BLOOD-C Light which cultivates darkness 作:MIDNIGHT
激しい風が突風となり、雪を粉にして舞い上がらせる。
低空飛行するヘリコプターから降り注ぐサーチライトの中、真夜は対峙する小夜を見詰め、その視線が彼女の足下へと向けられる。
コートに隠されたそれは、自分が見た古きものにされた人間の片割れ――真治かもしれない男の成れの果てだった。
その現実に唇を噛み、握る力が強く震える。
その様子に当の小夜は不審な眼を向け、口を開こうとした瞬間、不意に素っ頓狂な声が響いた。
「うわぁぁっ、し、しししし死体っ死体!」
尻餅をつく藤村は、そこに横たわる死体に慄き、声が裏返る。
傍らの松尾も驚きを隠せずにいる。
いや、古きものの遺骸もだが、それより眼を引いたのは、その傍らで佇む小夜と真夜にだ。
「一条? それに、あんた―――誰だ?」
傍らに立つ片方は自分も知っている少女だ。だが、紅く濡れて佇むその姿は、いつもの彼女ではなく、まるで遠い世界の存在のように見える。
松尾の声が聞こえたのか、それまで俯いていた真夜がハッと顔を上げる。
ゆっくりと振り向く真夜はいつもの彼女だ。だが、その瞳は今の自分の状況に些かも動揺していない――まるで、こうなるとあらかじめ決意していたような強さを宿している。
こちらに気づいた真夜に再度声を掛けようとした松尾の耳に、弱々しく呟く声が届く。
「松尾、くん? 藤村くんも……」
振り返ると、照らされた輪の外側に身を起こす人影があり、それが真奈だと気づき、さらに戸惑う。
「柊? なんでお前もここに――!」
慌てて駆け寄る松尾とは対照的に藤村は取り出した端末のカメラで横たわる遺骸に向けてシャッターを切った。
眩いフラッシュの光がその非現実的な光景を収め、低空飛行で微かに捲れた遺骸の死に顔を見せ、またも引き攣った声を漏らす。
「これが……古きもの」
思わず漏れたその呟きに煩げにヘリを見上げていた小夜はピクリと反応した。
だが、それより早く松尾が叫んだ。、
「馬鹿野郎! 早く逃げるぞ!」
真奈を引き起こし、よろめく身体を支えながら出口に向かっていく。
あのヘリが塔のものであることは明白であり、ここで自分達の顔が見られてしまったら、厄介なことになる。
藤村はさらに近づことしたところで踏み止まり、踵を返す。
「一条! お前も早く来い!」
階段を降りていく松尾の眼に反対側の春日通りの方から何台もの黒塗りの車が止まり、幾人もの人影が降りてくるのが見えた。
それが警察といったものではないことは明らかだ。
「連中もう来やがった! 柊、フジ、一条、逃げるぞ!」
「待ってくださいよ!」
慌てて後を追ってくる藤村に対し、真奈は未だ動かずにいる真夜と小夜を見やる。
だが、身体は松尾に引っ張られ、気持ちとは反対に連れられていく。
離れていく真奈達を見送り、真夜は意識を覚醒させる。耳にはこちらへと近づく足音が聞こえてくる。正直、九頭や凛以外ならどうにかできるが、この時ばかりは逃げる方が先だった。
刀を鞘へと収め、すぐさま小夜の腕を取る。
微かに息を呑む小夜に対して気遣うでもなく腕を引き、真夜は走る。今はただ―――彼女と共に逃げるために、松尾のミニバンが止めているであろう場所に向けて。
一度、上空を飛ぶヘリを見やった。こちらを射抜くようにサーチライトを晒す様子に、嫌なものを感じ、走るスピードを上げた。
眼下の惨状は、ヘリに内蔵された暗視カメラによって正確に撮られていた。
二人乗りのヘリのコックピットには、重装備をしたパイロットがヘルメットに備わったゴーグルに送られてくる映像を捉え、ズームする。
計器類の中に備えられたモニターには、眼下の状況が拡大される。
そこに横たわる二つのモノに、照準が合わさる。コートに覆い隠された男と首を落とされた女、傍らに転がる首と切り離された胴体から夥しい血が雪に飛び散り、斑模様の血化粧を施している。
「対象の損壊を確認しました」
「見れば分かるよ」
パイロットの呟きにもう片方のサブシートに座る人物が面倒臭そうに返した。
肌を一切覆い隠したパイロットと違い、こちらはこの設備が充実した機密ヘリには不釣合いな白のセーターに赤いコートを羽織った少女だった。
「ちゃっちゃっと回収させて。地下鉄と同じく痕跡を残さず、ね」
投げやりな口調でニコリと笑う少女にパイロットは背筋がぞわっとおぞける。
「りょ、了解。回収班、目標の回収を急げ」
上擦った口調で指示するパイロットを横に、少女の視線はモニターに映る二人の少女に向けられていた。
白と紅の空間に佇む真夜ともう一人――兄が持っていた資料で読んだ、あれが古きものを喰らう鬼―――
「小夜、だったっけ……フーン、文人様が執着するわけだ」
納得したように肩を竦め、注意が横の真夜に逸れる。
「でも、ボクの意中は――よく、惨劇の場には血の雨が降るっていうけど、君は本当に血の雨を降らすんだね……」
見惚れながらくつくつと笑う。
「凛様、目撃者二名は、いかがいたしましょう?」
「回収部隊から適当に振り分けて。もうすぐ地下鉄のチームも来るでしょ」
「はっ」
パイロットが作業を進める中、少女――凛はモニターの映像の中で小夜の手を引いて走っていく真夜を見つめる。
(ここまで来た甲斐があったね――ますます君が気に入ったよ、真夜ちゃん)
血に濡れる真夜の姿に、凛は身体が熱く火照り、顔を上気させる。
それは、恋人との逢瀬を想う乙女のようだった。
松尾達がバンに向かう中、その視界に眩いサーチライトが映る。
公園の正面入口――ゲートで隔てられた先に何台もの黒塗りのワゴンが横付けされ、そこから幾人もの気配が出てくる。ゲートを突破してくるのも時間の問題だ。
「急げっ」
抱える真奈を気遣う余裕もなく、藤村もひたすら逃げる。
反対側の国道沿いに止めてあった愛車まで辿り着く。松尾はすぐさま運転席に乗り込み、藤村も助手席に飛び込む。
「乗ったか?」
後部座席には、真奈の姿がある。あとは真夜が来るのをまつだけ――後ろを振り返った瞬間、反対側のドアが開き、あの少女が押し込まれるように席に着いた。
その後から真夜が入り、ドアを閉めた。
「ええ? な、何ですか?」
「一条、お前っなんでそいつを――」
訳が分からずに戸惑う二人に真夜は低く言い放った。
「出して! 早く!」
有無を言わせない威圧感を纏い、その気配に呑まれる。
「奴らに追いつかれる――」
押し込まれたことに対して何の感慨もない声色で、少女――小夜が紡ぎ、ハッと我に返った松尾が霊苑を見ると、車を降りた男達がこちらを指差しながら駆け寄ってくるのが映る。
同時に、上空からヘリのサーチライトに照らされる。このままでは補足されてしまう。
「くそっ」
悪態を衝き、反射的にギアを入れ、エンジンを噴かす。
「柊、一条、シートベルト閉めとけ! あんたもだ! 飛ばすぞっ」
やや引き攣った声で松尾はアクセルを踏み、ミニバンは急スピードで歩道を後退し、一気に春日通りの国道に躍り出る。
夜の春日通りは交通量が多く、普段は徐行しなければならないが、そんな余裕はない。突如国道に割り込んだミニバンに走っていたトラックが急ブレーキをかけ、クラクションを鳴らす。
だが、今の松尾にはそんな些事を気に掛ける余裕はない。国道に出るや否や、ギアを戻し、ハンドルを切ってアクセルを全力で噴かした。
「このまま街中を走って、下手に裏道に入ると危ないから」
「分かってるよっ」
背中越しに指示する真夜に、ヤケクソ気味に怒鳴り返す。
言われるまでもなく百も承知だ。口は悪いが、自身の信念と仲間への篤さでは譲れない松尾は、塔に捕まるつもりはない。
無意識にアクセルを踏む力が強くなり、ミニバンはスピードを上げていく。
それを追ってヘリが上空より追跡し、サーチライトの光がミニバンを捉える。周囲を走るドライバー達は何事と怪訝そうに減速する。
だが、松尾達は止まるわけにもスピードを落とすわけにもいかない。
車線変更を繰り返しながら撹乱しようとするも、上空を飛ぶヘリとでは些か分が悪い。ビルやマンションが密集している都市部だからこそ、思い切った低空飛行などはしてこないと思いたいが、そういった常識の物差しで図れないのが『塔』なのだ。
執拗に照らすライトにガラスに顔を張り付かせて見上げる藤村はライトに顔を照らされ、慌てて引っ込める。
「全然離れませんよ!」
「うるせえっ」
「藤君!」
「後ろからも来る」
その言葉にミラーを見ると、迫るように追いかけてくる黒いワゴン車が数台――そのスピードが段違いだ。
「奴らかよっ」
苛立ち混じりに歯噛みする。
「フジ、道案内は任せたっ」
「は、はいっ」
慌てて膝上のノートパソコンを開き、ネットワークを開きながらヘッドセットのマイクに叫ぶ。
「本部! サーラット! こちら藤村、ヘリに…塔に追われてます! 助けて、矢薙さん!」
情けない声で慌てふためく藤村の耳に、スピーカーから冷静な声が返ってきた。
《落ち着きなさい、藤村君》
サーラット本部に居る矢薙の声だ。
その声に僅かに落ち着いたのか、全神経をスピーカーに集中する。
《ルートは、一分以内に指示します。その間に、貴方が現場で取得した古きものの記録を、本部に転送してください》
「わ、分かりました!」
具体的な指示が出され、落ち着きを取り戻した藤村は急ぎ取得した映像を転送する。
少しは活路が開けたかと思ったものの、執拗に追跡してくるサーチライトと、後方から迫るワゴン車――都心部では稀に見る大雪により、路面が僅かに凍結し、雪に慣れていない都会の車がスローペースで車間を空けて走行している間隙を縫い、松尾のミニバンはスタッドレスタイヤのおかげで凍結する路面をしっかりと掴み、小回りを活かして車の間をすり抜けていく。
松尾のハンドル捌きには脱帽ものだが、ワゴン車は周りの車をぶつけ、強引に割り込んで追いかけてくる。
「まだか!」
一分という時間をこれほど長く感じたのは初めてかもしれない。
苛立たしげに歯噛みする松尾の横で、藤村も今か今かと待ち侘びるなか、データが転送されてきた。
「来ました!」
顔を輝かせ、忙しなくキーを叩き、本部から転送されてきたルートがナビにも転送され、奇妙なマスコットが矢印を持ってルートを表示する。
「この先の信号を右です!」
「よしっ」
瞬時にハンドルを切り、松尾は右折車線に入り、すぐさま曲がろうとするも、そこは信号のない曲がり車線で、絶えることなく車の流れができており、そこへ強引に割り込んだ。
ミニバンが交差点に猛スピードで進入し、対向車線を走る車が一斉にクラクションを鳴らし、迫る車に松尾はブレーキとハンドルを切る。
「ここ違いますぅ!」
「うるせぇ!」
悲鳴を上げる藤村に松尾は怒鳴る。
「きゃあ!」
回転する車体の遠心力に飛ばされそうになる。激しく揺すられる身体を必死に堪え、ミニバンはなんとか車線をかわし、脇道に入った。
だが、このスピンと混乱でヘリは一瞬であるが目標を見失い、サーチライトの照射は外れた。
そのまま直進するミニバンの前方に眩いライトが入り、中型トラックの影が映る。
「左へ!」
眼を見開く松尾の背後から真夜の鋭い声が響き、反射的にハンドルを切り、ミニバンはトラックと擦れ擦れでかわしたものの、右側のドアミラーが相手の車体に吹き飛ばされ、無残に後方に落ちた。
だが、なんとか正面衝突は避けられたことにしばし呆然となっていた松尾と藤村の思考がようやく動き出す。
「ルート、外れてます……」
眼鏡をずり落ちさせながら、掠れた声で呟くと、松尾は大仰に返す。
「仕方ねえだろっ」
「戻します!」
急ぎルートを再検索しようとした瞬間、後方から眩いハイビームが照射され、身を強張らせる。
「藤くん」
「う、うわぁ、きたぁ」
数台の黒いワゴンが猛スピードで迫る。
直進距離での最高速度は段違いで、ますます距離が詰められる。
「くそっ、ダメか――!」
さしもの松尾のテクを持ってしても性能差まではカバーできない。
「ああ、矢薙さーん!」
頭を抱えて叫ぶ藤村の声に矢薙の冷静な声がスピーカーを通して響いた。
《そのままよ。もっとスピードを出して》
進行方向には大通りがあり、交差点の直進信号は赤を表示している。さらにスピードを出せば、間違いなく無事では済まない。
「どうなっても知らねえぞっ」
だが、後方から追われる以上、今は信じるしかなかった。
指示に従い、松尾はさらにアクセルを踏み込み、ミニバンは最高速度に達する。
エンジンが限界を超えるように唸り、急加速でGが身体を圧迫するなか、猛烈な勢いで交差点に突入する。
眼前に迫る光景に藤村は悲鳴を上げ、真奈は思わず眼を閉じて身を低くする。だが、真夜と小夜は冷静に見つめていた。
刹那――信号は青に変わった。
前振りもなく急に変わった信号に交差点を走っていた車は混乱し、一斉に急ブレーキをかける。だが、そのおかげで僅かな隙間ができ、その間隙を縫って、ミニバンは交差点を一気に駆け抜けた。
交差点を抜けた先は緩やかな坂となっており、スピードにのっていたミニバンは空中に浮き、大きな衝撃とともに着地した。
松尾のミニバンが交差点を横切ったと同時に本部で動きを把握していた矢薙と月山は、交差点の信号を切り替えた。
複数のネットワークを操るマルチタスクを駆使し、交通システムを掌握した月山は、信号を戻し、再び青く点灯した信号に従って車が一斉に動き出す。
僅かに遅れて交差点に進入した塔のワゴンは強引に突破しようとしたが、眼前に現われた大型トラックを避け切れず、荷台に衝突し、僚車もまた後方から次々と激突し、交差点は多重事故で止まる。
それを見ていたように月山は交差点周辺の半径数キロに渡って電力網をカットした。
刹那、事故現場を中心に周辺の光が落ち、停電となる。
暗く染まり、パニックになるなか、上空でワゴンを誘導していたヘリは目標を見失い、空中を旋回する。
「凛様、これは……?」
「引き揚げ」
困惑するパイロットに凛は素っ気無く告げた。
「これ以上は無意味だよ。速やかに引き揚げ――元々は、脱走した被験体の回収」
当初の目的は既に達した。
もう興味はないとばかりに凛は身体をシートに預け、身を沈める。
信号の切り替えと撹乱、それに停電――正直、ここまでしてくるとは思っていなかった。
だが、逃したところで構わない――どうせ、行き先は分かっているのだから………もっとも、帰ればこの事を兄に報告しなければならない。
それが面倒だな、と――凛は小さく欠伸を噛み殺した。
お待たせしました。
今回は本編のカーチェイスです。