなさいと目で訴えていた。

 

「あーしとかガハマちゃんとか、ホントどうやって入試を突破したのか不思議でならない。うちってマークじゃないから運ってことはないだろうし」

「きっと採点者の目が腐ってたんだよ。ふふ、その先生とは仲良くなれそう」

「それ違う意味じゃない?」

「つーか海老名、少しは擬態しろし。秋田はバカだけど、アンタそういうの気を使ってなかったけ?」

「あーしごときにバカ呼ばわりとか、屈辱なんですけど」

「あー、まあ何となく大丈夫って分かるから。それに優美子の友達だからね。問題なし」

 

 Vサインをしながら姫菜は答えた。

 

「なんか納得がいかないんですけど」

「納得がいかないのはこっち」

 

 笑っている姫菜とは対照的に二人は睨みあうばかりだ。

 

「なんか優美子楽しそうだね」

「姫菜、目が腐っているから」

「それは正解なのでは? 本人が認めているし」

 

 意味は違う。

 

「さて、仕事に戻ります。あ、あーし?」

「何?」

「有志団体に参加したりしない? お笑い部門で」

「ぶん殴るよ。それにもう参加済みだから。バンドする」

「へぇー。あーしはカスタネット担当?」

「お前、あーしのことバカにしすぎだから。あーしの歌、ちゃんと聞いとけし」

「ほー。それは楽しみ。耳鼻科の予約はしておくね」

「死ねっ!」

 

 手近にあった筆箱(姫菜の)が真っすぐに投げられる。秋太は片手で優雅にキャッチし、それをドア近くの棚に置いて出て行った。無駄な反射神経である。

 

「優美子?」

「……ごめん、マジごめん! だ、だからそんな怒らないで、姫菜!」

 

 自分の筆箱(愛用のペン入り)が投げられ、激怒する姫菜がそこにはいた。


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