回生のライネル~The blessed wild~ 作:O-SUM
【ライネル】、ボコブリンから宝と剣と盾を巻き上げて家出。
* * * * *
「ハァ、ハァッ……待って、ナナシ! 」
集落を出て丘を越え、【下界】を見下ろす台地の縁に面する森の手前で、ようやく彼に追いついた―― けれど残念なことに、私の声を受けて振り向いたナナシの顔からは、何か特別な感情の動きを感じることは出来なかった。
いつも集落の若い雄が私に向ける視線に込められていたような熱や、時々つがいとなることを求めて言い寄って来る際の色が宿っている様子は微塵もない。
(……まぁ? 分かっていたけれど? 貴方はそうでしょうけれど? )
こんな真夜中、1人こっそりと旅立とうとしている雄を追い掛けた雌…… そんな私に対し、恐らくは「まだ寝てなかったのか 」とでも思っているかのような、小さく軽い驚きの表情だけを浮かべている。
(同族なのは外側だけで、中身には得体の知れない魔物の魂を詰め込んでいる貴方にとって、子鬼の私は『そういう』対象には見えないんでしょうけど! )
今夜が彼と会える最後の夜になるかもしれないという、半ば脅迫観念めいた想いに突き動かされてここまで追ってきた私である。だというのに固めてきたはずの乙女的な覚悟は、脈の欠片も無さそうな目の前の雄の顔を見た途端、その本懐を遂げることなく諦めようとしていた。
(その眼はさぁ、ズルいんじゃないかなぁ…… )
残念なことにそうさせたのは「鈍感な雄に幻滅した 」なんて、話に聞くロマンスめいた理由なんかではなかった。振り向いたナナシの眼から漂う気配めいたモノ―― それが、戦士でもない私からして一目で分かる程に、分かりやすく彼の心の内を伝えてきてしまったからだった。
なんてことだろう。
巨大な獣に立ち向かっていったあの時も、百戦錬磨の戦士達と『最優の雄』を掛けて戦っていた今夜にだって、ほんの僅かにも感じさせることのなかったナナシからどうしようもなく感じられてしまう、この空気。
(……あぁそっか、この感じ)
私がすぐにその正体に思い至れたのは、彼がソレを隠すことのないまま、今ほどには表情を取り繕うことも出来ずに身体全体から放散していた姿を間近に目撃していたためだ。
一見して威風堂々と強者の面持ちでありながらも、その精悍な顔つきの下に潜ませた感情に気付いてしまった時、私は1年前にこの森の先で初めて見つけたナナシの姿を思い出していた。
――今のナナシは恐怖し、怯えているのかもしれない。
思い至ったその時にはもう、そうとしか考えられなかった。
100年という月日が経ち、今や記憶の中に残している環境とは違うだろう【下界】へと、たった1人で行く孤独に。そんな時にこそ頼りになるはずだった己の力、かつて誇っていたという強力な力を身体ごと失っている自分に。
そして探し物であるらしい"剣"と呼んでいるモノ、しかしその気配をこの【空の台地】からは全く感じることが出来ず、手探りで探し求めなければならないと零していた不安に。
……何より、まず最初に何かしらの手掛かりを得るためにも訪れたいと言っていた、かつて多くの命を無為に散らせ、そして『自分』すらも終わってしまったという場所へ行くと語っていた張りぼてめいた決意に。
『最優の雄』と【台地】においても最大多数の戦士を揃えている集落が認め、族長がその象徴であったはずの「鋼鉄の剣」を預けたほどの雄が、見えない何かに心を竦ませているような気がしてならなかった。
毎夜毎夜あの場所から見下ろしていた、あの禍々しい気配を漂わせる【下界】の建造物。
彼曰くあの気配こそが復活した魔王であるらしく、それを今度こそ護ることこそが自分の生まれ直した意味なのだろう、と最近語るようになっていたけれど……
(貴方ってば…… すっかり落ち着いたように見えてたけど、根っこの部分はまるで変わってなかったのね…… )
『最優の雄』の栄光を勝ち取ろうとも、どんな猛獣でも下してみせてきた腕っぷしを持つようになっても…… 100年前にナナシの精神へ刻み込まれた深い傷は癒えなかったのだ。
目立つ功績がカサブタになって被さり、たまたま私達の目から隠されていただけ。
私達にとってはそれが偉大なことでも、彼にとって「あの程度」のことは、自信や尊厳を取り戻す糧とは成り得なかったということなのだろう。
ナナシは、何も喋らない。
弾んだ息を必死に整えようと繰り返す、私の深呼吸の音だけが響く無言の空間。
視界の悪い夜の森の入口で、若い雌雄の同族が2匹―― 集落に暮らす年上の雌に吹き込まれた入れ知恵によれば、良い具合に甘い雰囲気に至れるらしいシチュエーションだったはずだが、そんな気配が入り込む余地などはない。
重さを伴う緊迫感すら感じるこの空気を吸っているのはしかし、恐らくは自分だけだ。
対面してから今までの私が考えていた事柄なんて、【下界】に意識を半分以上飛ばしかけているナナシが見透かそうとするはずがないだろう。
……何せ、この雄は私の乙女心を丸っきり察しようとはしなかった朴念魔なのだ。今更になって察しの良さを発揮されては、その、理不尽に過ぎる。
(でも猶予は、私の息が整い切るまでの僅かな間しかないはず )
それを過ぎてなお何も喋らなかったら、きっとナナシは訝しがる。
集落を離れてからここまでの道中、きっと彼の思考は前の世界の出来事、そしてこれから向かう【下界】のことが駆け巡っていたに違いないのだ。既に別れを告げたこの土地に関わる一切よりも"剣"を優先すべきと決めてしまっている以上、最悪何も言わない私をそのままに、自分に無理矢理定めた使命を果たすべく森の奥へと消えてしまいかねなかった。
もちろん、ダラダラと当たり障りの無い話をし続けても同じことだ。
会話の中でようやく言うべき言葉を纏められたとしても、長話の間に彼の心は【下界】へと固定され、こちらに向けてくれる意識は更に疎かになっていくだろう。それでは選んだ言葉がどんなに鮮やかな代物であったとしても、きっと心の奥にまで届くことはない…… 最後になるかもしれない彼との会話が、上辺を滑って終わってしまう。そんなのは嫌だ。
だから不意の呼び掛けに注意と意識が完全に私へと向けられている今この僅かな時。
最初の第一声。この一言に、必要な想いを言葉に乗せて伝えなければならない。
――それでも突然ナナシが行ってしまわないよう、そしてほんの少しでも息を整える時間を伸ばすため、彼の前に広がっていた真っ暗な森側に回り込んで背中を木に預けてみる。とりあえずこれで話を切り上げて森に入るには私を追い越す必要がある分、心情的にちょっとでも辛くなってくれれば…… さぁ早く、早く考えなければ。
『行かないで』――考えるまでもない、論外だ。
私は集落の最強戦力を身近に置いておきたいが為にここまで追いかけてきた訳じゃない。彼だから居て欲しいのであり、そして彼は彼であるからこそ、ここから出て行くことを決断したのだ。引き留める言葉は既に何日も前に言い尽くして決着している以上、今言うべきはこんな言葉じゃない。
「私も一緒に連れてって」――これが言えれば、どんなに楽だろう。
ただの雄と雌なら、二人で連れ立って集落を離れても何の問題もなかったかもしれない。彼にその余裕や気持ちがなくても、勝手に着いていくことだって出来る。いつか彼が贖罪に満足し、勝手に抱えていた重荷を手放した時、その傍に自分が居ることが出来たなら、それだけで私は満たされるのだろう。
……けれど無理。私は族長の娘なのだ。
子にすら見限られたと見られる長が、大集落を纏める求心力を維持出来るはずがない。『最優の雄』がいなくなった直後にそんな状態に陥れば、支配欲に薄い魔物とはいえ群れの頂点を求めて身内同士の争いが起こらないとも言い切れない。
『祝福』の件もある。
死を癒す赤い月が周期的に昇ってくれるこの状況が永遠でないことは、彼の時代の話を聞いてみれば確実だった。魔王がもたらしているというこの恩恵は御伽話の世界で語られるほどの奇跡であり、無かった時代の方が圧倒的に長かったという。ならば魔王が何かの拍子にこの世界から隠れてしまった際に起こるかもしれないこの地の混乱を思えば、最も長くこの件に携わっている私が放り出す気にはとてもならなかった。
彼を引き留める気はなく、集落を見捨てる選択もしたくない私が、戻ってこれる保障の無い【下界】へ行きたいなんて言葉を言える訳がない。
では一体、何を言うべきなのか――
・
・
・
(……なんてね。そんなことはもう、此処に来るまでに分かっていたことじゃないの )
本当は、言うべき言葉は最初から決まっていた。
ただちょっと、別れの言葉を伝えるまでに少しでも二人きりの時間を作ってみたくて、許されそうな間をわざと空けたかっただけだった。
「見送り」をする。
そのために、私はこの場所まで来たんだ。
(――ねぇナナシ。貴方にとっては思い出したくもない過去だろうけれど、私と1年前にこの森の中で初めて会った夜をまだ覚えているかしら? )
子鬼の身体に不慣れで、立ち上がることも出来ず転げていたこと。
人の遺していった建物の上で、死んだように意気消沈してしまっていたこと。
私とベコリーに引き摺られるままに、初めて集落へ行ったこと。
そして族長の前で、荒唐無稽な前世を語って聞かせてくれたこと。
――出会い頭に、貴方が何と自分を名乗ったのかも。
(大丈夫……私はしっかり覚えてるよ )
いつか史実の1つとしてナナシが語った、過去の昔話がある。
「今はもう途切れてしまっているかもしれないが」と、無念と後悔を顔に貼り付け、けれど隠しきれない少しばかりの誇らしさを滲ませながら零してくれたソレは、お伽噺の昔から【下界】に脈々と受け継がれていたという、伝統の称号を背負った魔物達の物語だった。
「魔物の守護者」を指して呼ぶべきその称号を許された者達は皆が皆、その込められた意味通りの生き方をしたとは限らなかったけれど、それでも絶対に共通していたのは、彼らは間違いなく当代の『最強』であった点だという。どんな敵も制する強さがあってこそ、その称号は初めて名乗ることを許されるのだと。
……きっと。彼があの森を出てから一切自分の名を言わなくなったのは、その一点で資格を失ったのだと思い込んでしまったからなのだろう。
(そんなことはない )
貴方は私達が、いや、私が信じる『最優の雄』なんだから。
貴方自身がそれを認めず、その誇りを自ら捨ててしまっているのなら、私が拾う。
貴方はそう呼ばれて相応しいんだと、信じて待っててあげる。
ずっとずっと忘れない。
待ってるから。
彼はきっとそう呼ばれることを望んでいないだろう。
嫌われてしまうかもしれない。
けれどもこの世界で、たった1匹でも貴方の名前を知っている魔物が此処にいると知らせたかった…… いつか彼が自身の過去に折り合いを付けることが出来たなら、どうか此処を居場所に帰って来て欲しかった。
だから私は。
旅立つ彼に言う言葉に、"コレ"を選んだのだった。
「 ……行ってらっしゃい、【ライネ
ズッ――――ブヂュッン!!
( ? え 、 熱っ ……―― )
――頭から股下にかけて身体の中心を一直線に、何か今まで感じたことのない熱いモノが通り抜けていった。
その場所に手を伸ばそうとしたはずなのに、もう全身のどこだって動かせないと、身体が勝手に判断してしまったらしい。まるで別の身体に入ってしまったみたいに、私の腕は上がらなかった。
あっという間にボヤけていく思考と視界の中、それでも何より一番強く感じていたのは、泣きたくなるほどの熱だった。
踏ん張る間もなく、いや、そもそも踏ん張ろうとしていたのか。
いつの間にか赤くマダラに汚れていた地面に転がっている自分に気付く。なんだかとても眠い。
自分の重さからすれば違和感のあるほどに軽過ぎるモノが落ちる時に聞こえてきそうな小さな落下音が、私が地面に倒れた時に聞こえていたようにも思う。
自分の身体から生まれていただろう音なのに、何で離れた場所から聞こえた気がしたんだろう。分からない。
酷い眠気。
目をつむるまでもなく、視界はもう真っ暗だった。
寝てしまうには丁度良いかもしれない。
……このまま寝てしまおう。
視界が無くなる寸前、その隅っこに、驚愕を貼り付かせた表情で「鋼鉄の剣」を引き抜いた彼が、悲しそうな叫び声を上げている光景を見た気がした。
ちょっと印象的、だ。
戦う時も滅多に声を荒げないらしい彼にしては、珍しい一面、だったかも。
もう、起きれそうにない、けれど……
叫んで、悲しんでくれる彼の声、が、何だか嬉し――――
* * * * *
俺を追い掛け、呼び止めたボコナ。
ここまで走ってきたらしく、乱れた息を整えながら何かを伝えようとしていたボコナ。
――そして役立たずでしかなかった頃から今までの約1年間、ずっと俺の傍で気を配ってくれた優しい子鬼の雌、ボコナ。
(……ボコナ。お前は今、何を言ってくれていたんだ? )
息を整え終えた彼女が何故か森の入口にまで歩いて行ったことで、俺から見れば月の光を背負って立つようになった彼女の顔には影が差し、表情は見え辛くなっていた。
またいつ再会出来るか分からない恩人の顔である。
そう思い、この機にしっかりと覚えておこうと意識を彼女に集中していたのが災いした。
……その影が死角となった森の茂みから飛び出した音に注意を奪われた挙句、草や枝が擦れ合う音に言葉の語尾を聞き逃し、そのうえ予想外の物音に硬直してしまった身体は……踏み出す1歩目を僅かに遅らせた。
それでも影の正体が猪なら良かった。熊でも良かった。それが獣程度ならば、俺は間に合ったはずだった―― あるいは元々の獣人としての姿であったならば。その正体が何であれ、俺は彼女の前に立つことが出来たのだろうか。
(そうだったなら俺はお前の言葉をもう一度、聞き直せたかもしれないのに…… )
彼女の言葉。それを急がせるつもりはなかったし、時間が掛かっても構わなかった。
重要視こそしていなくても貴重品であることには変わりない、彼ら子鬼が長い時をまたいで保存していた宝を譲り受けておきながら、集落の戦士達にとって最も価値ある「最優の雄」という称号にまで後ろ足で砂を掛け、恥知らずにも自分の都合で出奔している俺なのだ。
わざわざ追い掛けて来てまで伝えてくれる何かがあるというのなら、そんな最後にくれる気遣いまでをないがしろにしたくはなかった。
そもそも早ければ早いほど良いと自らに戒めた"剣"を巡る旅ではあるものの、明確な当てがあるという訳ではなかったのだ。
本当に、この瞬間までは。
この世界にかつての"剣"を感じさせる気配は、なかったのだ。
(何故だ…… )
どこにでも存在する何の変哲もない、ただ重量だけはそれなりの鉄を固めて造った刃物だ。
だがそんなモノの一振りで、最下級とはいえ魔物の肉体を縦に両断し得るためには、一体どれだけの膂力、あるいは技術が必要となるだろう? そんな力を有する"ヒト族"が、この大陸にどれだけの数が存在するだろうか?
……あんなにも細い肉しか持たない"ヒト族"でありながらもそれを成す者。その正体を否定したくて長い前世の記憶を浚ってみても、該当する者はたった1人しか思い当たりはしなかった。
(何故、ここにいる……? )
人共の寿命がどれほどなのか、それを正確に調べたことなどはない。しかしそれでも、かつての俺の種族よりは遙かに短い一生であることくらいは知っている。
だから有り得ない。
目の前の存在が、"ヤツ"のはずはない。
……だというのに。
気付けば右手が、背負った剣を抜いていた。
思考は常識に沿って否定しても―― 仲間の返り血でぬめらせ、粘ついた輝きを照り返すその金髪が―― 魔物を殺して何の
身体の左側
――また今度も守れなかったと俺を非難している、その視線と。
「――――――お、ぁ 」
もう、何も分からなかった。
「ァッ! オァアアアアアァッ!! 【厄災】ィィィィ!!! 」
ただ殺さなければならない相手が、目の前にいた。
……震えながら叫び、声をヒビ割らせつつ斬り掛かる俺の様子は、傍目にも尋常ではなかったはずだった。なのに【厄災】の片割れは、黙して斧を構えたまま動かない。
その蒼い眼は、雲一つない空のような、あるいは風のない湖面のような―― かつてと同じ有様をしていた。
これから命を一つ奪い合うという、土壇場にいるにも関わらず。
その奥に感情の揺れを全く感じさせずに深々と、澄んだ色をして凪いでいた。
「残酷な描写」タグさえあれば、何を書いたって許されるっ……!
「厄災」タグに期待していた皆様は、こういう展開を待っていたに違いないんだっ……!
これは原作ヘイトじゃないっ……! ただ視点が違うだけっ……!
次回投稿は別原作で始めた二次短編を終わらせる予定の、9/6以降になるかと思います。
※リンク陣営視点の題名を『閑話』でまとめていましたが、今後は各章に最低一つ差し込まれて増えていくかもしれないので、試しに『閑話』を排し、原作プレイヤー側陣営視点オンリー話の先頭に『∴』を入れて分類してみたいと思います。
この記号を使いたい理由=これが一番トライフォースに近似する記号だったから。
大体の作品ですら謎の多いモノでもある上、「BotW世界のトライフォースってどういうものなの? 」と聞かれて完璧に答えられる人が、制作陣の一部以外にはいないと思えるくらいに原作ではボヤァ…… とした存在ではあるのですが、トライフォースとは大抵の宣伝物に登場しており『ゼルダの伝説といえばこの図形! 』と言えるくらいにはゼルダシリーズの象徴となっているモノなので、拙作でもどこかに突っ込んでみたいなぁと。
そのメジャーさから北条家の三つ鱗紋を見て「ゼルダ?」と連想するのは私だけではないはず。
象徴にも関わらず溢れる曖昧さにこそ、プレイヤーは『伝説』を感じるのかもしれませんね(ゼル伝信者感)