翌日、俺は屋敷の地下牢にミュン達を放り込んだことをアンネの町長へその報告をするために、アーリィを伴って街で役所へやってきていた。
簡単なお土産を買っておいたが、初対面なので当たり障りのなく楽しめそうにワインを選んでおくのも忘れない。
アーリィには昨夜の一見を報告済みだ。
すると彼女は深刻な表情をして、俺に屋敷で待つよう言付けて地下牢の元へ向かった。
結構な時間の後に戻ってくると、町長に話をしに行くと言って俺を伴ってお出かけだ。地下で何を話していたのかは、後で言うと言って教えてはくれなかった。
ちなみにナヅキは朝早くから体を動かしていた。後で付き合うと言ったので、今日も相手を頑張らないと。
ダルメンは俺達が先日泊まった食堂へ出かけている。あの店が出す食事はよほど美味いんだな。
朝は過ぎたが昼にはまだ早い町並みを、ユカリスとアーリィを伴って歩く。
アンネ自体がそう大きい街ではないが、それでも役所は行政機関というだけあって五階建の建物は街の中でも結構大きい。
アーリィはもはや顔パスのような扱いを受けており、唐突な話だというのに問題なく町長の元へ案内されている。
たった三年で最早顔役と言わんばかりの姿を見せるアーリィに、早熟や天才という言葉では片付けられない何かを感じていた。
「どうかされましたか?」
視線に気づいたのか、アーリィが俺を見上げてくる。こうして見れば十歳前後にしか見えない子供だ。
「いや、アーリィの能力が高いと言ってもよく街の人たちは納得してるな、って」
「リアクターがなければツギハギはおろか生活用の紋具を安心して使用できません。元々このアンネの街には小さなリアクターしかなく、紋具もそれほど普及されていなかった」
「供給と管理がアーリィにしか出来ない以上、こうなるのは必然か」
「町長殿は野心という言葉から縁遠く、安寧という名の守勢の方です。日常を平穏無事に過ごし老死したいと常々言っておられます故、騒ぎさえ起こさなければ大抵のことは納得してくれますよ」
「どう考えても騒ぎの予感しかない問題をこれから報告しに行くんだけど」
「こればかりはどうしようもありません」
そう語るアーリィの横顔は何の気兼ねも見受けられない。何をどう言われても自分の好きにやるし、ここに来たのも単に義務でしかないのだろう。
あいつらの処遇は彼女にかかっているが、相手が言う通りの性格ならあのまま地下牢暮らしを続けそうな気がする。
後で何か差し入れでもしてやろうかな、と考えていると肩に乗ったユカリスが滑り台のように俺の腕を伝い、肘の間接の上に乗る。ちょっと不満そうな顔だ。
ユカリスを再び肩に乗せ、今度は腕をぴんと伸ばす。
すると予想通りユカリスは俺の腕を伝いすーっと掌に落ちてくる。
俺はユカリスが落ちてきた動きを利用し、その反動で彼女をアーリィの頭の上に放った。
ユカリスは宙を舞いながらも顔はとっても笑顔だ。何か喋っているが、俺にはわからないので多分きゃーと楽しそうな声を上げているのだろう。
ぽて、とアーリィの上に着地するユカリス。
重さがほとんとないのか、アーリィのバランス感覚が優れているのか、一切の体のブレを見せぬままアーリィは目を上に向け、次いで俺を見た。
「花の識世、でしたか。何の品種かはわかりませぬが、こうも人に気を許す性格の子も珍しい。どこで出会ったので?」
「ここから北にある山に住んでた。あそこへ登った時に出会ってな」
「ほう。ではその話は食事の時に楽しみにしております」
猫を抱えるように両手で頭の上のユカリスを抱え、俺に差し出してくる。
少し背をかがめ、ユカリスが改めて肩に乗ったのを見計らったかのように、前を歩く女性がこちらへ振り向いた。
「着きました。ここが町長のお部屋でございます」
「ありがとうございます。ではネムレス殿、参りましょう」
案内をしてくれた女性に一礼し、アーリィがその部屋の扉をノックする。ややあって入室の許可をもらい、俺達はその扉をくぐった。
飾り気のない部屋は華やかさに欠けており、質実剛健と言えるほど必要最低限の物しか置かれていない。
とても町を預かる人間の部屋とも思えないが、事前に聞いていた安寧の人という言葉でそれに納得する。
「おはよう、アーリィさん。今日は何用でしょうか?」
そう言ったのはこの街の町長である壮年の男性。
垂れた目ややや小太りの体を椅子に預け、やや警戒を帯びた雰囲気だ。アーリィが来たからなのか、持ち込んだ案件を察したのか。
それでも子供であるアーリィに敬語を使う辺り、力関係が窺える気がした。
「はい。実は昨日、私を襲ってきた正体不明の何者かを拘束しまして。今は私の家の地下牢に入れております」
言った瞬間、喉を詰まらせるように体を震わせる町長。額からは汗が滲み出て、見るからに嫌そうな顔を浮かべている。
「あまり聞きたくないのだが、私に何を求めているのでしょう?」
「私に出来ないことです。しばらく……余裕を持って十日ほど、リアクターに負荷をかけますので、急ぎツギハギないし紋具の制限をお願いしたい」
「制限、ですか。ということは大規模なツギハギを行使するおつもりで?」
「はい。何分未知の領分へ手を突っ込もうとしておりますので、保険は少ないに越したことはない。最悪、スピリット・カウンターが発生するやも」
「そ、そんな嘘な!」
アーリィの報告に、当然のように絶叫する町長。
穏やかに過ごしたいという目的を持って生きている人からすれば、今の宣告は死刑にも等しい事に聞こえたのかもしれない。
しかしアーリィは一体何をする気だ? ミュン達との会話が関わってるのは間違いないだろうが、かなり大事のようだ。
「あくまで『最悪』です。でもそれは、町長が根回しを怠らなければ防げる事実ではあるかと思われます」
「どう足掻いても穏便ではないとしか聞こえないのですが!」
ああこの人、苦労してるんだな……
今のアーリィとのやり取りで力関係を改めて知る。
「言い方を変えましょう。放置すればアンネが消えるやもしれない所を、街の生活を少し節約することで防げるのです。しかも深夜ですから、混乱は小さいはず。本当に緊急用のものだけに備えておけば、貴方の安寧は守られる」
「うぐぐ……この街の外、どこか遠い地でその作業を行えないのですか?」
「リアクターのない場所で使えば、それこそスピリット・カウンターが起こってしまいます。私がよく向かった洞窟も、おかげで崩れてしまいましたからね?」
「は?」
「周囲で一番安心出来ると言えば五領国のエスタンブルでしょうが、流石に五領国へ持っていく案件としては爆弾すぎます。それこそ、町長の平穏が消えてしまわれますが?」
「おおう……わ、わかりました。スピリット・カウンターの発生となれば皆も了承してくださるでしょう。憂いなくお仕事出来るよう根回ししておきます」
「ありがとうございます、ミスター。今度、胃に優しいものをお渡しします」
「多少心が和らぎますが、そんな配慮が出来るなら胃を刺激しないで欲しい……」
そう言って胃をさする町長。彼に必要なのは胃薬じゃないだろうか。
「しかしその犯人というのはどう処理するおつもりで? 街に危害を加えていない以上、私としましてはアーリィさんに一任という形になるのですが」
「はい、考えがありますのでお任せください」
「あいつらの処遇考えてたのか?」
「ええ。知り合いにこういう荒事に強い方がおりますので、押し付けようかと。その間、迷惑代として色々とお手伝いをしていただきます」
「ミュンはともかくベルソーアはどうだろう」
「ベルソーア殿と話をしてみれば、性格はともかく知力には見張るものがありました。少なくとも損得が考え、実行できる力が見受けられます。本来なら貴方やサウザナ殿に聞くのが一番ですが、まずは自分達で挑戦するのが筋でありましょう」
なら媚を売る必要なかったんじゃないか。でも、二人の会話は聞いてみたかったな。
したり顔で頷く俺に、町長が目を向けてくる。今まではアーリィだけがいればいい話題だったが、ここから俺が必要になるのかな?
「その、君は一体……」
「ネムレス・ノーバディという方です。話題の何者かの捕縛と、アンネの街をさらに盛り上げるきっかけを作ってくださった方です」
ん? 今何か言い方が……
「ほう、アンネの?」
「はい。私が以前より訪れていた洞窟には、ある技術の資料が隠されておりました。それを使えば、アンネはさらなる発展を遂げるでしょう」
「私は必要以上の発展はせずとも良いのですが……リアクターや水源を様々な用途として名産に仕立て、貧困に近いこの街を豊かにしていただいたのは感謝致します。とはいえ、必要以上の技術の底上げは人を呼びこむもその正負は選べませんので……」
「ですが、人が増えるということは経済の活発化も見込まれます。貴方の『趣味』も広くなるやもしれませんぞ?」
「ごくり……い、いや、我が身のためにそんなことは。最悪エプラッツの店に入り浸れば」
むむむと悩み始めた町長。これは戻るのに時間がかかるかなと思いアーリィに気になったことを聞いてみる。
「アーリィ、エプラッツって?」
「一昨日ネムレス殿達が宿泊していた店の店主の名前です。我々に対応してくれた、エインさんの父君でもあります」
「ああ、あの店の子か。今考えても、いくら直るからといっても店を半壊させたのに怒らなかったのか器が広い」
「は、半壊?」
俺のつぶやきに町長が焦った声を出す。入り浸るって言ってたし、知り合いか単にあの店をよく利用しているのかもしれない。
「いえ、もう無事に元通りですのでご安心を。町長の楽しみを奪ってはおりませんよ」
「ほっ、良かった」
「町長は食事が趣味なのですか?」
「恥ずかしながら、この体型を見ればお分かりかもですが食べ歩きが趣味です。街はもちろん、外国へ赴くさいにも。仕事の後、あるいは休日。そんな時に美味しい食べ物を口に入れることのなんと素晴らしいことか…………」
今まで食べたものを想像しているのか、悦に浸る町長。ちょっと和む。
と、ここで買っておいたお土産を渡す。食べ物でなくて恐縮ですが、と言うと町長は破顔しながらワインも好きですと言ってそれを受け取った。
「話を戻します。町長にはもう一つお願いがあるのですが、こちらのネムレス殿が何かお願いをすることがありましたら、なるべくそれを叶えてあげて欲しいのです」
いきなり変なことを言い出すアーリィに、俺は怪訝な目を向ける。
どういうことだ、と聞いてみると彼女は一つ頷き、俺と町長へ理由を説明した。
「捕縛に協力してくれたのは先ほど申した通りです。私はそちらの対処に当たりあまり動けなくなりますので、もし何らかの問題が発生したら私ではなく彼に頼っていただきたいのです」
「それ、問題が発生する、という風にしか聞こえないのですが」
「気のせいです」
俺も感じてるから気のせいじゃないと思うよ、町長。なんか親しみ湧いてくるなこの人。
しかし、俺が手伝うことって決まってるの? とアーリィに聞けば、こんな言葉が返ってきた。
「昨日媚びたじゃないですか」
「了承した覚えはないし、あれで全面協力とか言い出したらどんだけ俺はちょろいんだよ」
「冗談です。……ただ、私としましてはせめてこの件が終わるまではネムレス殿に手伝っていただきたいのです。その後はまた私が頑張って協力を取り付けられるよう働きましょう。具体的には、私のできる範囲でネムレス殿のお願いは最優先で引き受けます」
「今回の件は気になると言えば気になるけど……」
アーリィに協力した理由、店の半壊の修繕という意味では昨日の護衛と洞窟の隠し部屋で達成はしている。
しいて言えば資料の詳しい中身が気になるくらいだが、それでもアーリィという将来有望な少女と仲良くするのはこれからを考えると悪くはない。
彼女自身、俺の願いを聞くという形でメリットを提示している。なら、ここは素直に頷いておくのも手か。
「ま、元々そのつもりだったし問題ないさ。けど、町長は良いんですか? いち旅人にそんな権利を与えるなんて」
「普通に考えればありえないのでしょうが、アーリィさんの頼みですからね。貴方というより、アーリィさんを信用して同意します。……どうせ断っても行き着く先は同じなので」
「苦労、されてるんですね」
「わかっていただけますか」
どれだけの無茶振りをしたのか、アーリィは。
「一体何したんだよ、アーリィは」
「彼女のような幼い子が大事を成すという事実を客観的に見てください……」
「ああ、つまり有象無象がわらわらと」
囲い込みや取り込み、将来有望な若者というだけでそれは価値のあるものだからな。
「はい。飛び火が多く……」
「鎮火したのは町長の見事なお手前かと。流石湖の街の代表であります」
「火ぃつけてるのアーリィだからな?」
「ご迷惑をかけたお詫びの利益は生み出しました」
「否定はしませんが、私は日々仕事をして時折の休日にただ食べ歩きが出来るだけで満足なのです。豪華でなくていい。ただ、普通に美味しい食事があれば良いのです」
趣味に生きて健やかに生活している町長の顔はとても穏やかに見える。人生に満足して心に余裕があるのだろう。……アーリィと出会うまでは。
でも、あの資料を手にしたことでアーリィが元々この街に来た目的は果たしたはずだ。ならばその解読を果たされた時に、町長の安らぎの日が戻ってくるのかもしれない。
「何もなければいいとは考えてますが、何かあったらよろしくお願いします。なるべく街に迷惑かけないように動くつもりですが、どうしても必要な時は手を借りたく」
「はい、ネムレスさん。その時が来ないことを切実に願いながら、せめて三日くらいは無事で居させてください」
それ、遠回りに絶対何か起きるって確信してるよね?
アーリィがお願いに来る、ということですでに彼の中では確定事項になっているのだろうか。だとしたら不憫なので今度差し入れでも持っていってあげようかな。
アーリィより上といえ、外見で言えば子供でしかない俺にも一個人として接してくれるこの町長を、俺は好ましいと思った。
「では、私達はこれで失礼しますね」
アーリィが一礼し、俺もそれに習って頭を下げる。町長は汗を垂らしながらも必死で笑顔を作り、それに応えた。
帰り際、アーリィはそのまま屋敷に戻るそうなので俺は一度エインの所でダルメンに挨拶でもしてくると言って別れる。
だが別れようとした矢先、アーリィが俺を呼び止めた。
「ネムレス殿。ダルメン殿の所に行かれる前に、これを」
そう言って渡されたのは、先日預けた剣獣だ。
中身の〈幻獣〉の件について調べていたそうだが、返すということはもう済んだということか。
「中の〈幻獣〉が消えたせいか、完全に抜け殻になっておりました。ですが、機能自体は死んでおりません。新たに『中身』を入れれば、武器としてまた使用できるでしょう」
「ダルメンのアバターをこっちに入れろって?」
「話が早くて助かります。それを決めるのはダルメン殿ですが」
「ミュンに返さなくていいのか?」
「あげる、と言われてしまいまして。ひとまず監視の対価として貰い受けました」
「ふーん。まあダルメンも樽以外は拳だけだったみたいだし、武器として渡すのもありかもしれないな」
「よろしくお願いいたします。では、またのちほど」
頭を下げ、今度こそ屋敷へと向かっていった。
頼れる年下と別れ、先程までの話を退屈そうに聞いていたユカリスが、サウザナの柄の上に座る。っと、そういや昨日からずっと寝てんなこいつ。
「サウザナ、起きてるか?」
『んー? 起きてなーい』
「起きてない奴はそんなこと言いません。昨日の件で疲れたか?」
『疲れたっていうか心地良い気分に浸ってた、かな』
「なんだよそれ」
『やー、またネムレスと一緒に色々やれてるなーって』
「あー……うん。そうだな」
面と向かって言われるのも気恥ずかしい。いくら武器、いや識世の外見といえ言葉に乗った感情はダイレクトに俺の心へ届いているのだ。
「情報はどうだ?」
『だいたい終わってる。今から話す?』
「いや、ダルメンと話すから後で。今はまだ寝てていいぞ。必要になったら起こす」
『じゃあお言葉に甘えて~』
それきり、サウザナからの応答が途絶える。
色々張り切っていたようだし、俺に言わないだけで結構疲れている可能性だってある。休める時に休んでおいたほうがいい。
ユカリスの頬を軽く小突いてその柔らかさを堪能しながらアンネで最初に来た宿、エインの店へと到着する。正式な名はエプラッツの宿というらしい。俺は改めてその扉をくぐった。