日本現代神話 作:ウェイイ
男は余りの異様さに絶句した。
自らをバッカスと名乗ったその女は男の感じる異様さの正体を心得た上で小さく笑った。
「ふむ、貴殿の感情の正体は心得ているよ信者の信仰する姿に現界するのは世の常、我が身が女子となったことは気にしてなどいないさ」
そして彼女は「さて」と前置きし 、一転して見惚れるばかりに凛とした雰囲気になって言った。
「この地こそ信仰の中心、我にふさわしい
「今、我が名バッカスの名に於いて命ず、この地にこそ幸あれ!」
そう言って彼女は持っていた
古いながらも手入れされ藺草の香る畳といえば、冷たく無機質な大理石の床へ
年季の象徴であった木造の梁といえば、細いながらも荘厳なコリント様式の柱に
木張りの天井すらドーム状へと変化し、中央にはポッカリと
そして中央に鎮座するのは、他でない男のPCであった。御丁寧なことにLANケーブルが接続されたまま、そのケーブルは状態で延々と神殿の端まで伸びている。
天変地異を目の当たりにした男は呆然と立ち尽くし、言葉にならないような声で唸っている。
彼女と言えばその出来栄えに満足したのか、はたまた自らの所業に胸踊らせているのか、その両方かは不明であるが満足げな顔でしきりに頷いていた。
しばらくすると彼女は呆然と立ち尽くす男の心情を察したのかフォローのつもりでこう言った。
「なに案ずることはないさ、今キミは私の加護を一手に引き受けているのだからね」
もし、男がトラックの類にやたらと縁のあったり、包容力のある一方で鈍感を貫くような平面世界の主人公ならばこの現状を瞬時に受け入れ、なんらかのアクションを起こすだろう。
しかし、現実世界の善良なる小市民である彼にしてみればこの現実は到底受け入れようのないものだった。
講義を終えてバイトまでの数時間。休憩の為に戻ってみれば部屋に佇む
この時男は未知に対する根源的恐怖心を痛烈に感じていた。
己の内外を取り巻く混乱の中必死に対応策を練りつつも、そもそもとして声の掛け方すら分からない。そうこうしている間に聞こえた声は、聞き捨てならないようなことを言っていたが男は制止させる勇気すら抱くことはできなかった。
意識の混沌から這い上がってみれば既に
その男が前世紀の電算機並の速度で必死に弾き出した答えと言えば、ただの現実逃避に過ぎなかった。
男は体の主導権を自らの意識の下へと取り戻すと、足元に落としていた荷物を持ってそそくさと廊下へ出た。自らの精神を少しでも正常なものにしようとあくまでも日常と変わらぬ動作で鍵を閉めた後、あれは幻であると己に言い聞かせ、顔をパシンと叩いた。心の中で唱え続けるも、先ほどの出来事を幻と認識することはできないでいる。
男はもう一度扉を開けた場合に万が一のことが起きても対応可能なよう、ポケットからスマホを取り出した。宛先は勤務先のコンビニエンスストア。
「…もしもし。君から掛けてくるのは意外だね、さては何かあったのかな?」
「詳しく話を聞きたいところだけどボクも勤務中だから手短に頼むよ」
数コールした後に響く店長の中性的な声に束の間の日常を感じつつ、男は本題を切り出した。
「…大変申し訳無いのですが我が家の方で少々事件がありまして、本日のシフトを休ませていただけないでしょうか?」
「どんな出来事かは知らないけど自身を見失っちゃダメだよ、なにせ今日君はシフトに入っていないじゃないか」
「でも明日にも長引きそうならば他の人にシフト変わってもらうように言っとくよ。ま、とりあえず君は落ち着くといい、相談くらいには乗るよ」
「ありがとうございます。明日までには絶対に解決させるのでちょっと頑張ってきますね」
一連の電話の応答の中で男はある程度の落ち着きを取り戻していた。それはもう、「今開けたら元どおりでやっぱりあれは幻じゃないか」と思う程度には、だ。彼は気をとりなおしもう一度、講義帰りのように扉を開いた。
部屋は一転して日常そのものであった。
「なんだ、やっぱり気のせいじゃないカッ⁉︎」
男は扉を開けた瞬間に気がついた。それが杞憂でないという事態に。
確かに戻っていたという言い方が正しいのであろうが、室内自体は全く変わってはいなかった。ただし付け加えるならば、先ほどのバッカスと名乗る女性が畳の上に居座っているのである。
「先ほどは失礼したよ、ここまでの信仰心があるから大丈夫だと思ったんだけどね。今日からここは神殿、君は司祭で、当然私と同居するわけだけどさ、その取り決めでもしようじゃないか」
そう言って彼女はちゃぶ台の方へと手招きをした。それはもう、長年住んでいるかのような手慣れた動作である。
肝心の男と言えば現実が受け入れられず、心ここに在らずといった感じで言われるがままに座った。
第一の日のことである。