銀狼Bloodborne 作:Cain
―我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。
―痴らぬ者よ。
―かねて血を恐れたまえ。
館の一室に枯れ果てた老人と少女がテーブルを挟んで座っている。テーブルの上にはチェスの盤があり、少女は陽気な顔で、老人は渋い顔で盤面を睨んでいる。窓から差し込む陽光と相まって、孫と戯れる祖父といった雰囲気である。
腕を組み盤面を睨んでいた老人はふっと息を吐き、少女に声をかける。
「のう、ココウィル」
声をかけられた少女は陽気に八重歯を覗かせながら返事をする。
「なあに、ハンス。待ったはなしよ」
少女は勝利を確信しているのか勝気な表情は崩さずに一手返す。少女の態度を見て老人も笑みをこぼした。
「実は今まで隠していたことがあってな。ワシな、魔法が使えるんじゃ」
「メルヘンジジイにジョブチェンジするつもり?」
あきれた表情をする少女に老人は続ける。
「呪文は3つ。唱えれば窮地を凌げる魔法」
「やってみて」
「文頭にそれぞれ『最近』をつけて、『物忘れが激しくて』、『耳が遠くなって』、『目の霞みがひどくて』、の3つじゃ」
「それは年寄りのぼやきでしょ」
老人の態度を最後の悪あがきだと思ったのか、少女は大きく息を吐くといたずらっぽく笑う。それより、と少女は老人に目配せする。
「私が勝った時の約束、覚えてる?」
「はて? 最近物忘れが激しくて」
「さっそく魔法使ったし!」
少女は憤慨するも老人はとぼけた様子で返す。
「私が勝ったらデートしてくれるって言ったでしょ!」
「えぇー。なんだって? 最近は耳が遠くての」
「聞こえてるくせにー! 地獄耳ジジイのくせにー! まあいいわ。ごまかしたって無駄だもん。現実を直視しなさい」
老人はじっと盤面を見つめた後目頭を押さえる。
「最近白内障が悪化しての」
「魔法よりも悪化してる!」
少女と老人が漫才のようなやり取りをしていると部屋の中に呼び鈴の音が響く。老人は重い腰を上げると対応に向かおうとする。あ、と思い出したように振り向くと駒を一つ取り、「ほい、詰み」と宣言して玄関へ向かっていった。
その老人の後ろ姿と盤面の状況を交互に確認して少女はうなり声をあげていた。
「狸ジジイめー」
盤面が完全に詰んでいることを理解した少女は老人の背を睨みつけて恨み言を吐く。
そんな昼下がり。元吸血鬼ハンター『ハンス・ヴァーピット』と半吸血鬼『ココウィル』の和やかな日常の1コマ。
届けられた2つの手紙が彼らを再び死地へと誘う。
対応したハンスに手渡されたものは2つの手紙だった。その一方、手触りの良い羊皮紙の封筒とそれの古めかしい封蝋を見てハンスは目を細めた。逡巡し、郵便局員に礼を言うと家の中に入りココウィルの元へと戻っていく。
ハンスが戻るといつもの陽気な態度に戻ったココウィルが待っていた。いつの間にかチェス盤も片付けられている。
「手紙?」
「ああ、送り主を見るのが億劫じゃな。この年になると知り合いが死んで訃報合戦じゃからな」
「哀しい話ね」
2つある封筒の内、白い紙の封筒を手に取り、ハンスはそう言ったが本心ではない。億劫なのは事実であるが、知り合いが亡くなることが気が重くなる最大の要因ではない。問題は羊皮紙の封筒の差出人についてである。このような羊皮紙などを封筒に使う輩にも、印象的な文様の封蝋にも心当たりがある。
無意識に後回しにしてしまったのは無理もないことなのだ。
ココウィルに老眼鏡を取ってもらい。白い封筒を確認すれば警察からの協力要請であった。
「『骨抜き事件』その犯人人間に非ず。故に、貴君に捜査協力及び討伐を要請する、だそうだ」
「その年で刑務所に入るのは大変だと思ったけど。それよりもっと大変そうね」
「なんでワシが逮捕される体で話しとるんじゃ」
椅子にドカッと腰を下ろしたハンスは大きく息を吐いた。
『骨抜き事件』は最近巷を騒がせている怪奇事件のことである。発見された死体はすべて骨が抜き取られており、先日6人目の犠牲者が出たが警察ではその異常な手口も相まって容疑者の特定すら進んでいないのが現状である。市民は警察に対する不信感を募らせており、警察も対策を講じてはいるが何の成果も得られていない。
その状況で送られてきた要請状がこれである。その裏に込められた意図が読めないハンスではない。
「ハンスに要請が来たってことは『骨抜き事件』の犯人は人間じゃなかったってこと?」
「らしいの。なんでも人の骨を食べる化け物らしい」
「へー、吸血鬼以外にも化け物っていたんだ。私、半分『吸血鬼』だけど知らなかったわ」
「まあの」
ハンスは曖昧に呟くともう一方の手紙に目を向ける。その視線に気づいたココウィルは興味深そうににじり寄る。
「そういえばもう1通手紙があったわよね。なんか高級そうな封筒だけど」
「ああそれはな」
ココウィルが手に取って繁々と眺めている手紙を受け取ると、今度はしっかりと差出人を確認する。そこには『カイン』とだけ淡白に記してあった。その名を見るとハンスは困惑気味に、しかしどこか懐かしそうな顔をする。
「古い馴染みからの手紙じゃよ」
そう言ってハンスは封蝋をはがし、なかの便箋を取り出した。
―拝啓 陽光の候、相も変わらずご健勝のことと御慶び申し上げます。
―さて挨拶もそこそこに本題に入らせていただきます。
―サンサロド市内にて『骨抜き事件』なるものが起こっているようですね。
―手口から見て常人の仕業ではないことは明らかです。
―犯人の正体が獣であるとは考えにくいですが、人間以外の化け物が人を害している以上、早急に対処する必要があります。
―近々そちらに伺いますので、それまでに『骨抜き事件』の詳細を調べていただけると助かります。
―老いてなお、お盛んなハンス殿のことですから、あなたの愛する街に化け物がいると知ったならば放っては置けないことでしょう。
―またお会いできる日を楽しみにしております。
― 敬具
― 獣狩りの狩人『カイン』
手紙を読み終えるとハンスは天を仰いだ。慇懃無礼な内容もさることながら、こちらの現状を見透かしたような内容に久しく感じていなかった頭痛を覚える。
「ハンスどうしたの?」
「いや、10年近く経っても変わらんもんじゃと思っておっただけじゃ」
「それで、なんだって?」
「いや、奴も近々ここに来るそうだ。それまでに『骨抜き事件』について調べておくように言われただけじゃ」
「へー、なんだかモテモテね」
「茶化すんじゃないわい」
ハンスは便箋をテーブルにそっと置いて立ち上がり、壁に掛けてあったコートを乱暴に羽織る。
「行くの?」
「ああ」
手紙を読んだ時からハンスは心の内でふつふつと燃え滾るものを感じていた。愛する者がいる街を、自分自身が生きてきた街を化け物どもが脅かしている事実に憤りを感じていた。すでにこの身は第一線から退いた老兵でしかないことはハンスがよくわかっている。それでもなお、この街のためにできることがあるのなら、最後の仕事をしようと決心していた。狩人からの手紙にあった『老いてなお、お盛んなハンス殿のことですから、あなたの愛する街に化け物がいると知ったならば放っては置けないことでしょう』という一文を思い出し、何もかもお見通しかと嘆息する。
物忘れが激しくなろうが、耳が遠くなろうが、目が衰えようが、精神の在り方は変わらない。50年住んだこの街に最後の奉公をしよう。ならば、納屋で埃をかぶった武器を磨き上げよう。弁護士を呼んで遺書をしたためよう。自身が命を落とすことで国からこの街に支援が来るというならば喜んでこの身を捧げよう。
かつて吸血鬼ハンターであった男は再びその肢体に熱い血を滾らせて陽光の元へと躍り出た。
これは元吸血鬼ハンター『ハンス・ヴァーピット』と獣狩りの狩人『カイン』の化け物退治の物語。その序章の一幕である。