BLOOD-C Light which cultivates darkness 作:MIDNIGHT
陽が完全に落ち、夜の冷たさが降る雪をさらに顕著にしていた。
誰もが白い息を吐きながら寒さに耐え、移動する中にあって、その少女は無言のまま歩いていた。
学生が好むコインローファーのコートを着込んでいるが、そのコートはどこかくたびれ、また薄汚れていた。コートの下は、セーラー服という傍から見れば寒く見えるものだろう。
だが、少女には関係なかった…人間ではないのだから――――――
(文人―――)
くすんだ、暗い瞳の中に見える微かな灯――"復讐"だけが少女、小夜の目的だった。
あの浮島での出来事から、小夜は文人だけを狙って、ここ東京へとやって来た。道中、いろいろなところで騒ぎを起こしながら、なんとか辿り着いたのは、この地に感じ取ったからだ。
小夜の狩る『古きもの』の臭いが――そして、その背後には必ず奴がいると信じて…小夜は東京の街を徘徊していた。
雪はますます酷くなり、人の姿もまばらになってくる。
信号の前で佇む小夜の耳に、獣のような声が木霊し、ハッと眼を上げた。
周囲の誰も反応した者はいない――だが、確かに小夜の耳には聞こえだ。幾度となく聞き、そして相対してきた気配。常人には見えない虚空を射抜くかのごとく見る小夜の眼は、狩人そのものだった。
ビル群の隙間――一際高く設けられた高層ビルの建築現場に設置されたクレーンの最上部から跳ぶ姿を捉えた。
―――逃がさない
内に響く己の声に誘われ、小夜は身を翻してその場より駆けた。
突如駆け出した小夜にすれ違う人は何事と驚くも、そんな事に構わず、小夜は獲物が逃げた先へと向かう。
小夜が走り去った道路脇に、松尾のミニバンが停められていた。
「くそっ、一条の奴全然出やしねえ」
大仰に悪態をつき、携帯端末を乱暴に切る。
塔の実働部隊がターゲットを追っているという情報を伝え、そのまま問題の路線に乗るという連絡を最後に真夜とのコンタクトは途絶えている。
「真夜さん、問題の便に乗ってたんですかね?」
藤村も不安な表情を隠せない。
真夜は大手町駅からくだんの便に乗った――ターゲットはその次の淡路町駅だ。そして松尾と藤村は次の到着地である御茶ノ水駅へと先回りしてきた。
暫く駅出入口を見張っていると、黒塗りの大型バンが急停止し、黒スーツの男達が数人構内へと入っていった。
「…塔の連中だ」
それは確信的なものだった。
「塔が古きものと繋がってるって噂、本当だったんすね!」
時を置かずして、構内から切羽詰った客が次々と出てくる。必死の形相で逃げる乗客に周囲の人達は不審そうに見やっている。
その原因を知っている二人は逡巡を巡らせていた。
「あいつら、派手に動いてやがるな――」
駅の周囲にはパトカーや救急車が囲うように到着し、不穏な空気を漂わせている。
だが、こうも外で見ているだけでは、何があったか皆目分からない。
「行ってみるか」
苛立ち混じりに呟く。
このままここでいるよりも、野次馬よろしく構内に入ってみるのも手だった。
うまくいけば、古きものとやらが拝めるかもしれない。塔の中でもほとんど情報がないものだけに、少しでも掴みたいところだ。
「待ってください――」
そんな松尾に待ったをかけ、藤村は口内の飴を動かしながら手元の端末を操作し、塔の通信網にハッキングを仕掛ける。
やがて、ヘッドフォンから盗聴した無線通話がノイズ混じりに聞こえ、それに神経を集中し、言葉を拾う。
「いない!? 逃げたって」
「何!?」
聞こえた言葉に思わず声を上げ、松尾も顔を寄せて手元を覗き込む。
「別部隊が、再補足したって言ってます――!」
「どこだ!?」
ターゲットは既にこの場から逃走した。
慌ててサーチを再開し、松尾はハンドルを切ってミニバンを急発進させた。
エンジンを唸らせ、神田川沿いの外堀通りを東京ドーム方面へと一気にスピードを上げて走っていった。
墜ちる――――
その感覚を肌で感じながら、真夜は神田川の上に身を投げられた。
古きものに押し負けて車外へと落とされた格好だが、このままでは川へと落ちる。
「っ」
空中で体勢を整えながら、真夜は視界に飛び込んだ川に掛かる枝に向けて手を伸ばした。
掴んだそれは大きく曲がるものの、真夜の体重と落下スピードを受け止められず、根元から折れた。だが、僅かにでも落下を軽減し、またしなった枝によって軌道が変わり、真夜の身体は川の脇に岸に投げられた。
着地できずにそのまま身を打ちつけて転がりながら身を丸める。
暫し回ったところで止まり、真夜は苦悶の表情を浮かべる。
「たたたた」
冬の川にダイブしなかっただけマシだが、それでも全身を強く打ってしまった。
ヨロヨロと立ち上がり、顔を上げる。
「追わなくちゃ」
古きものの一人が真奈を連れ去った。ならば、やはりあの男は真治なのか――だが、小夜があの地下鉄に乗っていなかったことから、真奈の連れて行かれた場所に現われるという可能性も半々だ。
最悪、真奈も喰われてしまう――他ならぬ父親に…それだけは絶対に阻止しなければ。
痛む身体を奮い立たせ、上がろうとした瞬間――頭上から影が舞い降りた。
獣のような咆哮を上げて真っ直ぐに降下してくる真夜と一緒に落ちた古きもの――爪を突きたてて迫る姿にハッと振り返った真夜は、刀を頭上に向けて振り下ろした。
刃が煌き、鮮血が夜に舞い、白くなっていた草木を紅く装飾する。
爪ごと腕を真っ二つに斬り裂かれ、溢れる自らの血に叫び、悶える女は腕を押さえながらその場から跳躍する。
「っ!」
人間ではあり得ないほどのジャンプで真夜の頭上を超えて跳ぶ女はそのまま橋を踏み台に離れていく。
「しま――っ」
完全に理性を失ってしまい、暴走している。
あのまま街に入れば、多くの犠牲者が出る――だが、脳裏に真奈のことが過ぎる。
踏み止まる真夜の耳に、空気を裂くローター音が響く。ハッと顔を上げると、下部のライトで地上を照らすヘリが見える。
ここに留まるのは危険だ。真夜は逡巡を振り払い、女が消えた方角に向かう。
河岸を上がり、進入防止のフェンスを蹴って飛び越える。突如現われた真夜に周辺を歩いていた人々が驚きに眼を丸くしているが、そんなものに構っていられない。
腰に引っ掛けておいた鞘に刀を戻し、真夜は女の後を追って夜の街を駆けた。
男は静かな場所を探し、夜の街を跳んでいた。
既に全身は大きく肥大し、もはや完全に人間としての姿をなしていない。それは化物と形容する体躯であった。その能力を本能の赴くままに発揮し、片腕に抱える真奈を掴んだままビルの屋上から跳び、ガラスを蹴って降りていく。
突如現われ、亀裂を走らせていく影にビルの人々は眼を見開き、驚愕する。
必死に逃げる男の脳裏には、先程の地下鉄での光景が恐怖として刻まれている。
自らの片腕を落とした女――あの女から逃れるため…この抱える若い肉を喰いたいという衝動を抑えながら必死に逃げていた。
地上間際のビルの屋上に降り立った瞬間、男の背筋がぞわりと震える。
それは、獣が持つ本能――狩人に対する恐怖心だった。
それに突き動かされ、男は必死にその場から去った。少しでも遠くへと――光のない静かな闇の満ちる場所へと………
だが、その姿を小夜は捉えていた。
人の気配のほとんどない住宅街の中を駆ける小夜の瞳には、遠くのビルや電柱を伝い、移動する男の姿が映っていた。
(奴は―――?)
追う相手は間違いなく古きもの――だが、気配が違った。
今まで相対してきたものとは違う何かが混じったような異質なもの…それが何なのか、小夜には分からない。
その疑念を内に抑える。今は古きものを追うことが先決だった。それは永い生の中で根付いた執念に近いのかもしれない。
影はそのまま木々の茂る住宅街には不似合いな公園の中へと消えていく。
小夜は刀を包んでいた布を払い捨て、鞘を左手に構えてさらにスピードを上げた。
男がたどり着いたのは、後楽園駅の裏手にある礫川公園と呼ばれる小さな霊園だった。コンクリートの堀に囲まれた東京都戦没者霊苑。
薄らと白く覆われたそのコンクリートの広場に男は降り立ち、抱えていた真奈を横たえる。拍子にかけていた眼鏡が顔から落ちる。
男は荒い呼吸を繰り返しながら真奈の顔を覗き見る。
喰いたい―――その衝動をもはや抑えることはできなかった。口が大きく裂け、その牙のような歯が触れようとした瞬間、男は突如苦しみだした。
掠れた声を漏らし、片腕で頭を押さえてよろめきながら後退する。
鋭いメスで頭の中を抉られるような激痛が全身を襲い、もがき苦しむ。数メートル離れた場所で蹲り、這うように身体を逸らし、苦痛から逃れるように全身をコンクリートに擦らせる。
その声に気絶していた真奈は微かに意識を取り戻す。薄らと眼を開き、小さな口から白い息が漏れる。
落ちている眼鏡のレンズ越しに誰かがいるのが見えるも、未だ焦点は合わず、夢心地だった。
その間にも男の苦痛は続く――そこへ、男の命を狩る狩人が現われた。
鉄製の門を超え、階段を駆け上がりながら進む小夜の眼前に高く聳えるコンクリートの壁――だが、そんなものは小夜には何の意味もない。
スピードを上げて壁の前で大きく大地を蹴って跳躍する。
高く舞い上がる小夜の眼下に、獲物の姿を捉える――刹那、小夜の瞳が紅く染まり、右手に刀を抜いた。
―――還れ…在るべきところに
小夜の赤い唇から言葉が零れた。
落下スピードと合わせて急降下してくる小夜は両手で構える刀を顔を上げた男の頭頂目掛けて白刃を振り下ろした。
頭頂から顎までを貫かれた男はそのままコンクリートの床へと叩きつけられた。
既に痛覚すらまともに機能していたのかも分からないほどだったが、それは命を一瞬にして奪うには充分だった。
貫通した刀はコンクリートの床で先端が砕け散った。
倒れ伏す男から噴き出す鮮血が薄らと積もった雪の白に真っ赤なまばら模様の血化粧を施す。
飛び散った血は小夜にも掛かるも、そのまま絶命した男の死体から刀を抜き、ゆっくりと立ち上がる。
もはや使い物にならなくなった刀を無造作に捨てる。
小さな金属音を響かせ、転がる柄に雪が降り注ぐ。その音で真奈は意識を完全に取り戻した。
ぼやけた視界の中に佇む人影――一瞬、あの男かと思ったが、背格好が違いすぎた。
手探りで眼鏡を探し、すぐ傍に落ちていたそれを拾い上げると、かけ直す。明瞭になる視界に、横たわるものが飛び込んでくる。
それは、自分を襲ったあの男だった――だが、その死に顔を隠すように小夜は着込んでいたコートを脱ぎ、返り血で真っ赤になったそれを男に向けてふわりと被せた。
雪がちらつく漆黒の世界で静かに見下ろす小夜の瞳には、深い哀しみが漂っているように感じられた。
「貴方は…誰なの―――?」
身を起こしながら囁く真奈に小夜が顔を上げた瞬間――甲高い声が響いた。
ハッと顔を上げると、空中から降下してくる男と似通った容貌を持つ化け物――小夜が歯噛みし、振り返った瞬間…その前に割り込むように影が飛び込んだ。
煌く白刃が、降下してきた化け物の首を胴体から斬り離した。
刹那、胴体から噴水のように噴き出す鮮血が周囲に拡散する。雨のように降り注ぐ血が小夜だけでなく、小夜を守るように現われた人物にも降り注ぐ。
舞い上がっていた黒髪がふわりと落ちると同時に、首を喪った身体はその場に崩れ落ちた。
小夜が眼を見開くなか、眼前の少女が構えをとき、右手に握る刀を下へと下ろす。間近で浴びたため、自分だけでなく相手も僅かに血に濡れている。
やがて、少女がゆっくりと小夜と…真奈に向けて振り返る。
「ま、や……―――」
血まみれの姿で振り向いた親友に、真奈は掠れた声を漏らす。
真夜は静かに小夜を見据え、小夜もまた真夜を見つめている―――小夜の瞳には驚きと警戒が漂い、真夜の瞳には哀しみと微かな怒りが漂う。
微風が髪を揺らし、小夜の真紅の瞳と真夜の漆黒の瞳が絡み合う。
向かい合いながら対峙する二人に真奈が呆然となるなか、突然激しい風音が耳に木霊し、同時に眩しい光が周囲を照らす。思わず顔を上げると、上空を一機のヘリが航行し、サーチライトで地上を照らしている。
光に晒され、化け物の死体の上に佇む二人の輪郭を浮かび上がらせ、表情が陰に覆われる。
だが、そんな周囲など気にも留めず、真夜と小夜は互いを凝視していた。
運命は、二人の少女を邂逅させた――――――