小隊戦から数日が経過していた。
だがその数日の間、派手に騒いだ祝勝会の翌日から休むことなく17小隊は動いていた。
いつものようにシャーニッドからデートがあると不満が上がったが、彼も思うところがあるのかすぐに引き下がった。
そんな忙しいニーナの下に珍しくはないが思いがけない来客があった。
「臨時で機関掃除のバイトなんてするものじゃないですよ」
「ああ。武芸者であっても存外キツイ」
同意する男の声は返答とは裏腹に幾分余裕が見られた。額の汗を煤けた色のタオルで拭うが、顔におどけた笑みを張り付けたままだ。
対してニーナは顔を俯かせ、疲れた顔でただ黙々と作業に没頭している。
水分を多く含む淀んだ空気が重苦しく肌にまとわりついてくる。空に輝く星はここからは見えず、ただ薄汚れた鋼板と、縦横無尽に張り巡らされたパイプの束が見えるのみ。
薄暗い明かりに照らされた空間が人の心をを余計に沈ませる。
都市の中心部。その地下に、核となる重要な動力機関はあった。住民が寝静まる時間であっても、都市は動き続け、間断なく響く重低音と駆動系が起こす金属音とが延々を奏で続けている。
その中にあって人の声は小さなものでしかなかった。
「それで、こんなところまで押しかけてきて何なんですか」
だがその音もニーナの棘までは隠しきれない。
ここはニーナの就労先であった。その重労働に多くの者が根を上げ、人員不足から常時募集がかけられるが、その分給金は良い。
今夜はそんなところにわざわざやってきた物好きな男がいた。
「ん?お前を誘いに来た」
「それはさっきやりました」
「つれないね~。ここんところお前に振られっぱなしだ。つか、ニーナお前今日は機嫌悪いな」
シンは手を止め、様子を窺うように目線をニーナに伸ばす。
「疲れてるだけです。ここのところ忙しかったですから。気にしないでください」
ニーナはそう言いながら顔の前で軽く手を振って誤魔化す。
大きく息を吐く。そして、セメントの塗られた壁にブラシを立て掛けた。そして古巣の先輩に目を向ける。
「ノルマも終わってますし、そろそろホントのところを聞きたいのですが」
するとシンもまた「それもそうか」といった様子で手を止め、通路の反対側にある転落防止用のバリケードに体重を半分預けた。
「今更そのことで先輩がここに来るとは考えにくいです」
「ま、そうだろうな。俺も負けておいてそりゃ無いわ。でだ」
シンはずいっと顔だけニーナに近づける。ニーナは鋭い眼光を向けられ、にわかに居住まいを正すと硬くした表情で言葉を迎え撃とうとした。
「あの一年坊主は何モンだ」
ニーナ自身も考えていたことだ。レイフォンの実力は確かだ。そして今のところ性格や行動に何か問題を見て取ったことはない。
ならば何故。
「前にも言ったことあったな。有能な武芸者を都市の外に出すようなことはあまり無い。そして力があって学園都市に来るようなのは―――」
「何かしら問題を抱えている、と」
「ああ」
かつてシンの同級にガトマン・グレアーという生徒がいた。実力はあった。恵まれた体躯と戦闘センス持っていた。
しかし陰惨な性格をしており、たびたび問題を起こした。その性質を嫌い、どこも彼を小隊に入れようとはしなかった。
そしてさらに腐った。彼はもうこの都市にはいない。
ニーナがツェルニにきて初年度のことだった。
ガトマンとの邂逅は決して良いとは言えないものだったが、ニーナはそのことで一回り大きくなれたと考え、懐かしいとさえ思えるほどには時間がたった。
「レイフォンもそうだと」
「あれだけの実力者をポンと出せるとは、グレンダンとは噂に違わず怖ろしいということかねぇ」
「もしかして嫉妬してませんか」
ニーナはレイフォンを信じたかった。
レイフォンに何かあると思ってはいるが、それでも汚染獣に対して共に戦ってくれた者を貶めるようなことにはしたくないと考えた。
だから気のおける目上のシンに、茶化すようにそう言った。
「……あるかもしれん」
だが、薄暗く汚れた天井をシンは見上げた。浮き出た染みを一つ一つ探すように、その瞳は揺れていた。
「あれだけの技量。自分に向かってくるでもない衝剄を打ち落とすなんて、故郷の大人連中でもできる奴がいたかどうか」
ニーナも周りにいた大人たちを思い出す。その誰もが素晴らしい武芸者と言える人物ばかりだ。しかし一度も勝ったことのない父親でさえ、同じ芸当ができるとは思えなかった。
いるとすればただ一人、あの人ならばレイフォンと戦ってどのような勝負になるのか。今のニーナ自身の計りでは目盛が足りなかった。
「悪いな。話したかったのはあの一年坊のことなんだが、ちっと違う」
「というと」
「アイツが何でここに来たかってのも、お前にとっちゃ重要化さ。部下なんだろう?でも俺にゃ然程関係ない」
シンは続ける。その目は細いままだったが、鋭さはない。その目に湛えた輝きは喜色に満ちている。
「遠くツェルニまでやってきてもう4年経っちまった。そんで自分の成長にも限界見えてきたと思ったところにだ。そんなモンどこに有るか、ってな一振りで常識吹っ飛ばされちまった」
「ええ、まったく」
それもまたニーナの考えていたことだ。だから前の試合以来、いや、幼生体の襲撃の後から自主練の時間を増やした。
だからシンが発した次の言葉はニーナにとって衝撃だった。
「なぁ、レイフォン・アルセイフに教えを請えないだろうか」
放課後になって間もない時間。胡坐を組んだレイフォンの目の前には、横たわる不格好な大剣と、それに何やら端子をつなげていくハーレイの姿があった。
「いや~。レイフォン様々だね」
早くも時折隣からけたたましい音が響く錬武館のパーティション。その中でハーレイは今日も嬉々とした笑みを浮かべながらも、その手は休めずに作業を続けていた。
「前々から研究の助成申請はしてたんだけど、使う人間がいないからって断られてたんだ。でも会長からの鶴の一声でね。ところで鶴ってなんだっけ?」
ハーレイは今日も機嫌が良く、世間話から研究内容まで終始レイフォンを圧倒した。対してどう返せば良いかわからず、「ええ」とか「さぁ」などと相槌しながら、レイフォンも曖昧な笑みを浮かべているだけだった。
「理論はすでにあったものなんだけど、実際作ろうとするとやたらゴテゴテしちゃってさ。こんな大きいの使いづらいでしょ?」
「そんなことも無いですよ」
「そうなの?」
「前は自分の腰より長いくらいある剣を使ってたので」
「うわぁ、それ体ぶれたりしない?」
「ぶれます。活剄使えばある程度抑えられますけど。対人戦は向かないですけど、汚染獣相手なら剣に身を任せる感じで」
「へぇ。でも体格に合ったものふつう使うよね。なんでそんなの使ってたの」
そこでレイフォンは腕を組み、少し考えるそぶりを見せる。う~ん、と数秒唸ったのち顔を上げてハーレイを見やる。
興味があるのかハーレイは手を止め、レイフォンと目線が重なった。
だがすぐ気まずそうにレイフォンは目を伏せ、長い息を吐いた。
「そうですね……使いにくいから、ですかね」
「そういう鍛錬とかだと思ったんだけど」
「実戦で使ってました。おかしいですよね」
それまで緩んでいたハーレイの顔は一転して曇っていた。レイフォンには五月蠅いはずの錬武館の音が急に遠く感じられた。
「うーん。おかしいというか、僕らの役割が何なのか分からなくなるなぁ」
ハーレイの反応を見て、レイフォンはその後に言葉を続けるか幾ばくか逡巡すると、足の前で手を組み直す。
「うまく言えないんですけど、その頃やっていたことに流派の剄技を使いたくなかったというか」
「それって」
「昔悪いことしてたんですよ」
ハーレイは目を丸くした。
武芸で悪いことをしていた。かなり物騒な話に俄かに眉をひそめる。
告白は続いた。
「でも後悔はしてません。あの頃は必死だったし、僕は守ることができた。だから僕自身の結末も納得できた」
レイフォンは笑顔だった。笑うことでしか乗り越えられないような、そんな悲壮のにじむ痛々しい笑顔だ。
前に組んだレイフォンの手が固く震え、目の焦点はずっと、床に置かれた無骨な剣に合ったままだった。
「ごめん聞いてよかったのかな」
「いえそんな。僕もこんな事話す必要ないのに」
「うーん。必要ないか」
「え?」
寂しそうに首をかしげてハーレイはレイフォンを見た。
「色々言っとくべきか悩むことはあるけど、最初から必要ないなんて言って欲しくないな」
ハーレイは作業に戻るべく端末に手を伸ばした。
「レイフォンに秘密があるのはなんとなく分かるし、多分僕はこの研究の事でそこら辺を知ってしまうと思う。普通こんな剣は必要ないからね。会長から呼ばれたりとかしてない?」
ちょうど今晩迎えをよこすと言われていたことを思い出し、レイフォンは肩を硬直させて首だけ頷いた。
「やっぱり。それでさ―――」
大仰に咳払いをする。
「いつかはニーナや、小隊の皆に話せる日が来るって、そう言ってくれたら嬉しいよ」
厚い皮の手袋についたオイルの汚れがハーレイの鼻を汚した。
小隊訓練も無事に終わった。夕日は濃い赤の光を滲ませ、柔らかく周囲の紺と混ざり合っていた。
各員の動きは連携などまるで無かった結成当初とは格段の差がある。
レイフォンを前面に据えて攻撃的に組み立てたり、ナルキやリカルドを一組として遊撃に動かしたりと、作戦の幅も大きく広がっていた。
ただ、訓練中は的確な動きを見せていたシャーニッドも、ニーナが気付いた頃にはすでに錬武館から姿を消していた。
しばらく居残りで個人練習に励んでいたが、ナルキ、そしてリカルドの順でぐったりとした様子で帰途についた。
今は最後に鍵を閉めるため、ニーナとレイフォンが扉の前に佇むだけだった。
「いいですよ?でも人数多くなるなら足りなくなるかなぁ」
事も無げにレイフォンは了承した。
新たに14小隊に加えて自分にもより多くの個人的な指導が欲しい、という厚かましい願いにニーナの声は自然と小さくなっていた。
カリアンの狙いとして学生武芸者の実力底上げはあった。しかし、17小隊の実績によって有効性を証明する。それが出来る頃には今回のシンのような存在も多く出てくるだろう。カリアンはそう考えていた。
それが思いの外早く結実したと言って良い。
「今まで先輩の組み手に付き合う程度でしたけど、どうも基礎から見直した方が良さそうなんで。養父が考えた方法なんですが―――」
(私は馬鹿か)
独り空回りして、寝る間も惜しんで錬金鋼を振り回していた自分の滑稽さに悪態をつく。 言えばレイフォンは訓練に付き合ってくれたのだ。惜しげもなく技術を披露し、そして伝えようとしてくれる。
今はニーナの耳にはレイフォンの言葉はうまく入ってこなかった。そしてどうした事かニーナは体から途端に力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
ついた手から伝わってくる床の温度で、ニーナは辛うじて意識を保っていた。
(あれ、参ったな)
「限界ですか」
意外にもレイフォンは落ち着いた様子でニーナに近づき、立膝をつく。そして顔を覗き込みながらそう言った。
「すまん、疲れが出たようだ」
「訓練中に剄息に乱れがありました。大分無理をしていたみたいですね」
「レイフォン。どうして―――」
「こういうのって理屈じゃないんですよね。前に早く進みたいと焦って、そして失敗して……」
ニーナの様子を見てなぜ無理をしているとレイフォンが気づいたのか。どうして無理をするなと言わなかったのか。
「そして自分のできない領域を認識する。そういう経験って人に止められちゃうと出来ないですから」
レイフォンはニーナを見ているようで見ていなかった。目の前で倒れたニーナを通して、過去の自分を幻視していたのだ。
だから気づいた。そして止めなかった。
「病院行った方がいいですね」
「いや、このくらい―――」
「それはだめです」
「やっぱりか?」
レイフォンはゆっくり頷く。今のニーナは剄脈疲労を起こしていた。
通常、武芸者は活剄の要領で刑を全身に行き渡らせることで、肉体の再生を促進させることができる。一般人が栄養ドリンク一本飲んで寝るより、よほど効果的だ。
しかしその剄の通り道である剄脈に異常がある場合、そこに大量の剄を流し込めばどうなるだろう。劣化し、亀裂の入ったホースに水を送り込むのと同じように、やがて亀裂は大きくなり、修復不可能になる。
それは武芸者にとって死を意味した。
「立てますか?」
「もう少しすれば……って、おい」
レイフォンは無造作にニーナの右腕をとると、後ろ向きになり、その腕を自分の首に巻きつけるように左肩を掴ませた。
「遠慮しないでください。こういうの慣れてますから」
「慣れてる?」
「ええ」
そしてゆっくりと立ち上がり、ニーナを背負った。
18にもなって恥ずかしいとニーナは思ったが、想定以上に重く怠い体と、余裕のない体調の悪さに青くなるばかりだった。
「孤児院の子が転んで膝に怪我すると、よく“おんぶして”ってねだられるんですよ」
「孤児?」
「あれ、言ってませんでしたっけ」
「でもさっきお前“ちち”って」
「ああ。それは孤児院の院長で、一緒に道場もやってたんです」
「なるほど」
日が暮れるのは早い。
赤いローソクのような光の代わりに、直視するには眩しい白い街灯が細い道に沿って照らしていた。
「私は強くなれるだろうか」
「大丈夫ですよ」
「そうか」
重い瞼に抗おうと無駄な努力をしていたが、安心したのかやがてニーナは静かに寝息をたて始めた。
レイフォンはそのまま病院へ向かい入院の手続きを済ませる。
状態はそう重くないらしかった。だが「小隊長になるような学生がなる状態じゃない」と様態を見た上級生に呆れた様子で言われ、レイフォンはひきつった笑みを浮かべ同意した。そして居づらくなってそそくさとその場から立ち去った。
家路につく途中、ナルキの入っている学生寮に立ち寄り、入院の準備を頼む。
最初こそ疲れた様子で出迎えられたが、事情を説明すると快く「任された」と言ってくれた。
ミィフィが途中から顔を見せて騒ぎ出したが、すぐにナルキに制圧された。今日はバイトが入っているらしいメイシェンも、果物片手にお見舞いに行ってくれるのは予想に難くなかった。
さすがに夕食を作る気にならなかったレイフォンは、適当に出来合いの物を買ってとぼとぼと歩く。
空気もだいぶ冷えてきていた。
「あ」
レイフォンに宛がわれた部屋の前で女生徒が膝を抱えていた。
「おかえりなさいませ」
「すみません」
風に揺られて起こった微かな葉擦れの音が、レイフォンの耳には刺さるようだった。
俺のニーナがそんなに簡単にくっつくわけがない(ぉぃ
女を待たせるなんてレイフォンは罪な男
そして1か月もあけるなんて自分は(ry