SHRで自己紹介をしただけなのに、一夏はひどく疲れていた。しかも追い打ちをかけるように、他のクラスからやって来た女子達が廊下にまでひしめいていて、さっき以上に視線を浴びせられている。オマケに互いが互いに牽制しあっていて、余計に空気が息苦しかった。
そんな彼を気遣ってか、和人は声をかける。
「平気か、アイン?」
アイン。それは一夏がVR世界で使用しているキャラネームであり、SAOで出会った彼らはついクセで本名で呼べない事が多かった。
「……割と平気じゃな―――」
和人に話しかけてもらったのでそちらを向いたのだが、一夏は直後に固まった。
「な、何だよ?」
「―――あ、その……白いキリトさんって新鮮だなぁって」
「よし、今夜ALOでデュエル連続十本な」
「マジすいませんでしたぁ!!」
和人の宣告に、一夏は顔を青ざめて震えあがった。SAOにて黒づくめの恰好で戦い続け、時として悪役として振る舞う事もあった和人。そんな彼にとって白とは、似合わない色というイメージが強い。堂々と似合わないと言われるならまだしも、中途半端に気遣われるのはかえってイラッとするのだ。
「……どうせ俺にはこんなの似合わないんだろ……そんなの俺がよく知ってるよ」
そっぽを向き、拗ねた様に呟く和人。
IS学園の制服は基本的に白をベースとしており、各所に赤と黒が入っている。偶然にもそれがKOBの制服と配色が似通っており、明日奈はよく似合っているのだが……和人の場合はSAOでの黒づくめが見慣れていた分、白い服を着ているととても違和感があるのだ。
「別に似合っていない訳では無いですよ。慣れていないから違和感があるだけですって」
「そうそう。ちゃんと似合ってるしカッコいいよ、キリト君」
「……ま、周りの目を考えろよ……」
巧也と、和人と共に一夏の席に来ていた明日奈がフォローすると、和人は赤面して俯いた。だがそれでも松葉杖が取れて間もない明日奈から離れようとせずに支え続ける辺り、和人も常日頃から彼女を想っている証拠だろう。
そんな二人を微笑ましく思いながら、巧也は一夏に手を差し出した。
「初めまして、野上巧也といいます。向こうでは和人達がお世話になりました」
「おう、こっちこそよろしくな!」
一夏はその手を躊躇う事無く握り、巧也と握手を交わす。
「―――そういや巧也ってキリトさんとどんな関係なんだ?」
互いに名前で呼ぶ事を認めあった一夏は、素朴な疑問を巧也にぶつけた。彼は自分と同い年だと聞いているのに、年上の和人とは大分親しげであるうえに呼び捨てにしていたからだ。
「あぁ……家が隣同士だったので、幼少の頃から交流があったんです。所謂幼馴染ですよ」
「へぇ~」
以前SAO内で和人から聞いた弟分とは、ひょっとしたら巧也の事だったのかもしれないと一夏は思った。彼自身和人には弟のように思われていた自覚があるので、同じ弟分として案外すぐに仲良くなれそうな気がした。
「―――ちょっといいか?」
「……箒?」
不意に声をかけられた一夏が振り返ると、窓際の席にいた筈の幼馴染が立っていた。その時になって漸く彼は、折角再会できた彼女に声をかけ忘れていた事に今更ながらに気づいた。
「すまないが、一夏を借りてもいいだろうか?」
「別にいいけど、知り合いか?」
「オレの幼馴染なんですよ。会うのは六年ぶりですけど」
元々箒は人付きあいが上手くない。こういうスパッとした物言いは一夏にとっては好ましく思えるのだが、時としてそれが相手を不快にさせかねないのが玉に瑕なのだ。
そのため彼は、箒の代わりに和人の問い掛けに答える。
「なるほどな……えっと」
自己紹介が途中で省略されてしまったのを思い出し、箒は和人達が自分の名を知らない事に気づいた。
「篠ノ之箒だ……苗字で呼ばれるのは好きじゃない。箒と呼んでくれ」
「あぁ、よろしく」
再会した幼馴染が一人でちゃんと他人と会話ができている様子を見れて、一夏は嬉しかったのだが……そもそも何故彼女が来たのかを思い出して声をかけた。
「そういや箒、何か話があったんじゃないのか?」
「あ、あぁそうだった…………屋上でいいか?」
「おう。じゃ、オレちょっと行ってきます」
「授業には遅れないようにね~」
明日奈の注意を心に留めながら、一夏は箒の後を追った。和人はその様子を微笑みながら眺めていたのだが、彼の姿が見えなくなるのと同時に自分が置かれている状況を再認識せざるを得なくなった。
「アインじゃないけど……コレ、どうにかならないのか?」
「みんな男の子に興味深々なんだよ。女子校出身の娘も多いって聞いているし」
和人が自身に向けられている視線に辟易しながら言うと、明日奈は苦笑する。
「でもね……」
「ん?」
「キリト君は、誰にも渡さないよ?」
少々悪戯っぽく、明日奈そう言った。表情こそ変わらず笑みを浮かべたままだが、その声色には少しばかり威圧感があった。無論それは和人へ向けてではなく……周囲の女子生徒達に向けて、である。
「和人は本当に、明日奈さんから愛されていますね」
「か、からかうなよ……」
穏やかに微笑む巧也に気恥ずかしさを感じ、和人はそっぽを向く。だがそれが照れ隠しである事を巧也は知っている為、和人が幸福である事をただただ喜ぶだけだった。だがそれでも時間の確認を怠らず、休み時間が残り少ない事に気づくと二人に注意を促した。
「―――そろそろ予鈴が鳴りますね。明日奈さんは早めに戻った方がいいですよ」
「そうだな。アスナ」
「ありがとう、キリト君」
和人は明日奈を支えながら、彼女が席に戻るのを手伝う。容姿の整った二人である為それはとても絵になっており、クラスメイトのほとんどが見惚れていた。
ほどなくして一夏と箒が教室に戻ると、丁度予鈴が鳴った。このIS学園では初日から授業がある為、全員が学習の準備をしていた。
「はーい、授業を始めますよー」
その言葉と共に教室に真耶と千冬が現れる。この時間は真耶が前に立つようで、彼女と共に入ってきた千冬は教室の後ろで見守るだけのようだった。
(楯無さん達に教えてもらったとはいえ……数週間で詰め込んだ知識だけでついていけるかどうかは怪しいですね……)
遅くとも中学後半―――IS学園へ入学する一年以上前から学んでいる事を一月にも満たない時間で身に着けるのは非常に困難である。それ故に巧也は、自身を含めた男子が授業に遅れる事がないのかが気がかりだった。
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「もう……ムリ……」
「おりむーしっかり~」
授業が終わると同時に、一夏は机に突っ伏した。理由は単純で、授業の内容が難しすぎたからだ。入学前に渡された参考書は一通り読んでいたとはいえ、所詮は付け焼刃。真耶の授業は非常に分かりやすかったのだが、前提となる知識が不足していた一夏にはその限りでは無かった。
頭から煙でも吹き出てくるんじゃないかと思うくらいに脳をフル活用し、何とか食いつけたのだが、一時間授業を受けただけでもうグロッキーである。そんな彼を気遣うように、間延びした声と共に彼の頭を撫でる少女が一人。
「……のほほんさんは平気なのかよ?」
「まあね~、元々勉強してたから~」
やたらと袖の余った、ダボダボな制服が特徴な彼女の名は、布仏本音。一夏と同様にSAOサバイバーであり、同じギルドに所属していた友人だ。
「アイン……さっきのあれ、もうちょっとどうにかならなかったのか?」
「キリトさん……オレが頭使うの苦手なの知ってますよね……」
「だからってアイン君、授業中に開き直ってほとんど解説してもらうっていうのは無いと思うなぁ……」
真耶がにっこり笑いながら、「分からない事はありませんか」と聞いたとき、一夏はこう言ったのだ。
―――言葉とか解説文は暗記したけど意味は全然理解できてません!!
しかもそれがほぼ全て、である。流石に真耶もこれには驚き、絶句した。その後千冬の指示で、一夏は放課後に補修を受ける事と、和人達と共に自主学習に励む事が決まったのは言うまでもない。
「っていうか……何でオレだけ……?やっぱりオレってバカなんじゃ……」
「いや、お前は一人でゼロから始めたんだろ?一カ月足らずであんな分厚い本の内容を暗記してきただけでも、よくやったよ」
「……でも、キリトさんは授業分かってたじゃないですか」
「……昔ISのプログラムをいじった事があってな。その伝手で俺と巧也は教えてもらってたんだよ」
少し拗ねた様に一夏が言うと、和人は遠い目で答えた。その様子に若干不安を覚えた明日奈は、恐る恐る口を開く。
「え、その人って……まさか…………」
「安心してください。女尊男卑の思考を持った人ではありませんから。ただ……和人同様に少々悪戯好きな方ですが」
すぐさま巧也が彼女の不安を打ち消すが、蛇足とばかりに付け加えられた一言に和人は苦言を呈した。
「し、心外だな……俺はアイツほど悪戯なんて―――」
「―――でもかずっちーは~たっちゃんとよく悪戯合戦してたよね~?」
「……」
本音の指摘に思い当たる事が多数存在する和人は、何も言えなくなった。桐ケ谷家は昔から更識家や布仏家との交流があり、現当主である楯無―――本名は刀奈―――達四人と和人、直葉、巧也は幼馴染なのだ。
和人がキリトとしてSAOでよく見せていた、クールで大人びた姿と今の姿にギャップがあり、一夏は彼も自分とそう変わらない歳の少年である事をしみじみと感じていた。
(もっと早く、キリトさんのこんな一面を知れてたらなぁ……)
黒の剣士という仮面の下に押し殺していた、年相応の姿。それを見る度に一夏の心は、穏やかになるのと同時に、後悔の痛みが走る。
SAOにいた頃の一夏は和人の強さに憧れていた。我武者羅に努力を重ね続け、その背に追いつこうとしていた。だが一夏は己を強くする事に必死で、和人が強さに隠していた心の叫びに気づけなかったのだ。それを知った時にはもう既に和人は大きな傷を負い、心が壊れかけていた。明日奈をはじめとする者達が寄り添い、支えた為何とかなったものの、彼の心は完全に癒えた訳ではない。だから一夏は常々思ってしまうのだ。もっと早く彼の心に触れられていたのなら、と。
(……いや、これから知って行けばいいんだよな)
命懸けの戦場で、肩を並べて戦った兄貴分だが、一夏が知っている事はそう多くない。現実世界で再会してから今日までの間に話せた事も少ないし、自分の事だってまだ満足に話せていない。それは何も和人に限った事では無く、今ここにいる明日奈達も同様だ。幸いこれからは時間もあるだろうし、ゆっくりと知る事ができればいいかと一夏は考えを切り替えた。
「ちょっとよろしくて?」
「へ?」
だが、会話に加わろうと口を開きかけた矢先に声をかけられ、随分と間の抜けた声を出してしまった。そんな一夏に気づいた和人達も会話を中断し、彼に話しかけたであろう人物を見た。
縦ロールのある長い金髪と蒼眼が特徴的な少女は、改造された制服もあって育ちの良さを感じさせていた。この学園はISの知識、技術を学ぶため世界中から受験者が集まる。その為全校生徒の半数以上が海外出身であり、日本人以外の生徒も珍しくはない。一夏としては三年間同じ学園で学ぶのだから、友達として仲良くできればいいかな、などと思っていたが……同時に彼女がこちらを快く思っていそうにない事も何となく感じ取っていた。
「まぁ!なんですのそのお返事は!このわたくしに声をかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度があるのでは?」
「不快に思われたのなら、すみませんでした。こちらは貴女の事を存じていませんので。それで、何か御用でしょうか?」
先程まで和人達と話していた巧也が、いつの間にか一夏の前に立って謝罪するように頭を下げていた。その事に驚く彼だったが、本音が余った袖で口を塞いだので声が出る事は無かった。
(おりむーは~ちょっと黙ってて~。たくやんに任せとけば大丈夫だから~)
(……お、おう……)
思った事を率直に口にして、相手を怒らせてしまった経験はSAOで度々あった。己の忍耐力不足が原因で話が拗れてトラブルを悪化させてしまった事も一度や二度ではなく、彼の中では苦い記憶として今でも残っている。その為一夏は本音の言う通りに大人しくする事を選んだ。
「知らない!?このわたくし、入学主席にしてイギリス代表候補生であるセシリア・オルコットを!?」
「すみません、国家代表でしたら知っているのですが……代表候補生までは把握していませんでしたので……」
(だ、大丈夫なのかよ?セシリアの奴、怒ってるぞ……)
本音の言う事を信じて黙っているが、一夏は見ていて非常にハラハラしていた。それでも動かないでいるのは、SAOで培った忍耐力のお陰だった。
「ま、まぁいいでしょう……男性に期待していたわたくしが間違っていただけの事でしたわ」
「それに関してはお恥ずかしい限りです。一カ月程度で身に着けた付け焼刃の知識で、授業もいっぱいいっぱいなんです」
「ふん。ですが、わたくしは優しいですから?泣いて頼むと言うのなら、ISの事、教えなくも無いですわ」
女尊男卑の世界でよく見る、高飛車な態度。その事にどうしようもない憤りを感じずにはいられない一夏であったが、和人も同様に堪えているのが目に入り、歯を食いしばって耐える。幸い口元は本音によって隠されているので、周りのクラスメイト達が一夏の様子に気づくことは無かった。
「お気遣い感謝します。自力でどうにもならなくなった時には、遠慮なく頼らせていただきます」
当たり障り無く、穏便に済まそうとする巧也。セシリアはまだ何か言いたそうではあったが、予鈴が鳴ったために自分の席へと戻らざるを得なくなった。
普通に考えれば理不尽な言い方をされた巧也が心配になった一夏は、本音が口を解放してくれた次の瞬間には彼に声をかけていた。
「巧也、大丈夫か?」
「気にしないでください、ああいう方への対応は慣れてますから。それより一夏、休み時間に予習しなくてよかったのですか?」
「あ……やべ」
塵も積もれば山となる、ということわざがある通り、こうした僅かな時間の積み重ねが後々に響いてくる。授業に少しでも早く追いつくためにも自習が必要である事を思い出した一夏は、顔を引きつらせるのだった。