回生のライネル~The blessed wild~   作:O-SUM

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○前回のあらすじ

 鍛冶見習いのリザルフォス、仕事を認められた有頂天から地獄に叩き込まれる。





臆病者と虐殺者と乱入者

   *   *   *

 

 

 

 「なっ! アンタは一体!? ……いや、誰でもいい! 戻ってこい!」

 

 木を背にして蹲っていた俺に見向きもしないで森を飛び出し、そのまま集落へと駆け込もうとしている同族に慌てて声を掛ける。

 俺の知っている者ではない。

 顔こそ見れなかったが、背中越しにも確信して言える。あれほど見事な()()()をした者など、記憶になかったからだ。

 

 近場の集落から来た、たまたま此処に用があっただけの余所者だろうか。

 俺の悲鳴混じりの忠告は聞こえているだろう。しかしコイツは、全く足を止めようとはしなかった。

 

 ――速い。

 集落の雄達、戦士を含めてなお俊足であるはずの己よりもあるいは、と思えてしまうほどの駆け足。とても今の竦み切ってしまっている自分では、彼に追いつくことは出来そうになかった。

 

 だからもう一度、今度は必死に声を張り上げた。

 

 「今あそこに行っちゃダメだ! 俺も何が起こっているのかは知らない! けれど悲鳴はアンタにも聞こえているだろうっ!」

 

 「……っあぁ!? くそぅっ! ……今! 死んだ!死んじまった!!……さっき生き返ったのに!さっき殺されたばかりだったのにっ……! 戦士長、の声だ! 今の断末魔は、集落で一番! 一番強かった戦士長のだ!!」

 

 「聞こえないのか!? 止まれ! 行くなっ! ……アンタも殺されちまうぞっ!!」

 

 今も村からは、絶え間ない絶叫と悲鳴が上がっている。それは駆け向かう彼にも聞こえているはずだろうに、その速度は一切緩むことはない。

 俺の再三の制止も意味はなく。

 その背中は集落の内側へと飛び込み、何の余韻も残さず消えてしまった。

 

 

 ……気付けばいつの間にか、俺は彼の後を追っていた。

 

 さっきまで震えていた足はまだ、踏み出すたびに(もつ)れるような有様ではある。しかし竦んだ心はそのままに、今も絶望のただ中にあるはずの集落へ向かう歩みは止まらない。

 

 果たしてこれは、名前も知らぬ余所者が見せた蛮勇に触発されたせいだろうか?

 

 (――切っ掛けはどうでもいい。もう一度動けたことだけ、今はそれだけを喜ぶべきだ )

 

 どう言い繕っても、一度は見殺しにしてしまった故郷である。

 なお再び(うずくま)ったまま、祝福を経た故郷に死が満ちる様を眺めていることなど、到底許されるはずがないだろう。

 

 何よりそんなことになればもう、自分が自分を許せない。

 

 ……止まればすぐにでも動けなくなりそうな足を、懸命に進めること少し。

 やがて辿り着いた、集落の周りに張られた柵の前。見渡せば、幾匹かの同族がここまで逃れて座り込んでいた。

 老若雌雄を問わず、顔には濃い怯えの色が浮かんでいる。復活して間もないだろうに、既に心身共に疲れ切っているのが一目で分かった。

 それでも首から上は頻繁かつ、偏執的ですらある様子で、自分達が逃れてきただろう背後に目を凝らすためだけに動いている様は、生きていてくれたことへの安堵よりも不気味さが勝る。まるで肉食の猛獣に追われている最中の小動物のように視線を送る先―― 集落の中央 ――に、彼らをここまで追い込んだ原因があることは明白だった。

 

 その方向を意識した途端。包みを抱えていた右腕の力が不意に抜け、握っていたモノを取り落としてしまう。

 

 ベチャッ、と。

 

 父への贈り物になるのだからと見栄を張って用意した、丁寧になめされた獣の薄皮が雨でぬかるんだ地面に落ちる。泥水に塗れ、マダラに染まった布がめくれて覗いたのは、丹念に磨き上げた自慢の白刃だった。

 咄嗟に拾い上げた剣を改めてみるが、どうやら欠けや不具合は見当たらない。少々の泥こそ跳ねて汚れてはいるものの、少し雨に晒しておけば、それだけで二又に裂けた雷を象らせた刀身に、元の澄んだ鈍色の輝きを宿してくれるだろう。

 汚れてしまった包みは、この際諦めるしかないだろうが。

 

 状況を忘れて得た小さな安堵を持って顔を上げると、剣を取り落とした時の音に反応していたのだろうか、いくつかの顔がコチラを向いていることに気付いた。

 そんな彼らのほとんどは雄。しかも戦士や狩人を生業とする者達だったことを思い出す。茫然自失の中にあっても、重い金属の武器が地面に落ちた音に反応し得たのは、やはり耳慣れたモノだったからなのかもしれない。

 

 しかし、そんな彼らであってもやはり、「逃げてきた」者達だということか。

 顔を上げた者の中に『色変わり』を成している存在はいなかった。

 

 緑一色に染めた鱗持ちの彼らは、武器を拾い上げて立つ『薄紫色』の俺を見て一様に、悲喜こもごもに引きつらせた顔をしていて…… 今知りたくはなかったその内心を、明け透けに伝えてくる。

 その対象が自分達なのか、それともまだ村の中心に残っている仲間達なのか…… それは分からなかったが、俺に言いたいだろう言葉はハッキリと理解出来てしまった。

 

 

 

 『助けて』

 

 彼らの顔は、揃って俺に訴えかけていた。

 

 

   *

 

   *

 

   *

 

 

 (やっぱり、俺は臆病者だ )

 

 ――果たしてそう思い知ったのは、今夜だけでもう何回目だろうか。

 やつれた顔、縋られる視線。

 多くの暗い期待を一斉に向けられた俺は、村の入り口まで必死に逃げてきたはずの彼らに叫んでいた。

 

 「……な、何とか森まで逃げてくれ! 戦士達は雌や子供達を守りながら、その先の集落へ駆け込むんだ! 」

 「俺はこれから集落に入るから! そう! 逃げ遅れた者がいればソイツらを連れて、お前達の後を追う! だから逃げろ! 立って! 早く向こうへ走るんだ!」

 

 そんな言葉だけを残して、返事を聞かずに走り去った。

 もちろん、振り返れるはずもない。

 疲労困憊の中やっと現れた『色変わり』という分かりやすい上位者。そんな存在に、さっさと置いて行かれてしまった彼らの顔に浮かぶ表情を見るのが怖かったのか。

 あんなにも竦み上がっていたはずの足が途端にいつもの如く動いたのは、あの場所から早く逃げ出したい心の弱さの賜物だったに違いない。

 

 『まだ戦っているはずの有力な戦士達の戦力を維持するためにも、この剣を早急に届けなけなければならない』などと、もっともらしくあの場を離れる必要があったかのような後付けの理由を思いついた時だ。

 駆け込んでくるだろう避難者を先導して森の奥、その先にある同族達が住まう砦や集落へと自分が逃がさなければ―― なんていう、あの森の入り口まで一人でさっさと逃げ込んでしまった時に、何とか捻り出したはずの体のいい言い訳を思い出したのは。

 

 (我ながらなんともまぁ、薄っぺらい、情けない理由ばかり思いつく……)

 

 自己嫌悪が止まらない。

 最もらしい理由を考えてからようやく、俺は自分を卑下している。

 

 (あぁ、リザレス! お前は子供の頃から何も変わっちゃいない!戦士を目指さず鍛冶の仕事を目指したのも、戦うのが怖かったからだ! 親父が最後は認めたのも、こんな俺の惰弱さが透けてたからに違いない! ……弱い弱い弱い!なんて恥知らずなんだ俺は! )

 

 内罰的な思考をどれだけ重ねたところで、結局のトコロ、自分が一番可愛いのだ、俺は。

 

 (それでも駄目だ、無理だったんだよぉ! ――あの目は、無理だ。俺には背負えない…… )

 

 火の熱に囲まれてカラカラに乾いた喉を抱えている中で、たった一掬いの水に出会ったような。絶望の底で唐突に現れた、僅かな希望を見つけて縋りつこうとするあの目、目、目。

 取り繕った心に張り付けていた精一杯の決意も、あんなモノを向けられた途端に吹き飛んでしまった。

 

 だって、そうだろう?

 ただの鍛冶屋に何が出来る? 声を掛けられただけ上出来じゃないか。

 あの群れを丸ごと背負って救おうなんて、戦士長だって無理に違いない。

 

 絶望に染まり切った目に希望を与えて立ち上がらせる、そんなことが出来るのは物語に出てくるような存在達だけだ。

 そう、【英雄】なんて呼ばれるような――

 

 

 ガァンッッ!!

 

 

 ――その音は性懲りもなく、自分に言い訳を重ねようとしていた俺の脳ミソを貫いた。

 

 突然の落雷を思わせるような、けれど雷とは明らかに違う雰囲気を持った大音量。

 全身の鱗を叩いて抜けていったその衝撃は、逃げ出すことにだけ誠実に動いていたはずの足を、再び恐怖と警戒で竦ませるモノだった。

 

 何故ならその異音は、俺が言い訳と剣を胸に抱えて逃げ込もうとしている先…… 集落の中心地側から轟いてきたのだから。

 

 

   *

 

   *

 

   *

 

 

 ギャィ! ギチギチギチチチチヂィッッ!!

  ガッドンッ!!

 ギィン!ガッッ!―― ガッ!!ズッ!!ガォンッッ!!

 

 

 音は、一度きりではなかった。

 

 不定期ではあるものの、その間隔は恐ろしいほどに短い。二、三、四、五…… 空気を震わせ、あるいは引き千切って切り裂くような種類の硬い音が、俺の耳と鱗に叩きつけてくる。

 

 初めこそあまりの音の大きさと、およそ聞いたことがないと言える圧倒的な不穏さを持つ響きから、誰かの断末魔を聞き違えたのかとも思ったが―― どうやらこの音はそんな代物ではないらしかった。

 

 ジリジリとした歩みで、身を潜めながら集落の中を進む内に気付いたことである。

 それは決して生物が起こす叫びに類する音ではなく、金属的に硬質なモノを擦り合わせ、時には叩きつけ合っているかのような響きを持っていたのだ。

 鍛冶の修行時、重ねた粗悪な鉄に槌を思いきり振り下ろしていた時に聞いた音。耳の奥に馴染んだあの響きに雑音をふんだんに混ぜ込み、それを何倍にも大きくたなら、果たしてこんな頭の中を軋ませるような音になるだろうか……?

 

 ――そんなことを考えているうちに。

 いよいよ俺は集落の中心地、共有の開けた広場を覗き込める場所に位置する、木で組まれた壁に辿り着いていた。

 

 

 ギャキン!―― ブフォンッ!!ヒュ、ヒュオッ!!

 

 

 今も音は止むことなく轟いている。

 叩きつける音、空気を切り裂く音。そんなモノが耳に飛び込んでくる時に前後して、背中を預けた壁もまた、細かくも確かな振動を繰り返す。

 背中から伝わる震えは耳から入ってくる不協和音にも増して、その発生源が如何に凄まじい力を周囲にまき散らし続けているのかをハッキリと現わしていた。

 

 ……ついさっきまで、逃げ出すことへの言い訳と自己嫌悪で夢中になっていた俺だ。

 そんな己が、そうそう発生源を覗き込む気になるはずもないが、それでもここまで近寄り、さらには正体不明の音についてここまで冷静に考えていられるのは、今目の前に広がるこの光景を現実のモノとして受け止めらないまま、危機感の類を麻痺させてしまっているからだろうか。

 

 ――あぁ、いやしかし。どうだ。

 そもそも俺はまだ生きているのだろうか?

 知らず知らずの内に死んでおり、地獄の中に迷い込んでいたりはしないだろうか?

 背中に壁を預けたまま辺りを見渡せば、俺の知っている生まれ故郷の変わり果てた光景が見えるばかりで、あまりにも現実感がないというのに。

 

 轟音響く広場を背にして見える、今通って来たばかりの集落の様は、はっきりと異常だった。

 慣れ親しんだ、目を閉じればすぐにも今日までの姿が思い出せる家々が並ぶ通り道…… 既に『祝福』の赤い夜は終わり、濁った雨雲から漏れる僅かな月光は元の銀色に戻っているはずなのに、『祝福』の夜を迎える為に点々と灯された祝いの松明に照らされる集落は、毒々しい色に染まり切ったままだ。

 

 年中止まない雨は、今も変わらず降り続けている。

 それでもこの集落を染める赤色を全て洗い流すには、後どれだけの時間が必要だろう?

 

 ここに来るまで見た、真っ二つに裂かれた死体。

 四肢がバラバラになった死体。首をへし折られた死体。

 全身が炎に晒されて爛れた死体。雷に打たれたように引きつり焦げた死体。

 更には爆発に巻き込まれたのか、方々に散らかった身体の部位の群れ――

 

 

 ブォンッ―― ガチッ!ガガギギギギャキ、ギィンッ!!

 

 

 ……何故村の入り口まで逃げ延びた赤鱗の彼らが、あんなにも絶望し切っていたのか。戦士でもない鍛冶屋でしかない者にすら、必死に縋りつこうとしてきたのか。

 喰う為ではなく、ただ殺されて打ち捨てられた死体の山。それを彩っている、この集落を丸ごと滅ぼしてもなお足りない血の海の惨状を見た時、憔悴し尽くした彼らの様子が納得出来てしまった。

 

 この集落は、今夜だけで()()滅んだのだ。

 

 最初に滅ぼされた時は皆殺し。それでも直後に訪れた『祝福』を受けて、流された血だけを残して死体達は復活出来たのだろう…… しかし背後の轟音が示す通り、襲撃者は集落を去ってはいなかった。

 先程の『祝福』によって魔力に分解されず、今もこうして新鮮な死体の山があちこちに築かれている以上、彼らが丁寧に、そして徹底的に殺し直されたのは明白だった。

 

 幸運にも最初から逃げ出せていたのか、それとも1回殺されて復活したのか―― 恐らくは後者だろう――地獄を潜り抜けてようやくあの場所まで辿り着いた彼らにとってみれば俺は、ただ立ち上がれていたという1点のみで、縋りつくには十分過ぎるほど頼もしい姿に映っていたのかもしれない。

 

 ……申し訳ないことに、それは勘違いでしかないのだが。

 あの彼らと同じように今、ただ座り込んでしまっている俺の、一体どこに頼もしさを見出すことが出来るだろうか。

 

 

 バキンッッッ―― ヒュッ、ブォンッ!―――――― ギャァンッ!!

 

 

 硬い金属が折れたような音。終わったのか。

 しかしそう思った直後に再び鳴り響く、甲高くも重い激突音。静寂はまだ訪れず、板を挟んだ背後では激しい戦闘がなお続いている。()()は今なお戦っているのだ。

 ならば彼らを見放してここまで逃げ込んだ俺は最低限、ついさっき咄嗟に捻り出した建前であるところの『まだ戦っている戦士達の戦力として、この剣を届ける』ための行動をしなければならないはずだ。

 

 ……だというのに、俺はまた、へたり込んで動けなくなってしまっている。

 哀れな死体ばかりが転がる静かな惨状の只中にあって、ただ一ヵ所浮くほどに騒音をまき散らしている広場を伺おうとして、この場所に身を潜めてしまった。

 

 身体を伏せ、必然目線も下がった俺の前に丁度姿を晒していた一つの死体は、爆薬らしきモノで全身を吹き飛ばされたモノだった。頭を含めた、いくつもの四肢を失っていた無惨な姿。

 しかし身元が分からないはずのその死体が誰のモノであるか、俺には一目で分かってしまった。

 半ば黒く炭化した胴体にかろうじてくっついてる、奇跡的に原型を残す右腕が、生前には利き腕として振るわれていたことを俺はよく知っていた。

 

 ……つい最近、触れたこともある手のひらなのだ。 

 握りをどのくらいの幅と太さにすれば、剣を振るい続けて出来たこの頑固なタコに、より良く馴染むかを悩んだこともあった。

 柄に巻く布は、どんな皮を使えば良いかを聞いたりもした。

 遠くない将来は『色変わり』によって鱗が黒に変わるはずだなんて軽口を聞いて、なら皮は発色の良い鮮やかな色が映えるんじゃないかと、珍しく笑い混じりの会話をしたこともハッキリと思い出せる。

 

 ……あぁ、思い出せるのに。

 

 

 

 

 (――――親父 )

 

 

 ドッゴォォン……!―――― ヒュン、ギンッ!―――― バキャンッ!!

 

 

 ……。

 

 目の前にある死体。その正体に思い当ってしまった時から、もう全部を投げ出したかった。最早何かを考えることも煩わしいのに、轟音が響く、その度に身体は反射的に危機を感じて動いてしまう。

 

 ぼんやりとした空白と、ビクつく瞬間。忘我と警戒の繰り返し。

 

 そんな強制的に押し付けられる精神への圧迫が、臆病な俺を麻痺させてしまったのか。

 いつの間にか俺は『段々と長くなってきた音の間隔とは裏腹に、金属が割れるような破砕音が響く間隔は短くなってきた』ことに気付き、その正体への好奇心なんてモノを持ち始めていた。

 

 音の変化は、状況の変化だろう。

 意味するのは、膠着した戦闘が終わりへと近づいているということ。

 戦士達がいよいよ勝とうとしているのか、それとも襲撃者が虐殺の詰めに入ろうとしているのか。

 

 今も踏ん張っている戦士を援護する。

 逃げているはずの赤鱗達の時間を稼ぐ。

 そして、父の仇を討つ…… 。

 残念ながらそのいずれだって、この時の俺は考えなかった。

 

 これまでの、恐怖で震える身体を義務や使命感で鞭打ってきたことなど忘れ、「死ぬ前にこの音を鳴らしている連中の顔を拝んでみるか」と、いっそ場違いなほどに軽薄な考えで持って、俺は壁から身体を乗り出し、広場を覗き込むことにしたのだった。

 

 

 

 ――そして広場には、二つの生き物が立っていた。

 

 ここまでに見た集落と同様、散らばる死体の残骸と共に真っ赤に染められた広場の中心、向かい合う両者はちょうど息を整える為なのか、束の間の膠着状態であるらしかった。

 

 二つの内一つは、この辺りで時々見る魚の特徴が多くあるヒト族ではない、長い耳を持ったヒト族だった。

 右手には、蒼く輝く光で刀身を作っている、見たこともない不思議な片手剣。反対の左手には何に使うか分からない、手のひらに少々余る程度の大きさをした四角い板状のナニカを握っている。

 恐らく、アレが外来の虐殺者なのだろう。

 雨の中でなお全身を濡らしたままでいる返り血の凄まじさと、集落一つを相手にしてなお疲労の色薄く、しかも傷らしい傷も無いままに両の足で立っている姿は、とてつもなく不気味なモノだった。

 

 そんなモノと相対し、今も生き残っているもう一つの生き物―― それはしかし、集落の戦士ではなかった。

 

 けれどあまり予想外ではなかった。もっと言えば、半ば予想通りだったのかもしれない。

 集落で最強を誇っていた戦士長の断末魔は随分と前に消え、歴戦の勇士だったはずの父の屍も目の前に転がっている。なのについさっきまで誰の悲鳴も上がらないまま、剣戟の音だけが響いていた。

 

 つまりはその間、誰も死なないままに誰かが、虐殺者と戦闘し続けていられたということになる。そんな実力者の心当たりが、俺にはなかったのだ…… たった一つの部外者を除いて。

 

 ()()()魔王の魔力を漲らせ、見事な青黒い鱗を持つ蜥蜴の魔物。

 額の先から伸びる大きな二本角の偉容は、確かにあの森の入り口で、呼び止める俺を振り切って集落の中へ消えていった魔物のソレだった。

 盛り上がった全身の筋肉は鋭角に膨らみ、雨が(したた)る重厚な鱗の下にあってなお、その陰影を際立たせている。今まで俺が見てきた中でも最強を信じていた戦士長ですら、目の前の魔物が誇る肉の鎧にはとても及びそうにない。

 

 無手であったはずの手にあるのは刃毀れ著しく、加えて半ばから刀身が折れた片手剣が一つ。その見知った形状はこの集落由来の造りであることが一目で分かった。恐らくは、事切れた戦士の得物を使っているのだろう。

 ……地面を見れば、地上の星の如く剣の欠片が一面に散らばっている。この有様を見てしまっては、さっきまで轟いていた破砕音の正体を察するしかない。

 持ち主の悲鳴が上がらないまま砕けて飛び散った欠片達の有様は、敵と彼がこれまで打ち合い続けた証であり―― その事実は敵が持つ武器の脅威的な切断力と、その武力を前にしてなお今も生き残っている、彼が持つ飛び抜けた戦闘力の高さを示していた。

 

 けれど猛烈に迸る魔力も、隆々とした肉体も。そして鳥肌が立つほどの戦士ぶりですらも、彼の眼を見た瞬間に受けた印象に比べれば薄れてしまう。

 相対しているヒト族を睨みつけている、その相貌。

 それはたった今、故郷を滅ぼされたばかりの俺をして二の足を踏んでしまいそうになる程に、一目でソレと分かる憎悪と戦意に歪み切っていた。

 

 そんな両者が向かい合ったまま動かない……いや、傍目から見ても感じ取れてしまうほどジリジリと高まる緊張感からすれば、次の瞬間には再び斬り結んでもおかしくない状況で、ふと気付く。

 

 慌てて周囲を見回すも―― やっぱり彼の周りには、一つも残っていない!

 これまでの推移がどうだったかは分からない。分からないが……この先の展開、圧倒的に不利なのは彼だ。気付いた途端、嫌に冷たい悪寒が背筋を這い上がってきた。

 

 (武器が無い ) 

 

 彼が向かい合う今も刀身がほとんど無いボロボロの片手剣を持っている時点で察するべきだったのかもしれない。戦士の死体達は広場に限っても目を覆いたくなるほどに転がっているというのに、その傍らにあって然るべき片手剣、大剣、槍…… 今やそれらは全て、地面に散らばる残骸になってしまったのだろう。敵は未だ凶器を保持しているのに、彼の手にあるソレはあまりにも頼りなかった。

 

 剣を以て戦闘していた以上、あの鋼を思わせる光沢を持つ鱗でも、敵の剣は防げないに違いない。それに加えて聞こえていた破砕音に混じっていた、あの爆音。なにか爆発物のような攻撃手段を、相手は有している可能性も高い。

 

 幸いにもまだ膠着した様子が続いているが、次の瞬間には彼が切り伏せられる光景が生まれる気がしてならない。何か、彼を助ける為の武器がすぐにも必要だ。

 ……。

 …………。

 そうだ、分かっている。

 考える必要もない。もし魔物を見守る神がいるとしたら、今この時この場所に俺が居合わせた理由は一つしかないだろう。

 この未練がましくも抱えていた『武器』。これを目の前にいる虐殺者と、唯一人戦う英雄然とした彼に渡すことこそが、俺に与えられた果たすべき役目に違いない。

 

 そんな確信があるというのに…… なんと俺は、躊躇ってしまっている。

 

 しかも困ったことにそれは、あのヒト族の目に止まって殺されることじゃない。無事渡せたとして、この剣が父や仲間達の仇を討つこと叶わず、ただ無価値に折れて失われることをただ恐れていた。

 これまでの自分が培った技術と自信。反発と尊敬、好悪入り混じった父へと想い、それらが無惨に叩き折られるかもしれないという可能性が過ぎっただけで、俺の手は剣の柄を握り締めることを選んでしまった。

 

 

 ――――だから俺は、また逃げた。

 

 

 まず彼を無手のまま戦わせるワケにはいかない。村の戦士を皆殺しにしてみせた虐殺者を相手に、戦い続けられた彼をここで失えるハズもない。

 ここは、集落を捨てて逃げるべき。

 きっともう、赤鱗の皆は逃げきれたはずだ。

 あとは彼を連れて皆の後を追って退けば、部族は違えど同族達がいる他の砦に逃げ込むことさえ出来れば…… 彼にもっと、大戦士に相応しい武器を用意することが出来るだろう。

 

 剣を手放せなかった理由にそんな建前を用意した俺は、隠れていた壁から勢い良く飛び出す。飛び出しながら、口の中に蓄えていた全力の水弾を向かい合う両者の中心に放つ。

 それはどうしようもない事情で武器を渡せなかった特大の後ろめたさが、死の恐怖を忘れさせた瞬間だった。

 

 泥と血を跳ね上げ、巻き上がる水柱によって、一瞬向こう側に隠れたヒト族。コチラに振り向かないまま水で出来た煙幕の向こうを睨みつけているままだった彼に、俺は叫ぶと同時に駆け出した。

 

 「コッチだ! 森の向こうには同族の砦がある! アンタが使える武器もたんまりあるハズだ! ヤツを倒す為にも、ここは一緒に逃げてくれっ!!」

 

 言い切った後は、四つ這いになって一目散に走った。

 初めて会う彼がついて来てくれるかどうかは賭けだったが、あの冷徹な殺意に塗れた眼の持ち主が、勝ち目のある手段を示されてなお無謀な戦いに甘んじるとは思えなかった。

 

 ……少しして俺の後ろに追いすがる足音の気配は一つ。徐々に近づいてくる気配は、振り返らずともハッキリと、『祝福』に通じる魔力の波動を感じさせるモノだった。

 

 もっともそんな気配が無くとも、きっと俺は振り返って確かめようとはしなかっただろう。

 情けなさも極まったせいか、どれだけ瞬きをしても視界が滲むのを止められない。

 

 後ろを振り返るだけの勇気はもう、あらゆる意味で残っていなかった。

 

 

 




 ※紫混じり青鱗の蜥蜴『リザレス』
 鍛冶屋の家系に生まれた、『色変わり』したばかりのリザルフォス。
 まともな戦闘をしたことはなく、戦士としての気質も持ち合わせていないが、その瞬足は戦いに生きる鍛えられた戦士達と比べてなお早い。
 宝の持ち腐れ。

 ※現在【厄災】の持つ片手剣=古代兵装・剣
 道中の祠にて入手。
 失われた古の技術を刃にした片手剣。青く輝く刃による切断力は、一般的な金属の剣をはるかに凌ぐ。
 「ゾーラ族の人々を苦しめる魔物として代表的な、リザルフォスの巣窟へ攻め入ったリンクだが、当初この武器を使用する必要は無いと判断していた。しかし突如乱入してきた青黒い鱗のリザルフォスを見た瞬間、それまで使っていた得物を相対していた魔物(戦士長)の心臓に投げつけ、コレを抜き放った 」
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