放課後になると気分が入れ替わる。
着替えやタオルなどが入った荷物を背負い、この緑に囲まれた歩道を流すペースで走り抜けると、自分の中にある空気がすべて新鮮なものとなる気がしていた。
朝でもないのに少し湿気を持った風はひんやりとして、気分を落ち着かせてくれる。
気分が良い。抱える問題はいくつかあったが、今はそれを捨て置いても良いと思えるほどだ。
今日は良い日だ。
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学生寮や商業地区、そして一般の学校施設から隔離され、更に周囲を緑に囲まれた場所に錬武館。エリート集団である、小隊に属する武芸科生徒が使用する訓練施設がそこにあった。しかし、激しく衝突する音が響いているはずの時間帯なのだが、その音は散発的で、一抹の淋しささえ感じられた。
すでに外縁部に撃ち捨てられた幼生体の死骸、えぐられた外縁部の瓦礫など、撤去作業は一応の目処は立ったが、武芸科の学生のダメージは大きかった。
特に幼生体に対して有効打を叩き込める、希少な存在となっていた小隊員たちは、戦闘が始まってから手を休めることなく動き続けた。初めての実戦。しかも危険な前線に長く居続ける。今回の襲撃での小隊員の負傷率は武芸科一般学生のそれをはるかに凌駕しており、30パーセント近い。うち半数は剄脈疲労によるもので今も入院している。
そのため彼らの復帰を待ち、小隊対抗試合第2戦の日程は遅れる見通しとなっている。
元々戦力的に劣っていた17小隊であったが、隊員に目立ったダメージは無く、次の試合では勝てる可能性は高い。そして隣には自分の隊長を窮地から救った実力者がいる。
(もしかしたら――)
縁もある。ナルキにはそう考えさせるには十分だった。
「じゃあ武芸長って対抗戦で成績の良かった小隊長がなるんだ」
「実績がないと説得力無いだろ?まぁ、小隊の規模だと作戦能力より個人の力量が強く出るからなんとも言えないけど」
ナルキはレイフォンに小隊の役割やらなんやら、組織構造を説明しながら歩みを進めた。普通の都市であれば存在するはずの中核となる部隊、その知識がレイフォンには無かった。
グレンダンには無かったのかというと、そういう訳でもない。当たり前に存在したし、レイフォンの養父は現役時は実働部隊の指揮官だった。しかし養父はレイフォンが物心つく頃には引退し、道場を営んでおり、関わることはなかった。
そしてレイフォン自身は前線に配属された後、すぐさま公式試合でも功績を上げ、一足飛びで天剣となった。組織がどうだからといった考えを持つことなく、ただ腕を上げ、戦いに明け暮れた。それがまた、彼の不幸の始まりの原因の一つだったのかもしれない。
「17小隊はこっちだ」
錬武館の棟が立ち並ぶ区画にたどり着くと、そう言ってナルキが先導する。レイフォンには人があまり多く来るようには思えなかったが、自販機をはじめ軽食を取り扱う屋台もいくつかある。
「ここで商売なんて成り立つの?」
「うーん、あたしもたまに食べたりするけどそれだけじゃ厳しいだろうな」
「武芸者はたくさん食べる人多いけど……そうだよね。でも他に人なんか来なさそうだけど」
「それが来るんだ。小隊員は結構人気があってね……」
レイフォンにはナルキの背中が後ろから見て少し小さくなったように見えた。
「ファンクラブなんかもあってうちの隊長は美人だし、二人いる男の先輩もなかなか優男なんだ。あの場にはいなかったが念威繰者は去年のミスツェルニだし」
「じゃあナルキも?」
「…あたしなんか全然、と言えたら良かったんだが」
「やっぱり」
「一年で小隊員なんか選ばれてしまったばかりにな。悪目立ちしてるみたいだ」
ナルキはここまで来る間にも何度か声をかけられていた。隣にいるレイフォンに敵愾心を持った目で睨み付ける者もいたくらいだ。その都度曖昧に笑って受け流そうとしたが上手くいかず、余計相手の表情を険しくさせるだけだった。
「他の小隊からは芸能事務所だって揶揄されてるくらいだ」
今のところ言い返せないと肩を落とす。男勝りな彼女の背中がどんどん小さくなるようで、レイフォンもいたたまれない気持ちになってきた。
どうにか気分を変えたかったレイフォンだったが、上手い言葉が出てくるはずも無く、思い悩むうちに入り口までたどり着いた。
(良かった)
朝とは違って気が楽だった。武芸者にとっては力こそ正義でその序列は簡単に決まる。
もちろん人間なのだから尊敬だけでなく妬まれる事もあるが、それは持っている力でねじ伏せれば良い。
一般的に武芸者はその力を神聖視していて、その力をむやみに使おうとはしない。卑劣なことなど社会が、そして武芸者各々自身が許さない。――そう、一般的に。
「おお!待ってたんだ。良く来てくれた」
ナルキが耐久仕様に作られた重い扉を開けると、陰鬱な気持ちを吹き飛ばすような大声でブロンドの髪を肩より短く切った女性が出迎えてくれた。
彼女は近づいてくると握手を求め、まっすぐに手を差し出す。
「あの時は本当に助かった。感謝に堪えない」
「えーと、ご無事で何よりです」
彼女の声が室内に響き渡る。活剄で喉を強化してまで発せられた気迫。それを間近で受けたレイフォンは入ってきた扉へ思わず後ずさった。が、レイフォンの前にいたはずのナルキが、ごく自然に後ろをふさいでいる。
彼は逃げるつもりは無かったが、顔に青筋をたてて頬を引きつらせるほか無かった。
まだ彼女は握ったまま手を離してくれない。
「私は17小隊隊長のニーナ・アントークだ」
「レイフォン・アルセイフです」
「それで厚かましいお願いなんだが……うちの小隊に入ってもらえないだろうか」
握られた手の圧力が増した。やんわり振りほどこうと腕を曲げるが、それに合わせて彼女は距離を詰め懐まで迫っていた。
「ダメだ……」
「ち、近いです」
「――!すまない」
顔が文字通り目と鼻の先にまで近づいていたことに気づいた彼女は、余裕の無い様子で慌てて手を離し飛びのいた。
そして後ろからため息の音が漏れた。
「ニーナ、見世物としては面白いんだが、いきなり体で迫るのは無いだろう」
「な……」
「窮地を救った王子様に憧れるのは分かるけどよ。救ってる回数で言ったら俺のほうが上なくらいだぜ?」
「……シャーニッド先輩、いたんですね」
長髪を後ろで束ねている背の高い男が、ニーナをからかいながらゆっくりと近づいてくる。その顔はやや面長だが、切れ長の目は独特な色気を漂わせている。
「ナルキに我らが隊長殿を救ったヒーローを呼ぶからってな。今日は来るようにって念押されちまってね。全く、今日は待たせてたデートをと思ってたんだが」
「良くやったナルキ」
「おかげでニーナの面白い顔も見れたことだし、良しとするか」
「先輩あなたって人は!」
「それで、待たせちまってるけど良いのか?」
ニーナはあなたのせいだ、と罵りながらもレイフォンに顔を向けた。先ほどのことを思い出したのか、それとも突然現れた先輩への怒りに対してか、その顔は赤みがさしている。
「それで入ってもらえるかどうか聞きたいのだが、どうだろう」
「それは既に決まっているので」
ニーナの問いにレイフォンはそう答えた。先ほどまでとは対照的にニーナの顔色が見ている傍から悪くなってゆく。彼女の口からは小さく「そうか」と何度も壊れたおもちゃのように繰り返している。
それを見てシャーニッドが笑うのを必死にこらえているが、誤魔化しきれず顔が奇妙に歪んでいる。
「先約があるなら仕方ないな」
「何が仕方ないのかは分かりませんが、そういうことですので」
「くふっふふははは」
「先輩なんで笑うんですか!」
二人の会話についに我慢できなくなったシャーニッドが噴出した。わき腹を痛そうに押さえながらも笑いを止められない。
「勘弁しろよお前ら。俺に何の恨みがあってこんな痛い目にあわせるんだ」
「だから何に笑って」
「レイフォン、17小隊に入るのが決まってるって事でいいんだよな」
「そうだけど」
今まで黙っていたナルキがレイフォンに救助ロープを投げた。手繰り寄せるように彼女は続ける。
「それでどうしてそういう話に」
「生徒会長から幼生体の討伐の後」
「他に何か言われたか」
「ニーナ・アントークと17小隊をよろしく頼むって」
ナルキはそこまで聞くと訝しむように眉間を狭めた。
対してシャーニッドはそれを聞いて口の端を吊り上げたが、目は笑っておらず注意深く観察している。しかしニーナが明らかに不機嫌な様子で肩を怒らせているのを見て、思い出したように破顔するとより笑みを深くした。
「つまり私に隊長を降りろということか?」
「まてまて。ニーナ、それは早とちりも良いところだ。どちらかというと結婚式で娘を送る親父の――」
「それはないでしょう」
お粗末な漫才じみたやり取り。残念なことに反応すべき観客はレイフォン一人。困ったように顔に張り付いた笑みや、引き攣った頬しか浮かべない彼では、自然と幕切れはやってきた。
沈黙に包まれる中ニーナに睨まれたじろぎ、ため息をつくとシャーニッドが顎をしゃくってレイフォンに先を促す。
「隊長は変わりませんよ。僕は指揮経験なんてありませんし、任せると言われても困ります。ただ単に個人の底上げをするようにと」
「なあレイフォン、お前が強いのは確かだがあまり挑発的な――」
「へぇ。小隊長相手に訓練つけられるってことはおまえさん、それだけ俺らと差があるってことだよな?ニーナ」
「受けた恩はあるが……ここは一手ご教授願おう。レストレーション!」
「おうおう、分かりやすいな」
「待ってくださいよ隊長」
ナルキの呼びかけも空しく、ニーナは錬金鋼を復元して両手に構えた。腰の高さ近くほどもある、見るからに重厚感のある鉄鞭が瞬時に現れた。
錬金鋼。質量保存の法則から離れた物質の利用技術により、武芸者が剄を流すことで設定された形状や重量を復元することができる。
「ニーナほんとに今は待て。おまえさん武器は持ってるか」
「……残念なことに持ってます」
(置いてくれば良かった)
レイフォンがシャーニッドに応える。彼は報酬の一部として、戦闘の前に手渡された物の一つを貰い受けていた。
彼は諦めると拳ほどの大きさの金属棒に右手をかけ、起動鍵語を口にする。と、姿を現したのは刀身がすらりと伸びた、翠緑に輝くサーベルだった。儀礼用に使われるような繊細な装飾などない、ただ突き、切りつけるだけの形である。
半身に構え、脇を締めると切っ先を目線の先に。体重移動とともに虚空を突く。次は肘に余裕を持たせてから斜めに振り下ろす。甲高く小気味よい音が肌を震わせる。
何回か同じ動作を繰り返すとニーナに正対した。
「もう良いのか」
レイフォンはニーナの問いにうなずくと左足を後ろに下げ、再び構える。「そうか」とニーナは小さく呟くと、腰を低くして鉄鞭を顔の前に交差させる。
「読みあいに付き合うつもりはない。こちらから動かせてもらう!」
そう叫ぶな否や、彼女は脇目も振らず、愚直にもレイフォンに突進を敢行する。リーチに入ろうかという時右腕を振りかぶった。斜め上から振り下ろされる鉄鞭の軌道は、彼の肩を捉えようと唸りを上げる。
それを彼はサーベルの腹で軽くいなすと、右足を下げて体を入れ替えただけで対処した。
対して彼女はバランスを崩すことなく、直線運動を右足を軸にして回転運動へ変換する。反時計回りに回転した勢いで鉄鞭が左腕から伸びた。武器本来の働きらしく、しなるように彼の身を襲う。
重い鉄鞭による一撃は凄まじく、衝撃による破裂音は鼓膜を痛いほど響かせた。
「ぐっ」
「おいおい今のを細い剣で受けきるかよ」
レイフォンは左腕をサーベルの背に沿うようにさせてガードして見せた。
ニーナは鉄鞭から伝わる硬い感触にくぐもったうめき声をこぼしつつ、体勢を整えるために後ろへ飛びのいた。
彼女にとってその光景は悪夢のように思われた。それはまるで汚染獣の表面を覆う殻を思い起こさせ、彼女の背中を冷たい汗が伝う。
(この人思ったほど悪くない。慣れない事するべきじゃないんだけどな)
だがレイフォンにとって不本意な戦い方だった。シャーニッドの言うように武器の性質上まともに受けるのは愚行だ。だがそれをやって見せる必要が彼にはあった。
圧倒的な技量の差を見せつけるためだ。別に彼が目立ちたがりであったり他人を見下して悦に浸る性質の持ち主である訳ではない。
あえて得物にそぐわない戦い方で、相手の土俵に立ち打倒して見せる。こと武芸者は実力主義で動くため力で示すのが手っ取り早いし納得する向きがあった。
ニーナは慎重になっているのか、間合いをはかって動かない。
だが静寂はそう長く続かなかった。
レイフォンがすり足で徐々に距離を詰めていく。と、あと5歩程だろうか、一気に加速して突きを放った。
構えたままだったニーナはかろうじて上体をそらせる。なんとか回避したがバランスを崩した。姿勢を戻すことを放棄した彼女は左へ転がって、距離を取ろうとするがレイフォンは追撃を止めなかった。
「!」
距離をとれたと考えたニーナが起き上がろうとする。しかしその背中へ迫ったレイフォンによって、無造作に振り下ろされるサーベル。
振り向いた彼女はとっさに鉄鞭をかざして防御しようとする。だが右手に持った鉄鞭が押し込まれる。体勢が不完全なためにその体は吹き飛ばされ、したたかに背中を打った。
「納得してもらえましたか」
倒れこんだニーナの首に、神秘的な輝きを見せる刃が当てられた。
彼女は武器から手を放してゆっくりと両の手を挙げた。
そこへ控えめに扉を開ける音。
「申し訳ありません。遅れました……これは」
「無様ですね」
そこには顔色を蒼白にさせた少年と、無表情な少女が立っていた。
だいぶ遅れてしまいました
ある程度形はできていたんですが迷っていまして筆が止まっておりました
楽しんでいただければ幸いです
追記)文体診断なんて実装されててためしにやってみたところ…
読みにき~んだよ!って怒鳴られました
改稿作業やってみます