回生のライネル~The blessed wild~   作:O-SUM

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○前回のあらすじ

 ハイラル王「9を救うため、1を切り捨てる」
 家臣「苦渋の時代。耐えねばならぬ」
 ゼルダ姫「1を出来るだけ0に近づける努力をしましょう」
 家臣「政治にまで口を出すのか。修行しろ」
 魔物「おいすー^^」

 空回りと裏目の連続。それがブレワイの姫様の魅力(確信)




賢者の軌跡、勇者を導く

   *   *   *

 

 【二つ岩】で行われた彼との会合。

 普段通りならば、朝日が昇る頃合いで別れを告げて御開きとなるのが習慣であったが、今回ばかりは事情が事情である。俺は当然として、彼も話を終わらせようとは言い出さない。

 山頂から零れ出している朝の光が、彼の顔を照らしている。

 老いて【ライネル】の称号を辞退したとはいえ、一昼夜休まない程度で疲れを表情に浮かばせるほどに、衰えてしまってはいないようだ。彼も早急な打ち合わせを行う必要があると感じているのは、続く言葉からも分かった。

 

 「厄災の危険性を理解しながらも、それを倒さんと立ち上がる決意を固めてくれたことに感謝しよう。ならば目的達成のため、差し当たって問題となる点を解決させねばならぬな」

 

 俺の偵察した内容は、既に頭の中にまとめられているのだろう。今後の方針を固める為にも、彼の知恵を続けて借りられるのは有難かった。

 一族を集め、【ライネル】として皆の先頭に立って戦いを挑むにしても、策があるに越したことはない。人の砦や城を攻めた経験など俺は持ち合わせていなかったので、出来るならばその辺りについて詳しく突き詰めたいと思っている。

 

 そうした思惑を伝えて頷きを返す俺と目を合わせた彼ははっきりと。

 幼子に言い聞かせるような、あるいはお気に入りの肉を咀嚼するようなゆっくりとした口調で、おもむろに彼は告げた。

 

 

 「まず念頭に置くべきこととして、奴らに正面から挑んではならぬ」

 

 

 ――その内容は、【ライネル】に対して最大の侮辱だった。

 正々堂々、力押しで挑んでは負ける。俺に戦い方を教えた張本人がそう言い放ったのだ。

 

 瞬間。目の前の老人の教育を離れて久しいこの肉体が、どれほどの暴力を宿すに至ったかをその老いぼれの体に味あわせてやろうか――そんな獣の情動が頭を占める。瞬間的に拳を握り込んで二の腕の筋肉を威圧するように膨らませたのは、無意識の元に行われた行動でしかない。獣王を侮辱した愚か者をそのままの拳で殴り飛ばしたなら、さぞかし気分が晴れることだろう。

 

 ………

 …………

 ………………まぁ、実際にこの方を殴るつもりは、毛頭無いのだが。

 

 身体が勝手に高めてしまった熱を吐き出すために意識して深く吐き出した呼気に、多少の威嚇音が混じっているのを聞き取った彼が、「まだ若いぞ? だがそれで良し」などと笑っている。

 呼気は、ハッキリと溜息に変わった。

 

 「自分の目と耳で知った君なら十分理解しているだろうが、奴らの戦力が集中している場所に我らが乗り込むことは、獣がノコノコ狩人の前に飛び出す愚行と何も変わらん。この遙か遠い地にあってなお、老いた私ですら漠然と感じるあの忌々しい気配は、尋常なモノではないはずだ」

 

 正直に言えば腹立たしくて仕方ない。だが、それは言われずとも自覚してしまっている事実でもあった。

 彼自身は直接見ていないが、この地にあって存在を感じられる気配で俺に心当たりがあるものは、あの『魔を滅ぼすためだけに存在するような剣』しかない。そんな凶器を振るう者が超一流の剣士であるということは、それだけで計り知れない脅威だ。

 そこに四体の強者、熱線を吐き散らす自動兵器まで同時に相手取っては、勝ち目など万に一つも無いとすら思える。それでも頭にプライドだけ詰めて、戦略も無しにノコノコ奴らの前に姿を晒すのならば、確かにそいつは勇者ではなく愚者だろう。

 

 そうした言葉で【ライネル】としての己を納得させようとし、いやけれど、と葛藤している俺の内心を見透かしているだろう彼は、構わず話を続けた。

 

 

 「既に人の戦力の中心は、かつて古代に語られた"魔物を恐れぬ"水準に至っていると判断するべきだ。【ライネル】が言う我らの弓より早く、そして強い熱線を撃ち出す自動兵器。それが地中より複数体掘り出されていた光景が真ならば、発掘範囲が広がればその数は増え続けることになるかもしれん。中央地方でしか出土しないとは限らん以上、その規模を想定することは不可能と言っていい」

 

 そこまで言い終えてかぶりを振った彼が見据える視線の先を追えば、【火の山】を這うような形でそびえる巨影の姿。

 

 

 「不安要素と言えば、アレもそうだぞ」

 

 彼が『アレ』と呼ぶあの存在がいつの間にか【火の山】に湧いて出た時は、山や滝にトグロを巻き、天を裂いて飛ぶ超自然の存在『龍』の類かと思ったものである。それほどまでの巨大な存在。

 だが人共の後ろをついて動いていたあの自動兵器。その造形は、どうにも見上げる巨影の細部に込められた意匠と、どこか似通っている点があるかのように思えてしまう。一度気付いてしまえば、あの巨体がどこの陣営に属した存在であるかを連想せずにはいられない。

 

 「もしあのトカゲの化け物が自動人形の一種、四体あると言われる巨大兵器の一つだとしたら。あの巨体さを誇り、【火の山】の熱をものともしない存在が本格的に動き出した時。どれほどの脅威となるのかは、私をして想像もつかんのだ」

 

 ――だからこそ、今しかない。

 

 彼がそう結んだ言葉は、全くもって同意するところであり。それこそが、俺を自身でも勝算が低いと思える突撃に駆り立てた原因である。

 現実、既に人共が持つ戦力は、魔物の中でも最上位に位置する我々を超えている。人共とは異なる長い寿命を誇る我々だが、今回ばかりは時が味方とはならない。決して長くない時間の中でも奴らは力を蓄え、魔物を追い詰める牙を増やしていくだろう。

 

 動くならば、生え変わったばかりの危険な犬歯が伸びきる前しかないということか。十分に生え揃ってしまった後では、『大厄災』を今の時代に蘇らせることとなるのは明白だった。

 つまりは彼も、人への襲撃自体は早ければ早いほど良いと考えていたようである。

 

 ……しかしそれでは、彼が無謀ではあっても【ライネル】が先頭に立った一族の突撃、という策を諌めた理由が俺には分からない。

 

 

 「だが先程も言ったように、何の策も無しに攻め掛かっても恐らく、奴らを崩すことは到底不可能。ならば目指す目的を一つに絞り、その達成のために全力を注がねばならん。

 我らが何を目指し、その達成条件を満たすためには何をすれば良いのかを考えてみるがいい」

 

 敵を滅ぼすことだけが勝利ではない、と。彼は俺に言って言葉を終えた。続きを話さないのは、俺にその解答を示してみろということなのだろうか。どうやらヒントは既に出揃っているらしいことは、これ以上答える気は無いと言いたげに外された視線からも察せられた。

 時間が無いというのに、こんな問答を強制させられていることに不満はあるが、それでもこうして問われた以上、彼の頭の中には突撃以上の『大厄災』を挫く策があるはずだった。黙っていても切迫した状況である以上教授して貰えるだろうが、恐らく彼に弟子の不明を嘆かれることは間違いなく、そんな落胆を伴う評価を他でもない彼から受けることは耐え難い。

 気持ち良くその策を授けてもらうためにも、今はこの問答に従う他無いのだろう。

 

 

 では大前提として、目指すべき最大の目標とは何か?

 

 ――考えるまでもない。

 それは『大厄災の回避』である。

 

 

 これを未然に防ぐことこそが、歴代の獣王【ライネル】が果たすべき目的と断言していい。厄災から魔王を守り、魔物を守り、魔獣を守る。そうしてこそ初めて獣の王は、食物連鎖の頂点に君臨することを許されるのである。

 加護をもたらす魔王を封印され、同じ存在である魔物や魔獣を蹂躙され続けることを容認するようでは、獣王を自認したところで空しく響くだけだ。

 

 ……では魔王の復活を達成させ、封印も行わせない為に俺がすべき行動とは、中央地方へ向けた集団突撃以外に何があるのか?

 こういった身体を動かさずに頭を使う場面で思い出すのは、やはりと言うべきか、目の前の師と行ってきた言葉遊びの数々である。かつて未熟であった自分を導き、励まし、時にはからかわれ続けた説教と会話の蓄積は、今でも俺の視野を広げる大切な選択肢の引き出しであった。

 

 当然その中には、戦闘に活かされる知識も多分に含まれている。

 そして今日思い起こした記憶は、彼が未だ今より若かった頃の話。複数の一族が集った晩餐の獲物狩りの合間に行ったものだった――。

 

 

   *   *   *

 

 

 遠い遠い昔。

 彼が【ライネル】で、俺が【ライネル】ではなかったあの日。

 

 ――森の奥深くでその群れを見つけたのは、陽が傾きだして間もなく、といった頃合いだった。その数は全部で8頭。あの獲物を全て持ち帰れたのなら、恐らく全員の腹をぴったり満たすことが可能だろう。自分達が都合良く切り立った高台の上に陣取っているのに対し、彼らは眼下の森の中。弓を持って狩りを行う我々にとっては、気付かれずに先制で仕掛けることは決して難しくはない。

 けれど彼らは二本槍の角を持つ獣の種族である。警戒心が強く足も速いため、俺では1頭を仕留める間に他の7頭には逃げられてしまうかもしれない。

 

 しかし、自分と共にいた今日の同行者である、師は違う。

 この方の弓の腕は凄まじく、1射撃で同時に放たれる3本の矢は百発百中の精度を誇る。直射は言うに及ばず、森の障害物をものともしない大きな射角で放たれる曲射であっても、容易く3匹の獲物を同時に仕留めるだろう。

 

 そして自分の弓でも1匹倒せれば合計で4匹。後はこちらに気付いて逃げ出す獲物を後ろから上手く仕留めることが出来ずとも、もう一度4匹以上の他の群れを見つければそれで終わりである。

 

 けれど、今日の師はどうしたことか。

 一度弦の調子を確かめるかのように、矢を1本だけ獲物を挟んだ反対側、遠くに見える丸みを帯びた白い大岩に勢い良く撃ち込んだかと思えば、それで獲物達が射程圏であることが分かっているにも関わらず、弓へ次の矢を番えようともしない。獲物の群れ全体を見渡せる高台に伏せたまま、じっと動かずにいるのである。

 もしかすると、視界を塞ぐ木立が流石に邪魔であると感じ、射線が通る位置に獣が移動するまで待っているのかもしれない。

 しかしこの群れを見つけるまでにも時間を掛けてしまった以上、日暮れまでに次の獲物を探す時間があるかどうか分からないことに焦った俺は、集中している様子の師に叱責されることを覚悟で声を掛けることにした。

 

 『あの、【ライネル】? どうしてあの群れを早く襲わないのですか? 早く仕留めて次の群れを探さないと、日が暮れてしまいますよ』

 

 急かす俺に視線だけを向けた師は、狩猟中に水を差す若造に対し、しかしニヤリと笑いながら「まぁ黙って見ておけ」と答えるだけだった。

 

 

 ……そうして時が経過すること間もなく。

 こちらが何の動きも起こしていないにも関わらず、突然眼下の獣達がざわつき出した。まさかの狩り失敗かと焦っていたら、なんと獲物達がこちらに向けて走り出して来るではないか。

 木々をわざわざ避けながら迫ってくる獲物達の姿は、梢に隠れて見え辛かった先程までとは異なって一目瞭然である。その有様からは前方への警戒心を全く感じることは出来ず、わざわざ難しい曲射を挑まずとも、そのまま直射による急所への狙い撃ちが行えそうですらあった。

 

 そんな風に獲物が狩人の前に無警戒で集まってくるという、珍事が起きた理由が解らず戸惑っている俺を尻目に、横に潜んでいた師がおもむろに弓を構え、矢を放つ。強力な剛弓から繰り出された矢によって3つの悲鳴が上がり、そして同じ数だけ地面に肉が叩き付けられる音が森に響いた。

 流れるような動作で再び引き絞られる弓が弧を描いてしなる。

 そして放たれた3本の矢。

 鳴り響く断末魔。地面を打擲する肉の音――。

 

 

 あっという間の出来事だった。自分が介入する暇も無く、気付けば師は1人で6体もの獲物を難なく屠ることに成功していた。そしてそれは、こちらに向かってきていた全ての獣の数でもある。突然の好機に慌てることなく対応してみせたのは、まさに熟練の狩人の成せる技といったところだろうか。

 対してそのイレギュラーに慌ててしまい、結局1匹も仕留めることなく残りの2体を追うことも出来なかった自分は、まだまだ未熟であると言わざるを得なかった。

 

 恥じる俺を促しつつ、師が高台から飛び降りる。

 さっさと獲物を回収して、次の群れを探すのだろう。

 失態を演じてしまった以上、せめて肉の運搬だけでも十全に果たさなければならない。尊敬する先人の足を引っ張ることだけはしたくない俺は、急いで師の後を追った。

 

 地面に散らばる獣達は、そのことごとくが急所に矢を受けて絶命していた。冴え渡る【ライネル】の腕前に改めて憧れの気持ちを強くしつつ獲物を拾い集めると、やがて仕留められた獲物達の中に角を生やした獣がいないことに気付いた。

 

 上から見下ろした時には、立派な二本槍を頭部に備えた個体が、最低でも2体いることは確認できていたのだが。やや離れた位置にあった獲物を回収している師の手元を見やれば、その個体にも角が生えていない。

 どうやら運良く逃げ延びた2体がその角持ちだったらしい。身体の大きさは角持ちの方が大きかったので、残念と言えば残念である。

 

 師が2体、俺に4体の分配でそれぞれ獲物を分けて抱える。先程働けなかった詫びだと伝えると、4体も抱えながら狩りが出来るのかと笑われた。もちろん両脇に2体ずつ抱えたままでは剣すら振れないので、いざという時には獲物は一旦地面に置くことになるだろう。

 そう言えば、

 「生きている獣を追うのに夢中になり過ぎて、狼に獲物を掻っ攫われるなよ? 」

 と可笑しそうに忠告されてしまった。そこまで間抜けなつもりはないが、ついさっき獲物の前で棒立ちをしてしまった無様を見せている以上、何も言い返せないのが悔しい。

 

 

 さて集め終わった獣の肉は6匹分。師の友人達を迎えるささやかな晩餐としては既にして必要最低限な量と言えるが、今夜集まる方々には、取り分け大食漢の御人もいる。あの隻眼の戦士の腹を満たすことを勘定に入れた満足な量を確保するならば、やはりもう2体は欲しいところだ。

 先程のような群れを捕まえられるかは難しいところだが、それほど難しい数の狩りでもないので、日暮れ前には何とかして終わらせたい。師の先導に従って、森の移動を開始する。

 

 足音が少し響く程度に駆ける速度は、狩りの最中にしてはやや早足が過ぎる気がしないでもない。向かう先が、先程取り逃がした2体が駆けていった方向であることは俺にも分かっていた。

 だがこの速度では逃げたあれらの足には追いつけないだろうし、そもそも真っ直ぐ逃げているとも限らない。あの2体を追っている訳ではないにしても、これだけ足音を出してしまっては、近寄った端から他の獲物達も逃げ出してしまいそうだ。

 残りの時間を気にして逸ってしまっているとは今更思えないが、何か考えがあるのだろうか?

 

 俺が訝しんでいるとその気配が伝わったのか、師が走りながら振り向く。

 

 俺の顔に浮かんでいる表情が予想通りだったのか、師は笑う。何も言わず再び前を向いて走り続ける後ろ姿からは、気のせいか悪戯を企んでいる子供のような雰囲気が漂っていた。

 

 ……本当に何を考えておられるのだろうか。

 

 

 やがて辿りついたその場所は、幹の太い大樹が目立つ深い森の中にあって、若干開けた小さな広場みたいな場所であった。大樹の梢が大きく横に広がっているおかげで、十分な日光が注がれていない地面は背の高い草花もあまり生えておらず、言うなれば見渡せる程度には身を潜ませる障害物がない空間である。

 その広場の淵を囲うように聳える木々に辿り着いた俺達の視点からは、その空間を一望できるという具合だ。

 

 そして俺の視界に映し出された光景。

 それは一言で表すならば、「……え?」といったモノだった。

 

 果たしてそこには角持ちの獣がいた。しかも2匹揃って、だ。

 そしてそれだけならば意外ではあるものの理解はできる。視界が広い空間まで逃げ延びて俺達の追走がすぐさま行われなかったことを確認し、ひとまずの休憩中であったという可能性があるからだ。

 小さいながらも確実に蹄を鳴らしながら近づく俺達に気付かなかったのも、緊張から解放された油断であったというならば、野生の動物としては致命的ながらも考えられなくはない。

 

 けれど目の前の光景。そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()獲物の姿というのは、まるで想像していなかった。

 たまたま逃げた先の広場で子鬼の集団に出くわしてしまったのか? だとするならどうして脇に逸れて逃げようとしない? 棍棒に殴られながらもなお子鬼達に抵抗し、後ろからやってくるかもしれない俺達を警戒していないのは何故だ? そんな疑問が頭を占める。

 

 やがて動きが鈍くなった獣の片割れが、子鬼の持つ錆びついた剣によって胸を貫かれた。ドォッ、と音を立てて崩れ落ちた獣を見て、甲高い勝ち鬨を上げる子鬼達。見れば、残った獣は未だ立ってはいるものの、殴られ続けたせいか足元がひどくフラついている。

 

 そんな状況に至って、ようやく気付く。

 絶好のチャンスだった。

 

 師を見やれば戦闘の推移を見つめるだけで手を出す様子は無く、こちらの視線に顎をしゃくって指示を出すのみ。それを容認の意だと受け取った俺は、4匹の肉をその場にそっと置く。愛用の大剣を抜こうかと一瞬考えたが、あの状態の獲物にその必要は無いし、弓にしても矢を消費するのも勿体無く感じた。俺の牙を持ってすれば、十分に事足りる。

 

 4本の脚と両腕に力を込め、一気に大樹の陰から躍り出す。両手の爪もスパイクにして地面に打ち込みながら駆ける走法は、初速から一息に最高速へと加速するための一族独自の技だ。

 合計6本の脚によって矢の如く撃ち出されるスピードは、こちらに後ろを向けている生き残った獲物はもちろん、向かい合っている位置にいる子鬼達にすら、俺がいつ接近したかを脳で認識させることは許さなかったはずだ。

 

 ようやく気配に気付き、後ろを振り向こうとする獲物の首に、鋭く尖った牙を強靭な顎の力でもって突き立てる。一際強く痙攣した後、身体からゆっくりと力が抜けていく様は、命が尽きるのも時間の問題だと確信させるものだった。

 最早これ以上暴れる力は、この獲物に残されてはいないだろう。

 

 

 ……そして幸い当たり所が良かったようで、どうやら死んではいない様子なので一安心といったところではあるが―― 突っ込んだ勢いが強すぎたせいで、その前方にいた子鬼を何体か跳ね飛ばしてしまった。

 加速には優れていても制動にやや問題があるのが、この突進の難点だった。

 

 

 やがて動かなくなった獲物を咥えた口を開き、未だ事態が呑み込めていない様子で茫然とコチラを見上げる子鬼達に向け威嚇の咆哮を上げる。

 争うでもなく喰うつもりもない魔物を、無闇に殺す趣味は無い。

 せっかく助かった命だ。是非とも大切にして欲しい。

 

 直後、雷に撃たれたように跳び上がった彼らは短い手足をバタつかせながら、一目散に白い大岩を目指して逃げ出した。

 その大岩は、近づいた今でも滑らかな丸みを帯びているだけの、何ら変哲もない形状をしている白い岩だった。

 周り込めばその表面には大小の穴がいくつか開いており、中は空洞が広がっているだろうことは分かっている。高台からは気付かなかったが、今はそれが子鬼達が好んで住まう棲み処の共通した特徴であることを思い出したからだ。

 

 そしてその棲み処の背中に当たる部分に、狩りを始める前の師が1本の矢を突き立てていたということも。

 

 

 振り返れば、子鬼に胸を刺されて既に絶命していた獲物を改めていた師がいた。向けられる視線に気付いたのか、視線を合わせて師が言う。

 

 「子鬼共の住み処が丁度獲物達の近くにあったのでな。ちょっとノックしてやって出てきて貰ったのだ。後ろからこいつらに襲い掛かってくれれば、労せずこちら側へ獲物を追い込んでくれると思ってな。この2体の雄達は踏み止まり、雌達を逃がす時間を稼ごうとしたのだろう。二本槍を掲げる獣に相応しい、なかなか天晴な振る舞いだったな」

 

 俺に獲物を掲げ、丁度致命傷となった傷口が見えるように向けた師は続けた。

  

 「動きが鈍るまで静観し、漁夫の利を狙って獣に止めを刺した際の手際は悪くない。だが、もう少し早く仕留めようとは思わなかったのか? 見ろこの傷を。せっかくの心臓が潰れてしまっているではないか! 」

 

 お前の未熟で御馳走を台無しにされてしまったわ、と愚痴を零す師の姿は、狩りの最中に魅せた【ライネル】の技量と智謀からはあまりにかけ離れており、好物を取り上げられて癇癪を起す子供にしか見えなかった。

 

 

   *   *   *

 

 

 どれほど昔の頃の話だったかは、正確には覚えていない。

 しかし彼と交わした言葉の一つ一つは、良くも悪くもハッキリと覚えている。時折やる瀬無い思いに捉われてしまうのが頭の痛いことであるが。

 彼が複数の獲物と出会った際に行った子鬼の吊り出し。この記憶が、閃きとなって今に甦ったのも、憧れた【ライネル】の雄姿が俺の糧として、今も胸の中に宿っているからだ。

 

 彼の軌跡はいつだって、力に偏ろうとする俺の思考を少しだけ高い場所へと導いてくれる。

 だから俺は、今回もそんな彼に肖ってみることにした。

 

 ……現状、既に中央地方に集中している人の戦力は我々の手に余る。それは例え一族の者を集めたとしても同じことだろう。それほどの格差が両者には横たわっており、時間を置けばその戦力はより強大化する恐れがあった。

 だが後々どれだけその戦力を増やそうとも、今その戦力の頭数は限られており、それはこちらの頭数を大きく下回るのも事実。それが中央に固まっている点こそが問題である。

 

 ならばその戦力を分散させれば良い。幸い、魔王の復活が迫った影響を受けたのか、全地方の魔物は人族への敵意を剥き出しにした行動を行っている。それも、自身の生存本能より人への襲撃を優先するほどに苛烈な勢いであった。

 この状況を活かして魔物の中でも特に力の強い我々が、あえて力によって他の魔物達を統率し扇動すれば、子鬼のみならずより強力な魔物も巻き込んだ騒乱を全地方で起こすことも叶うだろう。

 

 単独、あるいは小さな群れで活動する魔物と違い、人族はより大きな単位のコミュニティを作ることで繁殖してきた生き物だ。だからこそ同じ仲間を攻撃された時、奴らは被害を受けた個体達を救おうとする。大きな群れを保たなければ強さを維持できないからだ。

 そして、騒乱が大きくなればなるほど、撃退に要する力は大きくせざるを得ない。子鬼や大鬼、蜥蜴程度なら並みの戦力でも数さえ揃えれば防衛も成功するかもしれないが、我々の種族がこれに加わればその限りではない。

 

 奴らが必勝を期するなら。

 そこに投入される戦力は、"中央の戦力"しかないだろう。

 

 我々にとって警戒に値する強者の数は限られている。コミュニティを見捨てる判断をせずに、全地方で起きる騒乱に対応しようとすれば、奴らは戦力の分散を強いられるはずだ。

 

 そうした状況を作れたならば、伝説に記された人が持つ『力』―― 魔王を封印する要となるあの"剣"を孤立させる好機を生みだすことに繋がる。

 その時こそ【ライネル】が力を振るう時なのだ――と、彼はそう言いたいのではないだろうか。

 

 

 

 俺が出した考えを聞いた彼は、少し驚いた顔をした後。

 ……つまらなげに。しかし、満足そうに頷いた。

 

 

 

 ――自分の考えた策など、所詮は彼の行いをなぞったものに過ぎない。内容には人族の動きへの願望が多分に入ってることも自覚している。

 貴方の策は何だったのかと尋ねてみても、改めて何かを言い加えることなど何もない、と返されてしまう。

 

 

 「では行こうか、私が認めた【ライネル】よ。全国に散らばる一族の者共に協力を求めるとしよう。そうよなぁ、北から巡って西へぐるりと全国一周の旅とするか。中央は怖いからな」

 

 

 

 ……朗らかに笑う彼の顔に浮かんだ皺は、あの頃にはまだ無かった。

 ふるまいの一つ一つをとっても、逆らえない年月の衰えが見て取れてしまう。

 

 

 それでも歯を見せて笑う彼の顔は、いつかの記憶を刺激するモノだった。

 

 




 【ライネル】さんは高い知性を持つ存在ですが、彼もまた野生を生きる半人半獣の魔物。
 プライドを傷付けられれば誰に対しても怒りますし、求める獲物は相手が格下であっても堂々と横取りします。


 ※蜥蜴(トカゲ)の魔物=リザルフォス

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