かつてこの地を治めていた奏の屋敷、粛清後は一般臣民の集会場として使われるようになった場所である、その傍にひっそりと立てられた墓の前でアシュレイ・ホライゾンとナギサ・ホライゾンの両名はそっと手を合わせていた。ナギサ・ホライゾンの両親は名君というわけではなかったが、それでも積極的に民を害するような悪辣な人物ではなく、概ね善良な領主様として民からの評判はそこまで悪くは無かった。だからだろうか、奏の家に仕えていたアヤ・キリガクレが簡素ながらも墓を立ててもそこまで反発や忌避を受けるような事も無く、簡素ながらも綺麗な墓がそこにはあった。おそらく、忠義者なアヤが機会を見つけて定期的に整備していてくれたのだろう。荒れ果てた様子もなかった。
(お父さん、お母さん、こうしてお墓参りに来るのがずいぶんと遅くなってしまって、親不孝な娘でごめんなさい)
そんな風にナギサは今は亡き両親へと祈りと報告を行なう。
(お父さんとお母さんが死んじゃってから、色々とあったけど私は今、とても幸せです)
そこでチラリと隣で一緒に祈りを捧げている最愛の夫の姿を窺い
(ごめんなさい、娘としては二人の仇を討つべきなのかもしれないけど……)
今がとても幸せだから、何よりも誰よりも大切な人が傍にいてくれるからそんな事は出来ないのだと優しき少女は少しだけ両親に詫びる。
(ひょっとしたらそんな私に対して色々と言いたいことはあるかもしれないけど、それは私も同じだから……いずれ私がそっちに逝く事になったらその時は一杯話をしようね)
そうして報告を終えて、チラリと横を窺うとそこには優しい笑顔をこちらに向ける夫の姿があって、そっと夫の腕へと抱きつき寄り添いあいながら二人はその場を跡にするのであった。
「なんて報告したんだい、ナギサ」
自分の腕へと抱きついている愛しい妻へとアシュレイ・ホライゾンは歩きながらそんな風に問いかける
「うん、色々と言いたいこともあるかもしれないけど、それはこっちも同じだからその辺の詳しい話は私がそっちに行ってからしようって。とりあえず今は、私はとっても幸せです。ってそれだけはきちんと報告しておいたよ」
そういってそっとナギサは少しだけ抱きつく力を強くする。今の彼女の姿は何よりも雄弁に彼女の言葉が真実であることを示していた。もしも本当に人の世に霊魂と言われるものがあり、生者を見守っているのだとすればきっと彼女の両親は娘のこの姿を見て安心することが出来ただろう。最も父親のほうは聊か複雑な心境かも知れないが……
「アッシュの方はなんて?」
「うん、必ず娘さんを幸せにします……いや、必ず一緒に幸せになります。だから色々と言いたい事はあるでしょうけど、そっちに逝った時はとりあえず一発は大人しく殴られますからどうか許してくださいって」
笑いながらそんな風に告げる夫にクスリと妻のほうも笑いかけて
「許すも何もむしろお礼を言わないといけないほうだよ、今こうして私が生きているのはアッシュのおかげだもん。それなのにもしもお父さんがアッシュを殴るような事があれば、私お父さんの事嫌いになっちゃうよ」
娘の連れてきた夫に対して「お前なんぞに娘はやらん!」という父親と「お父さんなんて大嫌い!」とそれに怒る娘と言う世の多くに見られる構図。もしも二人の両親が存命中であれば果たしてそんな世の父親にとっての夢であると同時に悪夢である光景をナギサ・奏・アマツの父親は味わうことになっていたのか、はたまた存外物分りのいいところを見せていたのか、それともあまりにも立場が違いすぎると最後まで反対していたのか、それはわからない。だが一つだけいえることがある、例えどれほど反対されようとこの愛深き二人は互いの事を諦めなかっただろう、それこそ駆け落ちする事さえ辞さない程に。
「あははは……まあそこは男親としての複雑な心理って奴だから大目に見てあげよう。俺も何とか受け入れてもらえるように言葉を尽くすからさ」
「そういうもの……なのかな?いずれにしてもそんな風になるのは当分先、だよねアッシュ」
「ああ、子どもが生まれて、孫も生まれてそれでもうお互い悔いはないと心の底から思えるようになったはるか未来の話さ。だからそれまで精一杯生きて行こう、これからも一緒に」
そんな風に言葉を交わしあい、ときに優しくお互いの顔を見つめながら、商国の若夫婦は仲睦まじく少年時代の思い出が詰まったその場所を跡にするのであった……
「お待たせ、えっと……どうかな?」
宿の者に手伝ってもらって着付けた浴衣姿を夫に、はにかみながらナギサ・ホライゾンは見せ付ける
「……うん、すごいグッと来た。とても良く……似合っているよ」
「本当……?えへへ、嬉しいな」
そんなもう結婚して数年経つというのに、いまだに新婚夫婦のような様子を見せて、夫のほうは少し照れくさそうに最愛の妻の手を取って、寄り添いあいながら二人は揃ってかつての思い出の場所を訪れるのであった。
「故ヴァルゼライド大総統祈念祭か……」
少しだけ複雑そうな様子でアッシュは祭りの名前をポツリと呟く。未だ帝国人の多くから畏敬の念を一身に集める今は亡き、鋼の英雄クリストファー・ヴァルゼライド。彼の総統への就任式の日を狙って脱出計画を刊行しようとしていた、彼らの両親の命日は当然ながらヴァルゼライドが総統へと就任した日と同日。そしてこの日は帝国全土における記念日、元々この時期は帝国各地で夏祭りが行なわれる時期だったのもあって、ヴァルゼライドが存命の頃は彼を讃える意味で、死去した今は偲ぶ意味も込めてこの日に祝祭が執り行われるようになった。
「多くの帝国人にとっては偉大な指導者だったっていうのはわかるけど……少しだけ複雑だね……しょうがないのもわかっているけど、やっぱり私にとっては優しいお父さんとお母さんだったから……」
今は亡き優しい両親を偲びながらナギサ・ホライゾンはそんな風に呟く、するとアッシュは妻を抱き寄せて
「うん、それは俺も同じだよ。向こうには向こうの事情があったのはわかっている、それでも俺にとっては大切な両親だったから……恨む気持ちが全く無いって言ったら嘘になる」
だけどとそこで優しい笑みをそっと妻に向けて
「でも本当に一番大切な人が生きていてくれたから。ルシードさんにも言ったけど、復讐とかを考えるよりも今はその人と一緒に過ごす時間を大切にしたいんだ」
そんな夫の言葉に妻も笑顔で答える
「うん、私も同じ気持ち。ひょっとしたらお父さんとお母さんは色々言いたい事もあるかもしれないけど、よくよく考えてみると私たちが苦労したのってお父さんたちのせいでもあるからその位のワガママを言う権利はあるわよね」
冗談めかしながらそんな事を告げる妻の言葉に苦笑しながら
「確かに。俺たちを置いて先に逝っちゃった父さん達が悪いな。もしも文句があるとするならまた会ったその時に聞くとしよう」
そんな風に話をしながら、アッシュの方はさり気無く浴衣を着て歩きにくい妻の歩調に合わせて、二人は祭りの会場へと着くのだった……
「うわぁ……なんだか懐かしいなぁ」
一度訪れただけだったが決して忘れた事の無い、アッシュと会え無いときも自身をずっと支えてくれた記憶の中の大切な思い出を振り返りながら、ナギサは目の前の光景に感嘆の声を挙げた。傭兵となってからは各地を渡り歩き、多くのものを見てきた。でもそれでも今の彼女にとっては目の前の光景が何よりも輝いて見えていた。それはきっとその思い出が彼女にとっては何よりも嬉しいものだったから、隣にいてくれる人が彼女にとって最愛の人だからだろう。
「ねぇねぇアッシュ!せっかくだからわた飴食べようよ!わた飴!」
童心に返ったようにはしゃぐ妻の様子にアッシュはクスリと笑って
「ずいぶんとナギサはわた飴を気に入っているんだな。初めてここで買った時も夢中で食べていたもんな」
満面の笑顔を見せて美味しい美味しいと言ってくれた少女の姿を思い出しながらそんな事を告げるとナギサは少しだけ思案するような様子を見せて
「うーん実はね、あの後も何度か姉さん達と一緒に色んなところの祭りに行ったことがあるの。でもね、アッシュと一緒に食べたここのに比べるとどうにも味が落ちる気がして……」
姉さん達はわた飴なんてどこでも一緒なんだから貴方の味覚が大人になっただけじゃないのーとか言っていたんだけどねと呟いて
「だからね、此処で食べて此処のわた飴が特別なのかそれとも私の味覚が姉さん達が言ってたみたいに変化しただけなのか確認したくて」
それでもしもここのわた飴が特別美味しいものだったなら姉さんにもいずれ食べてもらってギャフンといわせるんだなどと意気込むナギサを微笑ましげに見つめて
「なるほど、でもここのわた飴の味自体が変わっていたらどうするんだ?何せもう十年以上前の話だから、あのおばさんが今もやっているとは限らないし」
そんな素朴な疑問をアッシュがぶつけるとあ!?とその可能性は考えていなかったとでもいった様子の妻の姿にアッシュは苦笑いして
「ま、とにかく買ってみようか。買うときに尋ねてみれば良いし」
そうして二人は記憶を頼りにかつて買ったところと同じと思しき屋台を見つけて
「すいません、わた飴二つ頂けますか」
「はいよ。おやまぁえらい別嬪さんな奥さん連れちゃって……旦那さんもこれまた男前だし……美男美女の夫婦で羨ましいわねぇ」
そんな事を告げる女性に笑顔で礼を言って代金を払う。昔は顔を真っ赤にしていたナギサだったが、アッシュの仕事付き合いで行動を共にすると決まって言われるので流石に慣れてきたのだろう、社交辞令だと思って笑顔で礼を言って受け流せるようになってきた。最も本人は社交辞令と思っているその中の多くは、多少のリップサービスはあれど基本的に紛れも無い相手の本心からの言葉だったのだが……
「それにしても……お客さん、勘違いだったら申し訳ないんですけど、もしかして10年前にも二人で着てくれたことがありませんか?」
「はい、10年前に一度だけ来たことがありますけど……よく覚えていらっしゃいましたね、あの一度きりだったのに」
10年前と同じ屋台であることの確認が向こうからの問いかけで取れたアッシュはそんな風に疑問をぶつける
「綺麗な黒髪をしていてしぐさも上品で特徴的でしたからねぇ、みんなして噂していたもんですよ。ひょっとしてあの子は奏の家のお嬢様でこっそりボーイフレンドに連れられてお屋敷を抜け出してきたんじゃないかって」
まさかそんな御伽噺みたいな事が早々あるわけないだろうって言ってたんですけどねぇなどと呟いて、女店主は続ける
「でも奏の家のお姫様はあの日に亡くなられているのでやっぱり違ったみたいですねぇ。どこかの裕福な商家の跡取り息子とご令嬢とかそんな感じですかねぇ?」
「ええ、まあ、そんなところです。親同士の仕事上の付き合いから仲良くなって、せっかくだから一緒にお祭りに行こうってなって」
わざわざ誤解を訂正する必要もないと思ったのかアッシュはそんな風に相手の勘違いに乗っておく
「それであの後も色んなところでわた飴を食べてみたんですけど、ここほど美味しくなくて……やっぱり何か特別な作り方だったり材料が違っていたりするんですか?」
そんなナギサの問いかけに店主は申し訳なさそうに答える
「そういって頂けるのは嬉しいんですけどね、別にそんなに特別な材料を使っていたり製法が特別って事は無いですよ。単に初めて食べたから色々とものめずらしかったんじゃないですかねぇ」
なのであんまり期待されるとがっかりされるかもしれませんよなどと言いながら店主は出来たわた飴を二つ手渡す。そうしてやっぱりそういう事なのだろうかと少しガッカリしながら口をつけたナギサだったが見る見るうちに顔を輝かせる
「うん、この味ですよ!やっぱりそうだ、10年前あの日に食べたのと同じで今まで食べたのよりもずっと美味しいです!」
そうしてクスリと笑いながら店主に向かって
「もう、秘密だったら秘密って言ってくれれば良いのに。お人が悪いですよ」
姉と一緒に食べたわた飴とは明らかに何かが違うと言わんばかりにそんな事を言うが店主は困惑するばかりで
「いやぁ……そう言われましても……本当に心当たりがなくて……」
そうしてふと何かに気づいたように愛おしそうに寄り添い合っている二人を見てポツリと問いかける
「つかぬことを聞きますけど奥さん、その今まで別の場所でわた飴を食べた時って旦那さんと一緒でしたか?」
「?いえ、この人とは一緒じゃなくて姉と一緒でしたけど……」
それが何かと言うナギサに対して合点がいったとばかりに微笑ましいものを見るかのように店主は続ける
「奥さん、それはうちのわた飴が特別なんじゃないですよ。うちのわた飴を食べた時に奥さんの隣にいた人が奥さんにとって
へ?と呆けるナギサを他所にいやぁ盛大に惚気られちゃったわなどと呟いて続ける
「試しに今度旦那様と一緒に別のところでわた飴を食べてみてください。きっとうちのと同じ味がしますよ」
それじゃあどうぞお祭りを楽しんでいってくださいねと笑顔で告げる店主の言葉を受けてナギサは顔を真っ赤にして、旦那のほうは少しだけ照れくさそうにポリポリと頬をかく。
「俺もさ、ナギサと一緒に食べるご飯は一人で食べるよりも何十倍も美味しく感じるよ」
フォローのつもりでアッシュはそんな風に声をかけるが
「……うう、自信満々にあんなこと言っちゃって顔から火が出そうだよ……」
本人としては全くそんなつもりはなかったのに意図せずして盛大に惚気てしまったナギサは顔を覆ってそんな風に呟く。
「と、とにかく気を取り直して次のところへ行こうか、次のところ!」
「う、うんそうだな!早くしないとすぐに花火の時間になっちゃうもんな!」
そんなわざとらしいことを言いながら、そそくさと二人はその場を離れる。この旦那にデレデレな若奥さんに盛大に惚気られた話はしばらくの間、店主の鉄板ネタとなる事だろう。そうして昔を懐かしみながら祭りを一通り堪能した二人はかつてと同じ場所でまた花火を見上げていた。昔と違うのは二人の距離だろうか、10年前は手を握り合うだけだったが、今は温もりを感じるようにそっとアッシュへとその身体を安らかにナギサが預けていて、アッシュも大切そうにナギサの肩を抱いていた。
「綺麗だね……」
打ちあがる花火を見つめながらそんな風に呟く妻の横顔を見てアッシュももた呟く
「でも、君の方がもっと綺麗だよ」
真面目な顔をしてそんなことを告げてくるものだからナギサの方もクスリと笑って
「もう、無理してそんな気取ったような事言わなくても良いんだよ。私は普段のアッシュが大好きだからさ」
そんな事を笑って告げられるがアッシュは真剣そのものな様子で
「無理したわけじゃないよ、君を見ていたら本心からそう思ったんだ、うん、本当に綺麗だ」
そんな事を大真面目に見つめながら告げてくるものだからナギサは顔を真っ赤にして俯いて
「あ、ありがと……で、でもほら、私の顔なんかいつでも見れるけど花火は今しか見れないから!今見ないと勿体無いよ!」
そう告げて二人は気を取り直して花火をまた眺める
「……ミステルやアヤも今頃こんな風に花火を見れているかな?」
ポツリとそんな事をナギサは呟く
「ああ、ミステルはきっと孤児院の子ども達と、アヤは同僚や友人と一緒に見ているんじゃないかな?」
少し抱き寄せる力を強めてアッシュもまた応じる
「……結局四人一緒にお祭りに行こうって約束、果たせなかったね」
「仕方が無いさ……アヤはエスペラントで色々と忙しいみたいだし、ミステルはシスターをやっているから早々カンタベリーを出るような事も無いんだから」
大人になるとはそういう事である。どれほど熱い友誼で結ばれた友であろうと互いの抱く責任や物理的な距離が理由でそう簡単に会う事は出来なくなる。それでも一対一でならなんとかなるが、これが複数人が同時にとなるとさらにそれは難しくなる。子どもの頃のように四六時中一緒、というわけにはいかなくなる
「でも皆生きているんだ、だからきっと何時かあの日の約束を果たせる時が来るさ」
そんな風にアッシュは笑顔で告げる。みんな生きているのだから、また何時か皆で揃う機会もあるだろうと。
「ふふ、そうだね。それじゃあ私は今のうちに愛しい旦那様と二人っきりの夏祭りを堪能しておこうかな♪」
子どもが出来たらそうはいかなくなるし等と恥ずかしげにポツリと呟くと、まるで猫のようにナギサはアッシュへと甘える。そうして最後に打ちあがった花火を見ながら祈りを捧げて……
「ナギサはなんてお願いしたんだい?」
「十年前と一緒だよ、来年じゃなくても良いからいつかアヤやミステルも一緒に夏祭りに行けますようにって。アッシュは?」
「俺も十年前と一緒だよ」
最も十年前とはそこに込められた意味が違うけどとアッシュは呟いて
「ナギサとずっと一緒に居られます様に、もう二度と離れ離れになりませんようにって」
そんな事を笑いながら告げる夫の姿に妻もまたはにかみながら
「うん……もう離さないし……離さないでね……どこにも行ったらやだよ」
そんな風に互いの思いを伝えあいながら二人は満点の星空の下、互いを確かめ合うように口付けを交わすのであった……
この頃アヤさんはミリィと一緒に帝都で、ミステルさんはブラザーや孤児院の子ども達と一緒に花火を眺めています。