人の名前を間違う雪ノ下はまちがっている   作:生物産業

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6話 なんて心が痛む提案を……

 とある日の授業だった。昼前の3,4時限目の時間を使っての家庭科の授業だった。

 そしてその授業で、秋太は世知辛さを感じるのだった。

 

「調理実習ってさ、班でやるはずじゃん」

「そうね」

「うちのクラスって26人いるわけじゃん」

「4人ひと班で構成されるから、二人余る計算ね」

「で、こうなったと」

 

 昼食前の2時間が家庭科の調理実習にあてられた本日、秋太は現状に納得がいかなかった。

 

「いやいや、おかしいでしょ。普通どこか5人になるとか、そういうフォローがあって然るべきだと思うんですけど」

 

 秋太の嘆きに、雪乃は同意しつつもこの状況がなるべくしてなったことは理解していた。そもそもの問題は秋太なのだということを彼女は分かっているからだ。

 

「クラスの内情を家庭科の先生が把握してないのが原因ね。私はともかく、貴方が他のクラスメイトに受け入れられるわけがないもの」

「現実を見ろ。今ハブられているのは二人。つまりお前も受け入れられてないから」

「現実を見るのは貴方よ。私を招いてくれるクラスメイトはたくさんいるわ。私がここに居るのは、貴方を憐れんでのことよ」

 

 雪乃の言うことは事実だ。秋太と組まされた雪乃を自分の班に誘おうとする生徒はちらほらといる。サボり魔の秋太と違って、美人で凛とした雰囲気を持ち、成績優秀な雪乃はクラスで一目置かれる存在で、表立ってはないが、皆が彼女を崇拝している。

 人望の差が如実に表れた結果だ。

 

「あれ、でもこれって自由にやっていいってことじゃん」

「物は言いようね。それよりも貴方は料理をできるのかしら?」

「特定の料理だけ。肉まん、ハンバーグ、オムライス、シュークリーム」

「……好きなのね」

「うん」

 

 凝りだしたら止まらない性格なので、自分の好きな料理だけは好みに合わせて作れるようになった秋太だった。

 

「なら貴方は好きなものを作ってちょうだい。私も自由に作るわ。材料はなぜだかたくさんあるから」

 

 雪乃も自分の家から食材を持ってきてはいたが、明らかにそれ以上の材料がこの場には存在している。本日が調理実習であることを学校をサボっていたせいで知らなかった秋太。食材など持ってくるはずもないとクラスメイトは予想する。それによって崇拝する雪乃が不利益を被るなど我慢できなかった面々が、食材を持ち寄り今に至ったのである。

 

「ほーう、それはつまり俺に勝負を挑むと?」

「私に勝てると思っているのかしら?」

「負けた方が勝った方の言うことを一つ聞くということで」

「受けましょう。私が負けるわけないもの」

 

 判定を教員に任せて、二人は調理に取り掛かる。会話を聞いていたのか、クラスメイト達は自分の作業を止めて、二人の勝負に目をやった。

 

「ゆっきー、卵取って」

「はい。そっちの調味料をとってもらえるかしら?」

「ほい。

 あ、辛すぎるのはあんまり好きじゃない」

「別に貴方のために作っているわけではないのだけど。あ、ダメよ、ピーマンは。苦味で料理が台無しになるわ」

「お子ちゃまめ」

 

 見守っていたクラスメイト達は能面のような表情になって自分の作業に戻った。独身であり、アラサーをゆうに超えてしまった家庭科教師は、二人の新婚さんのようなやり取りに、ハンカチを噛んで悔しがった。

 

 秋太と雪乃の両名は調理技術に加え、視野が異様に広かった。互いが互いを邪魔しないように行動し、必要であればアイコンタクトで調理道具の貸し借りを行う。

 味見をして欲しい時は、すっとスプーンをお互いに差し出し、こくりと頷いて終了する。

 

 ――ちょっと、雪ノ下さん、笑ってるわよ。

 ――あ、秋田の奴、雪ノ下さんの顔に触れたぞっ! 許さん。

 ――小麦粉を付ける雪ノ下さん可愛い。

 ――なんか、二人の息ピッタリじゃね?

 

 見ないようにしていたのに、見てしまう。二人の醸し出す何とも言えない雰囲気に、クラスメイト達が撃沈した。

 

「出来た」

「私も」

 

 タイミングよく二人が作業の終了を告げる。秋太が用意したのは、オムライスに肉まん、そしてシュークリーム。雪乃が用意したのは、麻婆豆腐、かに玉、杏仁豆腐。

 

「なんてバランスが悪い」

「貴方に合わせたのよ。つまり貴方が悪いわ」

「ここで料亭もビックリな和食を期待したのに、がっかりだ。中華とか何やってんの?」

 

 売り言葉に買い言葉。二人の軽いジャブの応酬が始まった。

 

「私の作ったものになにかご不満でも? 貴方が辛い物がダメだというからのチョイスなのだけど」

「なんて性格の悪い。最低だ」

「ピーマンを分からないように刻んで入れた貴方に言われたくないわ」

「子供に食べさせるには分からなくするのが一番」

「貴方も十分最低よ」

 

 どっちもどっちだというのが見ていた生徒たちの意見だ。

 

「さて、言い争いはここまで。敗者を決めようか」

「それは自分だと宣言しているのかしら?」

 

 二人が自信満々に自分こそが勝利者なのだと確信している。

 

「では、いただきます」

 

 教師がスプーンをオムライスに入れた。半熟状にしたオムレツをチキンライスの上で割るタイプではなく、従来の卵で閉じ込めるタイプのオムライスだ。

 ソースは市販のデミグラスソースに、調味料、香辛料を加え香りを立たせている。中の卵に閉じ込められたチキンライスの風味を壊さず、むしろ加速するように調整されている。

 スプーンで中を開けると香りがさらに広がり、見ていた生徒たちが涎をぬぐった。

 

「……卵の半熟加減は絶妙。香りの立ち方も申し分ないわ。ピーマンを細かく刻んだことで、柔らかな中に小気味よい歯ごたえ。家庭料理のレベルは十分に超えている」

 

 秋太がガッツポーズを決める。

 雪乃は澄ました顔をしているが、足元が忙しなく動いているため、動揺はしっかりとしている。

 

「では、雪ノ下さんの麻婆を」

 

 不公平にならないように、今度は雪乃の料理を口に運んだ。

 

「とろみ加減は完璧ね。舌に不快感を残すことなく、それでいてはっきりとしている。匂いは強烈だけど、それがお腹を刺激するから逆に高評価。辛さは火が出るようだけど、それでも手が止まらないわ。汗が噴き出るのが心地よく感じるなんて初めての経験よ。これは良いダイエッ――健康にいいかも」

 

 雪乃も小さく拳を握る。

 秋太も平静を装ったが、背中に汗がじわじわと溜まりだす。

 

 それから審査は進み、肉まんとかに玉が教員のお腹に消えていった。デザートは別腹と用意されたシュークリームと杏仁豆腐もするりとなくなった。

 

「ふぅ~仕事を忘れて堪能してしまったわ。では、審査結果を発表します」

 

 ごくりと息をのむ。クラス全体が息をひそめて言葉を待った。

 

「オムライスと麻婆豆腐、これは私の好みに合った雪ノ下さんね。決して秋田君の料理が劣っていたわけではないわ。単純に好みの問題。ダイエット効果が望めるとか、そんなことは考えていないから」

 

 次にと続ける。

 

「肉まんとかに玉では、秋田くんね。生地のふわふわとしながらももっちりとした食感を残した技術は素晴らしい。中の餡は決して最高というものではないけれど、生地との調和を考えれば、満点。一方で雪ノ下さんのかに玉は強さがなかった。これは単純に作ったものの差。だから秋田君に軍配が上がる」

 

 同じ料理を作ったわけではないからしょうがないと補足した。

 

「二つの料理を総合すれば、互角。勝負を分けたのはデザート」

 

 一呼吸置いてから。

 

「甘さを抑えた雪ノ下さんの杏仁豆腐。おそらく雪ノ下さんの料理だけを食べていたのなら、完璧だった。ただ秋田君のシュークリームの後では味が足らず、何を食べているのか分からなくなってしまったわ。だから秋田君の勝ち」

「よしっ!」

「先生、それは食べた順番の問題です。もう一度食べていただければ……」

 

 教員は首を横に振り、にっこりと笑った。

 

「お腹一杯になっちゃった♪」

 

 アラサーを超えた妙齢の女性のてへぺろにクラスのほぼ全員が、気分を悪くした。その事に、悲しくなったのか、しくしくと泣き出す家庭科教師。

 

「ふふーん」

「ぐ、偶然よ。食べた順番の問題だわ。味で負けた訳じゃない」

「え、聞こえなーい。勝者には敗者の声など届きません」

 

 ドヤ顔で勝ち誇る秋太を悔しそうに睨みつける雪乃。

 

「これは料理勝負。食べる順番も勝負のポイント。それを見越して料理を作らなきゃ」

「貴方はそれをしていたとでも言うの?」

 

 まさか、そこまで先を読んでいたのかと雪乃は驚きの感情を隠しながら、そう尋ねた。

 

「いや、全然。今日食べたいなと思った奴を作っただけ」

「運で勝っただけじゃない」

「勝負の世界でそれを言ったら終わりだよ。運も実力のうち。俺が勝者で君が敗者。これが現実」

「…………」

 

 本気で負けたことを悔しがっている雪乃。負けず嫌いの彼女はどんな勝負でも負けることを許さない。

 

「これヤバい! 二人の料理、超美味いんですけど!」

「おいおいマジかよっ。俺にも食わせろ!」

 

 二人が子供のような喧嘩をしている間、お腹を空かせた野獣たちが二人の自分達用に用意していた料理に群がった。奪い合うようにして、料理を口に運び。各々が感想を述べる。

 

「私は雪ノ下さんかな」

「俺も。ていうか雪ノ下さんが作った時点で、雪ノ下さん」

「私もそうかな」

「雪ノ下さんっ!」

 

 料理の差は人気の差であった。

 その真実に、秋太は無言で耳を塞いだ。

 

「気にしない方が良いわ。勝負は私の負けなのだから」

 

 ぽんと優しく雪乃が秋太の肩を叩く。

 ただ優しい言葉とは裏腹に、その表情には満面の笑みが浮かんでいた。

 

 ◆

 

「えーゆきのん、料理勝負したの? なんだ残念。私も食べたかったのに」

 

 放課後になって、雪乃が奉仕部にやってくると今日有った話を食いしん坊そうな結衣に話してみた。

 案の定、結衣は食いつき、雪乃の料理が食べられないことに体全体で悔しさを表現する。

 

「でも、負けたんだろ?」

「何か言いたいのしら? 人生に負け続ける負け谷くん?」

「いや、ちょっと聞いただけだろ。お前、反応し過ぎだから」

 

 それ以上言ったら殺すと言わんばかりの雪乃の鋭い視線に、八幡は気圧された。

 

「所詮は負け犬。今日からゆっきーを負け乃と呼んでやってくれ」

「なぜ貴方が当たり前のようにここに居るのかしら?」

「それは勿論、敗残兵であるゆっきーに勝者としての要求をするため」

 

 八幡の近くに座り、不敵に笑う秋太。雪乃はそんな彼を冷たい目で見ていた。

 

「ア、アッキー! えっちなことはダメだからねっ!」

 

 結衣が顔を真っ赤にして、エロい要求は良くないと叫んだ。

 

「どうして、俺の周りの女性陣は俺を変態の道に誘おうとするのだろうか? そんなことしたら犯罪者確定であることが分かると思うんだが」

「由比ヶ浜はビッチだから。そういう方に妄想が逞しいんだろ」

 

 八幡は何を想像していたのか、顔を赤らめて視線を雪乃からそらしている。それを隠すために結衣を使うあたり、なかなか最低の男だ。

 

「はあ!? だから私は処女だって前にも――ああ、今のなし、なしだからっ! もうヒッキー、まじで最悪っ!」

 

 今度は全身が赤くなるほど、結衣は興奮し慌てだした。

 

「なるほど、こうやって未経験アピールをするわけか。あざとい」

「ち、ちがっ!」

「これがガハマちゃんテク。ゆっきー、見習いなさい」

「なぜ上から物を言ってくるのかしら?」

「俺が勝者だから。で、思い出した。俺の要求を発表する……部室貸して」

「え?」

 

 反応したのは雪乃ではなく結衣。

 

「生徒会室はどうしたのかしら?」

「うーん、まだ大丈夫だと思うんだけど、夏休みが終わると文化祭とかあるし、その後には生徒会選挙があるじゃん。今はめぐり先輩のご厚意であそこにいさせてもらっているけど、忙しくなればそれも難しいし、新しい生徒会長なら追い出される可能性が高い。今のうちに他の作業場を用意した方が良いかなって。勝負をふっかければ簡単に乗ってくると思ったから狙い通り」

 

 雪乃が唇を噛みしめる。

 

「まあ、料理勝負は偶然だったけど、勝てて良かった。で、ゆっきーさん、ご返答は?」

「わ、私の一存では……」

「静先生なら問題なし。あとは八幡とガハマちゃんだけど、問題ないね」

 

 言葉の最後に、断ったら、どうなるか分かってるよね、と秋太は笑みを深める。

 結衣と八幡はコクコクと頷いた。

 秋太の能力は理解している。もしそれが自分に向けられてしまった場合、学校に来れなくなることだって十分に考えられる。高レベルな危機察知能力を発動した二人は、素直に秋太の言葉に従うしかなかった。

 

「はい、あとは君が頷くだけ。さあ頷け」

「……勝負に負けたのだから、仕方がないわね」

「よし。あ、奉仕部の活動の邪魔はしないから。あっちの方で勝手にやってるよ」

 

 教室の隅を指し、秋太の交渉は終了した。

 

「秋田くん、ちょっと」

 

 話を終えて帰ろうとした秋太を雪乃が手招きして呼び寄せる。結衣や八幡から少しだけ距離を取り、しゃがみこませた。

 

「姉さんへの嫌がらせ写真は用意できないかしら? いざという時、持っておいた方が都合がいいと思って」

「むむ、なんて心が痛む提案をしてくるんだ。俺だって女性のだらしない顔を写真にするなんて良心が……」

 

 そういう秋太の笑みはあまりに深く、清々しかった。

 

「ええ。でも仕方がないの。これも人助けよ」

「人助けなら仕方がないな」

 

 二人が怪しく笑う姿を見ていた八幡と結衣は軽く引いていた。内容が分からずとも、かなり良くないことを話しているのだろうというは理解できた。

 

「これからも良い関係を築いていこう」

「そうね」

 

 二人は固い握手を結び、同志となった。

 

「ヒッキーあれが宿敵(とも)ってやつなんだね!」

「いや、違うだろ。共犯者(とも)だ」

 

 ただ性格が悪いだけである。

 

 


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