日本現代神話 作:ウェイイ
信仰とは唐突に
ニーチェが"神は死んだ"と述べてから百数十年、
人間達は自らの精神的主柱を担ってきた知的欲求を宗教に代わって
しかし、近代社会に於て物事が高速化するあまりにその科学神話、強いて言うなれば人間中心主義そのものが崩壊の度を増してきた現代にあって、科学も宗教の二の舞になるに至った。
ところで、世の中には2種類の人種が存在する事をご存知だろうか、
一つは保守的な人間。この場合は沈みゆく人間社会に希望を見出そうと3次元にしがみついている人間である。
もう一つは進歩的な人間。この場合は地球や人間社会という沈みゆく船から脱出しようとする人間を指すのであるが、これもまた2種類ある。
大多数である保守寄りの進歩主義者は地球に見切りをつけるも、未だに科学にしがみ付いて宇宙への脱出を企てている。
一方で急進的な人間は違う。ハナっから3次元に希望を見出さないのだ。
文明の進歩は以前までは最も難易度の高かった事すら容易くしている。果たしてそれは何だろうか?
一言で言うなればそれは"あきらめる事"である。
栄枯盛衰を自然の摂理と捉えて、動物的な生存本能に対抗し、種の衰退にすら関心を抱かない。マンモスがそうであったように或る意味では退化している。
では彼らのような、科学や人間社会に見切りをつけた急進的進歩主義者の精神的主柱は一体何なのか?
これこそが趣味である。
思い通りに進まぬばかりか衰退の兆しすら見える3次元よりも、自らの探究心や欲求によって自在に操ることの出来得る存在こそが彼らの要であり、彼らにとっては正に神話の新世紀なのである。
そんな現代社会に佇む男が一人。
初夏の夜の少しだけ暑くなっている部屋の中、パソコンの画面を前にして、「初夏の夜には酒が似合う」と格好つけて味が分からないのを良い事に紙パック入りの安焼酎を啜っている。
彼は趣味に生きる事で自負するような、急進的進歩主義者を自称する存在であった。
彼の趣味は多いが歴史を愛好し大学でも学ぶような、側から見れば趣味に生きる存在こそがこの男の正体である。
しかし思ったよりも苦手だった外国語、特にローマが好きが高じて学んだラテン語も今となっては挫折寸前であった。
そんな男はある逃げ道を画面の中に見出した。これがソーシャルゲームである。
ギリシャ・ローマに代表されるような古典古代文化に登場する人物の出てくるゲームをプレイし、自分が専攻で学んでいるのをいい事に、酒に任せて心中で小っぽけな知識をひけらかす。
これがこの男の楽しみであった。所謂"嫌な奴"である。
企業の営利主義に流され、元の性別は問わずして、大多数が望むような容姿、性別へと変えられた古典古代の人々や英雄、神々。
「こんなゲーム滅びちまえ」
友人の前ではこんな事を言う男も、内心このテの改変は嫌いでは無かった。
男は以前より、本でこのテの人物らを知り、愛好していたのだが、より身近に、何より己の"萌え"るカタチで登場するキャラクターらによってか、ローマ神話に基づいたキャラ設定からか。何れにせよこれらの神々に以前よりよりも大きな親しみを持っていたのだ。
そんな男の特に愛好する神、キャラクターが一柱あった。
その名はデュオニソス、又の名をバッカスと言う。
歴史趣味に浸る男は、試行錯誤の連続たる歴史のデュオニソス的な面を堪らなく愛好していた。
今となっては異質以外の何者でもない古典古代の神々の中で、このバッカスを特に好んでいる。
男は自らの趣味に生きる自由さを、バッカスの自由解放の狂乱と重ね合わせていた。
しかし実のところ、男は昔からはこのバッカスを好んでいた訳ではない。この男はソーシャルゲームに影響されたのだ。
ワインの入った
男はこのキャラクターの全てを愛好していた。
彼にとっては最早嫁を通り越してある種の信仰対象ですらあった。
むしろ、元来の信仰とはそう云うものだろうか。
初夏と言われる季節、画面の明かりのみが彼の顔を青白く照らしている。
時折風ではためくカーテンの隙間を、パック酒が少し眩しそうに横たわっていた。
そして今、男は先ほど述べたように酒を飲んでいる。
普段ならばキャラクターとしての彼女、バッカスに対する愛好、表面的信仰は、男の酒の朦朧とした意識の中で徐々に変質を見せていた。
前提として酔っ払いの心情など到底理解も出来ないが、男は自らが酒を呑んでいるというシチュエーションと、酒神としてのバッカスに対して非常に強い親近感を抱いていた。
普段ならば神としてのバッカスと、キャラクターであり女神であるバッカスとは当然ながら別の物と考えている。しかし、今回ばかりは違っていたのだ。
男は今、神としてのバッカスをその親近感からか酔った勢いで信仰しかけている。しかし、思い浮かべたバッカスの姿はキャラクターの、女性としての姿であった。
男は赤らめた顔で、画面の先に居座る彼女に怒鳴った。
「オイ!バッカスさんよォアンタが神ってんなら、ちとラテン語なり
「こちとりゃテメェんとこの信者だぞ」
側から見れば、見るに耐えない酔っ払いのたわ言である。この呂律の回らぬ様が如何にもそうだ。
しかしなんと書き伝えればいいのだろうか、たった今この地、この日本に於いて、偶然に酒の力を借りたまでも一千数百年の時を経てバッカスへの精神的な信仰が限定的ながらもに復活してしまったのである。
すると、狭いワンルームの
しかし、これは第三者的に書いているからこそ分かる事で、画面を睨みつけるも酔いからか画面の内容がちいとも入らない男は到底気がつくことができなかった。
しかし同時に、男は持っている安酒が幾分か旨くなっている事に気づいた。無論、これは男が信仰してしまった事に影響するだろう。
しかしバッカスは本来、洋酒の神である筈である。なぜ男の安焼酎がより上質なものへと変わったのだろうか、と疑問が湧くだろう。
これは推測に過ぎないのだが、例に挙げるならばこの神の陶酔的側面や酒神としての性質などだろうが、何よりも大きいのはこのワンルームこそが信仰復活の地であり、その信仰の中心地、男の座っていた一帯が何の因果か擬似的な神殿の役割を果たし、男の持つ安酒が偶然にも御神酒の役を果たしていた事が挙げられるだろう。
男はこれすらも碌に気がつく事もできなかった。酒の旨味を自らの酔いと混同し、その味すらもよく分からず、何せ男の舌はアルコールを感じるのみとなっていたのだ。
だが、復活せしめたバッカスの力も此処までであった。信者の数や何よりもその男の信仰心ですら一時の酔いの為かも分からぬのに力の出しようもない。
さらに言うと、供物という供物が男の持つ安酒の紙パックしかない以上、その姿など到底拝める訳が無かった。
だがこれはこの神にとって幸運だったかもしれない。混沌の中、信仰なき身から蘇った手前、彼の神としての力はたかが知れている。人の信仰心無くして己の姿すら見る事も出来ない。
彼女は自らの姿や性別といった諸々が、現代に於ける唯一の信者である男の
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