回生のライネル~The blessed wild~ 作:O-SUM
【ライネル】被害者の会による、99年エンドレス吊し上げ祭り開催
* * *
黒に塗りつぶされた空間にまぶされた、赤い光が明滅するだけの景色。
怨念の声を呟く無残な死体に囲まれ、一切の身動きを封じられた己の体。
それが先程までの俺を取り巻く世界であったはずだった。
……しかし今、己を取り巻く景色は激変していた。
意識の中で確かに『掴んで』掴み返されたはずの泥の腕は、もうどこにもない。
周囲に纏わりついていた死体達の影もまた跡形もなく消え去っていた。
代わりに周囲を取り囲んでいたのは、かつて【ライネル】として生きていた世界で当たり前のように目にしていた、緑の生い茂る草と木々ばかりであるのは一体どういうことなのか。
それらを揺らし、肌に感じる風は戸惑うほどに涼やかであり―― 鼻孔へと運ばれる匂いは暴力的なまでに青く、そして生々しい。
失われて久しかった感覚達が突然蘇ったことに困惑するより先に、その強烈なまでの『生』を感じさせる情報の洪水が、この光景が泥から生まれた死体達と同じような影ではないことを雄弁に伝えていた。
――ただ一つ、怨念と憎悪が渦巻く世界の名残を感じさせていた天上に輝く血染めの満月であったが、それも急速に紅色から記憶に残る本来の銀色へと移り変わろうとしている。
状況を掴めず、見上げたまま固まっていた俺を構うことなく、夜空を占めていた不吉な紅は瞬く間に安息を感じさせる闇色へと移り変わってしまった。
柔らかな月光が降り注ぎ、木立を揺する風の音色が耳元を抜けていく。
地面に横たわっているらしい身体は肌をチクチクと草の葉で刺激され、濃厚な緑の匂いを漂わせているばかりだった。視線を横切って背の低い草の合間を飛んでいるのは、何かの昆虫だろうか。
腕を掴んだ先にあるのは、地獄かそれに類する世界に違いないと思っていたにも関わらず、ここにはひたすら『生』が溢れていた。
……そしてとうの昔に死者となったはずの己の身体ですら"生きて動いている"ことを自覚したのは、久しく忘れていた息苦しさを思い出したからだった。
「――――――ぐっ、ハァ!!? 」
何十年としてこなかった呼吸を求める生身の肉体が、肺へと必死に空気を取り込もうとしていた。鼻に匂いを取り込むために無意識に行っていたらしい僅かな呼吸では到底用を成さなかったのだろう。意識とは別に大きく開かれた口は、未使用の水路に初めて水を引き込むかのようなもどかしさで、つかえながらも健気に空気を吸い込んでいる。
震える手足で喉元を抑え、ジタバタと地面をのたうつ自分。
その必死さは端から見ればもしかすると滑稽であったかもしれないが、当事者としては突然襲ってきた窒息の苦しみの中をもがいているに過ぎない。パクパクと開く口は空気だけではなく、顔を突っ込んでいた草や土まで無差別に口内へと放り込み出してもいる。
舌に触れる草と土の苦みは芳醇ではあったが、泥とは違う瑞々しさに喜びを感じられる余裕は、今の俺にはない。一旦息を止めて吐き出したくとも、身体はより多くの空気を求めて、更なる呼吸を欲していた。
……突然再び襲ってきた理不尽な死の影の中、パニックを起こした身体が久しぶり過ぎて忘れ切っていた深呼吸の方法を思い出すまでの間、俺は無様に地面を転がり続けたのであった。
* * *
――やがて呼吸が落ち着き、当面の命の危機が去った後。
俺はまだ、草の上で仰向けに寝転んでまま、ぼんやりと頭上に輝く銀色の月を眺めていた。
復活した五感、意のままに動く手足。
取れる選択肢は増えた。呼吸も整い、動こうと思えばすぐにでも動き出せる状態のはずだったのに、今も俺はあの泥に揺蕩う意識のみの存在であった頃のように、ただ考えることを辞めることが出来ないでいたのだった。
結局あの空間は何であり、あの泥の腕は何だったのか?
ここはどこなのか? あの世の最果てなのか―― それとも『帰って』きたのか。
俺は……蘇ったのか?
もし仮にそうだとして、今の俺は一体【何】なのだろうか――
月明かりの中、その光源に向けて右腕を伸ばす。
敵の刃を弾く黒鋼色の肌を押し上げる、分厚い筋肉に覆われた長い腕――。それが長い年月を掛けて鍛え上げた本来の、そこにあるべき俺の右腕だ。
……そのはずだった。
月へと伸ばされた腕は枯れ枝のように細く、小さな指の隙間から零れる逆光によって黒い影となったその様は、頼りなく容易に折れる鳥の骨を思わせた。そして地面をのたうった時にチラチラと映ったその肌の色は見間違いでなければ、それは木に成る果樹を思わせるほどの軽薄な赤色だったのである。
そして自分の体格で地面を暴れ回ったのであれば、根の浅い草は千切れ、地面もめくれ上がって然るべきだった…… しかし細い腕から視線を切って辺りを見回しても、そんな形跡はどこにも残っていなかった。
何ら抵抗なく
朱い肌。軽い身体。細く短い手足―― そうしたカタチを持つ魔物を、俺は良く知っていた。
あの時自らが引き起こした戦い。その時に最も多くの頭数を誇っていた魔物と、今の俺の姿形は酷似しているとしか思えない。
そう、つまりは――
「今回の周期で蘇る同族はいなかったはずだけど…… 貴方は誰なの? 」
――たった今、木の影から頭を出してコチラを窺っている、赤色の子鬼と種を同じくする存在として、俺はこの世界に肉体を得たようなのである。
* * *
いつまでも寝そべったまま自分を凝視し、けれど声を発しもしない俺の姿は、雌の子鬼にとっては相当不信に映ったに違いない。しかし今の俺に、彼女の心情を察して場を取り繕える余裕はなかった。
思考の大部分を占めるのは、先程聞かれた発言の内容。
【ライネル】であった頃には分からなかったはずの、言葉のニュアンスすら鮮明に聴き取れた子鬼が言った同族という言葉の意味。やはり、今の俺は子鬼からしても完全に同じ種族の姿に写るらしい。
しかし「周期」とは? 連続した意識を持ってここにいるはずの俺に、種族の壁を超えて言葉を理解させることが叶っているこの現状の理由を、目の前の個体は知っているのか?
どうすればそれを穏便に聞き出せる? いやそもそも、俺側から子鬼へ流暢に言葉を交わすことは可能なのか?
……そうして無言の状態が延々と続き、いい加減相手の警戒心が徐々に高まっていることを察した俺は、何にせよ交渉する必要がある以上、とりあえずこの緊張状態を少しでも解す必要があることに思い至った。
まずは、この寝転がったまま相手を見上げるという不遜な状況を解消し、目線を合わせるべく立ち上がるべきだろう……
そう、思ったのだが。
……ぺたん
――俺にとってこの身体は、立ち上がることすら激しく困難だったのである。
だが、これは仕方ないのではなかろうか?
かつての俺は4脚を持ち、頭身も高く、身長や体重も今とは段違いの存在だった。加えて揺蕩う意識のみという状態のまま、永い時間その肉体を失っていたというブランク持ちなのだ。
それがつい先程与えられたばかりの、頭身が低くて頭が異常に重いくせに体重が軽くて重心が安定しにくい上、たった二本きりの妙に細い足で十全に動けというのがそもそも難題であることは間違いないはずだ。
だが、しかし。
かつて最強であった【ライネル】が。平原を駆ける存在の中で最速を誇った己が。
最弱の魔物の雌の前で立ち上がることすら出来ないというのは、言葉にし難いほどの屈辱を俺に突きつけてならないのである。
……【ライネル】を名乗る者に、妥協は許されない。
情けなく尻餅をついた自らを叱咤し、慎重に両手を広げて身体の安定を保ち、震える足に力を込めて再び立ち上がろうとしたのは、【厄災】に敗れて曲がり、折り目の刻まれたその矜持を、しかし未だ失っていない自分を自覚していたからであった。
ぺたん
……ぺたん
…………ぺったん
駄目だ。立てない。
なんということだ。
尻餅をつき続ける。慎重になるから駄目なのかと勢いをつけてみれば、踏ん張れずにコロコロと転がる始末。こんな身体で子鬼達はどうやって飛んだり跳ねたりしているのか。
――気の抜けた、思わず零れたような笑い声が耳に聞こえた時になって、いつの間にか自分が立ち上がることに夢中になり過ぎていたことに気付いた。そもそもの目的は相手との交渉であり、立つことはそこに至るまでの過程に過ぎなかったのだ。
尻餅をついた体勢のまま、慌てて顔を上げる。
視線の先には、無様を晒し続ける俺に何を思ったのか、先程まで巡らせていた警戒をすっかりと解いて、笑顔を浮かべる雌の子鬼がいた。
見ず知らずの同部族ではない雄に対して、早々に警戒心を緩めるとは、ここは余程平和な土地ということなのだろうか? 半身を隠していた木から姿を現し、コチラに歩み寄ってくる姿には最早、俺が自分を害する可能性を全く考えてないように思えた。
もう何度か挑戦すれば、俺は立ち上がっていただろう。
……そのはずである。
先程までのささやかな練習を見て俺を庇護の対象と誤解してしまっているのだとしたら、野生を生きる雌としては危機意識が低すぎると言わざるを得ない。
やがて俺の傍に立った雌の子鬼が、再び声を掛けてくる。
「落ちついて」などと諭されるのは中々に愉快ではない気持ちにさせられたが、今は何よりも情報を欲していた。
相手の勘違いによってそれが容易に達成されるというのなら、もうしばらくは誤解されたままの現状を容認するというのも吝かではない。
雌の声には先程と違い、明るく弾んだ善性の感情が込められていた。
「私の名はボコナ。こう見えて、この辺り一帯の同族達を纏める長の娘なんだから! ……まずは貴方の名前を聞かせてくれない? 」
……俺の、名前。
今の俺は一体【何】か―― この世界で目覚め、自らの身体に起こった異常を理解した時に考え込んでいた疑問が、心の内で再び首をもたげている。
なんと答えるのが正しいのだろう…… いっそのこと「記憶がない」とでも言ってしらばっくれて見せるのが手っ取り早いだろうか。
何しろこの身体を得たのがつい先程のことなのだ。かつ自分が知らない情報が当然のように認知されているらしい見知らぬ土地に放り出されている現状では、かつての【自分の名】を名乗っても知名度からくるメリットを得られるとは思えない。そもそも今の姿とかつての種族を比べて、俺がその存在であると認められる者がいたとしたら、それはただの気狂いであるとすら言える。
……さらに言って、もしここが自分が死んだ世界より続く後の世である場合も踏まえるならば、【自分の名】は貶められてしかるべき汚名と化している可能性も考えられるのだ。無闇に相手の心証を下げる危険を冒す必要もないだろう。
そう考え、無難にはぐらかそうとしたのだが……
(『我、ネメアンの名において認めよう! ――――が、新しき【ライネル】であると!!』 )
いつかの、大切に守ってきた過去の思い出を、俺は今も憶えているのだ。
役目を果たせなかった俺には、もうその名を名乗る資格はないのかもしれない。この名を名乗ることで、目の前の子鬼は気分を害するかもしれない。
けれどこの記憶が己のものであると、かつての世界から連続した魂を持っていると確信していられる現状において、この名を隠す決断をすることは俺には出来なかった。
だからこの世界でも、俺の名乗りは変わらない。
彼との絆を、培ってきた誇りを。俺はこの地で初めて出会う魔物に告げた。
――俺の名前は【ライネル】だ、と。
* * *
俺の名を聞いてなお、親しみを宿した子鬼の態度に目立った変化はなかった。
悪影響を持たれない状況を幸いというべきか、それとも【ライネル】の名が意味を持たないほど、場所や時が離れた世界であることを嘆くべきなのか。
……しかし、それを深く考えることは出来なかった。
何故なら互いの名を交わした後に続けられた彼女の言葉によって、俺の思考は今度こそ完璧に揺さぶられてしまったのだから。
「おかしいわねぇ……『祝福』の対象になるような者は、前の赤い月から今日まで、出てはいなかったって聞いていたのに 」
「貴方も知っているでしょ? 私達魔物は何十年と前に赤い月が昇るようになって以来、寿命半ばで死んだ者は、その時の月光と共に蘇ることが出来るようになったのよ 」
「私達の部族ではこれを『祝福』と呼んでいるわ。言い伝えの再来だって長老達は言ってたけど、詳しいことはまだ深く教えてくれていないの。いつか誰かと結ぶまでは、みだりに伝えるモノものではないって言われてね 」
「……つまりは狩りの途中で死んでしまった戦士達や水に溺れて亡くなったはずの子供も、その次に昇る赤い月の光が与えられれば、何度でも記憶を持ったままその土地に生まれ直せることが出来るようになったんだけど…… そうした不幸にあった者達を数える役目を担う、族長の娘である私の知る限り、ここ最近はそうした死者はいなかったはずなの 」
「私達部族の奥深くにあるこの森に、余所者の子鬼が入ってくれば守りを任せた戦士達が少なくとも気付くはずだし……実は翼があって下界からこの【空の台地】へ飛んで来たとかじゃない限りは、アナタはさっきの『祝福』の光を受けて蘇った魔物としか思えないのよ 」
「『祝福』の現象については、原因はともかくとしてまだ分かっていない部分が多いわ。死んだ者は必ず、それより次に登る赤い月によって当事者がそれまで生きていた地の近くに復活するというのがこれまでの常識になっていたのだけど……もしアナタが回生者にも関わらずその条件に当てはまらないとしたら、すぐに見知った土地へ蘇れることが前提となって死が曖昧になってきている私達の認識は、危険かもしれないということになる 」
「だから、正直に答えて欲しいの…… これに答えてくれたら、例え貴方がただの縄張りへの侵入者であっても、そう悪いようにはしないって約束するわ 」
「――ライネル。アナタはいつ死んで、どこから来たの? 」
……言葉の中に、嘘を匂わせる雰囲気はなかった。
目の前の雌は聡明であり、自身が当たり前に知っている常識を踏まえながら、俺という存在に起きた状態への考察を語ってくれている。その内容は整然としており、また彼女自身がこちらに説明を求めている状況に、嘘をつく利がないことも明らかだった。
――この地は外界と隔絶されるほどの標高を誇る広大な台地らしい。そしてそれは、かつての世界にも存在していた。周りを囲む植物はどれも見知っている種であり、眼前の魔物も記憶の中の同種の特徴と寸分の違いも持たないように見える…… 恐らくここは、かつての世界と根本を同じくする近似した、もしくは全く同一の大陸なのではないだろうか。
……ならもしも、ここがあの世界の続きにある世である、と考えた場合。
『祝福』。
この存在が、1つの事実を俺に突きつけるのである。
『彼』が俺に語って聞かせた、いくつかの言い伝え。
あの"剣"を討つと誓った夜の【二つ岩】でも改めて聞かされてもいた、太古の歴史を語る一文が思い出せる。
――王が封印を破る時。世界は王の魔力に満ちて、月は紅に染まる。
――赤い月光は魔物達に大いなる祝福を与え、骨となった
そして目の前の子鬼は言った。
――この世界にはある時を境にして、『祝福』と呼ぶ赤い月夜が魔物を蘇らせる現象が起こるようになった、と。
俺が何故、彼女が持っている常識に当てはまらず、記憶を持ったまま全く違う魔物として、しかも何十年という月日を超えて生前とは全く違う場所に生まれ変わったのかは分からない。
けれど今、俺はここに肉を持って『生きて』いる。
生まれ直して見上げた夜空に、赤い月は確かに浮かんでいた。
意識してみれば、かつて生きていた世界で微弱に感じていた魔王の魔力を…… より鮮明に、この世界では感じることが出来る。しかも大本となるモノがいる方向すら、ここでは朧にも分かるのであった。
(……確かめなければ…… 確かめなければ! )
彼女の言葉と、自身に起こった現象。そして、ある場所から漂ってくる魔力の波動―― これだけでもう、この世界に何十年も前から魔王が現れていることは違えようのない現実なのだと判断出来るだろう。
だとしても、この眼でその存在を確認しなければならない。
……本当はまだ自分は実は泥の中にいて、悪夢に
あの空間こそが俺の終わりの地であり、未来永劫抜け出ることが叶わなくとも構わない。
もしこの世界がかつての世界の続きで、魔王が蘇っているというのであれば、此処こそが俺にとって正真正銘の地獄であるのだから。
ここが自分の記憶の中にあるものと同じ台地であるならば、その端は断崖絶壁となっているはず。空に掛かる雲よりなお高い場所ではあるが、そのぶん遠方にあるらしい魔王の気配の元を伺うことも出来るだろう。まずはそこまで行かなければ。
「ちょ、ちょっと! 突然慌ててどうしたのよ!? 別に私はアナタを傷付けるつもりはないんだってば! 」
未だ立ち上がることすら難儀な肉体ではあったが、そんなことは関係ない。
這ってでもいい、一刻も早く行かなければ。
「どこかに行きたいの!? そんな立てもしないのに無茶よ! そっちは切り立った岩場もあるし、滑って落ちでもしたら生き返ったばかりでまたすぐ死んじゃうわよ!! ……あー、もう! どこかに行きたいんだったら少しは手伝ってあげるから、命を粗末にするような真似はよしなさい!! 」
……ただ耳に入っているだけで意味を解釈していなかった子鬼の言葉の中に、聞き逃せないモノがあった。闇雲に這い進もうとしていた身体が止まる。
ここで死んだ時、またこの地に復活するとは限らない。己の眼で見て認識し、魔王の存在を確定させる前に死んでしまっては、かつての未来を思わせるこの世界で見つけてしまった真実は、結局不確かな謎のままとなってしまう。それでは仮にあの暗闇と怨念の世界に戻ったとしても、心の中に重いながらも逃げ道を許す、中途半端なしこりとなって残り続けるだろう。
そんなことになってしまっては、本当に救いがないのだ。
加えて重要な情報をもたらしてくれた相手に対して、聞かれた質問に答えを返すこ逃げ出す自分の有様は、最低限の礼すら失しているモノだ。戦士以前に雄として、このような態度は恥ずべきではあった。情報の重大さを思えば例えどれだけ荒唐無稽であったとしても、偽りなく答えを返すのが筋だろう。
ただし、礼儀を果たすのは「確認」が終わった後の話だ。これは譲れない。
なにせ話せば長い身の上話になるのは確実だ。結局は嘘と断じられる可能性が遙かに高いにしても、自分の言を理解させるためにはそれなりに長い時を掛ける必要がある。そして、そんな不毛な時間に耐えられるほどの心の余裕は、今の俺には欠片もなかった。
どうにかして、魔王の魔力を漂わせる大本を確認したい。けれど今の独力ではそれを成すのは難しいようだった。手伝ってくれるという言葉を鵜呑みにしても、説明のないままに命の危険があるという落差をもった岩場を越えて、台地の末端まで運んでくれというのは無理があるだろう。
どこかに目的を叶えるための糸口はないか―― そんな闇雲な想いで辺りを見渡す。
……大して成果を望んではなかったが、どうやら完全に運が尽き果てたというわけでもなかったらしい。ここからさほど離れていない場所に、背の高い木立の切れ間からなおその突端を突き伸ばしている、ヒトが作ったと思われる建造物を見つけることが出来た。
一目で廃墟となって久しいことが分かるほどに寂れた趣きではあるが、それはそれで都合が良い。しっかりとした石造りの外観からして子鬼が登っても早々に崩れるようには見えず、あれだけ寂れているのならば立ち入ったところで咎められることもないだろう。
命の危険があるほどの落差を持った地形が、魔王の気配に続く方向の先にあるということは、逆に言えば周辺の木々よりなお高いあの建造物に登れさえすれば、気配の大本までの視界を塞ぐモノは何も無いということになる。
あの建物にさえ登れたなら、この渇望は叶う―― そう考えが至った時、後ろにいて怒鳴りつつも心配そうな気配を醸している子鬼に対し、恥を重ねることを躊躇う気持ちは少しも湧かなかった。
――見知らぬ子鬼の雌よ、どうか一生の願いだ。
――俺を、あの建物の上へと連れてってくれ。
* * *
「……あとでぇ! ……絶対にっ! ……事情を説明してもらうからねぇぇ!! 」
欠けた塔の頂上付近。
下界を見下ろせる位置のその場所に登るために、残っているのはこの最後の段差だけ。
下半身にろくな力の入らない雄の身体を持ち上げようとして、ボコナは気合と共に不満を叫び散らしていた。
断られても1人で登るつもりだったが、彼女は俺の「子鬼の雌」呼ばわりに怒り、少しの文句をぶつけてくるだけで、結局こちらの一方的な我儘に付き合ってくれたのである。彼女にとっては不幸にも周りに同族がおらず、呼びに行った隙に俺が勝手に登り始めた挙句、落ちて死なれては寝覚めが悪いということで、ここまで1人で補助をし続けてくれたのだ。
事実、彼女がいなければ俺はここまで辿り着くことは出来なかっただろう。森の中の獣道は肩を貸して貰わなければ、どれだけ時間が掛かったかは分からなかった。そして同族が有事の際に見張り台として建物を利用するために元々置いてあったというツタで編まれた縄を、先に先行して貰い壁から降ろして貰わなければ、この細い腕の力だけでは壁登りの途中で力尽き、地面に叩き付けられて最悪再び死んでいたとしてもおかしくはない。
(一生の願いの前借りは、思った以上に大きいモノになったな…… )
だがそれだけの価値はある。こうして俺は、目的の場所に辿りつくことが出来たのだから。
理由を一切聞かずに、ここまで初対面の不審者を手伝ってくれたボコナには感謝しかなかった。いずれ、この恩はしっかりと返さなければならないだろう。
――そんなことを考えながら、下界を俯瞰する。
求めながらも、見つかって欲しくない……目を向けるその瞬間まで、その矛盾した願いを解消することは出来ないままだった。
視界を構成する景色でまず最初に飛び込んできたのは、故郷の近くにあった見知った【火の山】、そしてそれを取り巻く見慣れた山脈であった。満月の光を受けてほのかに見て取れる火山の威容とそれに連なる稜線の形状は、記憶の中にある風景と決して変わるものではなかった……それは言い訳のしようもなく、この地は自分がかつて存在した大陸と同一のものであることを示す証拠だった。
――そして【火の山】よりやや西、手前側の場所に、
かつてそこには【厄災】がいて、振るわれる"剣"を盗み見た俺の背を震わせた場所。
大陸の中央に位置し、最も多くのヒトが集まっていたはずの建造物……その敵の総本山というべき建物から、濃密に魔王の魔力が撒き散らされていた。
可視化出来るほどに濃い魔力は渦を巻き、時折蛇とも龍とも見て取れるような影を浮かばせている。その影は朧で、時を置かずして消える儚い存在であったが、魔物の直感はその正体を悟らせた。
ソレは、魔王だった。
封印の縛りから完全に解き放たれてはいないようだったが、魔王は確かに、この大陸に復活していたのである。
【ライネル】が主だった魔物の戦士を道連れに討ち果たされていたはずの世界にも関わらず、魔王は復活を果たし、何十年という時の間ずっと魔物達に『祝福』をもたらし続けていたのだ。
ヒトの象徴たる建物の上空を席巻する影の頭が一瞬、コチラを見たような気がした。
儚い影は再び消える間際の一瞬、口を象った部分を天に向けて大きく広げ、声なき咆哮を上げる。
――その光景は、単独で【厄災】達を跳ね除けて蘇ってみせた魔王からの、無為に魔物の命を散らせただけに終わった無能の【ライネル】へ向けた、非難の叫びのように思えてならなかった。
壮大で雄大な景色を背景にタイトルロゴが『ドーン!』と浮かぶwktkな原作オープニングも、魔物視点にかかれば絶望の風景になる不具合。
今章は全章ひっくるめて一番明るい構成になるはずだったのに……。
以下は主人公の現状。
・種族の格が超大幅ダウン(白髪ライネル→赤ボコブリン)
・魔力激減(黒→赤)
・経験値消失(強靭な四脚ライネルとは違う、貧弱な二足ボコブリンの身体操作を今後強制される。培った技術は軒並み使用不可)
・専用武器破壊(獣王の剣は99年前時点でバラバラのいくえ不明に)
・友人喪失(死後も『彼』には出会えなかった)
・自尊心壊滅(【ライネル】が動かなくても魔王は【厄災】に打ち勝ったという現実)
……主人公かわいそう(作者感)