BLOOD-C Light which cultivates darkness 作:MIDNIGHT
照りつける夏の日差しもまた夕方になれば多少はマシになる。
だがそれでも、漂う空気はねっとりと熱と湿気を帯び、道行く人々はそれに辟易する。そんな様子をどこか遠い光景のように真奈は見つめていた。
彼女が居るのは、外とは打って変わって快適な温度が保たれた車内だった。
エアコンから流れる風は冷んやりと涼ませる。時折横を過ぎる車を見やり、視線は落ち着かない。
「柊、もう少し行ったところでいいか?」
「え…あ、うん。その先ぐらいでいいよ」
不意に前からの呼び掛けに遅れるも、なんとか反応できた。
真奈の前には、車を運転する長身のキレ眼の男。微かに生える無精髭が目立つ。運転中のため、振り返らない男の横に座るメガネをかけた童顔の男が振り返る。
「真奈ちゃん、あまり無理しないでくださいね」
「うん、ありがとう」
人懐っこい笑顔にぎこちない笑顔で返答する。
彼女の前に居るのは松尾伊織と藤村駿といった。
学校での友人でもなければ、親類というわけでもない。彼らと出会ったのはほんの一週間ほど前だ。
父親が失踪して既に一ヶ月――真奈はその行方を捜していた。といっても、一日中人が行き交う往来をただ眺めているだけ。道行く人の中に父の姿を追って…それがどんなに無駄なことであろうとも。
あの日以来、真奈はハッキングができなくなってしまった。触れようとするたびに父親を喪った恐怖が全身を縛り、震え上がらせた。
父親を喪ったのは自分のせいだ――そう責められているように……それが酷く彼女を苛め、そしてハッキングができない自身の無力感を思い知らされた。
一ヶ月が過ぎ、どうにかメール等や電子機器へ触れる程度にまでは心が落ち着き、その過程で父親の失踪前に知り合った月山比呂と久々に話せた。
月山も突然連絡の途絶えた真奈のことを心配し、再び連絡が取れたことを喜んでくれた。
その過程で自身の現状を伝えると、月山は彼女を誘った。『サーラット』と呼ばれる組織へ―――月山自身もそこに所属しており、ネットサークルの集まりかとも思ったが、真奈の想像以上に大きな組織を持っていた。
彼女が指定したのはシスネットの代表である『殯 蔵人』の屋敷であり、彼自身がパトロンとなっている大きなものだった。
そこで出逢ったのが元の母体であった『都市伝説研究フォーラム』の発起人である松尾と藤村だった。藤村は中学の同級生であり、アプリ同好会で一緒に活動したこともあるから余計に驚いた。
彼らはそこで都市伝説の中に隠された真実や、それに通じる謎を追っていた。正直、淡い期待を抱きつつもハッキング能力を封印してしまった真奈にはそこへと参加することは躊躇われたものの、殯の言葉に参加を決めた。
「絶対に、セブンスヘブンの謎を暴くっすから!」
ガッツポーズで奮起する藤村に数日前の出来事に耽っていた真奈はハッと引き戻された。
「……うん、ありがとう」
ぎこちない笑顔で応じながら、小さく俯く。
殯はセブンスヘブン――七原文人に浅からぬ因縁があり、そのためにサーラットを組織したと真奈に語った。
ここに居れば、父の行方を掴めるかもしれない…そう思うと真奈には選択肢はなかった。そして、サーラットに所属して数日――月山や藤村に微力ながらアドバイスをしつつも、真奈は自分の存在が酷く曖昧なことに後ろめたさを感じていた。
数分後、車は道路脇で止まり、真奈は車から降りた。
「柊、あんま落ち込むなよ」
「そうっすよ、元気出して」
励ます二人に小さく笑みで頷くと、二人はそのまま車で去っていった。
それを見送ると、俯いた表情で真奈は家への帰路を歩き出した。その足取りは酷く重い。
以前は違った――父親が帰る前に帰り、食事の支度をして明日の学校のことを考えてと、弾んだ気持ちでいられたのに、今は誰も居ない…帰らない家に独りで居ることが辛かった。
父親のことばかり思い出し、家に居ることが苦痛のように思える。その事をふと月山に漏らしてしまい、月山が殯に相談すると、家の空き部屋を使っても構わないと申し出てくれた。
そこまで甘えることに抵抗はあるが、家に戻りたくない真奈にとってはありがたかった。近いうちに最低限のものだけ持って移ろうかと考えている。
そこまで追い詰められていることに真奈は自分が最悪の可能性を既に感じ始めているからかもしれないと恐怖していた。
『父親の死』――核心へと触れることへの怖れが、真奈にハッキングを封じていた。
(真夜、どこいっちゃったんだろ……)
落ち込む中、真奈は親友のことを思い浮かべた。
父親の失踪を伝えた翌日――真夜は部屋に居なかった。悪いと思いつつも、真奈はそのまま部屋を後にした。数日後、訪れてみると、真夜はいなかった。
部屋を引き払い、連絡を絶った。それが真奈の混乱を煽った。
何故真夜までいなくなってしまったのか――自分が原因ではないのかと、不安ばかりが募る。
「あれ、真奈ちゃん?」
不意に掛けられた声に顔を上げる。
進路上に見慣れた顔があった。
「月詠、副会長……」
「やっほ」
白いワンピース姿で凛が軽く手を振りながら近づく。
「どうしたの、元気ないね?」
覗き込むように見る凛にバツが悪いように引き攣ったまま応じる。
「あ、なんでもないんです。気にしないでください、副会長」
「凛でいいよ。フーン…今、時間いい?」
覗き込むように顔を寄せる凛の表情が、今まで見ていたものと違い、どこか陰りを帯びていることを無意識に感じ取るも、真奈は小さく頷いていた。
その仕草に表情が戻り、ニコリと微笑みながら凛は真奈の腕を取り、そのまま手近な喫茶店に入った。
「ボクの奢りだから気にしないでね」
席に着いて告げる凛に気後れしながら頷き、コーヒーを頼む。
暫く経つと、コーヒーが二つ並べられ、それを飲む。夏とはいえ、陽も落ちると少し温かみが身に染みる。
「落ち着いた?」
同じく飲んでいた凛がタイミングを見計らって問い掛けると、やや落ち着きを得たのか、幾分か緊張感が解れた表情で頷いた。
「そ、じゃあ本題――何かあった、真奈ちゃん?」
優しく問い掛けられ、真奈は俯いたまま話し始めた。
ハッキングやセブンスヘブンのことは流石に言えなかったが、父親が失踪したこと、その原因が自分のせいであること…どうやって父を捜せばいいのか悩んでいること―――それらを掻い摘んで伝えた。
「そっか、お父さんが……」
話を聞いた凛は考え込むように表情を顰める。
「すいません、変な話しちゃって」
凛に話してどうこうなる問題ではないが、こうして話を聞いてくれただけでも大分気が楽になった。
「気にしなくていいよ。でも大変だよね…お父さんがそんなことになって」
「……はい」
俯く真奈に凛が思い出したように問い掛けた。
「そう言えば、真夜ちゃんはどうしてるの?」
唐突に話題が切り替わり、一瞬眼を瞬く。凛には当たり前のように訊かれたかもしれないが、真夜のことは真奈にとっても答えにくいものだった。
「その――ここ最近、会ってないんです。どこに行ったかも分からないままで……」
「そうなんだ。学校にも突然休学届けなんて出すぐらいだから、どうなのかなって思って」
「え……?」
自然に出た言葉に顔を上げ、乗り出すように声を絞り出す。
「真夜、学校休んでるんですかっ?」
初めて聞く事実だけに、声も上擦っている。それに対して、凛も小さく頷いた。
「うん、夏休みに入ったぐらいだったかな…病気で暫く休学するって――ボクも気になったんだけど、連絡が取れなくて」
「そんな……」
力が抜けたように座り込む。
「その様子じゃ、真奈ちゃんも知らないんだね」
凛も肩を落とし、溜め息を零す。
真奈は改めて、自分が何も知らないことを知った。
暫く沈黙が続いていたが、やがて店を後にし、真奈は凛に頭を下げた。
「真奈ちゃん、あまり無理しちゃダメだよ」
「はい…ありがとうございます」
もう一度会釈し、分かれようとすると、凛が言葉を投げ掛けた。
「ねえ真奈ちゃん、一つ訊いていい?」
背中越しの言葉に歩みを止め、振り返ると凛が小さく問い掛けた。
「真奈ちゃんは、どうしたいの? 父親を捜したいのか…それとも、真実を知ることが嫌なのか―――」
唐突に放たれた言葉はまるで鋭い針のように真奈の胸中に刺さる。
改めて突きつけられたのは、今自分が最も悩み、揺れていることだ。二つの相反する思いの中でジレンマを抱え、どうすることもできずにいる自分自身―――それに答えられず、動悸が激しくなり、両手を強く握り締める。
小さく震える真奈に凛は肩を竦め、真奈の前に指を立てて眼前に近づける。
「最後にもう一つ――自分にとって大切な人が二人いるとして、どちらか一人は絶対に助けられないとしよっか」
突然謎かけのような言葉を発する凛に真奈は呼吸を抑えるように聞き入る。
「肉親と親友―――どちらかを選べと言われたら、真奈ちゃんはどっちを選ぶ?」
訊き入る凛の表情は、まるで人形のように硬い――だが、突きつけられた問いの意図が分からずに戸惑う。
そんな真奈に凛は無表情を隠し、無邪気な笑みを見せる。
「次に会うときには、答を聞かせてね」
そのまま踵を返し、凛は静かにその場を去っていく。
だが、真奈は固まったまま――凛の姿が見えなくなり、少ししてようやく止まっていたように呼吸を行った。
全身の力が抜け、思わずその場に座り込んでしまいそうだった。心臓を鷲掴みにされたような嫌な感覚を憶えながら、真奈は震える全身を抱きしめ、帰路へとついた。
陽はすっかり落ち、周囲は暗く染まる。
夜道を歩きながら、心ここにあらずといった様子で、真奈は先程の凛の問い掛けを反芻させていた。
いったいどういう意味なのだろうか―――意図も掴めず、答も出ない。ぐるぐると思考がループするなか、自宅マンションの前に辿り着くと、エントランスに人影が居ることに気づいた。
思考が纏まらないなか、思わず眼を凝らして凝視する。エントランスの灯りが後ろ姿を照らし、人物が振り返ると、真奈は驚愕に眼を見開いた。
「真夜っ!」
叫ぶと同時に真奈は駆け出していた。
突進するように佇む真夜に抱きつき、真奈は声を荒げながら泣いた。
「真夜、真夜っ」
親友が眼前にいると確かめるように名を呼んだ。
いったい何処に行っていたのか――何故自分には何も話してくれなかったのか…訊きたいことが山ほどあった。
「……ごめん」
小さく謝る真夜にその顔を見ると、何かに耐えているような――酷く辛いものを堪えているような表情だった。その様子に真奈は何も訊けなくなる。
ただ、抱きしめる力だけは込めたまま…その存在を離さないように――――――