そうしてアーリィの部屋に向かって入室すると、彼女は解読のために資料と机へ交互に目を向けて紙にペンを走らせている。……文字が読めん。
『〈りーでぃんぐ~〉』
サウザナが何か言うと、文字の意味がわかるようになる。
どうやらツギハギで翻訳をしてくれたようで、サウザナ様々だ。
「アーリィ、ちょっと良いか?」
反応はない。よほど集中しているのだろう。
ならば、と俺は資料を取り上げた。そうして始めてアーリィは顔を上げ、俺が部屋に入ってきたことに気づいた。
「ああっ、ネムレス殿。一体何をなさるので」
「呼んでも無視するからだろ」
「……そうでしたか、失敬。それで、何用でしょう?」
「そろそろ夕飯時だから呼びに来た」
「私は別に抜いても」
「じゃあナヅキに直接言ってくれ」
「わかりました」
と言いながら、アーリィは机から離れる気はなく、再び資料に目を向け始めた。
どうしたものかと頭をかいていると、珍しくサウザナのほうからアーリィに話しかけた。
『アーリィ、アンネってどれくらいまでタンクル使える? 特訓にツギハギ使うけど、ダルメンを相手にするならある程度漏れも覚悟しておかないと』
「確かに、ダルメン殿ほどのタンクルならば内容次第で許容量を超えるかもしれません。ですが、街のほうでツギハギを使うのは極力避けては欲しいですが」
『街の中で戦うなんてよくあることでしょうに。大技を使うつもりはないから、そっちは安心して』
「許容量?」
「…………? ええ。町長の所でも少し申しましたが、タンクルの一日の使用量が各家庭や建物ごとに決められているのです。使用したタンクルを数値化出来る紋具なども設置し、それを超えたら罰金やタンクルの使用制限といったものを敷いています。紋具を大量に置かれている場所はその分、お金を多く取られますね」
『その分のお金は街の維持費、リアクターの管理費として使われるの。もちろん、アーリィのお給金も含まれているだろうけどね』
便利になった分面倒なこともあるんだな。
強くなるためには良い環境が必要なことに変わりはないが、上質なリアクターやお金に恵まれなければ埋もれた才能が開花することも出来ないとは。
加えてリアクターのない土地でそんな原石が居たらスピリット・カウンターの発生率が高まり、それによって死亡ないし排斥される、といった可能性も今は多そうだ。
世界融合による、全てがご破産になる終わりの代償と思えば少ないと思うべきだろう。
「剣都を除けば、リアクターのある場所ならどこでも聞く話かと思いましたが……ネムレス殿の所にはそういうのはなかったのですか?」
「俺はリアクターと無縁の場所で暮らしてたからな」
「よく過ごしていましたね」
「サウザナのおかげさ」
「なるほど、納得です」
困った時のサウザナである。
「と言っても、街の皆さんは基本的に過ごしていれば上限の半分も行きません。例え家の中を常に光で照らすほどのタンクルや調理器具に使う紋具を一日中使い続けたとしても何の問題ありません。なにせ、私の屋敷が基準ですかので」
「それなのに使用量を決めてるのか」
「念のためとは良い言葉と思いませんか。私のように仕事でタンクルを使う場所にも余裕を持たせておりますし、リアクターの機能拡張をすることでスピリット・カウンターの危惧はゼロに等しいです。……外からの乱入がなければ、ですが」
「ミュン達のことか」
「それ以外もですがね。街でツギハギを使う争い事をしたら犯罪ですし」
「その節はどうも……」
「今にして言いますが、普通の人ならば私は貴方がたを逮捕していたでしょう。で予想通り貴方達は普通ではなかった。なので、もみ消しをしてでもあの場は治めたかったのですよ。本命はダルメン殿でしたが、ネムレス殿という大穴が出てきたのは嬉しい誤算です」
どうやらあの一連の流れはアーリィからすれば特別な処置だったらしい。
まあ普通に考えて店でツギハギを使って暴れて何もなし、というのも変な話だ。
むしろここは、所見で俺達の異質さを見抜いたアーリィを褒めるべきだろう。
「旅人が寄ったとしてもスピリット・カウンターの警戒でやはり盛大にタンクルを使うことも少ない。ですが、あの方ほどのタンクルがひとたび使われると怖いものがありますね。いの一番に懸念すべき事項であるのに、失念しておりました」
「アーリィはそっちに夢中だったからな」
資料のメモを手に取り、視線を向ける。
サウザナの翻訳によるとあの洞窟から持ち込んだ資料は、ツギハギではなく物からも〈素材〉を抽出する技術に関連したものらしい。
簡潔に言えば、石から〈素材〉をもらって使えば石と同じ硬さのものが出来上がる、という寸法だ。
そりゃあ世界を一転させる技術になるな……
「しかし、街のリアクターを預かる者としては……」
「知ってるのは俺達だけだし、事故が起きてないなら今後気をつければいいさ。それで、資料はどこまで解明した?」
「一通りは。与えるのではなく引き出すタイプなので、一種の自己強化の類ですな。数日のうちに目処を立たせる予定ですので、ぜひ検証にお付き合いいただきたいです」
「アーリィが使うんだろ? 俺に言う必要なんてないだろ」
「ネムレス殿とサウザナ殿がいなければ、手に入らなかったものではありませんか」
「共用なんて考えてないさ。そもそもアーリィがあそこを調べてなかったら知りもしなかった。三年前から調べてるって言うなら、それを手に入れたのは紛れも無くアーリィの地道な努力が結んだ結果だよ」
だから存分に使うといい、と言ってやる。
(いいよな、サウザナ?)
(私のものでもないから別にいいんじゃない? むしろこれは後期開発の類かしら。元を真似て復元したんでしょうね)
(あー、それで見覚えないのか)
資料を眺めていると、そのやり方は俺の知っているものと異なっている。
俺が知るのは強い力を取り込んで、状況に応じて引き出す剣獣タイプだ。よそから力を持ってくる、という時点で俺達のものとは異なる。
でも実現すれば街の住人ですら兵と化す。もちろん才能や経験に大きく左右はされるが、戦場は大きく変化することだろう。
「でも、ある程度試行錯誤は必要だろうな。あてはあるのか?」
「ネムレス殿は……」
「構わんが、いつもってわけには行かないぞ。ナヅキやダルメンに使う時間もあるしな」
「そうおっしゃると思いましたので、彼らを使います」
「…………案外えげつないのな」
彼ら――つまりミュン達の事だと察する。捕虜ではあるがある程度人道的に扱って欲しいものだが。
「私を何だと思っているのですか。多少の協力はしてもらいますが、彼らにとっても必要なことですよ。何せ、ベルソーア殿のほうは体の中にちょっとしたものが仕込まれておりますので」
「ちょっとしたもの?」
「はい。どうやら彼の中には鉄海《マシン》混じりの紋具が仕掛けられているようです」
またわからない単語が出てきたな。
そんな時は頼れるサウザナさんである。
(今は適当に答えといて。またいずれ教えるから)
了解と念じながら、俺はさも知っていた当然と思えるように振る舞いながらアーリィに応じる。
「混じり?」
「簡単に言えば爆弾です。威力は発言を控えさせていただきますが、アンネの街から人を追い出すには十分なものとなりましょう」
「なるほど。あの時の『荷物』はそういうことだったのか」
ベルソーアが実力的にミュンの傍に居るのがおかしいと思ったが、どうも自爆要員として期待されていたようだ。速攻で気絶させておいて正解だったな。
そうなると、一晩経っても使っていないのを見ると、色々腑に落ちないこともある。
「あいつ、素直に自爆する性格じゃないだろ。それがわからないはずないだろうし、遠隔操作されたりしないのか?」
「私もその可能性を考えておりました。彼らを監視する存在が居るのなら、例え地下で爆発されても、街に被害が行かないようにしなければなりませんので」
淡々と爆撃を受けた時に起こる被害について語るアーリィ。
逆に言えば、アーリィは威力の規模がわからない爆弾を起動されても無事で居られる自信があるのだろう。ツギハギか紋具かはわからないが、彼女も彼女で色々と多くの秘密を持っていそうだ。
「リアクターの制限をしたのも?」
「彼の中にある鉄海を外すためですね」
「医術も嗜んでいるのか、すごいな」
『ハイスペックお子様だねー。今後のためにもツバつけときなさいよ?』
「そーですねー」
「お褒めの言葉は嬉しいですが、流石に人の体は専門外です。ですがせっかくなので資料にあった技術を使おうと思っております。あれさえあれば、苦労はすると思いますが被害なく鉄海を取り出すことも可能でしょう」
「じゃあ、二人のことはアーリィに任せておいていいわけか」
「はい。おそらくですが、ベルソーア殿のことをなんとかすればミュン殿もこちらに協力的になってくれるのでは、と考えております。ですので、ネムレス殿が懸念すべきはそれ以外の動きでありましょう」
それ以外。
つまり、ミュン達を監視しているという背後の存在か。
「この資料がどこまで重要視されているかによるな。剣都でも見ない技術なんだろ?」
「世間一般には少なくとも広まっておりません。これを発表したら一躍時の人になるのは違いない」
「なりたい?」
「私自身はあまり。ですが、そうは言えない理由があります」
「内情は知らんけど、つまりこの技術を広めるってことでいいんだな」
「話が早いのは嬉しいですが、もう少し会話の機微というものが……」
「ナヅキならともかくアーリィもか?」
「ナヅキ殿にしているなら、私にもそうしてください」
心なし怒っているようなアーリィ。大人びた、というか小さな大人というつもりで接していたがこういう癇癪を見るとやはり子供なんだなあと口が緩む。
アーリィが望むのなら、応えるとしますか。
『ナヅキといい、年下趣味だったの? だから……』
(それ以上言ったら今日は無視する)
『なんでもないでーす』
今は重要そうな話してるんだから、しばらく黙っていてくれ。
「小さな賢者、だと不足なのか?」
「……私がアンネの街で行ったのは街の生活を豊かにはしましたが、求めるものとは異なります。そのため、私は独自に研究をしながら藁をもつかむ思いであの洞窟を調べていたのです」
「その藁がロープどころか頑丈なワイヤーだったわけだ」
「道具というより、人の良い方が直接飛び込んで来てくれたのですがね」
あっはっは。ナヅキは人が良いからな。
「広める上でのデメリットがあるとすれば、剣の一族に目を付けられるってくらいだが」
「むしろ、それを望んでおりますね」
「あやかりたいものでもあるのか?」
「ごくごく、個人的な事です」
そう言いながら目を伏せるアーリィ。その表情は子供が見せるにはありえない、老人を感じさせるような長年の憂いを秘めていた。
「媚を売るとか言っておいて、そこは俺を頼らないのか?」
「こればかりは、私自身がしなければならないこと。少なくとも、そう思っております」
「利用するだけ利用してポイ?」
「ネムレス殿の目には、私はそんな風に見えているのですか?」
「悪い悪い、アーリィみたいな子を見るとからかいたくなって」
「意地悪なお人……」
呆れるような咎めるような、色んな感情を含めたジト目でアーリィは俺を見上げる。普段落ち着いている奴ほど慌てさせたいと思うのは俺だけだろうか。
でも剣の一族に会いたいとは。アーリィには何か明確な目的がありそうだ。
(サウザナ、ひょっとしたらお前が知ってる奴かもしれないし、色々聞いてみるか?)
『んー……今をそれぞれに過ごしている子達に変に干渉するのはちょっと。ネムレスだって、建国したからって剣都に行ってでかい顔したいわけじゃないでしょう? 距離感ってのは大事よ』
(そう言われると確かに下手に顔出したくないな)
どんな肩書きがあっても自分は過去の人間、現代の視点から見れば死者のようなものだ。国レベルでの大きな干渉は控えるべきである。
アーリィに限って言えば個人の願望なので、サウザナが剣の一族に関わっていると言えば語ってくれるかもしれないが……当の本剣が不干渉を貫いているのなら俺もそれに習うべきだ。
それに、今しがたアーリィはダルメンと違うから回りくどくしてくれと言われたばかりだ。
別に教えない理由はないが、教える理由もない。本人も自分で頑張ると言っているし、ならばここは大人しく見守ってやるのが良い大人というやつだろう。
最初から正解を提示してしまえば、答えを求め考える力が発達しないしな。
決してバレた時の姿を想像して楽しんでいるわけではない。
「で、広めるアテはあるのか? その資料の効果なら、荒事に関して使うのが一番良い使い方だろうが」
「居るではありませんか。格好の相手が。それはネムレス殿にも説明しましたよ?」
「………………お前、まさか」
脳裏によぎるのは三角巾娘ことミュン達の姿。その背景。
「お互いにメリットがあることです」
「街に被害を出したらどうするんだ」
「させませんよ。私だって自分の欲望のために街の人々を巻き込む真似は致しません」
「ほー。つまり、きちんとまっとうできる手段があると」
「当然です。というか、そんなことしたらネムレス殿に見放されますので」
に?
そんなことしたら当然協力する気もなくすが、俺よりもダルメンのほうがやばくないか?
エインのこと気に入ってるようだし、彼女に害が及ぶならあいつ怒るだろうに。
「自分で言うのもあれだけど、別に俺が居なくてもいいだろ」
「おや、お気づきではありませんか? 貴方を引き止めればサウザナ殿やナヅキ殿、ダルメン殿すらここに残るのですよ? お二人は共に才気溢れた方々であり、サウザナ殿は世界融合以前より生きる識世とのこと。どれも心強いです」
「うーん、それは過大評価って気がするぞ。てか、やっぱり利用する気満々じゃないか」
「考え過ぎです。相応の見返りは考えておりますよ」
「例えば?」
「少なくとも、ネムレス殿の必要とする物を作ったり揃えるくらいには。それが何なのかはわかりませんが、ネムレス殿のあらゆる要望に私はこの身この術の全てをかけて全力で応えると約束します」
現時点での技術、将来性を対価と来たか。やっぱりサウザナの力はそれだけ魅力的ということだろう。
『受けない理由あるの? 少なくとも、今後の人脈を築くチャンスじゃない』
(んー、まあそうなんだけど。……サウザナは良いのか? 目的は俺じゃなくてお前だぞ)
『私はネムレスの剣だもの、貴方の判断に従うわ。仮に何か秘め事があったとしても、私がいるから安心なさい。どんなことがあっても私がなんとかしてあげる』
なんとも頼もしい。が、それはそれ。
アーリィがただの紋具職人であるならこの場で受けたし、能力の有無に関わらずこの子は力を貸してやりたいと感じる。
でもリアクターの開発者といえ、未だに関わっているのならアーリィは一つの街を預かる責任者。
ならば、その責任を押して私欲を通せるほどかどうかをまず判断する必要がある。
つまりやることやっていれば問題ない、というわけだ。
やることがやれなければ、悪いがリアクター整備のほうに専念してもらうほうがいい。
「悪いが今は答えられん。今回の件が終わったら言うよ」
「畏まりました。私の願いが叶えば嬉しいですが、そうでなくとも良縁となれるよう努めましょう。最も、貴方達なら、私の助けなどいらない気もしますが……」
「手伝って欲しいのかそうじゃないのかどっちだよ」
「すみません。あまりにも順調だったもので」
「そこまで手詰まりだったのか?」
「はい。あの先に何かあることはわかっていましたが、どうしても私にそれを解き明かすことが出来ませんでした。本に囲まれているのに、文字がわからないという有様です」
アーリィの目線で見れば、俺たちと知り合った途端に行き詰まった研究が進み発展を迎えたばかりかさらに協力に応じてくれたわけだ。
つまり、考えが上手く行き過ぎて不安になっているのか。
「そんなこと気にするなって。その辺は子供っぽく楽観的に良いことだけ考えてればいいんだよ。あの資料だって自分のしたいことに役立つ何かなんだろ? 何が不安だって言うんだ?」
「……ネムレス殿のことではなく、何故この資料があの程度の扉の先にあったのか気になるのです」
返ってきた返事は、俺の予想とは違っていた。
「扉って言っても隠し扉自体は解除しただろ」
「言葉が足りませんでした。隠し扉の次にあったタンクルプレート製の扉のことです。普通、あれだけの構成を使って隠蔽するのならもう少し強固な、それこそギガンティアレベルの物理的な妨害もあって然るべきではありませんか?」
「ナヅキの剣術が上回っていただけじゃ?」
「ナヅキ殿を否定するわけではありませんが、あの扉を作るタンクルプレートは確かに強固なもの。ですが、あのくらいで切り開けるのであれば、私だけでも解錠できました。でもそうなると、あまりにも最初だけが難解なのです」
ナヅキが見せた斬鉄をあのくらいと言い切るか。
割と自信家なアーリィの発言に苦笑しつつ、考えすぎじゃないのかと思いながらあるいは、と他の予想を伝える。
「剣の一族からすればどうでもいいレベルの資料だったか、己の技術に絶対的な自信があったのか、だな。後者なら入口隠した奴はかなりの自信家で慢心持ちだ。自分のツギハギが解除されるはずがない、ってな」
「価値を感じていない、ですか」
アーリィはどうやら前者が気になる様子。
今の世界において未知の技術であるそれを、価値なしと判断されたらそう考えるのは当然か。
「それか、隠し扉のあれが入口で、二つ目のあれは単なるドアだったんだろ。家の玄関に鍵はかけても、部屋のドアに施錠なんてしないしな」
「そう言われてみれば……つまり、あそこは小さな家である、と?」
「さて。どちらにせよ俺達が出来るのは想像でしかないさ。……で、一応聞かせてもらおうか? お前が今回の件でどんな計画を考えているのか」
「ええ。それはもちろん」
そうして語られるアーリィの考えに、俺は素直に驚き目を見開いた。
聞いた話が本当なら、この街のおいてアーリィが大きな権力を持つことは当然であるし、例え彼らが軍勢を率いて来たとしても迎撃が可能だと予測出来るからだ。
が、話だけでは納得いかないのは当然のこと。現物を見せてもらうべく、アーリィは外へ参りますと行って部屋を出ていく。
その小さな背を追いながら、俺はアーリィの語る切り札の元へと足を運んでいった。