銀狼Bloodborne   作:Cain

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骨を喰む者

警察に出頭し、署内にて説明を受けたハンスは新米刑事『アナ・ブライト』と共に事件現場に赴いていた。署内でも最も若い女性刑事であるアナは興味深そうにハンスの背を見つめていた。

ハンス・ヴァーピットといえば『銀狼』の異名を持つ吸血鬼殺しの英雄である。アナからしてみれば生まれた時には既に吸血鬼は絶滅しており、吸血鬼殺しの英雄と言われてもいまひとつピンとこない。加えて目の前にいるハンスは齢70を迎えた好々爺にしか見えない。年の差を感じさせないほど親しみやすくはあるが、人外の化け物を殺し尽くした人物とは正直信じがたいものがある。そんな内心は隠したままアナはハンスを現場へと案内する。

現場は住宅地の一室で6人目の被害者の遺体が見つかった場所である。その場にはまだむせる程の死臭が漂っており、持ち前の溌剌さを引っ込めて顔を青ざめている。

ハンスはその横を平然と通り過ぎ、ベッドに近寄った。

「ここが6人目の殺害現場です。これが発見当時の写真になります」

「本当に骨を抜かれてぐちゃぐちゃじゃな。人間では道具を使っても無理な仕業じゃ」

肉の断面も鋭利な刃物で切りつけたような創傷は一切なく、無理やり引きちぎられたような離れ方をしている。人間以上の膂力を持った存在でなくてはこのような犯行は不可能であろう。

不意に友人の狩人の顔が脳裏によぎる。『獣』の仕業であろうか。いや、そうではないのだろう。『獣』は血に酔い、智慧をなくした怪物だと聞く。『獣』はこの様に血肉を残して行かないだろう。

ふと、ハンスの視界に白い物体が写った。その白い物体をつまみあげて見ると、それは人間の歯だった。しかも割れている。

「それは歯ですか?」

「ああ、そうじゃ。歯は人体で最も硬い骨じゃ。数十年以上の使用に耐える。硬度でいえば鉄以上で、これを砕くとなると生半な顎の力では不可能じゃな」

「…犯人は歯を含む人骨全てを喰らっていると予想されています。半月以上捜査していますが、被害者の人骨は現場の食べ残しとみられるもの以外全く見つかっていません。また、犯人は被害者を人気のないところまで誘い出して犯行に及んでいる様ですから、人並み以上の知性を持っているか、もしくは精神を操る技術に長けているとの予想もされています」

ハンスは頭の中で情報を整理する。人間の仕業ではないが、人間を人気のない現場に誘導できるということは化け物自体が人型を模している可能性が高い。人類の敵であった吸血鬼は既に絶滅しており、手口も吸血鬼のやり方とは違う。個体差はあれど吸血鬼は夜の貴族としての誇りを持っている。この様に食べ残しを放置したりしないし、何より彼らは血を吸う鬼なのだ。骨を食ったりはしない。

吸血鬼ハンターとして何十年も戦ってきたハンスであるが、吸血鬼以外の怪物と戦った経験は一度しかない。獣狩りの狩人が『獣』と呼ぶ人外の化け物を2人で狩った時のみである。理性のない『獣』では今回の犯行はできず、もっと夥しい数の血が流れる事態になっていたことだろう。

こんな時ハンスは友人の智慧が欲しくなる。吸血鬼専門であったハンスと異なり、獣狩りの狩人であるカインは怪異殺しのスペシャリストである。彼ならば今回の犯人の正体も分かるのではないかという期待と、自身への不甲斐なさが募っていく。

「うわぁあああああ!」

突如、アナの叫び声が室内にこだまする。その悲鳴に気づいたハンスはアナに振り向き、その右肩に食らいつく異形を目にした。総入れ歯を上下に重ねた様なその物体が食い込みどくどくと血が流れている。

ソレを目にしたハンスの反応は早かった。懐から銃を取り出すとソレに向けて引き金を引いた。

銃弾は見事命中したが、異形にはカケラも傷ついていない。

「銃が効かんのか⁉︎ ならば!」

銃が効かないとすぐに判断したハンスは歯型の隙間に銃身をねじ込み、テコの原理でその異形をアナから引き剥がした。そして引き剥がして宙に浮いたソレを思い切り壁に蹴りつけた。壁と共に砕かれた歯型の異形はそれきり動かなくなった。

「大丈夫か⁉︎」

「へ、平気です。しかし、今のは一体」

アナはそう呟くと床にへたり込む。突然噛み付いてきた異形と常人離れした老人の動きを思い出す。その姿はまさしく吸血鬼殺しの英雄と呼べるものであった。速く、無駄のない足さばき。そこから繰り出される強烈な蹴り。何一つとってもアナには真似することのできない芸当である。

もう一度目の前の老人を見上げる。腰に手を当て、深いため息と共に銃をしまい込む姿は初対面の時の好々爺然としたものであったが、アナはもうその姿で侮ったりはしない。することができない。吸血鬼殺しの英雄で『銀狼』ハンス・ヴァーピットの姿が目に焼き付いて離れないのだ。齢70にしてなおハンス・ヴァーピットは英雄なのだ。

ハンスは自らが踏み砕いた異形の残骸をじっと見つめている。何やら難しそうな顔つきでぶつぶつと独り言をつぶやいている。アナはその言葉を拾うことができずに、ハンスの尋常ではない表情から、心配になって声をかける。

「ハンスさん。一体どうしたんですか?」

「いや、予想以上に厄介なことになっている様じゃと考えておった。あいつが首を突っ込んで来るようなことじゃからロクなことにはならんと思っておったが、こんな化け物想定外じゃ」

「…あいつ、って誰のことです?」

「ああ、言っとらんかったかの。獣狩りの狩人がこの事件の調査にやって来るらしくての」

「獣狩りの狩人ですか? あの御伽噺の?」

「若いモンにはそっちの方が馴染み深いか。まあ、間違ってはおらんのだがな」

ハンスはアナと会話しながら異形の残骸を観察する。この個体は恐らく本体から産み落とされた一部に過ぎない。にも関わらず、銃弾を弾き、人間の五体を噛み砕く咬合力も持ち合わせている。一部でこの脅威であるのだから、本体が真に悪意を住民に振りまくようになれば、被害者は6人だけで済まなくなるのは自明の理だ。

「のう、アナ君。今の警察の調査状況を教えて欲しい」

「は、はい。市内全域に警察官を配備し検問を行なっています。不審人物がいればその場で拘束出来るように武装もしています」

「人間や畜生が相手なら問題ない対策じゃが、人間でない化け物をどうやって拘束する? これはあくまで一部に過ぎん。本体はもっと強力で、銃なんぞ歯も立たないじゃろう。正直舐めておった」

「ッ⁉︎ そんな!」

「一度本部に戻るぞ。対策を立て直さねばなるまい」

「は、はい!」

拳を握りしめて部屋を出ていくハンスの背中を追いかける。アナはその背中を非常に頼もしいと思っていた。この人ならばこの事件を解決できる。信頼を胸に秘め、路地に躍り出た頃には、斜陽が深い影を伸ばしていた。

 

馬車を捕まえて行き先告げ、運賃を支払うとハンス達は中に乗り込んだ。アナの右肩には応急手当を施してあり、出血はもうすでに収まっている。アナは平気だと言っていたが、嫁入り前の女子の身体に怪物の噛み傷が残ってしまうことにハンスは人知れず罪悪感を抱えていた。

そんなハンスの心情を知ってか知らずかアナは沈痛な面持ちでハンスに尋ねる。

「まさか本当に『骨抜き事件』の犯人が人間じゃなかったなんて。私達は本当にこの街を守れるんでしょうか?」

「…ワシも不安に感じ取るところじゃ」

「えぇ⁉︎」

全幅の信頼を寄せていたハンスからの思わぬ弱気な発言に頓狂な声を上げてしまう。そんなアナの態度を見て、ハンスはくつくつと笑うと「冗談じゃ」と返した。不安を感じているのは事実ではあったが、アナの前では気丈に振る舞わねばなるまいと後ろ向きな考えを押し殺して努めて陽気に見えるよう笑ってみせた。

「まあ、あれだ。警察署に着くまで年寄りの昔話に付き合ってくれ」

不安でいっぱいだった表情から一転し興味津々な顔で頷くアナの姿を見てハンスはゆっくりと語り出した。

「半世紀前、ワシはこの街にやってきた。当時のサンサロドは寂れた港町で寄港する船も鉄道も今よりもっと少なかった。そしてこの街でいまは亡き妻と出会ったんじゃ。当時のワシは随分と荒んでおっての。妻と出会わなければ犯罪者にでもなって臭い飯を食う羽目になっていたか、ジジイになる前にぽっくり死んでいたかじゃろう」

「そんなにですか⁉︎ 今の姿からは想像もつかないですけど」

「『死ね!』と『ぶっ殺す!』しか喋らないクソガキじゃったからのう」

「…奥さんに出会えてよかったですね」

「まさしくその通りじゃよ。

こんなワシを受け入れてくれた。妻に会えたこの街が、妻や共と生きてきたこの街がワシは大好きなんじゃ。じゃからこの街の平和を脅かす化け物は必ず倒す。たとえこの老いぼれの命にかえてもな。それが化け物退治しか能がないワシにできる唯一の恩返しじゃから」

「私も手伝います! 手伝わせてください! 私もこの街が好きで、この街の平和を守りたくて警察官になったんです」

「ふむ、頼りにしてるよ」

アナはハンスの独白に親近感を覚えると共に自分の覚悟を再認し奮起する。その若い熱量を感じてハンスも満足気に頷いた。

急に馬車が停止する。談笑していた2人も馬車の前方に目を向けると人集りが出来ている様子である。そう丁度、警察署の前である。嫌な予感がした。

ハンスは馬車から飛び降りると一目散に人混みの方、警察署に向かって走り出した。御者は慌ててハンスを呼び止めるが、ハンスは止まらない。アナも御者に礼を言うとハンスの背を追いかけた。

ハンスは無理やり人垣を押し分けて進み、アナはその後ろから警察手帳をかざして通して貰っていく。警察署の扉を乱暴に押しあけると、中は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。夥しい量の血液が床に撒き散らしてあり、所々に人間の五体の一部や内臓が飛び散っていた。生存者はいない。ハンスは一瞬だけ足を止め、周囲を見渡すと、再び駆け出した。彼の後ろにいるアナにはハンスの表情を窺い知ることはできない。この状況を前にして、アナにできることはハンスを追いかけることだけだった。

アナは側にいた同僚に救援要請をするように頼み、ハンスの後を追った。

血の多い方、壁や床の破損が大きな方へと駆けてきたハンスの足が止まる。その数秒後、アナはハンスに追いついた。そしてその隣に立つとハンスの背に隠されていた部屋の光景が視界に入ってくる。部屋の中央には巨大な歯型の化け物とソレに腕を噛まれているドゥネ・エルロン警部がいた。

現実離れした光景に全身の血が冷めていくのを感じる。警察署までの道のりでハンスに語った覚悟に偽りはない。しかし、常軌を逸した恐怖の前にアナの心は完全に折れてしまっていた。

そんなアナの恐怖を吹き飛ばすように一陣の風が吹いた。アナが顔を上げるとハンスが何の迷いもなく怪物に向かって駆けていた。怪物は全長6メートル程の球体に近い形状をしており、口と思われる部分と蜘蛛のように生えた四つ足の先には歯とみられる白い骨が赤く染まっている。それはここまでにあった警官の死体も全てこの化け物の仕業だと言うことを物語っていた。そんな見たことも聞いたこともないような化け物を相手に立ち向かっていけるからこそ、ハンス・ヴァーピットは英雄なのだ。アナはこの場においてようやく、ハンスという男の本質に触れた気がした。

化け物に近づいたハンスは化け物の横腹に強烈な蹴りをお見舞いする。化け物は蹴りを浴びてかち上げられ、喰らっていたドゥネを取りこぼす。その隙にハンスはドゥネを抱えると壁際にそっと落ち着けて、再び怪物と対峙した。その両肩は酸素を求めて大きく上下している。

「こっちじゃ化け物!」

声を張り上げると怪物の意識はハンスに注がれた。その様子を見てアナはハッとする。怪物に気取られぬように背後を回り込み、ドゥネの元へたどり着く。ドゥネの左腕は上腕骨の半ばから噛み切られており、アナはその傷口の断面を清潔な布で覆い、上腕動脈を圧迫することで止血した。ドゥネの表情は失血と創傷による激痛からか蒼白くなっており、冷や汗も止まらないようだった。

「ドゥネ警部! ご無事ですか?」

「アナか。そっちは無事だったか。こっちはまあ、なんとか死に損なったよ」

「私は大丈夫ですが、ハンスさんが!」

ドゥネの応急手当を終えたアナは心配そうな表情で化け物と対峙しているハンスを見やる。序盤こそ先制攻撃からドゥネを奪還したハンスであったが、それ以後は完全に防戦一方であった。息も絶え絶えで今にも化け物の餌食となりそうな気さえある。

しかし、ドゥネは笑みをこぼしながら怪物と英雄の攻防を見つめている。何故そんなに落ち着いていられるのかと尋ねてみたいアナであったが、視線の先のハンスの様子が変わったことで疑問を一度飲み込むことにした。

ハンスは大きく息を吐き出して呼吸を整えると、飛びかかってきた怪物の攻撃を今までよりも遅く、なおかつ無駄のない範囲で避け始める。

「昔と同じように動こうとするから、身体に無理が来て息つく暇もなかったが、お前の速さはもう見切った。お前の動きはこの老いぼれのワシよりも鈍い」

今までは避けることがやっとという状態であったが、今では必要最低限の動きで回避し、それに合わせてカウンターで攻撃している。

「すごい」

アナの感嘆の言葉は化け物の飛び跳ねる音や四肢で床を砕く音、壁に噛み付く音でかき消されていく。ドゥネは聞こえずともその表情から感情を読み取り、自慢げな顔をする。

「これがお前が生まれる何十年も前から化け物どもと戦って来た男の姿だ。そして、その本気はまだ見せちゃいない。英雄の戦いをよーく見ておくんだな」

有効打のない攻防にハンスが焦れ始めた頃、血腥い戦場に相応しくない少女の姿が現れた。その背には身の丈以上の木箱が掛けられている。

「ハンス!」

「ココウィル、遅かったの」

「ハンスが何処に仕舞ったか忘れるのがいけないんじゃない。おかげで私家中を探し回る羽目になったんだから」

「それはすまんかったの」

ハンスは化け物の動きを警戒しながら木箱を受け取る。その瞬間、化け物は2人目掛けて飛びかかる。その動きを読んでいたかのように飛び退くと、ハンスは木箱の中から鈍色に輝く巨大な戦鎚を取り出した。

銀合金製の特大の金槌を手に取ったハンスは2度、3度、感触を確かめるように素振りをすると腰を低くして構え直す。

「重いな。まさか40年も共にして来た相棒を重いと感じる日が来るとはな」

ハンスは日々目を覚ますたびに自分自身の身体の衰えを感じていた。明確に動けなくなるわけではないが、確かに、そして明らかに忍び寄る死の気配を感じ取っていた。十年ぶりに握りしめた戦鎚の重みを得て自身がどれほど衰えているのかを実感した。

しかし、だからどうしたというのだろうか。四肢は枯れ細り、頬は痩せ、髪も闇に映える白髪頭になった。戦鎚を握る拳も、担ぐ肩も、支える腰も、踏みしめる脚も、そのどれもが劣化した。現役だった10年前、ましては全盛期であった数十年前と比べれば惨めなほどの退化だ。老いれば衰え、やがて朽ち果てる。それが人間の在り方だ。だからこそ、これで良いのだ。

ハンスに向かって怪物が再び飛びかかる。今度は飛び退くのではなく、逆に前に躍り出た。懐に潜り込みながらギリギリで回避したハンスは戦鎚を大きく振りかぶり、遠心力と戦鎚そのものの重量に老人離れした膂力で持って怪物目掛けて振り下ろした。その一撃は怪物の歯を砕き、口と思われる部分を完全に破壊した。ハンスが戦鎚を担ぎ直すと、怪物は活動を停止した。

「倒したん、ですか?」

「どうじゃろうな。動かなくはなったが、死んだのかはわからん。そもそもコレがどうやって動いてるかも皆目見当がつかんのじゃ」

おそらくこの個体も本体ではなく、事件現場に現れた化け物と同じもの。大きいか小さいかの違いでしかない。ハンスは動かなくなった怪物を警戒しながら2人の元へ近寄る。

「無事かドゥネ」

「面目ねえなジイさん。こんなことになっちまってよ」

「お前が生きていてくれただけでも良かった。もう…、いやなんでもない」

ハンスはドゥネの声を聞いて漸く肩の力が抜けていくのを感じた。この世に生を受けて70年ともなると見送って来た人の数も多くなってくる。ハンスより年配の者も若年の者も多くの人間を彼は見送って来た。その度にハンスはやるせない気分になる。戦場で真っ先に死ぬはずだった者が長々と余生を過ごし、その横を生き急いだ若者が駆け抜けていく。

しかし、ハンスの安堵を嘲笑うかのように場違いな拍手の音が室内に響き渡った。くぐもった鈍い音であるのにやけに響くその音はドゥネの喉の奥から聞こえて来る。

「うぁ…、がぁ」

「ドゥネ警部⁉︎」

途端に苦しみ出したドゥネを心配し、駆け寄るアナをドゥネは残った右手で突き飛ばす。

「はぁ、はぁ。近づくんじゃねえぞ。今の俺は何かおかしい」

『特等席で見た甲斐があったよ。ハンス・ヴァーピット、実に面白い出し物だった』

ドゥネの口からドゥネではないものの声がする。

ドゥネは喉を強く押さえ、口角から血液混じりの涎を撒き散らす。

突き飛ばされたアナはそれを呆然と見上げる。

ハンスは歯を食いしばり、相棒の戦鎚を握り直した。ハンスの額を汗が滴り落ちる。

次の瞬間、ドゥネの口から成人男性の腕が飛び出した。ギチギチと肉を引き裂く音を立てながら、1人の男が這い出て来た。白い髪に白い肌、そして白い歯が特徴的なその男は、人間の体を引き裂いて現れたというのに真白な装いをカケラも汚してはいなかった。

「トゥース! お口の中からこんにちは!」

場違いなほど陽気な優男は虫も殺さないような笑顔で、自分が何をしたかも感じさせないような笑顔で、街中ですれ違った知人に声をかけるかのように挨拶する。

「初めまして、ハンス・ヴァーピット。元吸血鬼ハンターの君のことは以前からよく知っていたよ。だからこうして合いに来たわけなん」

ハンスは問答無用で青年に殴りかかった。この男が『骨抜き事件』の犯人であることは間違いない。ならば殺す。市民を、警官を、そしてドゥネを傷つけた怪物を生かしておく道理はない。しかし、その迷いなき一撃は涼しい顔で避けられてしまう。

一撃で足りぬなら二撃で、それでも足りぬならば殺すに足るまで振るうだけ。ハンスは二度三度と戦鎚を振る。その度に戦鎚は音を立てて青年へと迫る。しかし、ハンスの戦鎚が青年の身体を捉えることはなかった。表情を変えずにハンスの猛攻を捌いている青年は、ちらりと視線を外す。その先にはアナが倒れ伏したまま、呆然と2人の攻防を見つめていた。

青年はおもむろにハンスを蹴り飛ばす。ハンスも蹴りに反応して戦鎚で防御をするが、堪らず後方に弾き飛ばされてしまう。それでも体勢を崩さないのは流石といったところか。

「はいはーい。ちゅーもーく」

ハンスを蹴り飛ばした青年はアナの喉元に手をかけていた。そしてアナの頭部に顔を近づけると大きく口を開けた。その口は化け物と同じもので、顔だったところは今や大きな口が付いているだけである。

「貴様ッ!」

「そう怖い顔しないでよ。こうでもしないとキミはこっちの話を聞いてくれないでしょ? 聞かないっていうならこの子の頭蓋を頂くだけだけど」

ハンスは歯軋りを立てながら青年を睨みつける。それを向けられた青年は平静を崩さず、むしろ楽しそうに笑みをこぼしている。

その間にココウィルは青年の背後から忍び寄る。

「そこの半吸血鬼のお嬢さんも人質を殺したくなければ近寄らないほうがいい」

ココウィルは青年の言葉にピタリと足を止めた。気配を気取られたこと以上に自分が半吸血鬼だと知っていることに驚きを持って応える。この街でココウィルが半吸血鬼だと知っているのはハンスのみである。

青年はココウィルのしかめ面を見て満足気に笑う。

「貴様は一体何者じゃ⁉︎ 何が目的なんじゃ⁉︎」

「僕が何者かだって? 吸血鬼は血を啜り、人間は肉を食らう。そして僕は骨を貪り、咀嚼する者。噛んで、噛んで、砕いて、噛んで、口の中でかき混ぜて、混沌を味わう。人間が溢れるこの世は玩具とご馳走の宝石箱。僕はその楽園で遊ぶ者。『グリム』それが僕の名だ。覚えてくれたまえよ。

キミを再び戦場へ引きずり出すことが目的の1つだったのさ。だから『骨抜き事件』を起こし、警察署の襲撃まで企てた。かつて最強の吸血鬼殺しと呼ばれた伝説の『銀狼』の今を知るためにね」

グリムは唐突にアナを抱え上げると、ハンスに向かって投げつけた。ハンスは咄嗟に受け止めるが、その隙にグリムが飛びかかる。先程仕留めた歯型の化け物以上に速度で動くグリムの動きにハンスはついていけなくなる。躱すことができず、辛くも戦鎚で防御をするが、勢いを殺すことが出来ず、壁に衝突してしまう。堪えきれず膝から崩れ落ちる。

「予想通りとはいえ、正直失望したよ。かつての非情さを忘れ、牙は抜け落ちて、身体は錆びついている。そんなんじゃ、この街は守れないぞ」

失望したと言いながらその表情には笑みを浮かべている。グリムは倒れ伏すハンスに一歩ずつゆっくりと近づいていく。

「このまま殺すのは赤子を縊り殺すより容易だけど、僕が欲しいのはそんなんじゃない。僕が欲しいのは『最高のハンス・ヴァーピット』だ。だからこれはほんの気持ちばかりのプレゼントさ」

グリムは小型の怪物を生み出すと、それをハンスの心臓に突っ込んだ。

「ぐぉ、がぁ…!」

「これは楔のようなものだ。僕とキミを繋ぐね。これでキミは逃げることも隠れることもできなくなった。僕を殺さない限りはね。

だから全身全霊で抗って、戦って、僕の予想と想像を超えてくれることを願っているよ」

ハンスの胸から腕を引き抜いたグリムは少し後ろに下がると自分の歯を引き抜くと掌で捏ねくり回し始めた。数秒後白かった歯は黒い塊となり、警察署を襲撃した大きさの怪物になった。

「じゃあ、次会うときはもっと楽しませてくれよ」

「いいや、次はない。ここが貴様の終焉だ」

グリムが化け物に飛び乗り、この場を立ち去ろうとしたまさにそのときである。グリムの胸から人間の右手が飛び出していた。

グリムの背後には1人のヒトがいた。特徴的な帽子を被り、口元はマスクで覆い、月夜の下で黒衣のコートを靡かせて『獣狩りの狩人』がそこにいた。

「まさかキミがここにいるなんて、少し誤算だったな」

「そのまま地獄に落ちるといい」

「悪いけどそうはいかないね」

グリムは突っ込まれた腕を咀嚼するために胸の周囲に口を開ける。その変化に気づいた狩人は素早く腕を引き抜くと腰に下げていたノコギリ鉈でグリムを引き裂いた。グリムは堪らず後退するが、狩人がそれを許すはずもなく、瞬間移動にも似た加速により距離を詰める。

しかし、その背後で3体の歯型の怪物が出現した。背後からの襲撃に警戒したが、背後の怪物は狩人ではなく、ハンス達の方へ向かっていく。

「このまま放っておいていいのかい? このままじゃあ彼らが死ぬよ」

「チッ!」

狩人はグリムを警戒しながら背後の怪物へと近寄る。その間にグリムは壁の崩れたところから外へと抜け出していた。

振り返ると3体の怪物がそれぞれ違う3人の元へと迫っていた。狩人は距離が最も近く、戦闘力が低いアナの元へと駆け出した。アナと怪物の間に入るとノコギリ鉈を怪物の口元目掛けて切りつけた。

深々と切り裂いたノコギリ鉈を変形させて引き抜くと、次はハンスの元へ近づいた。今にもハンスへ白い歯を突き立てようというところに、狩人は変形させて伸ばしたノコギリ鉈を背後から思い切り叩きつける。その衝撃によって怪物は体勢を崩し、その隙に狩人は怪物の傷口に腕を押し込み、腕の力で傷口をこじ開けた。

最後の1体に追い回されているココウィルはあっという間に怪物を仕留めた狩人の動きに目を奪われていた。闇と同化し鮮やかに怪物を狩る姿に圧倒されていた。

2体の怪物を狩った狩人はゆっくりとココウィルの元へと歩み寄る。狩人が近寄るに連れて怪物が後退していく。

「無事か?」

「ええと、うん、大丈夫よ」

「そうか。すぐに終わる」

狩人は後退した怪物に向けて左手に持った銃を構える。見栄えを重視した装飾の多い拳銃は月光を浴びて淡く輝いているように見える。

拳銃はあの化け物に通用しない。ココウィルはそのことを狩人に伝えようとするが、その前に乾いた音を立てて銃弾が撃ち出された。

撃ち出された銃弾は怪物の外殻に弾かれることなく、見事風穴を開けてみせた。

3体の怪物が動きを止めたのを確認すると、狩人はグリムが逃げた崩れた壁を見つめる。警察署の崩れた壁の向こうには月光が微かに笑っていた。

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