人の名前を間違う雪ノ下はまちがっている   作:生物産業

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8話 ロマンがない

 総武高の夏休みは学生に優しい設定になっている。7月の終わりから8月の最終日まで丸々休みだ。課外なども入れることはなく、部活に入っていなければひと月以上学校に行くことはないのだ。生徒の自主性を重んじる高校側の方針である。

 夏休み明けに大変なことになる生徒がたくさんいたとしてもだ。

 

「夏休みの予定ですか? まあ、仕事ですね」

「それってかなり急ぎの話?」

「……そうですね」

 

 秋太の面倒事センサーが鋭敏に反応した。目の前で、がっくりと肩を落とすめぐりに悪いと思いつつ、めぐりの後ろに透けて見える嫌な気配に秋太は警戒心を強める。不敵に笑うどこかの誰かの幻覚が見えてくる。

 これは断るべきだと、脳内で警告がされた。

 

「実は、はるさんが小旅行しようって誘ってくれたの。私は受験生だけど、息抜きも必要だって。空き時間には勉強も見てくれるって言ってたし。秋太くんも一緒に来てくれたら楽しいと思うんだけど……」

 

 城廻めぐりは生徒会長である。それも圧倒的支持を受けて当選した強者。顔立ちは非常に整っており、彼女の支持層の中に思春期の男子高校生が多分に含まれているのは仕方がない。

 そんな美少女の上目遣い。狙ってやっているのか、判断はつかないが、ぐらりと揺れる心を必死に抑えて、ごめんなさいと秋太は頭を下げる。

 学年一の美少女と目される雪乃とのじゃれ合いがなければ陥落していたところだ。

 

「しょうがないね……」

「今度、なにかお詫びに奢りますよ」

「ホントー? やったー!」

 

 胸の前で小さく手を合わせて喜ぶ先輩を見て、秋太は少しだけ罪悪感を抱いた。

 

 ◆

 

 断った手前、めぐりと同じ空間に居づらくなった秋太は、もう一つの仕事場である奉仕部の部室を訪れていた。

 

「夏休みの予定?」

「そ。姉乃様のお呼び出しがめぐり先輩にあったみたい。ゆっきーはそういうのないの?」

「ゆっきーって……雪ノ下がそう言われることにすげぇー違和感があるな」

「比企谷くん、黙りなさい」

「えー可愛いじゃん。ヒッキーまじでキモい」

「俺のキモさ関係なくない? 由比ヶ浜、とりあえずキモいって言っておけば許されると思っていたら大間違いだから」

 

 罵倒を受け入れている八幡。このメンバーでいると必ず八幡が標的にされているのだが、陰湿なものではなく、じゃれ合いの一環だ。八幡も雪乃や結衣を揶揄することはある。ただ雪乃たちと八幡のやり合いの差が、9:1であるのだが。

 

「で、ゆっきーはなんかないの?」

「私は、これと言ってないわね。ただ姉さんと旅行にだけは絶対に嫌ね」

「相変わらずの仲だね。雪ノ下家は面倒じゃないといけないみたいなルールとかあるんじゃない?」

「人の家にケチを付けないでもらえるかしら?」

「俺に実害のある某長女さまが居るんだから、文句も言いたくなるよね」

 

 雪乃は自分の家を非難されるより、姉の迷惑を受け続ける秋太を不憫に思ってしまった。

 若干、憐れんでもいる。

 

「ねぇー、アッキー。ゆきのんにはお姉さんがいるの?」

「いるの。総武高のOBで今は大学生。神出鬼没で、気づいた時にはもう遅い。気が付けばふとそこに雪ノ下陽乃。これをキャッチフレーズにできそうなくらい」

「え、なにそれ怖い……」

「八幡の腐った目を暗がりで見るのと同じだよ」

「笑顔で酷いこと言うのやめてくれない?」

「俺と八幡の仲じゃん」

「どんな仲だよ。友達でもなんでもないだろ」

「え、大親友でしょう? 話したことは数える程度だけど」

「話した人間をすべて親友と定義するなら、そうだろうな。お、これは俺には友達がたくさんいるってことになるな」

 

 雪乃と結衣が八幡を憐れむ。

 

「ヒッキーまじで可哀想。わ、私は友達だから!」

「比企谷くん、私は友達ではないけれど、悩み事があれば相談くらいには乗るわ。だから強く生きて欲しい」

「本気で反応するの止めてくれない? 雪ノ下に至っては冗談ですら友達になるのを拒んでるし」

「ごめんなさい。私は正直者なの。心の底から比企谷くんとは友達になりたくないと思ってしまう私を許してちょうだい」

 

 申し訳なさそうに雪乃が頭を下げた。

 

「もう雪ノ下の俺への遠慮のなさは友達レベルだぞ」

「俺の知る友人関係とは違うけど」

「秋田君、たまには俺にノッてきて!」

「比企谷くん、友達がいないからって踏んでほしいとか言わないでくれるかしら。ここは学校なのよ?」

「ヒッキーまじでキモい」

「さすがに俺も……」

「なんでお前ら俺を苛める時だけ、そんな連携が上手いの? 由比ヶ浜は本気で勘違いしてそうだけど、そこの二人は絶対わざとだろ」

 

 一人だけバカ扱いされた結衣が怒りを露わにするが、誰も結衣がバカであることは否定しなかった。結衣との付き合いが浅い三人であるが、彼女の言動から判断すれば、おおよその知能レベルは判断できる。その点に関しては、三人は同じ判断をしているということだ。

 

「あ、でも夏休みに何もないなら、どっか行かない? 皆で」

「いってら~」

「ああ、俺は無理だわー。ちょっと家の用事が」

「比企谷くん、家でも忘れられている貴方が、家族行事に参加するわけないでしょ? 嘘は止めなさい」

「なんで、お前が比企谷家の内情を知ってるんだよ! お前はユキペディアか」

「って言うか、ヒッキーもアッキーも断るの早すぎだからっ! もっとこう……じっくり熟考して!」

 

 頭痛が痛いと同じ原理である。

 

「由比ヶ浜、なんかごめん」

「ガハマちゃん、本当に申し訳ない」

「由比ヶ浜さん、今日は帰った方がいいわ。頭を使うと知恵熱が出るというから」

「皆が酷すぎる……ええ~ん!」

 

 結衣が泣きながら部室を飛び出して行こうとしたその時。

 

「あ、居た♪」

 

 悪魔の声が部室に響いた。

 

 ◆

 

「雪乃ちゃんの姉、陽乃です♪ よろしくね」

「由比ヶ浜結衣です。は、初めまして」

「比企谷八幡です」

「…………」

「…………」

 

 結衣は困惑気味に、八幡は懐疑的に、秋太と雪乃は敵意をむき出しにして、陽乃を見る。

 

「今度の生徒総会で抗議してやる。部外者を校内に立ち入らせ過ぎだから、この学校」

「私も尽力するわ」

「も~雪乃ちゃんも秋太も酷いんだから。この学校は地域交流を掲げているから、OBを邪険にできないよ?」

 

 割と本気で悔しがる秋太と雪乃に、結衣と八幡の顔が引きつった。

 雪ノ下陽乃。雪乃の姉。二人にとってはそれだけの情報しかないのだが、秋太達の様子から、かなり厄介な相手であることは直感できる。

 

「それで、何の用かしら?」

「雪乃ちゃん達には特に用があるわけではないんだけど」

「よし、お帰りだ。八幡、丁重に校門までお連れして。できるだけ迅速に」

「なんで、俺なんだよ」

「尊い犠牲になってくれ」

「怖ぇよ。え、なに、俺食べられちゃうの?」

「気づけば海の上なんて可能性も」

 

 八幡が陽乃からかなり距離を取った。

 

「こーら~、嘘を言って比企谷くんを怖がらせないの。由比ヶ――ガハマちゃんで良いかな? 彼女も怖がってるでしょ」

「あ、アッキーと同じだ」

「……俺、もう帰る。なんて日だ。ちょっと自分の感性について見つめ直す」

「辛いとは思うけど、頑張って」

 

 雪乃が小さくグーを作り、応援する。

 なんでこんな状況になったのか分からない陽乃はニコニコとしながらも、首を傾げた。

 

「なんで秋太が落ち込んでるの?」

「秋田が由比ヶ浜に付けたあだ名もガハマちゃんなんですよ。たぶん、被ったのがショックだったんじゃないですかね」

 

 八幡が説明を加えると、陽乃は本当にうれしそうに笑い、帰ろうとした秋太の肩に手を置いた。

 

「んふふ、秋太くん? 私たち、やっぱり似てるね」

「穴が在ったら、埋めたい」

「それ犯罪予告だから」

「似非人類と言われた雪ノ下陽乃と同じ発想をするなんて……寝込みそう」

「心中お察しするわ。秋田くん、今日はぐっすり寝なさい」

「あらら? これはあれかな? 私をバカにしているのかな?」

 

 秋太の肩に置かれた手に力が入る。

 

「なんか怒ってるのに笑ってるのがゆきのんそっくり」

「奇遇だな。俺もそう思った」

 

 八幡と結衣は陽乃と雪乃を見比べて、よく似ている姉妹だなと感想を述べる。

 その言葉に雪乃が嫌そうに反応するが、陽乃は逆に嬉しそうだった。

 

「あ、そうだ秋太。夏休み、軽井沢行かない?」

「行くわけがない。めぐり先輩に聞かなかったの?」

「聞いたけど、私が誘えば来るかなーって」

「とんだ勘違い。むしろ、めぐり先輩と二人なら確実に行った」

「年上美人お姉さんと二人きりを希望だなんて、エロガキ」

「どっかの大学のお姉さんに反応しないんで、許してくれませんか?」

「ぐっ。なかなかのジャブね?」

「幕ノ内とでも叫べば良いんですかね? お望みならデンプシーロールでもお見舞いしましょうか?」

「私のハートブレイクショットが火を噴くわよ?」

「まあ、ある意味今日はハートブレイクです。傷心中な後輩を労わって、帰るという優しさが欲しいですね。年上なら」

 

 ふふふと二人が不気味な笑いを浮かべ、周囲の人間が軽く引いていた。

 

「姉さん、仮面を被り忘れているわよ」

「おっと、やっぱり秋太がいるとダメね。ムキになっちゃうから」

「ムキムキになるとか、ちょっと怖いんですけど。私の腹筋は鉄以上とかやめて」

「アンタはもう少し女性を気遣いなさい」

「誠に遺憾ながら、それには同意するわ」

「……ゆっきーに裏切られた」

 

 雪ノ下姉妹の攻撃に秋太が敗北した。

 

「あ、そうだ! 皆で行かない? 雪乃ちゃんはもちろん、ガハマちゃんや比企谷くんも!」

「私は断るわ」

「ゆきのん、断るんだ」

「あ、俺も無理です。知らない人には付いていくなって躾けられているんで」

「ヒッキーも断ってるし」

 

 陽乃の提案に乗ってくるものは誰も居なかった。

 陽乃は狙いを変える。この中で最も扱いやすそうな少年、八幡の元に近寄っていく。

 

「軽井沢には別荘があって、近くには川も流れているから水遊びできるよ? 比企谷君? お姉さん達の水着姿みたくない?」

 

 雪ノ下陽乃は美人である。それでスタイルもかなり良い。出るところは出ているし、引っ込むところは引っ込んでいる。有体に言ってしまえばエロい体という奴だ。

 そんな魅力的な女性が水着姿になる。八幡は一瞬で脳内にその姿をイメージし、顔を赤らめる。

 

「ヒッキーまじ最低」

「比企谷くん、自首しなさい」

「あははは、比企谷くん、凄くわかりやすーい!」

 

 部活仲間の二人に侮蔑の眼で見られる八幡だった。

 

「秋太は?」

 

 秋太がバレないうちに帰ろうと、手を掛けた瞬間、陽乃が振り返る。「マジでレーダーでも付いてるんじゃ」と陽乃の気配察知能力に驚きを隠せない秋太。

 

「めぐりが新しい水着を買いに行こうって言ってたんだよねー」

「めぐり先輩だけなら、泣いて喜んだところ。でも、魔王様同伴がマイナス一万ポイント。つまり行かない」

「雪乃ちゃんの水着姿が見られるんだよ? この学校プールないから、もしかしたら一生見られないかも」

 

 「姉さんっ!」と顔を赤くする雪乃。普段は澄ましていても、やはり同世代の男子に水着姿を見せるのは恥ずかしいのだろう。結衣も、自分の水着姿が見られるのだと気づき、小さくなっている。

 

「ゆっきーの水着姿になんか興味はない。上げて寄せてもAカップ。ロマンが足りない」

 

 秋太の放った一言で、空気が変わる。「お前、勇者すぎる」と八幡が合掌をした。

 

「私の何が何なのかしら?」

「お、おぅ」

 

 一瞬で詰め寄ってきた雪乃。その速さにさすがの秋太もたじろいだ。

 

「さて、女性を辱めた罪は非常に重いのだけど、覚悟はできているかしら?」

「八幡を普段、辱めてるゆっきーが言っても説得力がない。男女平等は大切」

「黙りなさい」

 

 秋太を黙らせると同時に、雪乃は八幡の方に視線を向ける。それだけで意味を理解した八幡は両手をあげて、降参の意を示した。口は出さないと、小さく頷く。

 

「秋田くん? 私、女性としての尊厳が踏みにじられたのだけど?」

「貧乳にときめく男子もいるはず、don't mind」

「ぶっはははは! バカだ、本当のバカだっ! 普通、空気くらい読むでしょっ! 秋太、アンタバカすぎっ!」

 

 陽乃が爆発した。笑い過ぎて、自分を支えられないのか、机に倒れこむようにして笑っている。陽乃は胸元の開いた服を着ており、動くたびに八幡の視界に入ってくる。見ないようにと己を律しながらも、チラチラ見てしまう八幡に結衣が足を全力で踏みつけた。

 

「ヒッキーキモい」

 

 今年度最高のキモいが八幡にさく裂した。足の痛みと精神的な痛みで八幡は膝から崩れ落ちる。

 

「正直な俺を許してほしい」

「許さないわ。私は傷ついたの。償いを要求するわ」

「……ふむ、諭吉が何十枚必要? さすがに3桁は勘弁して欲しい」

「高校生では絶対に出てこない言葉ね。お金は良いわ。そうね……」

 

 雪乃は何かを考えると、

 

「一緒に軽井沢に行きましょう」

 

 笑顔でそう言い放つのだった。


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