何か巨大なものが一定の速度でこちらに近づいてくる。それは彼女がこれまでに何度か聞いた覚えのある足音だった。
(丁度良い)
生き延びるだけならば必要の無い道楽といえるだろうか。しかしそれは一度味わってしまえば決して忘れることの出来ない、甘美な味わいと香りをもって強烈に誘惑してくる。
彼女は祈るような気持ちで。しかし呪詛を吐くように激しく歯軋りをした。
(いいぞ。こっちだ)
彼女は地中の奥深くに身を潜ませ、そのときが来るのを彼女の愛しい我が子たちと心待ちにするのだった。
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(ここまで来るのに長かった……)
体調は悪くないのだが長旅の疲れで早く落ち着きたかったレイフォンは、その期待が裏切られて憂鬱だった。
本来であれば一月程でつく筈の道程が二月以上経ってしまった。おかげで入学式には参加できていない。さらに入学許可自体も取り消されかねないところであった。入るはずの寮も準備が整っていないらしく、数日は外来者用の宿泊施設を利用するようにとのことだった。
(もうこうなったらホテルのサービス使い倒してやる!)
特別な計らいで宿泊施設の利用は無料だ。その他の有料サービスも一定額までなら肩代わりしてくれるとのことだった。都市側のなかなかの気前の良さに気落ちしていたレイフォンの心は救われた。
食事をするためには3階まで降りなければならないところだ。が、早速客室スタッフを呼び出し食事を持ってくるように伝えた。
(そういえばリーリンに手紙かいてないや)
寮の部屋に入ったら真っ先に手紙を書こう。リーリンへの手紙の書き出しを考えながらも、レイフォンはツェルニに着いて初めて口にするまともな食事のことに次第に頭を支配されつつあった。
それから20分ほどが経ち待ちかねていた料理が運ばれてきた。思ったより時間がかかったのは出来合いのものではなく、縒りをかけて作られたものだということが見て取れた。
運んできた彼によると学院都市で品種改良された野菜や家畜を外来者用の料理に使用することで宣伝しているらしい。レイフォンには難しいことは分からなかった。しかしおいしいものが食べられるのはいいことだと深く考えるのはやめた。
まずは出てきたのは白くて冷たい液体、冷製スープというらしい。スープといえば野菜と肉を煮込んだ温かいものという認識だったレイフォンにとって衝撃的だった。
おそるおそるスプーンを口に運ぶ。ねっとりと舌にまとわりつくような滑らかさとコクが広がる。どうやらジャガイモと牛乳が使われているようだ。またもスタッフの彼によると、じっくりと炒めた玉ねぎと一緒に煮込まれたのち、丁寧に裏ごししたものに味付けされているとのこと。
簡単で美味しいものをという孤児院のときとは違う贅沢な料理にレイフォンは感動しきりだった。しかしそれでも彼の手は止まらず、その後も運ばれて来た料理を絶えず口へ運び続けるのだった。
思わずレイフォンの口から吐息がこぼれた。夕餉はどうやら彼の舌だけでなく胃袋も満足させるに至ったらしい。武芸者である彼は一般の人間より代謝が良い。つまり自然と摂取する食事は多くなるため、彼が満腹ということは2人前や3人前ということは無い。レイフォンが宿泊施設から出て、全ての請求が届けば安請け合いした事務室の会計担当者は頭抱えることになるはずだ。
食後の余韻を楽しみながらソファーでまどろんでいたレイフォンの部屋にノックの音が響いた。まだ覚めきらない頭で返事をしてドアの鍵を開ける。そこにいたのは食事のときのスタッフではなく、受付に立っていた人物だった。
生徒会から言伝を伝えにきた、と言うと走り書きされたメモをレイフォンに渡してお辞儀を一つ。そしておやすみの挨拶を丁寧にすると静かに廊下を戻って行った。放浪バスの運行に遅れることがあるとはいえ、一月以上遅れての入学というのは異例であり、情報の確認をしたいとの面談の要請だった。だが指定されたのが都市の中心に位置する生徒会塔ではなく、そこから2ブロックほど離れた病院の前を指定されたのにレイフォンは首をかしげた。
(施設の案内でもしてくれるのだろうか?)
ここまでの歓待ぶりに麻痺したのか、それともまだ頭が働いていないのか。レイフォンはとぼけた思考でうんうんと唸っていたが、行けば分かるとすぐに知的労働を放棄してシャワーを浴びて長旅の疲れを癒すことを優先することに決めた。それに
(分かんなかった手段があちらから歩いてきたんだしどうでもいいか)
空には薄く雲がかかっていたが問題なく晴れといって良いだろう。夕暮れ時に指定された病院の前に行くと他の生徒達と同じ学生服を着ているにも関わらず、まさしく秘書然とした雰囲気を漂わせる女性が佇んでいた。その姿はレイフォンに故郷の元同僚にいた年上の女性を思わせ、この人も苦労しているのだろうといらない同情の念を抱かせた。
「お待ちしておりました。レイフォン・アルセイフさんでよろしいですか?」
先に待っていた彼女が言うと嫌味なのか歓迎の現われなのか判断に困る言葉だが、柔らかい表情を見る穿った見方をする必要は無さそうだ。レイフォンは軽くうなずくと彼女の説明を待つ。
「ではツェルニへの到着が遅れた事情を伺いたいのでロビーでよろしいですか?」
異存ないレイフォンだが、やはり病院からは移動しないのかと思いつつ彼女の後ろについて中へ入った。
「それでは放浪バスが汚染獣の襲撃に遭い生還したと。その後、外来宿泊施設での立てこもり事件に巻き込まれるですか……。俄かには信じがたいですがすぐにでも確認できる事項ですので本当のことなのでしょうね」
レイフォンから聞いた事件にしばらくあっけにとられた彼女だが、落ち着いたのかコーヒーを口にするとそう独りごちた。
「すみません……とんでもない話で」
「いえ、レイフォンさんがご無事で何よりでした」
優しくいたわるような彼女の声にレイフォンは何か報われた気分になった。しかしだんだんと彼女の眉は元気をなくしていく。
「それで今日はこれだけではないのです」
何か事情があるのは察していたレイフォンは思わず身構えてしまう。それを見て彼女は申し訳なさそうに言葉を連ねる。
「これから『学園都市ツェルニ』の執行部を総括している生徒会長との面談していただきたいのです。実は先日心労のために胃潰瘍と診断されまして、静養をかねて入院していただいているのです」
レイフォンは都市のトップが入院という情報に小さく口を開けて彼女の顔から目を離せないでいる。彼女が目を伏せるとしばらく人もまばらな病院という環境も相まって写真で切り取られたかのように静かだった。
「ついて来て頂けますか」
それ以外の行動は許さないという意志のこもった目がレイフォンを射抜く。レイフォンが思わずうなずくと、それを確認した彼女は背を向けて上の階へ続く階段へ足を向けた。
(なんかこの人には逆らえない雰囲気があるなぁ)
慌てて背中を追うレイフォンは彼女に会ってからの今日を振り返って苦笑した。
ヒーローは遅れてやってくるものだ。とは良く言ったものだ。カリアン・ロスは昨日届けられた報告の束に目を通しながら面談のときを待っていた。
生徒会長に就任して以来、彼の目的であったツェルニの防衛には課題が多かった。学園都市ということもあり、ここに来る武芸者達は総じて未熟者ばかりである。中にはそれなりに力を持つものもいるが、少数派の彼らの力だけでは全体の底上げは困難であった。
どうにか打破しようと新設申請の有った小隊を無理やり認可したが、ある人物の到着の遅れによって皮算用は破綻していた。規定人数に足りなかった為に他の小隊に吸収させるか悩んだが、1,2年生から力不足だが有望株を2名加えて体裁は整えさせた。小隊同士で行われる対抗試合の初戦は敗北したが、戦力が足りていないのは分かっているので、今後の成長に僅かながら期待したいといったところだった。
しかし救世主と期待した人物の遅れは彼の心を常時不安に苛んだ。ここに来て彼の体は悲鳴をあげていた。キリキリと痛みを訴える胃を薬でごまかしていたが、書類仕事を終えて帰宅するとこみ上げる吐き気とともに血を吐いた。急な失血に眩暈がしたが何とかこらえ、信頼する武芸長に連絡をつけるとそのまま入院する運びとなった。
ここ数日、生徒会の面々の配慮に仕事をするわけにもいかず、自信の情けなさに悶える時間を病院内で過ごしていたが、ここに来て伝えられた朗報は彼のやせ気味な顔に喜色を浮かべさせた。
(逃してなるものか!)
普段は冷静な彼も諦めかけていたこのチャンスに高揚し常ならぬ決意を心していた。
ノックと彼の秘書を務めてくれている役員の声がカリアンにとって勝負の鬨となった。
「ようこそツェルニへ!レイフォン君。生徒会長をやっているカリアン・ロスという。済まないねこんな姿で」
「いえ……レイフォン・アルセイフです。お呼びとの事でしたので参りました」
病室に案内されるとカリアンの病人とは思えない気迫のこもった挨拶は反射的にレイフォンは圧倒され、昔無理やり身につけさせられた言葉遣いをさせた。
「うん、君の入学を祝いたくてね。大変だったようだが君がツェルニへたどり着けたことを喜ばしく思う。ここに入学を許可しよう。おめでとう!」
「ありがとうございます」
「すまない、祝いのお酒とはいかないが飲み物でも……流石だね」
「はい。ご用意してございます」
カリアンから言われるでもなく既に秘書は準備を済ませていた。
「ではツェルニとレイフォン君の今後に、乾杯」
薄くゴールドのかかった色のジュースは炭酸で割られ、祝いの席で用いられる発泡性のワインに似せられていた。グラスも良く冷されている。爽やかに香る果物の香りがレイフォンの鼻を通り抜けた。
「落ち着かないだろう、まずは座ってくれたまえ。君は一般教養課を希望ということだが間違いないかね?」
「そのことなのですが……」
レイフォンは小さめのかばんから封筒を取り出すとカリアンへ渡した。
封蝋を見てカリアンの目が変わると彼は慎重にペーパーナイフで封を開け便箋の文字をなぞる。手紙の半ばまで読み進めるとカリアンのかける眼鏡が怪しく光をこちらへ放たれた。
「つまり武芸化への転科をしたいと」
「はい。必要なら試験でも何でも受けますけど……できますか?」
心配そうにレイフォンはカリアンの顔色を覗う。
するとカリアンゆっくりと破顔し声を上げて笑い始めた。しかし胃が痛むのか急に咳き込みはじめた。慌てて秘書は駆け寄ると優しく背中をさする。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ふぅ。すまない、醜態をさらしてしまったね」
カリアンは眼鏡を一旦はずし、にじみ出てきた汗を拭うと息を整えてまたかけ直した。
「再試験の必要は無いよ。この手紙を無視するわけにはいかないし、何より君の実力は私自身も知っているんだ。レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ殿」
「あなたもですか。思ったより自分は有名人なのでしょうか?」
「そんなことは無いと思うよ?君の故郷であるグレンダンの情報はただでさえ少ない。たまたま私がグレンダンに立ち寄った事があったからに過ぎない」
カリアンは目を閉じると当時を思い出すようにレイフォンに話しかける。
「そして私は見たんだよ。わずか10を数えたばかりの子供が身の丈ほどの剣を引きずりながら熟練の武芸者を相手に臨み、これに勝利して見せた君の姿を」
レイフォンにとっても懐かしい話だった。熱烈に願うものがあった。それゆえに力を求めた、そんな幼い日の話だ。
「そして今、君は何を望むんだい?君が剣をやめるきっかけとなった事件は聞いている。そして君が武芸を捨てたことも。」
「分かりません。ただ」
「ただ?」
「気づいてしまったんです。僕は――」
レイフォンの声は力なく病室内に溶けた。
「そうか。君の活動には最大限配慮しよう。私としても君の力は是非とも借りたい。こちらの事情の説明をお願いできるだろうか?少々疲れてしまってね」
秘書に目配せするとカリアンは目を閉じた。
カリアンの側に控えている秘書が返事をするとゆっくりと立ち上がりレイフォンにかを向けた。
「都市間で行われる戦争が2年ごとに行われるのはご存知かと思いますが、学園都市の間でもそれは例外ではなく‘武芸大会’と名前を変えて行われます。安全装置を施した武器のみが使用を認められるという制限がありますが、勝利したほうが相手のセルニウム鉱山を一つ奪うということに変わりありません」
「……そうなんですか」
残念ながらレイフォンにとって都市間の戦争は記憶が薄かった。馬鹿にしたような話だが王を頂点とする天剣を擁するグレンダンにとって本気を出すようなものではなかった。直近の戦争では最強と謳われるリンテンス・サーヴォレイド・ハーデン一人によってこれに勝利している。よって勝った負けたは時の運とでも言うようにランダム(くじ)によって選ばれた天剣一人が相手をするというのが慣わしとなっている。よって鉱山がどうとかという話もレイフォンにとって初めての情報だった。
また、セルニウムというのは都市を動かす上で欠かせないエネルギー資源である。
「そしてこのツェルニは前回の武芸大会で負け越していまして、所有しているセルニウム鉱山が後一つという状態に追い込まれています」
「つまり最低でも初戦に勝ち、勝ち越さなければならないと」
「はい。貯蔵量には限りがありますのでいずれ都市機能は麻痺して滅亡するかと」
(僕の乗っていたバスもこの都市もそう変わりは無い、か。もしかして僕は運命なんてあるならそれに見放されているんじゃないかな?)
「加えてツェルニが厳しい状況であるという情報も他の都市に伝わっていますので、耳聡い学生には避けられてしまうので、ここ最近入学してくる武芸科生徒のレベルはお世辞にも高いとはいえません。中には反骨心から入ってくる生徒もいますが」
「彼らのレベルを見てみたいのですが」
「……視聴覚室で先日の小隊戦の映像が閲覧可能です。小隊とは一般武芸科の生徒に対する指揮を行う4~7名で構成されたエリートです。現在1~17まで存在します」
「レイフォン君には」
今まで目を閉じていたカリアンが十分な説明はなされたと考えたのか口を開いた。
「レイフォン君には今年新設されたばかりの17小隊に入ってもらおうと思っていたんだ。丁度アントーク君が小隊長であることだし、どうだろう」
レイフォンはしばらく考えた振りをするが、元来考えることの苦手な彼はカリアンの失言を見つけ出すことも出来なかった。レイフォンにとっては何らデメリットがあるように感じられずすぐに頷いた。
「ありがとう。君はAレベルの特待生として武芸科に入学ということとする。まだ手続きや部屋の準備が明日までに終わるとは言えない。悪いがこちらから連絡を入れるからそれまで宿泊施設の部屋を使ってもらいたい」
カリアンはレイフォンに手を差し二人は握手を交わした。レイフォンは立ち上がると手を離して入ってきたほうへ歩き始めた。
レイフォンが扉を動かす音が病室内に響いた。
夕日は都市の外縁部の下にすっかり隠れてもう見えない。
緩やかに夜を迎える静謐な空気が病室内に漂っていた。
思いのほか文字数が伸びました
どこで切るべきか分かりませんで
秘書さんの名前考えるべきだろうか・・・
やたら名前がたくさん出てくる作品なんであまり増やしたくないのですが(汗
前書きが次回予告という斬新な事になってますがタイミング的にはこうかな・・・と