日本現代神話 作:ウェイイ
数日後、男の日常は変革を始めていた。
まず、男は数日前までは挫折しかけていたラテン語が段々と上達するのを感じている。
この言語の難点とは何か、それが文法でる。その難しさといえば英語の比ではなく、その難解な文法といえば最早理不尽なまでである。中学時代から英語に悩まされ続けた男にとってもまさにこのラテン語は拷問に等しいものだったのだ。
苦手ながらも好きな分野を持つ者は、古今東西往々にして存在するだろう。
ローマ文化愛好者にしてラテン語から逃げ続けるという自己矛盾を抱える男もその一人だった。
しかし、男は変わった。
自宅で講義に少しでも追いつこうと日がな読んでいたラテン語のテキストが格段に理解できるようになったのだ。テキストの発展問題にあるような難しい単語は周りの単語や初級文法で大方の意味が解せるまでに成長したのだ。以前までは解説の文章しか読まなかったような碑文も、自ら積極的に読みにいこうとする姿勢すら見せている。
また、不本意ながらも男は自らの知りうる英単語が影響して、自らの持つラテン語の語彙に向上の兆しを見せている。
本来、英語はゲルマン語派といって元来ラテン語とは無関係であるが、成立の過程に於いてラテン語から多くの語彙を吸収した。この恩恵がこの男の元に現れているのだ。
しかしながら、この男にとって、この語派を用いるゲルマン民族とは自らの愛好するローマの明確な敵であった。
約一千年に渡って発展してきた古典古代の文化を破壊し尽くし、画一的な宗教に染まりきって中世という名の暗黒時代を到来させ、その文化を再び古代レベルに戻した事は、男の中に於いてゲルマン人、延いては近代ヨーロッパに対する印象に暗い影を落とし、男はこれに小さな不満を覚えていた。
だが、多少なりとも言語を理解し、実際に読む。
この
男はこの変化しつつある日常を満喫していたのである。
と同時に、一方で男はある種の狂気に支配されつつある。
元来、この男が酒やソーシャルゲームに溺れかける原因となったのは、ある種のストレスからである。男は高校時代に至るまで、自らの知的好奇心を図書館の書籍やインターネットに転がる資料によって満たすことに満足していた。大学に入ってからは、それら資料の原書、より言うなれば古代ラテン語を読まねばならない。
しかし、自らの愛好する分野だのに、
現実逃避を望む故か、1年目にしてソーシャルゲームにハマり、入学後2年を経て酒に溺れかける。
小遣い稼ぎのコンビニバイトの給与の殆どをこれらにつぎ込む程度には、男のストレスは溜まりに溜まっていたのだ。
だが、この数日間はどうだろうか、このストレスは徐々にであるが消えつつある。
その為か、ストレスなきこの男は酒量自体が少なくなっていた。
だが、それが困るのは
加えて男の住むワンルームアパート、現代に於けるデュオニソス神殿は、男の酔いとキャラクター信仰という極めて薄弱な信仰心がスイッチとなって神殿と化したワンルームであるが、その信仰心故に神力も弱く神に対する供物、何かしらの酒がなければバッカスは消えてしまう運命にあるのだ。
故に彼女は酒に頼る信仰の一部を
男はある種の狂気を埋め込まれ、この
これによって触発された知欲は彼をローマの神話に精通させるまでに至らしめる。
だが、課金欲という狂気は留まるところを知らない。
男はバッカスのデッキをより強固にする為に課金を続け、さらなる強さを求めた。
男は度重なる課金行い、その信仰心はキャラクター信仰の体をとりながらもより強固なものとなった。供物なき信仰であるものの、その信仰は栄華を極め、当初からキャラクターに侵食され女神として復活したバッカスは、自らの引き起こした信仰によってその性格すらそのキャラクターに侵食されつつある。
神力少なき彼女にそれを防ぐ術は微塵も無いのである。
数日後、男の日常に明確な変革が訪れた。男は講義を終えて、ここ数日間で一番の上機嫌で自らのアパートに向かっていた。
男はここ数日間で3次元に於いては歴史への理解を急激に深め、2次元に於いてもまた強くなり続ける己のデッキに言い様のない満足感を得ていた。読者諸君がご存知の通り、進化や進歩といったものは心に余裕を生み出すものだ。しかし、男の場合はここ数日間で急激に増えた余裕を持て余している。
男はその心の余裕の正体が何たるかを知らぬようであって、出現した己の余裕に若干に不審がりつつも当人はそれを露ほどにも意識していなかった。
加えて書くならば、その心の正体が己の信仰してしまった神にあり、無意識の内に影響を受けている事にすら気がつく事が出来なかったのである。
ただし、現実とは時に非情に、そして明確なる変革の存在に否応無く気付かされる時が存在する。
例に挙げるならば、昨今の温暖化による季節変動であったり、己の試験結果であったり、その瞬間とは往々にして存在するものの、その変革の存在を意識する時というものは最後の最後、取り返しの付かなくなるその瞬間である。この男の場合もそうであった。
この復活せしめた
彼はいつものように鍵を開け、玄関からの眺望も最高であるようなワンルームに足を踏み入れようとしていた。
男は、いつもばっかし重い気もする扉を開けた時、言葉を失った。
何と書き記せば良いのであろうか、男の脳味噌は完全にパンクし、頭から出る疑問の言葉が只々彼の脳髄を反芻するばかりで、男がやっとこさ捻り出した言葉といえば、
「帰ったら、家が
と、何処かで聞いたような言葉を真似するのみであった。
第一に女がいた。それもギリシア彫刻を彷彿とさせるような美しい女性が、
しかし、その美しさといえば古代の基準ではなく、現代人に受けの良さそうな、
それは間違いようもなく男の知る
彼女はカツカツと男に歩み寄って言った。
「紹介するまでもないだろうが、我が名はバッカスという
我が神力の復活、汝には感謝の意を表したい」