回生のライネル~The blessed wild~   作:O-SUM

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○前回のあらすじ

ライネル♂「いっけなーい!遅刻遅刻☆」


1章 白髪のライネル
獣の晩餐と不穏な影


 「ング、なかなかの味だな。君の目もそれなりに肥えたようで何より。どこの獣か……いや、当ててやろう。この脂のノリと引き締まった肉質。北の海沿いに広がる高台の森といったところかな?」

 

 受け取った右脚を早々に片付け、そのまま左脚に取り掛かり始めた彼が、肉の産地についても鋭いらしい賢者の目利きを披露している。正しくその場所にいた二本槍の獣はどうやら彼の御眼鏡に叶ったらしく、得意げな鼻息から察するに機嫌も持ち直してくれたようだった。

 勇壮な角に相応しい活躍をしてくれた今夜の肉には、感謝すら捧げたい気分だ。

 

 その肉だが、彼に譲った部位を除いても、その身にはまだまだ美味な箇所が多い。特に今噛み千切った部位は、俺が最も好むものだ。

 柔らかく、脂肪も少ないその部位。野山を駆ける獣の中にあって、最も運動しない箇所といったところか。肉が持つ独特のコクが薄く、歯応えも乏しいため、一族の者でもこの肉を好まない者は多く、中でもそれは若い世代に顕著だった。

 

 しかし、それは未熟者故の無知というものだろう。少しの工夫を施すだけで、この肉は極上の旨みを発揮するということを、少なくとも彼と俺は知っている。師がこの肉を好まないのは、単に年を経て味覚が変わったからに過ぎない。

 噛み締めた歯を剥き出しにしたまま、腹の奥からそっと火炎を吐き出す。舌の上に乗せた肉を消し炭にしてしまわない程度の熱量で短時間の炙り。表面を焼き固めたらすぐさま裏返すのがコツだ。

 口内を踊る肉が、焼けた特上の脂を舌の上へ慎ましやかに垂らし出すのが伝わってくる。蒸発した血が鼻から抜けて鼻孔をくすぐるのは、ある種の爽快さすら感じられた。

 思わず我慢できずに歯を立ててしまいそうになるが、ここは抑えなければならない。まもなく訪れることが約束された極上の味を損なうことは許されないのだ。速やかに、けれど慎重に表面を炙ってゆく。

 舌触りによって両面の焼きが回ったことを確認できれば完了だ。刺激される食欲のままに舌の上から歯の間へと肉を運び、咀嚼する。

 

 すると、どうだ。

 炙られたことで血を失い、熱によって風味や旨みが格段に増した肉は、多少の手間を掛けても釣りがくる味わいと言って相応しい代物となっていた。

 熱された肉は生の状態と比べれば遙かに脆く、油断すれば舌の上で溶けてしまった気になって、思わず飲み込んでしまいかねない柔らかさ。貪ろうと上下する顎の速度は速くなってゆくが、そうなる身体を抑えることはできなかったし、我慢を終えた今ではそうしようとする気持ちにもならない。

 

 こうして手間を掛けて肉を味わうようになって以来、あまり積極的には行っていないものの、この旨さを知らぬ前まではそうしてきたような生食が嫌いというわけではない。火を通すことによって失われた気になる、獲物の生命を直接取り込んでいる気分にさせてくれる獲物の踊り食いは、野生を生きる者としてそれはそれで好ましいモノだからだ。

 そして肉を焼くだけの行為であれば、その辺りにいる子鬼達ですら楽しんでいるモノでもある。魔物の中でも最上位の武と智を合わせた存在である我らが、ただ生で肉を貪ったり、焼いて終わりでは詰まらないではないか。

 火を加える調理法は、その過程によって肉の味を千差万別に変えてくる。焼きが過ぎれば肉は縮んで硬くなる上に旨みすら失ってしまったりする等の失敗もあるが、穀物や水分を含んだ材料と合わせて創意工夫の末に新しい味覚を開くのは、知的好奇心を刺激されて中々に心地よい。

 

 次はどの部位に手を付けるかと考えつつ口内の肉を全て嚥下し終えた後、ふと静かになっていた隣人を見やる。すると先程までじっくりと焼き続けていた心臓の肉を、ようやく口内より取り出していたかと思えば、どこからともなく摘まみ上げていた小ビンから、赤々とした粉をまぶしている彼の姿が目に映った。

 ただの岩塩ではない。彼曰く、【火の山】に住まう種族の荷物よりヒントを得たという『香辛粉』というモノらしい。何でも、ガツンとした辛さが素材の旨さを引き出していた調味料であったらしく、それを再現した代物が目の前のそれだという。

 粉によって味付けされた焼肉が、次々と口に放り込まれている彼の肌が、適度に発汗していることがここからでも分かる。そしてそれが決して体調を悪くしてのことではないことは、彼の表情を見るに明らかだろう。

 

 全く交流のない種族の知恵ですら、わずかな切っ掛けから取り込んでみせるとは、流石は当代一の賢者と称えるべきか。

 ……だが同時に、大事な話をすると告げられたはずの会合の場に、なぜ調味料を持ち込んでいたのかと思わなくもない。

 

 以前訪れた際、目上に対して手土産を持参しないことに苦言を零していた時。その香辛粉は既に懐にあったのだろうか。 

 もし仮に手土産を持たず、けれど遅刻せずにこの場に赴いていたならば、それでも彼は笑って話を始めてくれたのかは、今となっては確かめようがないことではある。

 しかし現状、小ビンに入った香辛粉を俺の目の前に置いたまま、見せつけるように肉を頬張る彼を見る目が、段々白けたものになっていくことを自覚せずにはいられなかった。

 

 

 そんな、まるで調理の技を煽られているようなコチラにあるのは、道中で見繕った岩塩のみ。

 極上の肉を味わうには塩こそが至高であると思っている俺ではあるが、未知の味を試さぬままでは、それは無知からくる戯言だと言われかねない。

 

 (その叡智、この弟子にもご教授頂くわけにはいかないだろうか…… )

 

 皮を丁寧に取り除いた脇腹の肉を片手に、俺は師匠の食事が一段落する時を待つのであった。

 

 

   *   *   *

 

 

 いくらか肉の譲歩を許したものの、結果的に塩が最も優れた味付けであると確信が得られた有意義な食事が終わり、骨だけとなった獣の残骸を囲んでいた俺達。

 食後まず最初に行ったことは、彼に対して塩が如何に香辛粉より優れた調味料であるかを力説することではない。俺が今回の大陸中央寄りの地域への潜入によって得られた、詳細な視察結果の報告であった。

 

 これは、そもそも俺が各地方へ旅をしていたことに端を発する。

 見知らぬ土地への旅をすることになった切っ掛けは、かつてほど世界各地を旅することが無くなった彼に変わり、その見聞を広げる手伝いをしようと思った孝行心が始まりだったが、縄張りに留まっているだけでは得られない経験が面白く、今では自らにとっても大切なライフワークとなっていた。

 もちろん俺にとって伝聞でしか知らない未知でも、彼にとっては触れたことのある既知である場所は多い。だから俺は異郷で遭遇した土地の風景や出来事を、自分の主観からの感想や思いを交えた話題として話し、聞き手の彼は知識や薀蓄(うんちく)を添えた相槌を打つ。

 

 その場所の事なら知ってる、そいつらの生態だって調べたことがあるなどと、既知の話題には愚痴めいた言葉で返すことが多かった彼も、決して迷惑だと口にしたことは無かった。

 そんな彼が会話の最中にふと、ひどく穏やかな眼をする時がある。当時のその地での思い出を懐かしんででもいるのか、常に厳粛な雰囲気を湛えている師のその眼差しはいつも優しく新鮮で。その都度俺はそこへ訪れて良かったと満足したり、まだ行っていない師の昔話に出てきた地名は何があったかと、当初の目的を忘れて思いを馳せていたりしたのだ。

 

 俺の旅とはそんな、師弟による何でもない酒の肴の一つに過ぎなかった。

 

 

 

 だが今回は違う。

 

 大陸中央とは、魔物の勢力圏とは言い辛い場所であった。

 

 

 そもそも大陸には我々魔物とは異なる種族が多数存在しており、中には他のいくつかの協力関係にある近似種族達と結び、自らの生活圏から魔物達を排除することを躊躇わない種族もいる。

 小コミュニティでまとまり、その集団ごとに独立している魔物と異なり、大規模な『国』と呼ばれるシステムを築くことで最大勢力となって君臨している種族、"人"が最も多く生活している土地。それが大陸中央という場所なのだ。

 

 奴らは魔物と比べ総じて知能が高く、その知恵を活かした戦略と戦術を駆使して立ち回るため、子鬼のような一般的な魔物では歯が立たない。

 そして知恵しか取り柄が無いかと言えばそうでもなく、強力な武具に身を包み、戦闘においても優秀な個体は存在しており、その武力は時に我々一族であっても警戒しなければならない場合だってあるほどだ。

 かつてまだ勇者の称号を師より引き継ぐ前の頃ではあるが、黒い大剣を持って挑みかかってきた耳長の男との戦闘は、過去最も死を意識した経験であったと言っていいだろう。

 

 そのような存在がもしかすると、集団でひしめいているかもしれない場所へ戦闘力はともかく、隠密行動には一切向いてない俺が赴かせた理由。

 それは、戦闘力に優れた者でなければ、今の大陸中央から生きて戻ることは難しいのではないか、と考えられたからであった。

 

 "中央の情報を持ち帰る"

 それを実行するためだけに【ライネル】の俺が彼に頼まれた。

 

 旅先の指定をされたのは今回が初めてだったし、求められるのが物見遊山ではなく斥候としての立ち回りである。もちろんこの時、一族自体は常のように各地へバラバラに散ったままであり、特別ヤツらと戦を起こしているわけでもなかった。

 

 しかし、何故わざわざ俺が、と不思議に思ったりはしなかった。それだけ中央は危険地帯なのだと直感できたし、今その危険地帯に俺を行かせることこそが必要なのだと、彼が考えていることを理解したためだ。

 

 「魔物の頂点に君臨する【ライネル】よ。君は世界の動きを正しく認識しておかなければならない」とは、その時告げられた彼の言葉である。

 

 いくつかのやり取りを経て間もなく中央地方に向かった俺は、まず戦闘を行わず、出来るだけ目立たない行動を心掛けた。理由は我々の一族が人にとって、特に危険視された魔物である可能性が高いからだ。

 不意の遭遇戦を除いて我々と戦う際、連中は鍛え上げられた戦士のみによって構成された部隊を寄越し、常に多対一を強いるような戦術を仕掛けてきた。

 対策を練り、不意を打ち、集団で襲い掛かる。こちらが返り討ちにして屠った人の数は膨大なものだが、人の手によって討ち取られたらしい身内の数も、決して多くないが存在している。

 

 目撃されれば、ヤツらの国はその姿から俺を一族に連なる存在だと看破し、立ちどころに選りすぐった強者を送り込んでくることが予想される。

獣王の勇者としては受けて立つべきかもしれないが、発見されてしまっては情報の収集というそもそもの目的の達成が難しくなってしまう。

 力を振るいたい強者の欲を抑えて均された道を避け、森を走り、山を越え、ヤツらの国を静かに目指すことに徹した。

 

 

 そしてようやく辿り着いた国中枢の建造物の近く。

 伏せた森の中から、俺は信じ難く異様な光景を目の当たりにした――。

 

 




うっかり食事風景込みで1万字超えてしまったので、蛇足の晩餐風景をカット。
それでも長かったので、前後編にこの話を分けました。

美味しそうな食事の表現って難しいですね。


※子鬼の魔物=ボコブリン


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