回生のライネル~The blessed wild~   作:O-SUM

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○前回のあらすじ

 賢者「さようなら勇者さん…… どうか死なないで 」
 チャオズゥゥゥン!!
 英傑's「ふぅ…… おどかしやがって…… 」


 ※今話は21話からの続きです。


決着の刃

   *   *   *

 

 ――視界を塞いでいた赤色の背中が、ゆっくりと傾く。

 

 俺が持つ「獣王の盾」に組み込んでいた3枚の肉厚な刃のうち、残っていた最後の刃が砕けた様を見て、追撃とばかりに放たれたヤツの光刃の前にわざわざ身を滑り込ませた大鬼が、鮮血を噴き上げている胸元を押さえたまま倒れていく。

 倒れれば最後、二度と起き上がることはないだろう。

 

 中腹の広場から続く坂道の上で行ってきた戦闘の中、目の前で似たような最期を繰り返し迎え続ける戦士達の死をあまりに多く目に焼き付けてきたせいか、その傷が彼にとって致命傷であることは一目で分かった。

 ……大鬼が踏ん張る様子もないままに傾き、その向こう側に未だ立ち続ける"剣"の姿を再び視界に収め直したが、仇を討たんとする感情をいちいち募らせようとは思わない。

 そんな想いを新たに詰められるほどの余裕は、既に頭の中には残っていないのだから。

 

 頭の中にあるのは勢いを増すばかりの闘争心と、魔物が倒れるたびに上乗せされ、純度を高め続けていく殺意ばかり。その片隅で思考を放棄しないように必死で残している理性の裏では、【ライネル】の名をこれ以上ないほどに貶めていく「己」への憤りの感情が(くすぶ)ってもいる。

 ――そして、認めたくはないが。

 どこかに強者に対する僅かな賞賛の気持ちが居座って消えないことも、否定することは出来なかった。

 

 (……! )

 

 勝手に昂ってゆく頭を冷やそうとする自分を、意識し続けなければならない。

 獣の衝動に任せて挑んでは、絶対に勝てない敵なのだ。

 自省を繰り返してなお闘争を楽しみそうになっている自分に気付くたび行ってきた、全力の食いしばりを1つ、2つと重ねる。

 ガチリ、ガチリと歯が立てる音が、歯の根の痛みと共に耳の奥に積もっていく。

 

 

 ……いくらかの時を置いて、感情の揺れは熱だけを残して凪いでいた。

 やや回復した理性に伴いゆっくりと広がる視界だったが、それは同時に、その隅にある違和感を俺に意識させる切っ掛けでもあった。

 

 ――大鬼の遺体が、それまでの彼らのように坂を滑り落ちなかったのである。

 ここまでの追撃で討たれた者は皆、倒れた時の勢いによる差こそあれ、道の傾斜に従い下に向かって転がっていた。 

 今まではこちらに向かって滑ってくるそんな戦士の骸に対し、止むを得ない場合を除いては極力またいだりして避けるように配慮していたこともあり、その挙動の変化は俺に、周囲を一度確認させる程度には印象的だった。

 

 ……その謎も、周りの景色を視界に収めるまで。

 少し辺りを見回すだけで、あっさりと理由は明らかとなった。

 

 中腹の広場でヤツを取り囲んでいた時には視界を切り取り狭めていた、左右にそびえる山肌の背がとっくに低くなっている。その反対とばかりに空の景色が視界を占める割合が、いつのまにか増えていた。

 視界を埋める空はいよいよ薄闇を含めた夕焼けに染まっており、千切れた雲を浮かばせながらも隅々まで澄み渡っている。彼方の地平線を乱雑に削り取っている稜線の凹凸すら、落ち着いた目で見渡せばつぶさに見て取ることが出来るだろう。

 今は遠い地にある、あの【二つ岩】。

 彼と共に見下ろした四季の森に勝るとも劣らない景観が、目線の先に広がっていた。

 

 坂の道中で"剣"を討てないまま峡谷を登り切ってしまった俺が、その開けた頂上で目にしている光景がこれだった。

 

 赴き深い夕焼けのパノラマ。

 視界を遮る物は何も無い。谷間の曲がりくねった狭路は既に抜けている。

 だから見渡せる、見渡せてしまう。

 

 夕焼けの視界。それを目に納めて立っている魔物は――

 "剣"と対峙してまだ生き残っている魔物はたった今、ただ俺だけとなっていた。

 

 

 

 (……結局、"剣"に対して数をどれだけ揃えようと意味は無かったのか? )

 

 (彼らを辺境から引っ張り出して連れてきたのは、自動修復する"剣"による効率的な魔物の間引き行為に、わざわざ加担してしまっただけなのではないのか? )

 

 全ての魔物を失った今でもまだ、ヤツは生きている。

 しっかりと、2本の足で立っていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 ――もしこの状況を、ヤツに向かってジャグアの矢を放った時からある程度予想していたと告白したなら、戦いの中で犠牲になった彼らはどれだけ俺を罵るだろう…… こんなにも不甲斐ない俺を見て『彼』は、どんなに失望するだろうか。

 

 

 ヤツの利き手が一時的に麻痺したこと。

 それは、確かに戦闘の流れを変えさせた。

 

 残念ながら片手を失った状態であっても、"剣"は変わらず俺の剣をことごとく防いでみせた。

 

 【ライネル】のプライドを(いちじる)しく傷付けられる思いではあったが、しかしそれは「防御しか出来ていない」という結果でもあったのだ。

 攻撃を避け、捌き、受け止めた後。そこから転じて反撃へと繋げられた回数については、極端に減る状況が生まれたのである。

 

 それまでの戦闘は、攻撃範囲は違えどお互いの命を奪い得るという意味において攻撃力は拮抗していたものの、得物の重量から手数では相手が上回り、剣の質自体は圧倒的に"剣"に軍配が上がるという不利な状態だった。武器と体格からくるリーチの長さだけが、こちらが相手と渡り合う上で明確に勝る武器であった。

 そんな戦闘をそれまでは強いられていたことを考えれば、利き手の不能による攻撃回数の減少は、"剣"を討ち取る絶好の好機に繋がるはずだった。

 

 時折こちらが剣の損傷に配慮して放っていた一撃を見逃さず、狙い澄ましたカウンターを仕掛けてくる辺りは全く油断出来ないものであったが、威力も速度も利き手から振るわれるソレとは明らかに劣るように感じられた。

 剣の刃で、腹で、時には柄尻を使って弾き、懐に潜り込まれても盾で防いで対処し、戦闘をこちらの攻勢で優位に進めることが叶っていたのである。

 

 傍目(はため)から見ても、勝負の天秤がこちらに傾いたと思えたのだろう。それまで戦闘に介入できずに遠巻きに見守るだけだった生き残りの魔物達にも、ここが勝負の分かれ目と感じ取れたのか。

 攻め立てる俺の剣に巻き込まれる危険も(かえり)みず、"剣"に少しでも手傷を与えて俺を援護するため、脇から果敢に攻め立ててくれた。

 

 

 ……しかし、その勇気が実を結びはしなかった。

 

 元々、魔物が集団戦を意識した規律に乏しい生き物だという要因もあった。

 この追撃が生き残りを掻き集めた急造の集団で行われている以上、隣に肩を並べているのは同じ部族ではなく、顔も満足に知らない仲間ばかり。

 恐らくは通常の狩りでは行えただろう、簡単な連携すらも彼らは満足に行えてはなかった。

 

 そんな彼らの拙さを、"剣"は最大限に利用した。

 頂上へと先行させて逃がしているだろう同行者の元へ魔物を引き連れることを避けたい目的があったかどうかは分からなかったが、"剣"は逃げるように山頂に向かって退きながらも、決して防戦一方とはならなかったのである。

 

 ヤツにとって利き手が使えないことで支障があったのは、あくまで俺との立ち会い時のみ。

 応酬の合間に生まれる隙間に襲い掛かってくる魔物達に対しては、彼らの命を奪うには必要十分な戦闘力を失っている訳では無かった。

 

 不用意に横合いから飛び込んできた子鬼を無造作に斬り捨て。

 盾によって弾かれ、のけ反ったところを慎重に殴りつけようと忍び寄った子鬼を、弾かれた勢いのままに行った後方回転跳びで視界に収め、斬り捨てる。

 岩陰に急所を隠して隙を窺っていた大鬼の射手は、その死角に移動して岩陰より誘い出し、顔を出した所へ不意に光刃を飛ばして斬り捨てた。

 

 そうして次々に魔物を返り討ちし続けた"剣"ではあったが、殺戮に夢中になってコチラへの注意をおろそかにする―― といった意識の空白を生むこともなかった。恐ろしいことにヤツは、自らが最も隙を晒すことになる『攻撃』を魔物達に仕掛ける際、必ず俺との間に魔物を一体以上挟むように行動を徹底していたのである。

 

 その理由は広場の時に見せていた、矢避けのための肉盾を意識したものとは違う。

 俺は既に弓を手放しているにもかかわらず、魔物を間に挟んだ立ち回りに固執する―― その理由は明白にして単純。

 群れを統率し、かつ最も戦闘力が高い魔物である存在が俺であることを見抜いた上で、利き腕が回復するまでは不利な戦闘を避けるという、興奮とは遠い冷静な判断に従った上での立ち回りであった。

 

 魔物達も、俺の攻撃に巻き込まれる危険は承知の上での突撃であったものの、果たして逃げと防御に徹する"剣"を、俺は弓があれば射抜けただろうか? 槍を持っていれば届いただろうか?

  ……恐らく捉えることは出来なかったはずだ。

 足手まといを抱えていないヤツの動きは、2本足しか持たないノロマな『ヒト』へと抱いていた固定観念を打ち砕くほどの異常な小回りを発揮していた。

 

 

 やがて倒れて動かない赤鬼越しに見えるヤツが、とうとう左手から右手へと"剣"を持ち変える。その握りは確かで、もはや痺れは完全に抜けたようだ。

 肩で息をする様からは確かな疲労が見て取れるが、それでも戦闘に支障をきたすほどのものであるとは思えない。

 加えて確かに欠けていたはずの"剣"自体の刀身もまた、魔物の血を吸って回復したかのような勢いで、元の形状を取り戻しつつある。

 

 ――それは、彼らの命懸けの献身を無為にした【ライネル】の無能を、まさに突きつける光景であるように思えるものだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 睨み合ったまま、互いに意図せず訪れた空白の間。

 ……与えられたこの時間はしかし、決して長いモノにしてはならない。

 

 この均衡を破るのは俺だ。

 息を整える間を与えず再び、恐らくは最後になるだろう全力の攻撃を仕掛けるべきだった。

 

 ヤツの"剣"が再生すると分かっている以上は人海戦術の効果は薄く、そもそももはや俺の後ろに魔物はいない。時間の経過はヤツの思考に余裕を与え、"剣"の刀身をより万全の状態に近付けることになるだろう。

 これ以上戦闘を引き延ばすことは「獣王の剣」をいたずらに痛めるだけであり、こちらの勝率をただ下げるだけである。

 

 いくらヤツが人並み外れたスタミナを持つとはいえ、戦い通しである以上、絶対に疲労と消耗は蓄積されているはずだった。

 彼らが命を使って削り続けた"剣"の力。

 利き腕を回復されてしまった以上、今となってはその消耗によって天秤がこちらに傾くことに賭けるしかない。

 

 魔物の膂力と【ライネル】の『技』で、一気に勝負を掛けるのみ……!

 

 

 

 (……! )

 

 後ろ脚に力を込める。

 間合いはさほど離れていない。全力で踏み込めば、勢い余ってヤツの頭を飛び越えてしまいかねない程度の距離だ。…… それを十分に理解しつつも、空へ向ければ【二つ岩】をも軽々と飛び越えられるだけの脚力を"剣"がいる前方に向けて、解放した。

 停止状態から、空気の壁へ挑むようなトップスピードへと己の身体を叩き込む。

 

 岩盤に叩き込み続ける蹄に亀裂が入った違和感が足先から伝わるが、これくらいの虚を衝いてみせなければ、ヤツはこれまで同様、確実に俺の一撃をいなしてしまう。

 一足飛びに跳躍出来たなら脚への負担も軽いはずだが、地に足をつけずにいる時間が長ければ長くなるほど、機動力に優れたすればその確信があった。

 

 岩肌を覗かせる地面を、後ろ脚の蹄で砕こうとした、その時。

 ……ふと、足元に転がる絶命したばかりの大鬼が視界に入り、その挺身の理由を思う。

 

 刃を失くしていたとはいえ、俺の盾はまだ健在であった。

 実剣でも数合、ましてやそれが光刃だったならば、受け止める角度さえ調整すれば確実に受け止めることが可能だったことは、傍目に見ていた大鬼にもそれまでの戦闘の推移から判断出来たはずだった。

 

 弓を既に失っている俺は、火球を除けば遠距離攻撃の手段は持たない。そしてその火球も曲射などの小細工はできないために、大柄な大鬼の身体が目の前に立つのは"剣"へと効果的な『炎』を浴びせにくい状態なのだ。

 つまり最後の生き残りだった彼がその命を賭けて得たモノは、致命の窮地を救う献身でも反撃に繋がる契機でもない。身体を無為にねじ込むことで"剣"と俺の距離をただ開けて、戦闘を仕切り直させる以上の意味を持たないものだった。

 

 そして大鬼の身体が伏せる光景の向こう側で、痺れによる縛りが抜けたヤツは、利き手に持ち替えた剣を身体の後ろに回し、完全に迎え撃つ構えを取っている。 

 ここまで連続した戦闘を強いてこれた状況で不意に訪れた先程の空白は、魔物側にとって完全に裏目な結果となったと言わざるを得ないだろう。

 

 ――しかし、だ。

 それでも俺の心の中に、"剣"の刃へと積極的に身を躍らせた大鬼の行動について、非難や罵りを浴びせようという思いは一切沸いてはいない。

 むしろ最後の1匹となりながら、俺自身も"剣"に掛かり切りであった状況の中、よくも逃げずに最後の最期まで戦うべく立ち向かってくれたものだと、その戦士の姿勢に異種族でありながらも賞賛を贈ってやりたい気持ちで一杯だった。

 

 例え倒れる間際、俺に向けられた視線に込められていた意思が、この戦場に連れ込んだ俺に対する恨み言だったとしても構わない。

 そうであったとしても、今この踏み出す脚と剣を握る腕に力を与えてくれるのは、恐ろしくも強大な魔物の敵へと最後の1匹になるまで勇敢に戦った、彼らの遺志に他ならないのだから。

 

 ……大鬼の亡骸を、またいで越える。

 お互いの獲物からはギリギリ間合いの外であるこの距離。

 "剣"はまだ、動かない。

 

 ……燐光を灯し続ける"剣"に関する誤算の一つは、異常な復元能力。

 しかし、俺がヤツをここまで仕留めきれなかった原因はそれだけではない。

 ただ切れ味を保ち続け、一撃で同族の命を断てる光刃を飛ばせる剣なだけ、というのであれば、とうの昔に軍勢がヤツを飲み込むか、俺が持ち主を屠っていたはずだ。

 数十と引き連れた魔物と孤軍奮闘し、利き腕が使えないながらも炎を避け、弓を躱し、俺の剣を捌き続ける――。間違いなく過去相対した者の中でも優れていると断言出来る、ヤツの戦闘者としての優れた才能こそが、この不条理極まる戦いの結果をもたらしていた。

 ヒトなどと、戦力を侮る考えは欠片もありはしない。……だからこそ、思う。

 

 この間合いまで詰め寄られながら、なぜこの剣士は動かないのかと。

 

 ここまで繰り返し切り結んできた剣戟から、コイツが俺のこの肉薄に対応出来ないなどということは考えられない。ではなぜ避けようとしないのか。攻撃に備えようと"剣"を構えないのか。

 

 ――いや。

 

 前に上体を傾け、利き手で握った"剣"を体の後ろに回したあの構え。

 これを俺は見たことがある。

 ……あの時、初めてヤツを目にした偵察した時の鍛錬の光景。人にして洗練された技術を凝縮させたような剣技の型の一つに、アレはあった。

 一連の、流れるように連続した剣舞の中にあったモノではない。

 その動きだけが技として完結し、凄まじい攻撃力を匂わせていた剣技を放つ際の構え。

 

 これは、あの。

 「回転斬り」の構えだ……!

 

 互いの距離が、俺の剣が届く間合いに入る。相手の攻撃方法が分かった今、仕切り直しを図るなら今しかないが…… あの攻撃ならば、俺が止まる理由にはならない!!

 

 ヤツの間合いと重なる寸前、後脚で全力のブレーキをかけて急制動。そして同時に、前脚を両方とも振り上げ、間合いを一瞬外す。

 これでヤツが呼吸を外され、その"剣"を振り抜いてくれたならばその時点でコチラの勝ちが決まってくれたが、目の前の敵は跳ね返る小石を叩き付けられながらも微動だにしていなかった。

 やはり、小手先のフェイントでこの剣士は釣られない。

 

 前脚を下ろす勢いに乗せて、右手に持つ「獣王の剣」を斜め上から横薙ぎの要領で切り払う。もしヤツが大上段からの振り下ろしを予想し、横へのステップで躱そうとしていても、俺の刃圏はその全ての空間を潰して切り払っただろう。

 

 だが、ヤツの足は下がらない。

 その足は体重移動と、下半身へ伝える捻りの為にだけ動いていた。

 捻りが腰の回転に勢いを与え、上半身、そして"剣"を握る腕の振りへ加速を与えている。

 回転する径はあちらの方が小さいことを差し引いても、その剣速は早い。

 

 燐光を撒き散らしながら走る剣閃が狙う先は――

 

 (俺の剣! 武器破壊!? )

 

 先に振り出しなお身体の横から放った俺の刃に向かって、身体の後ろから振り回されるヤツの"剣"が迫っていた。

 

 その判断は正しい。

 「獣王の剣」の刀身に、既に無傷な箇所などはない。中央には半ばまで食い込む亀裂すら走っており、根本で受け損なえば次の1撃で破壊されかねないだろう。そして"剣"は、明らかにそれを狙っている。

 だからこそ。

 

 (……好都合! )

 

  "剣"がコチラの剣に打ち合わせようと、向こうからぶつけに来てくれる。それは俺の目的と合致するものだ。

 蒼く輝くヤツの刀身。

 そこにまだ、光を歪に反射させている箇所が見て取れた。

 その(こぼ)れた刃に最も速度の乗る剣先を食い込ませるべくこの一太刀を放っている以上、これは好機に違いなかった。愛剣を大事にして退く訳にはいかない。

 打ち込む位置を見定め、全力で薙ぎ払うことにのみ集中する。

 

 

 ――ギャギンッ―― !

 二つの刃が交差し、お互いの握った得物が降り抜かれた。

 

 

 今日という日に行われた戦闘の中でも、一際大きな濁音混じりの金属音。

 耳障りな、しかしひどく印象的な音が鳴り響いたその空間の中心に、取り残されたように留まる存在がある。

 

 ゆっくりと回転しながら寂しく地面に落ちるソレは、「獣王の剣」。その切っ先だ。

 

 いくつもの戦いを共にし、戦場における己の半身とも言うべき武具が半ばから砕ける様は、この時間が粘性を帯びた空間の中にあっても視線を一瞬、"剣"から奪うほどの衝撃を俺にもたらす。

 ……しかしその切っ先が最後に伝えてきた感触は、俺の求め通りの場所に刃が食い込んでみせたことを告げていた。ならば、今考えるのは次の一手だ。

 

 ――視線を戻した先、剣士が背中を向けている。

 

 こちらの剣を断ち切る勢いを乗せた、全力の振り回しを行った直後の光景だ。その様子は初見ならば勢い余り、無様に体勢を崩したソレとしか映らない。

 正直、何も知らなければ俺もそう判断して狙いを変更し、すぐさま本人の身体へ向かって爪か、半分の長さとなってしまった剣を振り下ろそうとしたのだろう。

 

 しかし、俺は知っている。

 これがただ()()()を踏んでいる訳ではないことを。

 

 固定した足は軸足。そして倒れないために地面へと突っ張らせたような足は、その実が回転に更なる加速を与えるための蹴り足なのだ。背中を向けているのは、ただ回転の途中だからに過ぎない。

 ヤツは止まらない。

 それは事前に術理を見ていたからというだけではない。回転の最中、肩越しに向けられる眼に宿っている力強さから感じ取れた確信だった。

 

 ――2回転。

 獣王の剣を砕いた1撃目より加速した、2撃目が来る。

 

 ……もちろんその動きを知っている俺が、無策で構えていたはずもないが。

 

 こちらも全力で降り抜いていた剣の勢いを、腕の力だけで強引に引き止める。「獣王の剣」が万全の状態であった時には、その重量に引っ張られて腕の筋肉をしばしば痛めていた動きであったが、今は剣も半ばから刀身が失われている。

 訓練の折には味わっていた、腕を千切らんばかりに引っ張られる感覚がひどく弱いことに改めて強い喪失感を抱きはしたが、今はそれどころではないだろう。降り抜かれた剣は完全に勢いを止め、先程薙いだ空間を、返された刃が再び往復する準備が整っていた。

 

 加えて、右脚を1歩だけ踏み出す。

 わずかに間合いを詰めたのは、失った刀身分の空間を向こうのタイミングではなく、コチラで調整するため。そして、ヤツから見て右側から放たれてくる2撃目に対し、出来るだけ正面に構えられる状態で迎え撃ちたかったからだ。

 短くなり馴染みのない長さとなってしまった刀身で、それでも超高速で迫る"剣"の狙うべき箇所へと再び剣を指し込まねばならない。少しでも正確に剣を振るえる位置取りを目指す必要があった。

 

 飛来する2撃目。

 半身となり振りかぶっていた剣を、1撃目と比べてやや目立つようになった『そこ』に向かって叩き付けた。

 

 

 ――バキンッ、ズシュッ!

 

 ぐぢゃっ!

 

 

 当たった。成功した。

 打ち下ろすように薙いだ剣は、我ながら見事に『そこ』へと打ち込まれた。寸分違わず同じ箇所へと、【ライネル】の全力を持って振るわれた刃が食い込んだのだ。

 相手の「回転斬り」による勢いも手伝ってか、"剣"が燐光を常時纏いだしてから活性化した復元能力を発現させて以来、最も大きな『欠け』と表現するしかない傷が、確かにそこに刻まれた。

 

 ……例え剣の残った刀身が、2撃目に込められた予想以上の威力にほとんど耐えられず砕け散り、その軌跡を"剣"に対して正面に構えていた身体からズラせなかったとしても。

 もしもの事態に備えて頭の横へ掲げていた左腕を、とっさに差し込んで"剣"から命を守った代償に、その手首から先が地面へゴミのように転がろうと、それは確かに望んだ収穫に違いなかった。

 

 盾を失い役立たずとなっていた左腕が、盾の役割を果たしたのだ。

 太い腕の肉と骨、それが両断されるまでに稼いだ時間によって、致命の一閃を胸板を裂く程度に留めることが叶った。

 それでいい。

 まだ傷を嘆く時ではない。

 

 

 

 ――何故ならヤツが、再び背中を向けている。

 

 流石に2撃目で剣を砕いた後、続けざまに【ライネル】の腕を裂いた負荷は大きかったのか、その回転軸には大きなブレがあるように思える。だが加速をもたらす蹴り足には、些かの迷いも感じられない。

 2撃目よりも、更に加速した斬撃が来る……

 

 

 

 そう考えていた直後。

 ヤツは、こちらに向かって大きく跳躍していた。

 

 水の中を自由に泳ぐ魚のように、宙に緩やかな放物線を描く剣士。

 しかし身体を中心とした回転の勢いは殺されておらず、螺旋を描いて振りかぶられる剣には更なる力が加わっていることは想像に容易い。

 1撃目と2撃目に比べ、地面との摩擦の()()()を断ち、回転に加えて重力をも味方につけたその斬撃に、どれほどの威力が込められているのか。

 

 ――3、4、5……。

 空中で何回転しているのかすら定かではない3撃目が、来る。

 

 

 

 知らない。

 それは、全く見たことのない動きだった。

 

 想定していなかった意表を突く攻撃に間延びする刹那の中に一瞬、俺がこの"剣"の訓練風景を覗き見ていたことを知っていたのか―― などという思いすらよぎるが、それこそ有り得ないことだ。当時俺が伏せていた場所は、人間が知覚出来る距離にはなかった。

 ならばどうして、"剣"は何度も愚直に繰り返していたはずの「回転斬り」の型を無視し、このような奇策を敢行しているのか。

 

 ……恐らく、気付いたのだ。

 「回転斬り」は俺達と"剣"の戦闘が始まってからこれまで、一度も繰り出していない技だった。今までほとんど剣の一振りで全ての魔物達を屠ってこられたからこそ、その初見であるはずの技に対して"剣"の弱所を連続で捉え、かつ生きている俺に違和感を持ったのだろう。

 この「回転斬り」は恐らく最も警戒していた俺に対するとっておきの技であり、同時にこれなら仕留められるという自信があったに違いない。

 にもかかわらず防がれたという事実。

 それがヤツに「回転斬り」の連続使用を留まらせ、技の呼吸を変えての一撃に踏み切らせたのかもしれなかった。

 

 そしてその思惑通り、俺は再び切り替えそうとしていた柄だけとなっていた剣を握ったまま数瞬固まってしまっていた。その硬直がヤツに確信を与えてしまったのだろう。

 空中で振りかぶっていた剣が振り下ろされる。決断を間違えなかったという確信が宿るその刃に、迷いは一欠片も宿ってはいない。

 わずかに動きを止めてしまった俺に、その一撃を避ける余裕はなかった。

 

 

 

 

 

 そしてそれは、俺にとっては望外の展開だった。

 

 右手の中で、刀身が根本から砕け散った剣を半回転させる。その柄尻にある小さな超接近戦用の刃を上にして、握り込む。

 この刃は飾りではない。形こそ小ぶりだが、メインの刀身と同じ材質と製法で鍛え上げた武器なのだ。そしてこの戦いにおいて使った回数は、片手で数えられるほどに少なかった。

 この刃なら、例えヤツの最後の一撃がどれほど強力な代物であっても耐えられる。

 少なくとも、1撃ならば確実に。

 …… 本来ならば武器を失ったと油断させた上で、単調かつ最も速度の乗る3撃目の「回転斬り」に合わせ、この刃を使って"剣"をかち上げるつもりだった。そしてヤツを無手の状態に追い込むことが目的だったのだが、想定以上の2撃目の威力に、果たしてこの短い刃で続く3撃目に向かって『欠け』に引っ掛け、その手から"剣"をもぎ取ることが出来るのかは不安だったのだ。

 

 しかし、上からの攻撃ならば。

 脳天に迫る「大上段からの全力の一撃」なら『欠け』に対して刃を突き立てることさえ出来れば、力を地面に受け流せない空中にいるヤツは、跳ね返る衝撃を全て純粋な握力で抑え込まなければならない。

 

 (そんな真似は―― )

 

 

 ガヂィァッッン!!

 

 

 ……刃を一撃で斬り砕き、柄の根本まで食い込みかねない1撃だった。

 俺の、【ライネル】の握力を根こそぎ奪ったその斬撃は、俺に柄を握り続けることを許さない。手から零れ落ちた剣の残骸は岩肌の地面へ落ちた衝撃によって、その刃を2つに割っていた。

 

 そんな地面に落ちた刃に映る、ほのかな燐光。

 この戦闘の間、ずっと追い続けた光の色。

 

 思わず愛剣のなれの果てに引っ張られそうになった意識を惹きつける、その光に導かれて顔を上げれば…… "剣"が剣士の手を離れ、クルクルと遙か後ろの岩陰へと弾かれていく光景が目に映った。

 

 (そんな真似は俺にも、ましてや人の身には絶対に不可能だ )

 

 

 

 ――ずぶっ……

 

 

   *   *   *

 

 

 剣を失う前に実行しなければならなかった、危うい賭けを渡り切れたことに心底安堵する。

 

 ヤツが持っていた最大にして唯一の武器であるところの"剣"を、ついに奪うことが出来た。

 そのために片手を失い、最後まで残していた得物である剣も砕いてしまった俺だが、まだ炎も使えれば右手の爪がある、牙もある。殺傷力という点において初めて、こちらが明確に上回る状況を作れたのだ。

 

 これから最も気を付けるべきは、絶対に"剣"を回収させないように立ち回らなければならないという一点。遠く離れた場所まで飛んで行ったとはいえ、谷底に落ちて行ったというわけではないのだ。もしそれを許してしまえばこの状況は簡単に逆転し、再びこれをひっくり返すことは二度と出来ないだろう。 

 

 ひとまずは"剣"とヤツの間に火球を放って牽制を掛けるべきか、それとも一息に間合いを詰めて接近戦を挑むべきか。あるいはその両方を試みるべきか、そもそも……?

 

 (……あぁ、畜生 )

 

 ――俺は今、駆け引きをしている。

 物心ついた時から腕力において敵はほとんどおらず、『彼』に師事して【最強】を継いでしまってからは、「戦い」に発展するほどに俺と伍する存在に出会うこと自体が稀だった。異種族に至っては皆無だったと断言していい。

 【ライネル】の名は誇りだ。出自も定かではない己が認められ、一族ひいては魔物の守護者として大陸中の魔物達と縁を繋げられる日々。

 しかし名を得たがゆえに軽々に戦闘をすることが出来なくなった生活に対し、窮屈さを感じる瞬間が時折あったことも否定できない。『彼』が俺に【ライネル】を譲った後、頻繁に世界を巡る気ままな旅へと繰り出していった理由には、長年称号に縛られていた反動もあったのかもしれない。

 

 そんな俺が、魔物の行く末を懸けた戦争をしている。

 相手は貧弱にして脆弱なヒトでありながら、しかし魔物を滅ぼしかねない"力"を持つと伝説に謳われた存在。

 最初から勝敗は不明瞭であった。頭数を揃えて多対一の状況を作り、組織的に追い込んでなお一時は敗色漂うほどの戦闘を強いられた。死力を振り絞り、運否天賦な賭けに成功してなお、勝敗の行く末はまだ揺れる天秤の上だった。

 

 (だというのに )

 

 分かっている。もうハッキリと、自覚している。

 この最後に行われた数合の立ち会いを、俺は(たの)しんでいた。

 

 頭の中に【ライネル】の責務など少しも意識していなかった。

 瞬間の勝利を求め、どうやって目の前の強敵を打倒するか、どうすれば出し抜けるのか。ただそれだけを考えて傷を躊躇わず、戦士の矜持と魔物の欲求に従って血を求めた。

 その引き換えに失ったのは片腕と、【ライネル】の象徴であった俺の剣。得られたモノはただ相手から剣1本を奪えたという状況のみ。

 ……そんなささいな戦果にかかわらず、この場に集まっていた誰にも成し得なかったことを果たしたのだと、愚かにも高揚してしまったのだ。

 

 敵は依然として、五体満足だったというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――だから、だろうか。

 

 

 

 「回転斬り」を受け、裂けていた胸の傷から正確に心臓を貫いている、()()()()()()()()()()()()の柄尻に備え付けられた刃が、冷たく俺を非難しているように感じられたのは。

 

 




 どこかで見た剣がブスリ。
 


 ※ライネルの「3段斬り」。原作において単発攻撃の多い魔物の攻撃手段の中でも、3連続で繰り出してくる様はとてもカッコイイ。ライネルの技の中ではブッチギリにジャスト回避しやすいために「反撃美味しいです^^」な扱いですが、私は大好きなので【ライネル】さんの決め技にしました(3段目は柄尻の刃を使った突き上げなので、厳密には3段斬りとは違う仕様になってますが)。

 ※シリーズ通して登場することの多いリンクの特徴的な必殺技「回転斬り」。
 拙作では平然と複数回転していますが、原作では溜め時間に応じて攻撃範囲が広くなるものの、回転する回数は常に1回転だったりします。しかし1回ではあんまり必殺技っぽくないので、回転斬り2回転+両手武器による溜め攻撃の締めである叩き付け攻撃(回転跳躍ver.)くらい、勇者ならこなしてみせらぁ! ってことでコチラもご容赦お願いします……。

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