惑う戦士   作:gawain

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第3話

[この世界に自然な形で植物が自生しているのは確認されていない。山より川は流れ、大地を潤してはいるはずなのだが、豊かなはずの川のふちにもほとんど生き物の営みはない。大気には目に見えない汚染物質が満ちており大抵の生物は生存を許されない。ごく一握りの適応者であるいくらかの微生物とそれを捕食する虫が存在しているだけである]

 

 一つだけ開け放たれた窓から最近暖かくなってきた風がリーリン・マーフェスの鼻先をくすぐり、山吹色の髪を優しくなでた。彼女の幼馴染であるレイフォンがこの槍殻都市グレンダンを出て行って一月が過ぎた。今日はグレンダン上級学校の初回講義が始まっていた。 

 基礎教育には無かった講義を自由選択するというシステムに困った彼女は政治、経済、経営、法といった社会学を固めて履修することで生まれ育った孤児院の経営に役立てようとしていた。

 

[先ほど自然という言葉を使ったが何をもって自然とするのだろう。今現在、主な生物はエアフィルターで保護されている自立型移動都市、通称レギオスの中でしか存在できない。ならばこれらの生物や我々はどこからやって来たのか。残念ながらその疑問に答える論理的資料は見つかっていない。あまり知られていないが、古代のアルケミストたちがこのレギオスという存在を創造すると同時期に編纂と思われる物語から、我々人間をはじめとした生物は神によって作られたという逸話が記録されている。もはや神話の世界であるが創造者を信仰するということは現在私たちの周りに見ることは出来ない。これは身近に存在する都市の守護者たる武芸者に対する敬意と、武芸者自身を律する倫理観の定着によって異なる価値観が育つ余地が無いことが考えられる]

 

 初回ということもあり、ノートをとる必要はあまり無いのだが真面目な彼女は教授の話に出てきたキーワードをまとめていた。しかしその手は途中で止まり、ペンはまるで音楽の指揮をするように形の無いものを宙に描くだけ。現在受けているのは‘グレンダン政治史’なのであるが妙な思想が入ってきており、どうにも雲行きが怪しくなってきたと彼女は思わざるを得なかった。

 

[この我々の起源をたどる重要な研究テーマであるが、長年の研究にもかかわらず得られない成果と、都市の滅亡による資料の喪失、都市防衛への資金の優先配分という政治的判断により下火の状態である。王家には情報開示を求めているが、残念なことに存在しないものはどうすることも出来ないと返答されて取り合おうとしない。本当に残念でならないがこの講義で我々のルーツについて触れることは出来ない]

 

 特に興味の湧かない教授の研究テーマの進歩状況と嘆きはリーリンには届かない。

 何故なら彼女は教授の話をよそに出て行った幼馴染の生活を案じはじめていたからだ。

 

(もうツェルニには着いたかな)

 

 そもそも、一般の人間が都市の間を行き来することはあまり無い。なぜなら費用がどれ程かかるのか確定出来ないのが大きい。‘自立型移動都市’というだけあってレギオスはそれぞれ場所を移動している。故に目的の都市までどれだけの都市を経由すればよいのか把握するのは困難を極める。想定よりその旅路が短ければ良いが延びると考えたほうが安全だ。その為一般的な家庭の3か月分の生活費というのが目安といわれている。そのうえ事故率は0.05パーセント程度と比較的高い危険を冒すのだから学園都市へ子供を送り出すのは分かったと言って簡単にいくものではない。

 

[――代わってこの講義では槍殻都市グレンダンにおける三王家と議会による政治史について学んでもらうこととする。それでは――]

 

 

 ようやく講義の本旨に沿った説明が始まったが彼女のめくるめく思いは止まることを知らない。

 

(きっとレイフォンのことだから無駄遣いはしないと思うけど…でも変な人に騙されて巻上げられたりとか…いや、もっと厄介なのはあのお人よしをつけこまれて勉強も放っておいて頼まれ事に奔走してるかも)

 

 彼女にとってレイフォン・アルセイフは絶対的強者だった。武芸が盛んなグレンダンにおいてその頂点の12人に与えられる天剣。その末席に最年少で座った。汚染中との戦いは一般的な武芸者なら命がけの難事のはずが彼はいつもケロッとした表情で帰ってくる。心配するのが損というものだ。

 つまり彼女の心配は別にあった。レイフォン・アルセイフという人間は

 

(人の好意に鈍感なくせに誰にでも優しくて優柔不断で…でも頑固者。だから多分ここには戻ってこない)

 

 リーリンの手からペンが転がり落ちて机の端でどうにか止まった。はたと現実に引き戻された彼女は慌ててペンに手を伸ばして――ノートに書かれた文字がにじんでいることに気づいた。

 

(いけない!)

 

 自分が相当滅入っていることに彼女は気づいたが、それでも健気にそんなことでは――

と気合を入れなおした。

 

 彼女にとってレイフォン・アルセイフは絶対的存在だ。

 彼女にとってレイフォン・アルセイフは幼いときから一緒にいる幼馴染で、父の代わりに家族を支える兄のようで、手のかかる弟のようで、初恋の人だ。今もなおその思いは続いている。

 

 

 

 リーリンはレイフォンにキスをした。一世一代の大勝負と決めていつもは穿かないスカートに薄く化粧までしてレイフォンとの別れに全てを賭けたのだ。

 出て行くのは仕方ない。でももっと近い学園都市へ一緒に行くこともできたはずだ。与えられた猶予の時間もまだもう少しあった。

 

『出発をやめることなんて出来ない』

『覆すことは出来ないし誰も望んでいない』 

『僕も望んでいない』

 

 レイフォンの口から出るのは既に分かりきった理屈。自然と力が入り悔しさに体が震えた。

 

『私は、望んでいるわ』

『私が望んでいるだけじゃ、だめ?』

 

 リーリンは精一杯やったことのない女の子らしい仕草を披露した。今日この時の為だけにとっておいたと言っていい。今日のコーディネートを考えてくれた姉達はよくやったと言ってくれるに違いない。

 しかしその努力もレイフォンの気まずそうに困る顔を浮かべさせるだけだった。始まる沈黙。それに耐えかねたのか放浪バスの発車準備完了を知らせる汽笛が彼女の徒労を嘲笑うように鳴り響いた。リーリンには結末は既に決まっているのは分かっていた。

 トランクを持ったレイフォンが別れの挨拶だけでなくつらつらと言い訳を並べるのを聞いてリーリンは深いため息をついた。

 元々語彙の少ないレイフォンはすぐに言葉につまるとバスに向かおうとリーリンに背を向けた。

 

『待って!』

 

 リーリンは肩をつかんでレイフォンをめい一杯の力で振り向かせると自分の唇を彼のそれに重ねた。意表を突いてやったと勢いに任せて近づくときは思ったが、いざレイフォンの顔が迫ると、その瞬間に気恥ずかしさに耐えられそうにないと思ってすぐに離れてしまった。それでいてこのひとコマを永遠に固めてとっておきたいと考える自分が彼女を更に恥ずかしく思わせた。

 

『手紙くらいよこしなさいよ。みんながみんな、レイフォンにもう会いたくないって思ってるわけじゃないんだから』

 

 リーリンはそれだけ言うと逃げ出すようにその場から駆け出した。

 

(私はいつまでも側にいたいって思っているのに――)




そしてリーリンの台詞を書いている自分は気恥ずかしさに逃げ出したくなった
次回からようやくレイフォンの動向に入れますね
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