回生のライネル~The blessed wild~   作:O-SUM

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○前回のあらすじ

 厄災式ヴァーイミーツヴォーイ(ボコブリン風味)

 ※「ヴァーイミーツヴォーイ」とは原作ほこらチャレンジ「うるわしの美酒を求めて…」に登場する、キンッキンに冷えたゲルド酒の銘柄です。男との出会いに飢えたゲルドの街を代表する酒として、そのものズバリなネーミングセンスには脱帽。





麗しき雌の回顧 ~彼の語る『祝福』~

 

   *   *   *

 

 

 その後ベコリーに担がれた彼を連れ、無事に私達は集落へ帰り着いた。

 

 帰り道の道中、折を見て彼に話し掛けたりもしたが、彼は建物の上で漏らしていた呟きに似たような独り言を返すばかりで、ここまで打ちのめされるほどの事情か何かを察せられそうな言葉を聞き出すことはとうとう出来なかった。

 

 やがて無言でいる時間がだんだんと増えていった帰路ではあったが、集落へと帰り着きさえすれば『祝福』にかこつけて行われている宴がある。酒や肉が振舞われているだろうその陽気な空気に触れれば、あるいは彼の気持ちも多少は持ち直すのではないかと少しは期待していたのだが…… 残念ながら宴は既にお開きとなっていた。

 

 開けた広場に今も居残っているのは、腹を満たして呑気に眠りこけている者達がほとんど。後片付けに奔走している年若い者達が数匹はいるものの、それは宴の雰囲気にはほど遠い。

 もちろんこんな場所に立ち寄ったところで彼の沈んだ感情が上向くことを期待出来るはずもない。足元から地鳴りのように轟くイビキの中、残り物の肉の切れ端をつまんだ程度で明るくなれるほど、彼を苛んでいるモノが軽くないのは明白だった。

 

 ……精神的なケアが出来ないまま行くのは不安があるものの、ことは今後の集落の方針に関わるかもしれないモノだ。仕方ないが、当初の目的地へとこのまま連れて行くしかない。

 向かう先は族長がいるドクロ岩―― 私の家がある場所へと、宴に間に合わなかったと嘆くベコリーを急かすことにした。

 

 

   *   *   *

 

 

 広場を突っ切っている訳ではないにも関わらず、家へと続く踏み固められた土のそこかしこに、酒臭い息を漂わせるダメな戦士達が転がっている。

 呂律も定かではない彼らと適当に言葉を交わしつつ、引き止める声をかわして進むことしばし。集落を一望出来るやや小高い位置に存在する、頭蓋骨を模した空洞の大岩こそが私と、そして唯一の肉親である父が暮らす棲家である。

 

 ドクロの両目と口に当たる部分から漏れた光が、中に火が灯されていることを教えてくる。また、そんな明かりを時々影が遮ったり、揺れ動いている様子は、まだ父が起きて動いている証でもあった。

 ……しかし岩の中、そのほぼ中央に置かれた焚き火が唯一の光源である我が家の造りを考えると、入り口から漏れる光を影が遮るということは父が奥ではなく、入り口付近にいることになる。もし他に誰かがいないのであれば、何故父はそんな場所にいるのだろうか。

 

 今夜は本来、誰も蘇らない『祝福』の夜であった。

 つまりは集落の外で蘇ってしまったかもしれない同族を探し回る必要もなく、族長も忙しく立ち回る予定はないはずだが…… もしかすると、宴から帰ってきたばかりなのかもしれない。

 

 そんなことを考えつつ、特に気負うことなくベコリーと共に入り口から顔を突き出したのだが。

 

 

 「……! ボコナ! 良かった、帰ってきたか……! 」

 

 そんな私達を目敏く見つけた父の顔には、明らかな安堵の表情が浮かんでいた。

 

 

 弛緩しきった今の集落の雰囲気にあって、その安堵を浮かばせる前に一瞬覗かせていた族長としての、緊張と警戒に満ちた顔はひどく場違いなモノにすら思える。

 しかし今まさに出掛けようとしていたことが分かる装いに加えて、かつて魔物に猛威を奮い、そして今は去ったヒト達が遺していった金属で作られた武具の中で最も状態が良かった一振り…… 私達にとって『族長の証』としての意味を持たせている、族長にのみ所持を許された「鋼鉄の剣」をすら背中に背負っていた姿からは、これが決して父が、ただ深酒が過ぎて酔っ払った末に起こしている行動ではないことは明白だった。

 

 「つい先程、『祝福』で蘇る者がいるはずもない今夜にもかかわらず、尋常じゃない気配の魔力がどこかに集中したのだ! おおよその感覚でしかないが、お前が出掛けて行ったはずの森の方向から漂ってきたものだから肝を冷やしたぞ…… 」

 

 ――どうやら物々しい出で立ちは、私を探しに森へ入るつもりであったらしい。

 その気配の正体を知る私にとっては、今言われた内容は恐怖をもたらすものではなかったが、族長が誇る相変わらずの魔力感知の冴えには流石、と唸りを上げそうになった。

 

 私が父の言う尋常ではない気配に気付けたのは、あくまで彼の出現した場所に対して、私が誰よりも近い位置に、たまたま1人でいたからに過ぎない。

 危機を誰よりも迅速に察することが出来る者こそが族長の器であるというのが父の持論ではあるが、皆が気付かず宴に耽る中、遠くの森で起こった異変をただ一人察していたとは、まさに野生に生きる群れを率いる長と呼ぶに相応しい。

 

 ……最も焦る余りに族長が供も連れず、単身でその現場に踏み込もうとしていた辺りは、我ながら娘可愛さが過ぎると思わなくもないのだが。

 入口から私と共に顔を出していたベコリーへと不必要に気合の入った視線を飛ばしている父に対し、頭を切り替えて貰うためにも「族長」と声を掛ける。

 

 目の前の父から任されて以来、今までほとんど進展することの無かった私の仕事が、もしかすると今夜を切っ掛けに何かが変わるかもしれなかった。

 その生きた証であるところの彼が、果たして良い要素なのか悪い要素なのか、それはまだ全く分かってはいない。それでも私は突然目の前に現れたこの稀有な事態に関する情報を、一刻も早く誰かと共有したかった。

 それを話す最初の相手が、『祝福』を盲目的に利用することに慎重な、部族の中でも一握りの者達の筆頭―― 詳しく検証する必要性を訴えた父であるならば、私が彼に対する姿勢を考えて固める上でも最適に違いない。

 

 未知の何かに踏み込めるかもしれないという興奮が、知らず呼び掛けた声に熱を籠めていたのかもしれない…… 私自身の安否報告だけでは終わらない話になると察してくれたのだろう。

 父は覗かせていた優しい親としての顔を引っ込め、何も言わずにコチラへ詰め寄ろうとした身体を押し留めた上で、焚き火の奥―― 上座に当たるいつもの定位置へと腰を下ろした。

 

 その火を囲むように座ったのは私とベコリー……そしてそれに追従するような形で、ベコリーの補助を受けながらではあるものの、彼も一応、円座の内に座る姿を見せた。

 力の入らないままであるらしい足を前に投げ出すように座り、丸めた背中には欠片の覇気も宿ってはいない。それでもそのまま、座った状態を崩すことはなかったのである。

 

 

 ――正直、それは意外な光景と言えた。

 

 これ以上はないと言い切れるほどの憔悴した様子で、帰り道の道中を引き摺られていた彼なのだ。 目を離して再び視線をやった時、あまりの生気の無さにもしかすると死んでしまったのかとすら思い、顔を覗き込んだことも一度や二度ではなかった。

 そんな確認を繰り返しながらもここまで生きて帰り着いてくれはしたものの、腰を落としたならば間違いなく、その辺りで寝転がってしまうものだろうと思っていた。それは族長の前で余所者が取る態度としては些か以上に角が立つ振る舞いであることは間違いないが、そうなってしまっても仕方ないと思える状態ではあったし、過去の『祝福』対象者の例外として存在してくれさえいればそれでも良かった。

 今夜のところは彼の顔見せと、どういう理由でここにいるのかを私が見たまま父に伝えるだけでも問題ないのだ。

 

 ……しかし彼が取った「座る」という姿勢は、ただそこにいるだけで構わなかった『生き証人』ではなく、これから行われる族長との話し合いへの『参加者』となる意思を示していた。

 

 どうして彼がそうあろうとしているのか、それが分からない。

 自分の名を否定するほどに気力を失っていた彼が、なぜこの家に入ってから突然他者と関わろうとするほどに持ち直せたのか。閉じこもっていた自我から精神をぶり返せる切欠が、どこかにあったかと思い返してみても、何ら特別なことは起こってはいなかったはずだ。

 定住する魔物の住居としては一般的だとは思う、大岩の家。焚き火の温もり。娘を心配して詰め寄る父の姿。「族長」と呼び掛けた、私の声…… まさか権力を匂わせるその呼び名に、見栄を張る姿がソレだということはないと思いたい。弱肉強食を旨とする魔物の本能の習いとして、統率者である父にへつらい従う雄が多いことは否定しないが、あれだけの絶望と悲嘆に暮れていた雄でさえもがそんな情けない理由で自分を取り繕うというのは、あまりに情けないだろう。

 

 「……どうした? 何か話すことがあったんじゃないのか? 」

 

 掛けられた声に、ここが報告の場であったことを思い出す。

 気付けば上座より向けられていた、見知らぬ雄を見たまま口を開こうとしない私を見る父の視線が、どこか胡乱な雰囲気を出し始めているようであった。

 慌てて居住まいを正す。

 今は、彼の心境を推し量っている場合ではないのだ。そんなことは、ただの些事に過ぎない。

 今は何より、『祝福』でこれまでとは違った事象が起こったのかもしれないという現状を、父と共有し合うべきなのだ。

 

 やがて父と向き合った私は、まずは森で見聞きし、感じたモノをありのままに伝えることにした――。

 

 

   *   *   *

 

 

 「――以上が今夜、私が『祝福』の後に見聞きしたことの全てかしら? 」

 

 縄張りの森から立ち昇った、おぞましい気配の発生と消失。

 その現場に存在していたのは、近辺にはいるはずのない集落の外から来た同族が1匹。

 明らかに成体であるにもかかわらず、まるで幼子のように足元が覚束ない様子の弱者が、何故か五体満足の綺麗な身体で獣溢れる森の中にいたこと。そしてそれに反し、妙な周辺地理に関する無学さを除けば、会話の端々から感じられた知性は意思疎通に容易く、決して学の無い者ではないだろうということ。

 台地に点在する他勢力の部族から送り込まれた者である可能性は、族長の娘と1対1であるにも関わらず全く襲おうとしない姿勢や、足の不具を取り繕わずに晒してひたすら混乱する様子、建物に登りたいなどという何ら意味のない目的に固執し続けていた点から考え難いということ。

 いざ求められるままに下界の景色を見せてみれば、このような屍のようになってしまったこと――。

 

 ……私の視点で語れる内容は、大まかに纏めるとこんなところだろうか。

 

 夜も更けているとはいえ、赤い満月が天頂に輝いてからこれまで、まだそれほど時は過ぎていない。それから今までの間に起きた出来事といっても、異常の中心である彼からろくに話を聞けなかった以上、あまり密度が濃い訳でもないのだ。確定できる情報はあくまで私の視点で見聞きした事柄だけであったために、報告それ自体にあまり長い時間は必要なかった。

 ……さほど長い時間を費やしたはずもないのだが、隣に座っていたベコリーが焚き火の暖かさに負けて早々に船を漕ぎ始めているのは、この際捨て置くことにする。自分と関係の無い話にいつまでも付き合えるほど、この脳筋は我慢強くなかったらしい。

 

 「ふぅむ…… お前が嘘を言う理由もないし、実際にあの不吉な気配は既に消えてしまっているのは儂の感覚からしても間違いなさそうではある……あるが。ただお前が拾ってきたコイツが正しく『祝福』の産物であるかどうかが、何ともあやふやな点は問題だな…… 」

 

 ……中々痛いところを突かれてしまった。

 そうなのだ―― 今話した内容は全て、彼という存在が『祝福』によって生まれ直した存在であるという前提があって、初めて意味を成すモノに過ぎない。

 傍目から見ても怪我はなく、肌や肉付きからして体力が極端に失われているような状態にはないと思われる彼が、脚を動かせないというのは自己申告に過ぎない。たまたまあの森へと迷い込んだだけの他部族の子鬼、という可能性は依然として捨て切れないのだ。そもそも身体の全てが健康体で生まれ直す『祝福』を受けた者が、何故足を動かせないのか。

 凶暴な肉食動物も多くいるあの森に、なんの装備もなく単独だったこと。そして何よりあのおぞましい気配の中心地にいたことから私は『祝福』の対象者だと考えているのだが、集落をまとめる族長にとっては、私の報告一つでそのまま鵜呑みにする気はないということだろう。

 

 だから。

 この先は「当事者」から情報を得なければ、話を煮詰める価値があるかどうかも判断し辛いのである。

 

 「では一応、聞いておこうか……見知らぬ者よ。我が娘はこう言っているがお前は一体何者で、どこから来たのだ? 」

 

 報告の最中は会話を促すための相槌に集中していた族長が、ここで初めて彼と正面から向かい合い、話の水先を向ける。

 

 「このままであればお前は身元不明の不審者に過ぎん。何も語らないというのであれば、この集落を纏める者としてはお前を自由に歩かせる訳にはいかなくなるのだが? 」

 

 力なく座っていた彼はしかし、私と父が話している間もベコリーとは対照的にまんじりともせずにいた。これまで道中を共にしていた私はもちろん、その様子を見た父もまた、この問い掛けにまともな返答があるとは期待していないのだろう。

 私が彼を指して従来の『祝福』の例から外れた者であるかもしれないと語った最中も、父はチラチラと横目ではあったが、その当人の様子を観察していた。今なお彼が漂わせる虚無感は、決して生半可な演技で匂わせられる類のものではない。しかしそれは同時に、まともに意思疎通が取れる状態ではないことを伺わせるにも十分だったのである。

 

 恐らくはこれから、このまま望ましい反応を返せない彼に見切りをつけた族長が、不穏な存在を集落から放り出すか否かの判断をすることになるだろう。ここからの私の仕事は『祝福』に関わりのあるはずの彼を、どうにかして集落に留まらせるよう族長を説得することにある。

 どう転んでもこの場で殺すことになるような展開になるとは思わないが、最低限、集落外縁の空き家に軒を貸せるように努めなければならない。まだ私は、彼に起こった『祝福』について何も知らないのだから。

 

 だが――

 

 「………………まずは感謝を、族長、殿。貴方の姫には、随分と、助けられた 」

 

 ひび割れた穴に無理矢理吹き込まれた風のような、ひどく詰まった声が一角から挙がる。

 あまりにも調子を崩した声色は弱々しく耳に残り、初めは誰の物かとすら思ったが…… この声が本来はもっと力強く、そして朗々と轟くことを、あの森の中で向けられた懇願と共に思い出す。

 

 驚いて父が見ている視線と同じ方向に目をやれば―― そこには枯れきった気配をそのままに、それでも確かな理性を貼り付けた顔を上げる二本角の子鬼がいた。

 やがて振り向いた私の視線に気付いたのか。一度父に下げていたのだろう頭を、彼は感謝を示すように、小さく私にも向けて下げるのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 「……俺に名前は、ない。かつてはあったが、もうそれを名乗ることは、許されない 」

 

 名乗れない非礼への詫びをそこそこに、彼はそれ以外の自身の素性を語り始めた。

 今、自分に何が求められているのかをはっきりと認識している、確かな知性を感じさせる語り口。とつとつと語られる来歴は、彼自身の身元と『祝福』の例外的な要素足り得るのかを探りたい私達にとって、実に分かりやすい構成だった。

 自分の言い分に筋道立て、相手に齟齬なく伝えられる能力を持つ彼は、やはり野良の子鬼ではない。かつては仲間を持ち、学を受け取れるだけの魔物だったのだろう。

 

 ……けれど肝心の内容が、それこそ狂っているとしか思えない代物だった。

 例え事前に、「俺の身に起こったことは、貴方がたの言うところの『祝福』とは、違ったものなのかもしれない 」などという前置きを置かれていたとはいえ、これまで私達が持っていた『祝福』の常識からすれば、それは妄想や夢と言い切ってしまえるモノだったのだ。

 

 ――曰く、生前の彼は【空の台地】に住まう子鬼ではなく、下界に生きる半人半獣の種族だった。

 ――曰く、武と智に優れたその種族の中でも、彼は最強を誇る存在だった。

 ――曰く、魔王を脅かす"剣"という存在を滅ぼすため、私達の種族である子鬼を含めた魔物の大連合を擁して挑んだが…… あえなく敗戦し、その際に受けた致命傷が死因となった。

 ――曰く、それから恐らく何十年という体感時間を、怨嗟溢れる亡者の影と共に過ごした。

 ――曰く、それから正体不明の腕を掴んだことで蘇った場所が、あの時私と出会った森である。

 ――曰く、その時既に、自分の身体は子鬼となっていた……らしい。

 

 ……無茶苦茶だった。

 語られた彼の昔話は、呆れるほどに荒唐無稽だった。

 

 だって彼の話は、これまでに起こった『祝福』と、何もかもが当てはまらないのだ。

 私が生きる世界である【空の台地】。そもそもこの外から来た生物なんて見たことなんてなかったし、半分人で半分獣の魔物とは一体どんな形をしているのか想像するのも難しい。しかもそんな進化し損なったような未知の魔物が下界における最強種であり、かつてはその中でも最強を誇ったという個体こそが、目の前で満足に歩くことすら出来ないでいる弱者その人であったのだと言う。

 

 何より『祝福』とは、あくまで復活に過ぎない現象であるはずだった。

 全く違う種族に生まれ直した者などは私の知る限り、間違いなくただの1匹としていないのだ。死からの回復、蘇り。それ以外の奇跡は起こり得ていない。

 

 記憶についても従来の『祝福』を受けた者達は自分が死んだ時の状況こそ覚えていられないらしいが、影響らしい影響といえばそれくらいだ。

 この集落周辺で命を落とした者はまず例外なくこの周辺に復活していたし、縁者が覚えている通りの生前の記憶を持った上で完全な健康体として生まれ直している……亡者に囲まれて数十年を過ごしたなどという話は聞いたことはなかったし、謎の腕などという不穏な存在もまた然りだった。

 

 ――加えて、これまでの子鬼の仲間達は皆、死を迎えたならば次の周期の『祝福』によって蘇っている。

 彼が語った魔物の軍勢と"剣"の戦い。【空の台地】に伝わる歴史にそんな記述はもちろん無く、百歩譲ってその会戦が事実だとしても、あの下界に発生した「赤黒い闇」が生まれる前の時期だというのであれば、それは恐らく月日にして百年ほども昔の話ということになる。

 一体それから何度、赤い月が天に輝いてきたと思っているのだろうか。

 

 

 

 ……言いたいことは全て言い尽くしたのか。

 語り終えた彼は、もう義理を果たしたとでもいうように力なく項垂れている。

 こちらが声を掛けて揺すれば僅かに反応を返しはするのだが、とても今夜はこれ以上、まともに会話するのは難しい様子である。肉体的には足以外の問題は無いという彼自身の言葉を信じるならば、恐らくは精神的に疲労し切ってしまったのだろう…… 正直、あの憔悴していた様子をそのままにここまで語り切れたことこそが異常であったのかもしれない。

 

 

 (普通なら考えるまでもなく、出鱈目だと言い切って当たり前の内容なんだけど…… )

 

 今目の前にある、彼の疲れ切ったこの姿。

 そしてあの時廃墟の上で慟哭し、正真正銘打ちひしがれていた彼の背中からも、虚飾や嘘、姦計の類―― そうした濁った感情の一切を感じ取ることが、私には出来なかった。

 ……もしかすると彼は、その時々の行動に全てを注ぎ込む類の雄なのかもしれない。

 だから必要であれば雌である私にも手助けを求めることも厭わず、魂から嘆くほどに何かを背負えてしまっていたのではないだろうか。

 

 (……けど。だとしたら、もしかして……? )

 

 もし、もしもだ。

 私の感じるこの印象が正しくその通りであった場合、それはそれで問題なのである。

 いっそ彼が希代の大嘘つきで、たまたまあのおぞましい魔力が発生した場所に迷い込んだだけの余所者であってくれた方が、この際有難いと思えるほどに。

 

 困ったことに、()()()()()()()()()に対しても、私は一切の「濁り」を感じ取れなかったのだ。

 

 彼は最後に言った。

 

 ――俺の身に起こったことは、森の中で姫に教えられた『祝福』とはあまりにかけ離れている代物だとは思う…… これは「呪い」であり「罰」だ。この世界に引き戻されたことが祝福だなんて、俺にはとても思えない …… ――

 

 全くその通りだ。

 もし彼が言ったこと全て鵜呑みにして信じるならば、彼は掲げた誇りも大切な仲間の何もかもを負けて奪われたのだ。そして何十年にも及ぶ責め苦を受けた後、誰も自分を知らない時代と土地に突然放り出されている……しかも戦士が何より信奉する「力」を根こそぎ奪われた無力な状態で。

 極みつけに自らの正義を信じて犯した敗北の犠牲が、結局何ら益のない無駄なモノであったという証を、あの廃墟から見下ろす景色に見せつけられたらしいのだから、蘇ったことが「呪い」であると捉えても仕方ないとしか言えない。

 

 だが彼の身に起こった事態が、私達の考える『祝福』と別のナニカであると断言するのは難しい。何せ形はどうあれ「蘇った」という結果に変わりはない。そして、それが起きたのがあの赤い月の夜なのだ。楽観視するには、余りにも重要な共通点を持っている。

 

 全ては可能性だ。

 彼が嘘をついているかもしれない、心が壊れて現実と妄想の区別がつかなくなっているのかもしれない…… それなら『祝福』はいつも通りだ。これからも安心して赤い夜を見上げることが出来る。 

 けどもし彼が嘘をついていなかったら?

 正しく現状を認識し、語られたソレがかつての埋もれた歴史だとしたら?

 

 (私達が今便利に使っている『祝福』は、『祝福』ではなくなってしまう )

 

 時と場所を超えて、突然この地に悪意ある凶悪な魔獣が現れるかもしれない。

 死んだ者が赤い月を迎えても戻らず、遠く離れた時と場所へ追放されるかもしれない。

 それらのこともまた、これから起こるかもしれない可能性となってしまうのだ。

 

 特に最近、戦士達の間ではこの『祝福』を用いた「死療」なる行為が密かに横行し始めているのを、『祝福』の対象者の数を調べ、把握している立場にある私は知っていた。狩りや決闘によって手や足を失ったならば、いっそ死んで蘇った方が良いという行いである。

 『祝福』によって生死の境界が曖昧になってしまっているからこそ流行り始めたのだろう「死療」であるが、少なくとも私はこれが、あまり好ましい行いではないと感じていた。

 不慮の死、不治の病。そうした避けられなかった不幸を掬い上げてくれる『祝福』はなるほど、本当に素晴らしい…… しかし今を確かに生きている命を自ら終わらせた後、正体不明の奇跡に復活を願うというのは、野生を生きる者としては歪で間違っていることなのではないだろうか? と。

 

 ……もちろん今まで、この考えを表に出したことはない。彼らは何も、暇潰しのように死んでいる訳ではないのだ。

 私達のために命懸けで獣を捕え、誇りを掛けて戦い、その結果失われた手足をしてなお、再び同じ戦場に立とうとする戦士達。明日をもしれぬ恐怖に耐えながら、終わらない痛みに苦しみ続け、やがて終わりを求める病人達。

 そうした彼らが最後に『祝福』へ縋ろうとする気持ちを、当事者でもない私が偉そうに非難出来る資格などあるはずもないのだから。

 

 ――ただ突如現れた目の前の二本角の子鬼が、その例外であるならば。たまたま私達にだけ、それがまだ起こってないだけなのだとしたら…… まだ十分な余生を家族や仲間達と共に生きられたはずの者が自ら命を断ってしまうことで、そのまま今生の別れとなってしまうかもしれないのだ。

 短期間の後に復活出来るからとタカを括り、戦士達の多くが「死療」をしてしまった後、もしその彼らが戻らなければ、集落の食と安全は一気に危ぶまれることになるだろう。

 

 ここにきてはもう戯言だと、安易に切って捨てて良い可能性ではなくなっていた。

 既に始まっている「死療」を大々的に自粛させるには、それに足るだけの根拠が必要だ。そのためには彼と私達に起きている『祝福』の前後と内容を徹底的に比較するべく、今後彼とは膝を交えて話をしなければならないだろう。

 そして『祝福』が故人を蘇らせる際、実は必ず時間と場所を固定してくれるとは限らないという結論に至ったならば、「身体の不具や異常はいっそ死ねば解決する」という考えに警鐘を鳴らすべきだ。

 死ねば、それまでかもしれないと。

 仮に蘇ったところで、それが何十年と先の別の土地であるならば、残された者にとってそれは死別と変わりはしないのだと。

 

 恐らく、父もこの考えには賛同してくれるだろう。

 何といっても『祝福』の詳しい実態を検証するよう、私に役目を振った者こそが族長である父なのだ。私には実感のない戦士としての視点から、彼の話を吟味し、情報を引き出してくれるに違いない――。

 

 そうした意図を込めて父を見れば、視線を合わせた父が頼もしくも頷き、口を開く。

 

 「お前の話を真に受けるわけではないが、長としてその全てを軽々に否定するわけにもいかんな。しばらくの間は、戦士達に命を粗末に扱うなと言い含めておこう 」

 

 短く結論を告げた族長が、おもむろに立ち上がる。

 そうして彼から視線を切ると、今度はどこを見ることもなく言い放った。

 

 「コイツの眼は死んでいる。かつてどれだけ大層な魔物であったかは知れないが、そんな眼をした者がどれほどの魔力を抱えていたとしても、古の魔王ほどの大事が成せるはずもないわ 」

 

 この集落に留まって娘の仕事の研究材料になるも、世界を儚んでどこかへ去るのもお前の自由だ。好きにするが良い――

 それだけを言い捨てて腰に佩いていた『鋼鉄の剣』をいつもの場所に立てかけると、族長はいつも寝床にしている暗所へと消えていった。

 

 その背中はかつて最強の戦士であったとのたまいながら、今は気力の抜け落ちた抜け殻のような存在にしか見えない彼に興味を失った、力のみを信条とする戦士を纏める族長に相応しい振る舞い―― とでも、切り取った情景にするならば思えたかもしれない。

 

 父を良く知る、古株の方々の言を思い出す。

 集落で最も優れた戦士であることを内外に示す『黒肌』を持つ族長は、年を取って慎重さを兼ねるようになったが、根っこの部分はまるで成長していないと。武を持って白黒つけることを好み、即断にして即決出来ない問題に対しては、今も変わらず苦手であると。

 

 そして『鋼鉄の剣』を立てかけようとして振り向く瞬間、その父の横顔を私はしっかりと見ていたのだ。(けむ)り始めた焚き火の向こう側、薄曇りに陰るその表情には、それでも隠し切れない表情が、ありありと浮かんでいた。

 

 

 

 『なんだ、コレ。メンドクセェ 』―― と。

 

 

 

 (あの糞親父……! (もっと)もらしげに捨て台詞を残して……私に調査を丸投げしたわね!? )

 

 

 この場に残されたのは項垂れるままとなっている彼と、仰向けに転がって本格的にイビキをかいて眠り始めたベコリー、火勢が衰え切って(くすぶ)るだけとなった中央の焚き木…… そして、私。

 

 

 入口の隅、消火用に纏めてある砂山から器を使って一掬い、砂の塊を掻き上げる。

 まるで使えない置物と化している雄2匹に、これを思い切りブチ撒けてやろうかという衝動を抑えながら、抱えたモヤモヤと共にそれを焚き火に向かって叩き付けた。

 

 

 





 ボコナはマスターモードではない【はじまりの台地】に生きるボコブリンであるため、半人半獣のライネルを見たことありませんし、他の者達にしてもライネルを見た魔物はおりません…… つまり『祝福』に柔軟な思考を持たないボコナ以外の大多数にとっては話を聞いても、【ライネル】は妄想全開のイカれた子鬼にしかみて貰えなかったりします。
 ついでに拙作におけるブラッディムーン現象を魔物視点で触れるに辺り、担当をボコブリンの姫に割り振ったワケですが、ほんとにボコブリンなのかなって考察させてしまうことに……"賢者"とは一体……

 ※鋼鉄の剣=原作の片手剣「兵士の剣」です。

 

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