「この後、早速作業を行おうと思います」
色々と不安を抱えながらも、ベルソーアの鉄海除去の手術はほどなく実行されることとなる。
当然、ベルソーアの懸念事項もアーリィに伝えたのだが、どうも絶対の自信を持っているようで彼女は忠告を受け入れたものの取りやめるということはしなかった。
数日ですっかり屋敷の台所の主と化したナヅキの料理に舌鼓を打った後、その内容を尋ねる。今日はダルメンも呼ばれていた。
「俺達は何かすることあるのか?」
「ネムレス殿は万一に備え待機をお願いします。基本的には私だけで行うつもりですが、貴方が近くに居てくれたほうが心強い」
アーリィが町長に打診して前準備をしていたものの、俺自身がすることは特になく洞窟の資料の事もほとんど聞いていない。
なのに傍に居て欲しいとか、なんだろうなこの無条件に近しい信頼は。
俺も知らないサウザナの力を見抜いている、とも思えないし謎だ。
「そういうことなら、ナヅキ。ユカリス預かっててくれ。流石にアーリィの作業場には入れられないだろうし」
ガーン、と言葉にしそうな表情で俺を見上げてくるユカリス。そんな顔しても駄目。
何か言っているが言葉のわからない俺なりに翻訳するなら、迷惑はかけないから、と言ったところか。
けどただの仕事ではなく人間の身体から物を取り除くという作業を、この無垢な識世に見せたくはない。
よってユカリスのわがままは却下だ。
「私は子守なんです?」
「頼んだぜ、お母さん」
「私まだ十三歳ですが」
「頼んだぜ、お母さん」
「訂正する気なーい!」
屋敷全般の家事を仕切ってるから仕方ない。
それともお姉さんとかお嬢さんのほうが良かったかな?
頬にくっつくユカリスを剥がしてナヅキに預けると、頬を食事中のリスのように膨らませてお冠を示している。
それをなるべく目に入れないようにして、俺はナヅキに軽い礼を言った。
「悪いね」
「まあ、いいですけど。終わったら特訓とかに付き合ってくださいね?」
「そうするよ。ダルメン……」
「ミュン嬢達のほうへ行くよ。ついでに彼らの様子を見て来よう」
「……そういやあの樽、なんだ? ミュンとベルソーア以外の奴ら、全然樽を取る気配ないんだけど」
「わたしの頼もしい同胞になったということだね」
支配ですか? 洗脳ですか?
あの樽を被るとどんな影響が出ると言うんだ、怖いぞダルメン。
「いやいや、そんな強制効果はないよ。ただ、あの樽を被っている間はネムレス君の〈クロッシング〉のようにわたしと彼らの間に繋がりが出来るだけさ」
「……それ、ダルメンのツギハギの影響受けるよな?」
「そうだね、被っている間は汗で蒸れることもないし、気温変化にも対応してるし、基本的にかぶり心地の良い樽になるよ。彼らも好んでいるようだ」
「意思疎通出来るのか?」
「もちろん。言葉ではないだけで、ユカリス君のように感情を通じてコミュニケーションだって取れる」
「ひとっことも話してなかったですけどね……」
ナヅキがユカリスを宥めながらぽつりと漏らす。
彼らは人間に戻れる日は来るのだろうか。
気を取り直そう、これ以上関わるのはまずい気がする。
「それじゃあアーリィ、早速やろう」
「はい。それでは参りましょう」
二人に別れを告げ、食事の後片付けを任せて俺達は作業のために作業場へと向かう。
たどり着いた地下の作業場では、すでに上半身を脱いだ半裸のベルソーアがベッドにも似た四方形の作業台に寝転がっていた。
「いつの間に。でも、どうせならミュンって子の半裸のほうが目の保養になるんだが」
「子供の前でそういうこと言うなよお前ドスケベだな、良識持てよ。……朝食を食べた後に移動させられたんだよ。おかげであいつはまだ寝てる」
「……えらく寝坊助だな」
「オンオフが激しいのさ。で、僕はどうすりゃいいんだ?」
「そのまま寝ていて結構ですよ。外科手術のように体を切り開くわけではないので、痛みはないですが……どの道、ベルソーア殿がこれから行うことを見ることはありません。ですので、寝ていても構いませんよ?」
脅してるのか安心させているのかわからないアーリィの物言いに顔をしかめながら、
「そのままでいい」
と答えた。……意外と覚悟決まってるな。
「なんだ、実は騙していたとか警戒しないのか? もう少し駄々こねると思ってたが」
「もうそんな時期じゃないだろうが。お前らが僕を口封じする気がないのはわかってるし、むしろ鉄海から背後を洗おうとしているんだろう? 僕としてもこれを取って欲しいから万々歳なのさ」
「そうなのか、アーリィ」
「私は鉄海についてはそう造詣が深くありませんからね。リアクターに何か使えるやもしれません」
『ちなみに私は鉄海産の剣にもなれるわよ。正確にはその機能と外見をツギハギで再現したものだけど』
こいつに出来ないことってなんだろう……
『努力しましたので』
「そっか、そりゃすごい」
そうとしか言えない。
が、正確に心を読むのは心臓に悪いのでよして欲しい。
「それでは始めるとしましょう。ベルソーア殿、どうか気を楽に。声を上げても構いませんが極力動かぬようお願いします」
頷くベルソーア。
同時に、アーリィの指先に赤い光が灯る。
アーリィはそれをベルソーアの胸……心臓部分に添える。すると光は波紋のように揺らぎ、ベルソーアの全身へと伝わっていく。
波を打つ光が収まると、寝ているベルソーアの姿を投影するように光が浮かび上がる。それは、ベルソーアの外見を模した形を作っていた。
「これは……」
「仮想設計図。骨組みの部分をタンクルに頼ることで素材の簡略化に繋げる、私が使う建築技術の一つなのですが、これはその人体版ですな」
聞き慣れない単語だ。だがエプラッツの宿で似た言葉を聞いた気がする。
さらにその投影図は、心臓部分に歪な塊のようなものも示していた。
『なるほど、この子の状態をトレースしているのね。病人に対するカルテのように、今この光……呪紋の中にはこの子の全ての情報が詰まってるのよ』
「この光は呪紋なのか。そして、この心臓部のやつが鉄海」
「流石です。ベルソーア殿、お気分は?」
「………………すごい、な」
言葉を失い、つぶやくように漏らすベルソーア。
同様に初見の技術なのだろうが、過去の人間である俺と違い現代を生きるベルソーアが絶句するその様は、アーリィの技術が特異であることを示しているようだった。
「つまり、これを見ながら鉄海を取り外していくってことか?」
「半分は」
「半分?」
「ええ。今までの私なら、ネムレス殿の言う通り目の前の情報を頼りに鉄海を取り外したことでしょう。ですが今回は……」
アーリィが息を整え、緊張を浮かべた険しい顔を作りながら意を決したようにその小さな手を投影された鉄海の塊へ伸ばす。
光の中に差し込んだアーリィの手に、俺とベルソーアは目を見開く。
アーリィの手は手首から先が光の情報体……呪紋へと変化していたのだ。
呪紋とは構成の繭であり、内包されたタンクルが描く模様。
つまりは。
(自身をタンクルに変えたツギハギ化?……ダルメンが隠している女の子のそれと同じ、なのか?)
そんな俺達を気にかけることなく彼女は作業を続ける。
中央に浮かんだ呪紋の手が突如分解され。そして分解された部分を構成していた呪紋は鉄海へ次々と集まり、包み込むように中へ入り込んでいく。
その異様極まる光景はさらに続き、アーリィはもう片方の手も呪紋へと作り変える。
そうして両の手を呪紋化させたアーリィの目は、仮想設計図に記された鉄海に対して何かアプローチを仕掛けているようだった。
「一体何をしているんだ?」
『呪紋……タンクルに刻まれた情報をリアルタイムで作り変えてるのよ、アーリィは』
「え?」
『仮想設計図……この場合は魂とも表現すべきかしら。あの子の体には鉄海なんて埋め込まれていない、っていう情報を継ぎ足して、事実を覆い隠す……ううん、根本から書き換えているの』
「はあ?」
『けど、精神は時折肉体にも影響を及ぼすことがある。それを極限まで高めて、まるで催眠のように認識させるんでしょうね。異なるのは、それが誤魔化しではなく本当に事実として変わること』
「……つまりアーリィは、設計図では異常ないんだから本体も問題なし、ってなすりつけにも近い強引な理屈を押し付けているってことか?」
『うん、その表現いいわね。刃物が刺さったんだから血を流して死ねってくらい当然かつ理不尽な勢い好きよ』
「名前をつけるなら、〈
妙に誇らしげに、アーリィはそのツギハギの名を語る。
「でも待て、それって……」
人間を、作り変えているとも言えないか?
サウザナは呑気そうだが、俺は違った。
背筋が凍るような感覚が襲う。ダルメンの中の少女がああなった理由に、アーリィが使っている技術が関わっている、のか?
感じた悪寒に従うように俺はベルソーアを見る。
先程まで俺と一緒に仮想設計図の展開に驚いていたはずの少年は、ぐったりと首を横に倒して眠って、いや気絶していた。
鉄海を取り出した負荷なのか、はたまた別の影響か。アーリィが言っていた見ることが叶わないという言葉を証明していた。
ならあの仮想設計図とは仮想とは名ばかりの、対象をツギハギ化させてその全てを浮き彫りにする……といったものではないだろうか。
そして、ツギハギ化した己を介入手段としてそこに紛れ込ませる。
後は簡単だ。相手のツギハギに干渉し、己のものとする。俺もそうやってナヅキの〈雷道〉を使った。
が、それはあくまでツギハギだからできたこと。人体にそれを行うなど考えたこともなかった。
アリュフーレラインという、タンクルの通り道が世界中に繋がっているおかげか。
世界融合の影響で、人がタンクルの海から生まれたからツギハギ化なんてこととが出来るのだろうか。
あくまで予想だ。
サウザナの言うように肉体へ影響を及ぼす催眠という可能性も否定しきれない。
しかし、もし仮想ではなく本当に魂をツギハギ化して実体として出力させることが出来るのなら……
『あ、作業済んだみたいよ』
止まらない思考の中、アーリィの作業は終わりを迎えたようだ。
ベルソーアの形をした呪紋は残ったままだが、心臓部にあった鉄海は消去……いや、手の形となった呪紋の上に移動している。
考察に気を取られて少し見逃してしまったことを悔やんでいると、まるで抜け殻にものを入れるように呪紋をベルソーアの肉体に重ねた。
呪紋の光が消失する。
風に描かれた絵の具を剥がすようにそれらは元の肌を取り戻し、最後に残ったアーリィの手の上には精密な細工の施された黒い何かが握られていた。
あれが鉄海、なのだろう。
アーリィがそれを認めると、途端に深く息をついて滝のような汗を垂らし始めた。
いや、元々汗は垂れていたのだろう。ただ、俺が【夢の名残】に気を取られ過ぎていたでけで、アーリィは必死で作業をしていたのだ。
ぐらりと揺れる体を咄嗟に支える。
俺のお腹ぐらいまでしかない小さな女の子。それが、息を荒げ空気を欲さんと喘いでいる。
支えるために触れた肩は、掌で包めそうなほど細く華奢なものだった。
(だからと言って、こんなの見ちゃったら放置はできんか)
最初はリアクターの管理者としての責任能力を確かめるだけだったが、それすらも小さく思えるほどの奇跡。
あの洞窟にあった技術をアーリィは引き出すツギハギ、自己強化と俺に説明した。
なるほど、鉄海という異物を引き出すという意味では正しい。自己強化も、聞き方によってはなくはない。
だが決して正しくもなく、使い方を一つ間違えればとんでもないことになる技術になるのは疑いようがない。
それ以上に、ツギハギで作られた彼女の体とこの技術が無関係とは到底思えなかった。
『難しく考えるみたいだけど、気にすることないと思うわ。だって、アーリィが行ったのは紛れもなく人命救助の一環だもの。ただ、アプローチの仕方が普通と違うだけの話。だから、怖がらないであげたほうがいいんじゃない?』
「……アーリィがしたのは、体の中の異物を取り出すという作業を、ツギハギで行った。そういうことか」
『そうそう。似た事例があるからって、頭から疑ってかかるのはよしなさいな』
俺もまた、意識を切り替えるように深く息をつく。
アーリィは別に人体改造とかおぞましいことをしたわけではない。
ただ、俺の思考が物騒な方向へ向かってしまっただけのことだ。
いかんな、過去の人間だからって頭まで化石になっていたのか。
俺ももう少し頭柔らかくしないと……
『ツギハギを覚えるために素材を持つ必要があるでしょう? あれだって魂に情報として刻むようなものだし、自分でするか他人がするかの違いでしかないわ。私の抜剣だって自己改造の領域よ?』
「それはお前が識世だから出来ることだろうが」
『まー確かに、体の構造から色々と柔い、ましてや子供が使うには負担の大きいものなのは否定しないわね』
言われて、俺は少女の小ささを感じる。
腕の中にすっぽりと収まるアーリィは、先程の光景が夢のように思えるほどか弱い女の子に見えた。
この子が成し遂げた事実は、たしかに認めるべきことだ。
同時にその危うさも。
この子は、目的のためなら手段を選ばぬ意志を秘めているような気がするのだ。
信用を得たいからと言って、出会って数日もない俺達にこんなモノを見せてしまうようなら尚更だ。俺達がこの技術を盗んで悪用するとか考えないのか?
いくら俺が過去の人間で未来の技術が発達していると言っても、己のツギハギ化を使う人間が普通とは到底思えない。
「とにかく手術が終わったのなら、アーリィを休ませないと」
まずはその小さな両手に握られた鉄海を回収しようと手を伸ばした、その時だった。
鉄海を構成する黒い外郭に呪紋が浮かぶ。
反射的にその素材を調べるが、目に刻まれた情報には俺に知り得ぬ素材が込められていた。
(〈起爆〉〈距離〉〈範囲〉〈――〉なんだ、読めない? こんなことが――いやそれよりも〈起爆〉はまずい!)
即座に解体のためのツギハギを生み出し、叩きつけようとしたが鉄海から溢れる突風の圧力に思わず体が止まる。
咄嗟にアーリィを庇い体勢を崩したせいで一手遅れた。圧力に踏ん張って耐えきった時には、鉄海に仕込まれていた自爆のツギハギが作動する寸前だった。
せめて、とベルソーアとアーリィを庇うように立ち位置を変えようとした矢先、サウザナの声が俺の動きを止める。
『大丈夫。アーリィのリアクターが機能してるから』
「え?」
サウザナの言葉を証明するように、呪紋の明滅を繰り返していた鉄海からタンクルと衝撃が溢れようとした瞬間、鉄海が光の軌跡を残したまま消え去った。
まるで爆発の代わりに消失したかのような、説明の難しい現象だ。
『驚くことないわ。アーリィのリアクターが機能しただけよ。昨日説明受けたでしょう?』
「あー……そういやそうか」
昨日聞いたアーリィからの『切り札』の説明。
その一つが、指定した位置からのテレポート……強制退出機能である。
大規模なタンクルなどが発生したさい、せめて街中での被害を起こさぬようアンネの街から離れた場所へ空間を超えて飛ばすという、防衛としては文句のない切り札。
アーリィは今回の作業を行う前に、この部屋での異常なタンクル抽出と同時にその排出を機能するよう設定していたのだろう。
つくづく細かい気配りの出来るリアクターだと感心する俺だったが、そんな安堵を笑うかのようにサウザナがぽつりとつぶやいた。
『あ、これ……やばいかも』
「あー?」
『気になるから転移先に意識を飛ばして追いかけたんだけど……送り先爆発した』
「そうなのか? その割には街に音はないようだけど……まさか、よその街だったとか?」
『ううん。アンネから遠かったし周りに何もないから被害はないんだけど』
「なんだよ、早く言え」
『そだね。……えーっと、爆発した先ってネムレスを召喚した場所でね。そのせいでアリュフーレラインが緩んでたのか、スピリット・カウンター発生してる』
急かす俺に、サウザナはなんでもなさげに爆弾発言をかましてくれた。
◇
世界が割れる。
星を覆い尽くす呪紋世界の内殻を壊すように空間を捻じ曲がり、タンクルによって包まれる境界線の一部が崩れていく。
それによって、外からの侵入を防いでいた守りが瓦解し……『世界』が流出する。
呪紋世界に漂うナニカ――カケラオチと呼ばれる、異形の存在。
割れた空間の先からうごめく暗黒の中から、勢いよくカケラオチが飛び出そうとして――崩れてもなお膜を張るアリュフーレ・ラインによって阻まれた。
けれどそれはか細い力によって支えられる現状でしかなく、弛むタンクルの糸は今にも千切れそうに声なき悲鳴を上げ続ける。
カケラオチの習性は単純明快。
この世界の生物へ襲いかかり、蹂躙する。それだけだ。
そして、スピリット・カウンター発生地より最も近い場所は――アンネの街である。