Fate/Pocket Monsters   作:天むす

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 偶然迷い込んだ世界は、とても悲しい世界だった。
 草花が燃え、生き物の死が蔓延っている。
 まるで地獄のようだった。
 どうしてこんな場所に来てしまったのか、と己の身を嘆きもしたけれど、今ではその不運に感謝している。
 地獄の中で、君と出会うことができたから。
 君を初めて見付けた時、とても怖い人間だと思った。
 君が悲しんだ顔をした時、怖くない人間かもしれないって疑った。
 君と触れ合った時、本当はとても優しい人間なんだって知った。
 だから森に希望を取り戻してもらった。
 だから世界を一緒に飛び越えてみた。
 君の近くで、君の笑顔が見たくなったから。

19/03/08 修正



初めてのゲット

 オーキドの淹れた緑茶は、美味しくはないが不味くもない物だった。それをお供にこの世界の話について一通りした後、エミヤは改めてオーキドの世話になることを了承し、頭を下げた。

 別世界からの異邦人など厄介者以外の何者でもなかろうに、それでも「友人だから」という理由だけで援助してくれるのだ。オーキドの言う『友人』とエミヤが同一人物であるとも、また自分が彼の言う通りに未来でオーキドを助けるとも限らないにも関わらず、だ。エミヤは自分を棚上げしてそのお人好しを少々心配した。

 当然、このエミヤの心配は杞憂であり、数年後には『友人』と同じように世話を焼いていたりするが、それはまた別の話である。

「それで、だ。世話になるにあたり、早急に手を打たなくてはならない課題が発生した」

「なんと! ワシにできることがあれば何でも言ってくれ」

 (おもて)を上げたエミヤが厳しい顔をしているのに連れられ、オーキドも表情を引き締める。

 エミヤはオーキドの反応に一瞬喉を詰まらせるが、湯飲みに残った緑茶を一気に飲み干すと脇に置いていた物を手に取った。ジープからそのまま拝借してきたカントー地方版の地図だ。

 その地図を広げ、オーキドとの間にあるテーブルに置く。

「字がまったく読めん」

「…………」

「…………」

 セレビィとオーキドから向けられた同情のような視線に、エミヤは耐えられず顔を背けた。

 

 

 

 初めてのゲット

 

 

 

 会話での疎通が可能であった点を踏まえ、音の捉え方が同じだろう、と考えたエミヤたちは、研究所の書斎へ場所を移していた。

 セレビィは疲れてしまったようで、書斎には付いて来たものの日当たりの良い窓辺へと寄って行き、そこで丸くなってお昼寝をしている。そんな可愛らしいポケモンの姿に癒されながら、エミヤはオーキドの読む音を聞き漏らさないように文字を追っていた。

「こんにちはー!」

「あ、こらっ!」

 しかし、悲しいかな。英霊であるなし関係なく、エミヤは生前から取り分け学校の成績が良かったわけではない。漢字のようでまったく見たこともない文字を学ぶのはなかなか難しく、久方の勉強に悪戦苦闘していると、部屋の外から元気な声が聞こえてきた。思わず、エミヤは文字列から顔を上げる。

 人数は二人のようで、軽い足音が忙しそうに走っている。どうやら玄関から庭へ抜けられる研究室へ向かっているようだ。

 オーキドもエミヤが扉の向こうを気にかけたことで気付いたようで、それから時計に視線を移し、「そろそろ休憩にしようかの」と参考書を閉じた。時計の長い針は既に、書斎に籠ってから一周以上回っていた。

「近所の友人と孫が帰ってきたようじゃ」

「庭に出ようとしているみたいだが」

「あの子たちなら大丈夫じゃよ。そうだ、君を紹介してやらねばならんな!」

 そう言って、オーキドは止める間もなく書斎から出て行く。何が楽しいのか、随分とご機嫌な様子だ。

「……まあ、仕方ないか」

 エミヤはこの世界の住人でないことに加えて、とうにその生を終わらせた死者だ。いつまでこの世界に居られるか、自分でもわからない。そのため生者との関わりを必要最低限に抑えるつもりでいた――が、現状はそうも言っていられなくなってしまった。

 自立には言語の理解が必要最低限であり、この世界はエミヤの居た世界と共通する所もあれば、まったく違う所も思う以上に多い。オーキド邸の世話になるのは、当初の予定より長くなるだろう。

「となれば、無関係で居続けるのは得策ではないな。セレビィ」

 エミヤも本を閉じて席を立った。そして窓辺にてすやすやと夢の世界へ飛んでいるポケモンに声をかける。しかしセレビィに起きる気配はなく、気持ち良さそうに寝息を立てるその姿に眉を下げたエミヤは、頭を一つ撫でてやると起こさずに扉を潜って行った。

 ぽつりと残されたセレビィは、誰も居なくなった部屋に陽気な寝言を呟いてコロリと転がった。

「エミヤ、こっちだ」

 研究室へ入れば、庭に出る扉からオーキドが顔を覗かせていた。どうやら既に庭へ移動しているらしい。

 エミヤにとって未知の生物が闊歩するそこは、少々ハードルが高い場所であるが、この世界は何処もかしこも似たような所ばかりだ。慣れが肝心、と誤って攻撃しないよう決意し、エミヤはポケモンたちの庭へと一歩踏み出した。

「紹介しよう。孫のシゲルと友達のサトシじゃ」

 オーキドが紹介した子どもたちは、庭の芝生の上に座り込んでいた。見れば、その手元にはブラシが握られており、子どもたちとそう変わらない大きさのポケモンにブラッシングをしている最中だった。

「博士、誰こいつ?」

「見ない人だね」

 不思議そうに首を傾げる子どもたち。黒髪の少年がサトシで、茶髪の少年がシゲルと言うらしい。どちらもエミヤより小柄であり、小学生低学年くらいだろう。

 正直エミヤは少年たちの手元にいる大きなネズミのようなポケモンが気になって仕方なかったが(何せ大きくて丸くて毛むくじゃらで出っ歯で丸くて毛むくじゃらで大きいネズミだ)、それを訊ねてはこの世界の住人として不自然に思われる。後でオーキドに訊こう、と無理矢理に思考を切り替え、彼らと同じように芝生に膝を付いてから口を開いた。

「彼はカイガイ(界外)から来たワシの友人じゃよ」

「わた……おれ……あー……、私はエミヤと言う。今日マサラタウンに来たばかりでね、暫く博士の元で世話になることになったんだ。よろしく」

 一人称で迷ったが、結局他所行き用の「私」で通すことにしたエミヤに、少年たちはますます不思議そうに首を傾げた。

「マサラタウンに来たって……もしかしてポケモントレーナー?」

「マジで!? なあなあエミヤ! ポケモン見せてくれよ! 海外のポケモンなんて初めてだ!」

 シゲルの問いに反応したのはサトシだった。サトシは勢い良く腰を浮かせ、ずいっとエミヤに顔を寄せる。

 エミヤは困った。つい数時間前にこの世界に来たばかりの彼は、当然ながらポケモンを持ち合わせて居らず、またポケモントレーナーでもない。セレビィが居たら誤魔化せたかもしれないが――セレビィは幻のポケモンで知名度が低いため、子ども相手に誤魔化す手段には適しているだろう――あのポケモンは書斎に置いて来てしまった。

「彼はまだポケモンを持って居らんよ。これからスタートする初心者じゃ」

「なーんだ、つまんないの」

「ふーん、大したことないんだ」

「…………」

 子どもとは容赦がない。

 オーキドの助け船にホッとする間もなく、少年たちから容赦ない言葉が飛んでくる。これにはエミヤも何とも微妙な気持ちを抱いてしまう。

 この世界には『小学校卒業みんなが大人法』通称『小卒大人法』と呼ばれる法律がある。小学校は十歳までであり、義務教育を終えれば成人扱いとなる。中学校からは任意教育へと切り替わり、より学びたい者は進学を、やりたいことがある者はそれぞれの道へと進んで行ける法だ。そのため見た目年齢と海外からの単身での旅行から、彼らは既にエミヤが成人済みである、と看破していた。一応、元でもこの世界でも、エミヤは成人などとうに越えているため間違ってはいない。

 そんな自分たちとは違い成人済みの海外から来た少年が、ポケモンも連れていない駆け出しの新人トレーナーなのだと思えば、彼らの落胆も頷けるだろう。何せ彼らもポケモントレーナーを目指す身であるのだから。

「エミヤ、休憩ついでに散歩でもしてきたらどうじゃ? 書斎に閉じ籠ってばかりでは息もつまるだろう」

「じゃあオレが案内してやるよ! オレ、この庭のことならなーんでも知ってんだぜ!」

「なっ!? ボクの方が知ってるに決まってるだろ! ここはおじいちゃんの庭でボクの家だ! ボクが案内する!」

「オレが案内する!」

「ボクだ!」

「オレだ!」

 どちらがエミヤを案内するか、でサトシとシゲルがいがみ合う。その小さな争いを、置いてけぼりなエミヤはポカンと眺め、オーキドはやれやれと肩を竦めてため息を吐いた。

「……えっと……」

「いつもこうなんじゃ」

 マサラタウン名物のケンカコンビ。それがサトシとシゲルだった。

 ケンカする程仲がいい。その典型的な例である。

「……じゃあ、二人共に頼もうか?」

 一頻りケンカした後は、結局エミヤの一言によりサトシとシゲルの二人に案内してもらうことで落ち着き、少年二人の後ろを付いて散歩に出かけることとなった。

 ちらり、と後ろを振り向けば、もう随分と研究所が小さくなっている。広場だけでも広大な様に、一体地価幾らなのか、とエミヤは要らないことを気にしてしまった。

「あれがナゾノクサ。あれも初めて見るの?」

「ああ、私が暮らしていた所ではあんな生き物は見たことがない」

「カントーじゃメジャーなくさタイプのポケモンだよ。その辺の草むらに入っただけで野生がわんさか出てくるから」

 サトシがポケモンを指差し、シゲルがその解説をする。しょっちゅうケンカする割には、いや、ケンカしているからこそ、互いのことを良く理解しているのだろう。無意識にやってのけるコンビネーションに、エミヤは微笑ましいものを見ている気持ちになる。

 喩え十歳に満たない子どもにタメ口を利かれ、呼び捨てにされようと、エミヤは気にしていなかった。元々自己評価が極端に低いのもあるが、もう随分と長い時間を過ごしている。こんな小さな子どもたちに意気地になる心の狭さは持ち合わせてはいない。

 つまり、久々に触れ合う子どもと言う存在に、大層エミヤは癒されていた。

 殺すか殺されるか。そんな場所に慣れ過ぎて、当たり前の触れ合いを久しく忘れていたのだ。この世界で図らずとも得た〝生〟に拘らずに居たが、もう少し長居できるように図るのもいいかもしれない。以前までなら考えられなかった自身への欲望を、エミヤは自覚して苦笑いが溢れた。

「今度は岩場エリアに行こーぜ!」

「先行くなよ、サトシ!」

 森の入り口まで来れば、サトシが我先にと駆け出して行く。それを負けじと追いかけるシゲルに続き、エミヤも彼らに倣った。

「それにしても、ここにはこんなに様々なポケモンが生息しているのか?」

 くさタイプとみずタイプの争いが勃発していた水場エリアを回って、辿り着いた岩場エリア。ここまで回って来た場で見たポケモンでも、既にその数は三十種を越えるだろう。

 オーキド邸の庭に、あまりに生息地が固まっていることに首を傾げれば、シゲルが首を振ってそれを否定した。

「違うよ。ここに居るポケモンは半分くらいがトレーナーの保管ポケモンなんだ。トレーナーはポケモン自然保護法で手持ちが六体って決められてるから、溢れた子たちは研究所に預けられるんだ」

「そうなのか」

「そんなことも知らずにポケモントレーナーやってるの?」

「……あー、あれはなんていうぽけもんなんだー」

 書斎で文字の勉強をしながらこの世界について学んで居たが、それでも全ては入り切っていない――と言うより、法律などの常識は盲点であった。オーキドも今更な知識であり、あまりにエミヤがポケモンに対して無知であったため、そちらをメインに教材として居たのだ。故に、エミヤはこの世界では子どもでも知っていることを知らなかったりする。

 シゲルのじと目から逃れるように明後日の方を向き、エミヤは話題を無理矢理変えた。下手な嘘より黙秘の方がボロを出さないで済むこともある。

「おーい! 上がってこいよー!」

 シゲルがニドラン♀の説明をしていると、頭上からサトシの声が聞こえてきた。この岩場エリアには剥き出しの地面や岩石が多く、山に沿っているため崖もある。つまり、エミヤの真横には崖がある。その頭上と言えば、それは崖の上しかないだろう。

 エミヤが慌てて見上げれば、サトシは絶壁を登り終えてこちらに手を振っていた。この崖の周辺には登れる様な場所はなく、上がるには迂回しなくてはならない地形となっている。となれば、サトシは一人でこの崖を上ったことになる。それもエミヤに悟られない内に、危なげなく上手に。

 エミヤの頭に「野生児」と言うワードが浮かんだ。あながち間違ってはいない。サトシはマサラタウンでも飛び切りのポケモン好きであり、時間があればよく草むらや森の中へと潜り、ポケモンたちと遊んでいるような子どもだ。並大抵の身体能力を有していない。

 しかし、それはサトシだけには留まらない話だった。

「だーから、先行くなって!」

 何と、シゲルまで当然のように崖に手をかけ、するすると登り始めるではないか。

 十メートルとまではいかないが、それでも三メートル強ある壁のような崖だ。そんな足場の悪い場を、シゲルは苦もなく進んで行く。

「何やってんの?」

「それは私のセリフなのだが……」

 シゲルが崖の頂上に手をかけたところで、未だ天を仰いで登って来ないエミヤを不思議そうな顔で見下ろしてくる。エミヤは頭痛がするようだった。

 これがこの世界の常識なのか。子どもの体力恐るべし。

 一応断っておくが、この世界の子どもでもここまでパワフルな類は稀であり、将来的にスーパーマサラ人と称される彼らはとても珍しいことをここで断っておく。車の底に工具もなく張り付き、ドライブできる約十歳なんて何人も居ては人類のハードルがインフレしてしまう(それでもサトシと言う個体は希少中のレアであるのだが)。

 閑話休題。

 エミヤはシゲルが見えなくなったところで、漸く崖に手をかけた。

 子どもが危ないことするな、怪我したらどうするんだ、と説教の一つや二つ言ってやりたいところだが、それは彼らに追い付いてからでもいいだろう。

 シゲルの登った位置には比較的窪みが多く、一応足場と言える物が続いている。それらの配置を確認し、エミヤは一つ頷くと――一気に駆け上がった。

 表すならばクラウチングスタートが近いだろう。当然ながらまったくの別物であるが、エミヤのイメージはそれであった。

 やったことは至極単純なことである。両手の指先を窪みに添え、利き脚の駆け出しに合わせて勢い良く体を押し出したに過ぎない。そして崖と水平に空中へ投げ出される形となるが、速度が落ちる前に反対の膝を上げ、次の窪みに爪先を引っ掻ければ、後は頂上に辿り着くだけだ。弱体化していようと、エミヤは英霊である。そもそもの身体能力からして人間と比べるものではないだろう。

 たった一歩で崖を登り、頂上に着地したエミヤは、さてと、とサトシたちの方を見た。エミヤが無駄に身体能力を活かして駆け登ったのは、完全に見失う前に追い付き、少年たちに説教をするためだ。危ないことをしたならば、すぐにそれを訂正しなくてはいつまでも直らない。当然のようにあんなことをしていたのだ。周囲の大人は注意していなかったのか、もしくは知らなかったのか。どちらにせよ、今この場にいる年長者はエミヤだ。ならば、それをするのは彼の役割だろう。

「…………子どもとは凄いな……」

 しかし、エミヤの前には誰も居なかった。

 サトシも、シゲルも、ポケモンも、何も居ない。あるのはうっそうとした森のみ。

 何とあの二人、エミヤが登り切る一瞬の隙に、何処かへ行ってしまったのである。

 恐るべしマサラの生んだ超人の原石たち。呆然とするエミヤの頭上で、彼の心象を表すように、雲が太陽を隠していた。

 

「つかまえた!」

 サトシは目の前を跳ねるように進んでいたニョロモを両手に抱え上げた。ニョロモはそれを嫌がる様子なく、大人しくその小さな腕の中に収まっている。

 このニョロモを始め、このマサラタウン付近の小型ポケモンとサトシは比較的仲のいい遊び相手同士だった。特に研究所を出入りするポケモンたちは賢いようで、無闇に子どもに対して攻撃してくることは少ない。勿論機嫌が悪かったり、嫌がることをすれば、彼らは子どもだろうと容赦なく攻撃してくるが、この時は大人しく遊び相手になってくれる程度にはご機嫌な様子だった。

「サートシくんは、まともに散歩もできないのかい?」

「シゲル!」

 嫌味の乗った声に、サトシはニョロモを放して振り返る。見れば、シゲルは木にもたれ掛かかり、呆れ顔でサトシのことを見ていた。

「だってニョロモが遊ぼうって」

「ポケモンのせいにしない。どうせサートシくんは、ボクらのこと忘れてたんだろう?」

「わ、忘れてなんか……」

 正直、忘れていた。

 サトシはシゲルたちが登って来るのを待っている間、近くを通りかかったニョロモに興味が移り、崖下二人のことなど忘れ去ってしまっていたのだ。そのためこんな森の奥までの追いかけっこに没頭してしまっており、シゲルの言葉に返すものがない。

 だが、だからと言ってこのまま黙っているのも負けたようで悔しい。サトシはビシッとシゲルを指差した。

「シゲルだってエミヤのこと置いて来てるじゃないか!」

「ぐぅっ!」

 実はシゲル、善意や揶揄いのためにサトシを追いかけて来たのではない。彼も彼で好奇心に任せてここまで来た一人だった。

 シゲルはサトシのことを大変気に入らないし、見下してもいて、周りの大人たちに「友達同士」と認識されようと、絶対に認めないと思っている。しかし、このマサラタウンではシゲルに付いて来れる唯一の子どもであり、シゲルがオーキド邸に住むようになってから続く付き合いで、サトシの人柄やら行動をよく知っている。つまり、サトシに付いて行けばポケモンと出会えることもよくよく知っていた。だからサトシを追いかけて来たのである。

 互いにお客さんを置いてけぼりにして来たことを指摘し合い、ついには取っ組み合いにまでなった。

「だいたいいっつもサトシは勝手に行きすぎなんだよ!」

「シゲルがちんたらしてるのが悪いんだろ!」

「ちょっとはまわり見ろよバカ!!」

「バカって言う方がバカなんだぞ!!」

 地面に転がって、サトシとシゲルは服を引っ張ったり張り倒したりする。そのあまりに元気なケンカに、ニョロモは逃げ出してしまい、もうここから居なくなってしまった。

 誰にも止められない二人だったが、小さなきっかけがその手を止めた。

「あ、雨だ!」

 ポツリ、ポツリ、と水滴が二人の顔を跳ね、どんどんその量を増やして行く。

 直ぐに土砂降りとなった天気に、慌てて二人は走り出した。

「あった! 洞窟!」

 彼らが向かっていたのは近場の小さな洞窟で、その中に競うように駆け込んで行く。

 洞窟は深いものではなかったが、影にあるためか、奥まで光が届かず薄暗い。

「シゲルのせいだからな」

「サトシのせいだろ」

 入り口付近で止む気配のない雨を見上げ、二人は互いを睨み合う。そして鼻を鳴らし、互いに顔を背けた。

 

 さて、とても困ったのはエミヤだ。

「え? まだ戻らないのか?」

 サトシとシゲルに置いて行かれ、とりあえず探すも気配が多過ぎてまともに追いかけることができずに居たところ、追い討ちのように雨が降ってきた。その雨足から直ぐに土砂降りへ移るだろうと予想し、子どもたちも帰ってくるだろう、と来た道を辿りながら一旦研究所に戻ったエミヤは、起きていたセレビィにビンタされた。とりあえずオーキドにはシャワーを浴びるように進められ、暫くしたら子どもたちも戻って来るだろう――サトシもシゲルも、オーキド邸の地形を熟知している上、何せあの身体能力だ。この雨程度では無事に戻ってこられると考えられる――と聞いていたのだが、シャワーを浴びて紅茶を淹れても、サトシとシゲルは研究所に帰って来ていなかった。

 緑茶に比べてしっかりと香り立ち、上品な甘さの紅茶を飲みながら、オーキドは重苦しくエミヤに頷く。

 エミヤが戻って既に一時間近く経っていた。

「あの子たちなら問題ないだろうと思っていたが、何かあったのかもしれんな」

 窓から外を見れば、雨足は落ち着いてきている。雨のピークは過ぎたようだ。

「……探しに行ってくる」

「うむ、ワシも行こう」

「いや、博士はここに居てくれ。もしかしたら入れ違いになるかもしれない」

「ならハナコさんを呼ぼう」

「ハナコ?」

「サトシの母親じゃ。彼女なら安心して任せられる」

 オーキドはカップをソーサーに戻し、電話をかけにソファーを立つ。エミヤはそれを待つことなく、セレビィを連れて外へと飛び出した。

「少し走る。しっかり掴まっていろ」

「ルリ!」

 セレビィはエミヤの言葉に頷くと、肩の外套を力強く掴んだ。その感覚を認めたエミヤは、足に強化魔術を回して地を蹴る。

 途端、エミヤの姿が掻き消えた。彼の様子を窺っていた雨宿り中のポケモンたちが目を見開く。あまりの速さに、常人の目で捉えられる速度を越えたのだ。しかし、その場を見れば、エミヤが先までいた証である子どもの足跡がくっきりと残されていたことだろう。

 さて、強化にて加速したエミヤは、真っ直ぐに岩場エリアへ向かっていた。子どもたちを見失ったそこから捜索を再スタートするためだ。

「……たしかこの辺りだったな」

 岩場エリアのサトシとシゲルを見失った場所まで戻って来て、エミヤはぐるりと周囲を見渡す。

 因みにセレビィはエミヤの腕の中でぐったりしており、少し気持ち悪そうにしていた。

「大丈夫かね?」

「び、びぃ……」

 しおしおと触角を垂らしながらも、セレビィは親指(?)を一本立ててエミヤに応えた。雨にしっとり濡れたその姿は、何とも哀れみを感じさせる。

「すまない。次は気を付けよう」

「びぃび……――ビィっ!?」

「何だ!?」

 その時、まるで地震のような揺れが起こった。

 いや、「ような」ではない。()()()()()()が起こったのだ。

「これは……ポケモンの技か!」

「ルルリ!」

 セレビィは急に体を起こすと、慌てた様子でエミヤの外套を引っ張った。まるで何処かへ案内しようとしているようだ。

「どっちだ?」

「ビ!」

 意図を読み取り問えば、セレビィは森の奥を指差す。するとまるでSF作品に出てくる怪獣を思わせる雄叫びが聞こえてきた。

 エミヤはそれを聞いて顔をしかめると、舌を打ってセレビィを抱え直し(今度は優しく胸元に寄せた)また走り出した。

 

「「うわあああああっ」」

 サトシとシゲルは悲鳴を上げて逃げていた。その姿は何処もかしこも泥だらけで、手足には擦り傷も付いている。それらはどれもケンカとは別の原因によって付いたものだった。

 二人が走り抜けた後を、重い足音が追いかけて来る。

 草木をへし折り、遮るものを薙ぎ倒し、それは彼らを追いつめて来る。

「グオオオオッ」

 雄叫びを上げるそれはサイドンだった。

 正に怪獣と言わしめる見た目。さらに全身が鎧のような分厚い皮膚で覆われており、額には鋭い一角(つの)が生えている。全長二メートル近くあるその巨体に追いかけられれば、誰だって逃げ出すことだろう。

「サトシが尻尾踏むから!」

「シゲルが押したんだろ!」

 走りながらも叫ぶ元気はあるようで、木々を避けながら並走する二人は、器用にも罵り合って進んでいる。

 説明するまでもないだろうが、状況はサトシとシゲルのケンカがまたもや勃発し、洞窟の奥に居たサイドンを巻き込み、そして怒らせてしまって逃げている真っ最中だ。さすがに非が自分たちにあることなどわかっている二人だが、大型ポケモンに子どもが敵うわけも、また話を聴いてもらえるわけもなく、ただただ必死に逃げるしかない現状である。

「グオッ!」

「うわっ!?」

「ぐえっ!?」

 突然サイドンが動きを止めたかと思えば、大きく地面が揺れた。じめんタイプの技〝地震〟だ。

 二人の体は揺れに耐えきれず大きく浮き上がり、揃って泥の地面に突っ込んでしまう。

 その間にすぐ傍まで近寄って来たサイドンは、鋭い眼光で二人を見下ろした。

「――――っ」

 サトシとシゲルは、声が出せなくなってしまう。

 研究所で大型のポケモンは何体か見たことがある。だが、ここまで大きな個体は、さらに敵意を向けられたのも初めてだった。

「グオオオオオオオオッ!!!!」

 鼓膜が破れんばかりの雄叫びに、短く息が引き攣った。

 ああ、ダメだ。このままではやられてしまう。

 二人の脳裏に自分たちの未来が過り、思わず血の気が引く。

 体は竦んで動かない。

 声は震えて出てこない。

 逃げ切れな――

「ニョロ!」

「グッ!?」

 サイドンの顔めがけて、小さな水の塊がぶつけられた。

 ハッとして飛んで来た方を見れば、そこに居たのはサトシと遊んだニョロモで、力強く鳴いて跳ねている。サトシたちは固まる体に喝を入れ、足をもつれさせながらもサイドンの傍から逃げ出すことができた。

 サイドンはじめん/いわタイプのポケモンだ。この悪天候に加えて、ニョロモの〝水鉄砲〟は効果抜群である。

 これで助かった、そう思いたかった――だが、サイドンはギッと彼らを睨み付け、右腕を大きく振り上げる。

「〝メガトンパンチ〟だ!」

 シゲルがサイドンの繰り出す技を言い当てるが、それが何だと言うのか。

 ポケモントレーナーでない彼らにはサイドンの攻撃を防ぐ術はなく、またニョロモでは敵わない。

 今度こそダメだ。そう諦め、強く目を瞑った――その時だった。

「ハァッ!」

 ガキンッと何かが強くぶつかり合う音が響き渡った。

「……え?」

「……あ、」

 何が起きたのか。恐る恐る瞼を持ち上げたその先に映ったのは〝赤〟。

 小さいけれど大きな、細いけれど力強い、そんな背中が、自分たちとサイドンの間に割り込んでいた。

「もう大丈夫だ、二人共」

「「エミヤ!!」」

「ビィ!」

 そこに居たのはエミヤだった。そしてエミヤの肩口からひょっこり顔を覗かせ、セレビィが今度は元気よく挨拶する。

 エミヤは手にしていた物を破棄し、サトシとシゲルとニョロモを抱えて飛び退く。サイドンは突然現れた人間を警戒し、追撃してくることはなかった。

「すまない、助けに来るのが遅くなったな」

 サイドンから十分な距離をとり、そこで少年たちを下ろしたエミヤは、それぞれの濡れた頭を撫でてやる。

 とうに限界を迎えていたのだろう。二人はそれで涙腺を決壊させ、大粒の涙を流し始めた。

「さて、少々大人しくしてもらおうか」

「グオォ……」

 エミヤが構え直せば、サイドンは警戒を強めた。

 サイドンはこの目の前に居る人間が、これまで出会って来た何者よりも強いこと感じ取っていた。

「――投影(トレース)再開(オン)

 エミヤの魔力回路が起動し、両の掌に幻想を形作る。

 先まで何もなかったそこには、雌雄一対の二剣が握られていた。黒い干将を左に、白い莫耶を右に構え、サイドンを真っ直ぐ見つめる。

「セレビィ、離れていろ」

 こくん、と一つ頷き、セレビィはエミヤの傍を離れてサトシたちのもとへ飛んで行く。

 それを目尻に確認し、エミヤは動いた。

「――!?」

 サイドンの目が見開かれる。

 一瞬の間に、エミヤは眼前にまで迫って来ていたのだ。

 驚き固まるサイドンから目を反らさず、エミヤは雨を吸って変色した外套を翻し、構えた莫耶を振り抜こうとする。

 しかし、反応はサイドンの方が早かった。

「なにっ!?」

 今度驚きに目を見開かせたのはエミヤだった。

 振り抜かれた莫耶が折れたのだ。

 確かに弱体化しており、完璧な投影ではなかった。再現度の甘さから中身はスカスカであっただろう。しかし強化を重ねがけることで十分武器としての役割を成せる出来にまで補完できていたはずだ。

 だが、実際はサイドンに触れた途端に砕けてしまった。

 残った柄の部分も四散させ、改めて莫耶を投影し直す。

 これは魔術の無効ではない。ならば、単純に莫耶の強度がサイドンに劣ったと言うことだ。

 実際、サイドンはあの一瞬で〝まもる〟を行い、瞬間的防御状態に移っていた。〝まもる〟は技の発動が極めて早いものであり、どんなに強力な攻撃でも防いで見せる防御技最高位の能力である。

 また、その判断をトレーナーもなく自分のみで行ったことから、このサイドンのレベルが非常に高いことが窺えた。

(知識不足が仇となっているな……)

 予想外にポケモンの能力値が高いこと、そしてそれを見抜けなかった自分に心の中で悪態を吐く。

 強化を二度、投影を三度。たったこれだけの魔術しか使っていないにも関わらず、現在のエミヤは魔力不足に成りかけている。

 元より、セレビィの時渡りによる負荷のかかった霊基の回復に魔力を大量に消費しており、またアラヤからの魔力供給がないため、自前で補わなくてはならない。だが、エミヤは元々魔術師としては三流であり、魔力量は多い方ではないため、あと一度でも投影を行えば、意識を手放す恐れがある手前まで来ていた。

 故に、サトシとシゲルを確実に助けるためには、この投影のみでサイドンを殺すしかない。

「…………」

 エミヤは迷っていた。今までならば、殺すと決めればその手段を即座に実行に移して来た。しかし、今は答えを得たことにより、原点に諭されたことにより、ただそれを排除するだけが救いではないことを思い出していた。

 ここでこのサイドンを殺すことが、果たして本当に『救い』なのか――否、それだけが『救い』なはずがない。

 そして何よりも、子どもたちの前で命の終わりを、終わらせる瞬間を見せたくはなかった。

 雨によって額に張り付いた前髪を掻き上げ、必死に思考を切り替える。

 一つ、エミヤには奇妙に感じることがあった。

 サトシとシゲルを追い詰めたサイドンだが、サイドンも彼らと同じように泥だらけになっているのだ。

 サイドンはじめんタイプでもあるため、決しておかしなことではないのだが、頭の先から尻尾の先まで至る所が汚れており、雨によって流れ落ちない不自然に細かい傷が多々見られた。また雨などにより、疲労も濃いのだろう。肩で大きく息をするその様は、何処か自然界の生き物として不自然に映る。

「……まさか」

 ある可能性に気付き、奥歯を噛み締めた。

 ならば、ただ倒すのは論外だ。動きを止めなくてはならなく。だが、エミヤにはその術を取れる手立てがない。

「セレビィ! こいつを一瞬止めることはできるか!」

「ビ、ルリ!」

 エミヤが背を向けたまま問いかけたそれに、セレビィは頷いて答えた。

 そして直ぐ様セレビィの瞳に光が宿り、その体の周りに幾つかの歪みが生まれる。数えれば五つの歪みは塊となり、茶色の小さな種に姿を変えると、セレビィの掛け声と共にサイドンへ向かって一斉に襲いかかった。

 サイドンは躱そうとするが、疲労が濃いようで動きが鈍い。そのまま五つの種の内二つを腕と肩に食らい、種は肉体に小さな根を張り、芽を生み出した。そして残りはその足元に落ちたが、それだけでは終わらない。

「ビィーーーー!!」

 よりセレビィの輝きが増した時、地面から立派な根が生えてきたのだ。

 根はまるで生きているかのように動きまわり、逃れようするサイドンに絡み付くと、その動きを封じて見せた。

「すげぇ……」

「〝宿り木の種〟と〝サイコキネシス〟だ……」

 サトシとシゲルは、その光景に見惚れた。

 あれだけ恐ろしかったサイドンが、セレビィのような小さなポケモンによってあっさり捕らえられてしまったのだ。サイドンは必死に暴れて逃れようとするが、絡み付く根はびくともしない。サイドンに力負けしないレベルの技に、彼らも圧倒されていた。

「ハァッ!」

「ッ!?」

 エミヤは動けないサイドンの懐に潜り込むと、その鳩尾を柄で殴打した。

 固く厚い皮の感触が反動として返ってくるが、それ以上の衝撃がサイドンを襲う。

 声を上げることもできず、体をくの字に曲げたサイドンは、そのままくったりと力なく根にもたれかかる。気を失ったようだ。

 エミヤは沈み込んだ柄を引き、陥没した鳩尾を確認する。それから握る物の確認をし、大きく息を吐き出した。

 柄に亀裂が入っていたのだ。

 サイドンはエミヤの攻撃を防ごうと〝まもる〟を行ったのだろう。だが、〝まもる〟は重ねる毎にその精度が落ちていく技でもある。結局防ぎ切ることはできなかったが、またもや武器の破壊を成功させていた。

「ビィ~~~~!!」

「うわぁ!?」

 さて、後はどうやってこのサイドンを運ぼうか、と残り魔力と相談していたエミヤの顔に、物凄い速さでセレビィが抱き付いてきた。思わず悲鳴を上げたエミヤは、疲労もピーク近いのもあり、そのまま地面に倒れこんだ。今更であるが、せっかくシャワーを浴びた体は泥だらけになり、艶のない白髪を斑な茶髪へと変えさせてしまう。

 だが、セレビィはそんなこと知ったこっちゃないとばかりに頭をぎゅうぎゅうと抱き込み、放さないとばかりに唸っている。

 一体どうしたらいいのやら。困惑するエミヤの元に、サトシとシゲル、それからニョロモが駆け寄って来た。

「エミヤ! 大丈夫か!?」

「凄かった! エミヤスッゲーかっこよかったぜ!」

「ニョロ、ニョロ!」

「あ、ああ……」

 二者一体のそれぞれの声に、とりあえず一言返しておく。ちゃんと返事をしてやりたいのは山々だが、何せセレビィが眼前に張り付いて淡い赤しか見えない。

 セレビィを剥ぎ取ろうとしてもびくともせず、エミヤは仕方なく、とりあえず上体だけでも起こした。

 それから直ぐにフシギバナを連れたオーキドが現れ、サイドンを連れて彼らは研究所へと戻って行った。

 

 サトシとシゲルがハナコとオーキドにこってり叱られた翌日。

 子どもたち二人は朝からハナコに連れられて病院へ出かけたため、オーキド邸にはその家主と婦警のジュンサーが難しい顔で話し込んでいた。

「トレーナーの話によれば、特徴が例の組織と似ているようでした」

「……やはり、か。最近活動が活発化しているようだが……」

「ええ。我々も警備を強めていますが……」

(……さっぱりわからん)

 さて、オーキドとジュンサーが話し込んでいる部屋の扉の外。その前にティーセットを持って立つエミヤは、中の様子を盗み聞きしているのだが、まったくもってわからなかった。

 初めこそ身元の証明のない身であるため、警察だと言うジュンサーを警戒し、探りのつもりで聞いていたのだが、どうにも雲行きの怪しい話をしている以外に得られる情報はない。

(私のことは本当に話さないのだな……)

 疑っていたわけではないが、何となく湧いた疑念に嫌気がさす。

 いつから他人を信用できなくなってしまったのか。

 重いため息を吐けど、苦い感情はなくならなかった。

「では、私はこれで」

 落ち込んでいると、入室のタイミングを逃してしまった。

 ティーセットを持ったまま外で突っ立って居たエミヤとばったり遭遇したジュンサーは、ぱちくりと瞬きした後、くすりと微笑みを浮かべる。

「君がエミヤくんね」

「え、あ、はい」

「お手柄だったわね。ありがとう」

 ポンポン。ジュンサーの白くて細い手がエミヤの頭を撫でる。

 思わず、エミヤは固まってしまった。

「では、博士。また何かありましたら」

「うむ、こちらも何かわかったら知らせよう」

 オーキドはジュンサーを見送るため玄関まで付いて行き、エミヤは一人、応接間の前に残される。

「…………頭撫でられるのなんて何時振りだろう……」

「ルビビィ~」

 エミヤの呟きに応えてか、外套の下に隠れていたセレビィは、ひょっこり出て来て楽しそうに白い頭を撫で回した。

「君の言った通り、あのサイドンは盗難されたポケモンじゃったよ」

 戻って来たオーキドの言葉に、お茶の準備をしていたエミヤは、やはり、と苦い顔で頷いた。

「トレーナーがニビシティで盗難届を出して居った。遅くとも三日以内には持ち主の元に戻ることができるじゃろう」

「そうか、よかった」

 ソファーに座ったオーキドの前に紅茶を置き、その正面にエミヤも腰かける。膝にはセレビィがちょこんと乗り、朝に焼かれたクッキーを手に持った。

「だが、よくわかったの。あのサイドンが盗まれたポケモンだと」

「似たような状態の動物を見たことがあったのと、野生にしては不自然な傷と反応速度だったからな。特に傷の方だが、普通全身に傷などできんだろう」

 全身隈なく負傷するには、全方位からの攻撃か、よっぽどの勢いで転ぶくらいだろう。あの強靭な体がちょっとやちょっとのことで傷付くとは思えないため、となれば、それができるサイドン以上の強さを持つ存在に追い詰められた可能性がある。

 きっと、あのサイドンはサトシたちと出会う前に何処かからか逃げ出し、追っ手によって傷を負っていたのだろう。そのため周囲への警戒心が強く、子どもであっても容赦なく彼らに襲いかかったと考えられる。

「……何処の世界にも、悪党は居るんだな……」

「残念ながら、私欲がある限りなくならん業じゃろう。うむ、うまい」

 紅茶に口を付け、オーキドは頬を緩める。その表情を見て眉間の皺を緩めたエミヤもカップに口を付けた。

「ああ、そうじゃ。君にあげようと思っておった物があるんじゃった」

「物?」

 首を傾げるエミヤに、オーキドはポケットから小さなボールを取り出した。

 大きさは親指と人差し指で作った丸程度で、上下が赤と白に別れた間に一つの白いボタンが付いている。

 オーキドがそのボタンを押すと、ボールは掌サイズまで膨らみ、それを見たエミヤは思わず感嘆の声を溢し、セレビィはキラリと大きな目を輝かせた。

「これは『モンスターボール』と言ってな、ポケモンが小さくなる特性から作り出された、まあ、ポケモンの入れ物の様なものじゃな。首輪の役割もあり、一度ボールに入って登録されたポケモンは、他のボールに入れることができなくなる仕組みになっておる」

「なるほど、これに入れてトレーナーはポケモンを連れ歩いているのか」

「うむ。故に『ポケットモンスター』と呼ばれるんじゃよ」

 構造が気になるのだろう。エミヤは手に取ったモンスターボールを様々な角度から不思議そうに眺める。

 ボタン一つで歪みもなく円形のまま伸縮する機械。一種の芸術と言えるだろう技術だ。

「これでエミヤもポケモンを捕まえてみてはどうだ?」

「……いや、せっかくだが遠慮しておこう」

 確かにこの世界のポケモンと言う存在は、見たこともない不思議な生き物で、エミヤの目からも魅力的に映る。

 しかし、やはりエミヤは死者だ。無闇にこの世界の生きるものと関わり、また死者がその生を縛るべきではないだろう。ポケモンを捕まえると言うことは、ポケモンを飼うと言うこと。すなわち、ポケモンの生き方を決めるのだ。死者がやってはならない行いだろう。

(それに、私なんかと居てもつまらないだろうさ)

「……そうか。じゃが、気が向けばいつでも言ってくれ」

「有り難いが、気が向くことはないだろうな」

「ルビ☆」

 エミヤがオーキドにモンスターボールを返そうとした時、セレビィがそのボタンを押して可愛らしい声を上げた。

 パッカリとボールは口を開き、赤い光線に呑まれたセレビィが飛び込んで行く。ボールはセレビィを中に収めると、その口を閉じてテーブルへと落ちて行った。

 くるりくるりとボールは二三度揺れ、直ぐに治まると、鍵のかかったような音を最後に静かになる。

「…………」

「…………」

 エミヤもオーキドも静かになる。

 静かにならざるを得なくなる。

「…………博士、これは……」

「うむ、初めてのゲット、じゃな」

「ビィ~~♪」

 ポンッと自力で飛び出して来たセレビィが、空中で一回転して元の位置に着地する。つまり、エミヤの膝に舞い戻って来た。

「………………なんでさ……」

 エミヤとセレビィの冒険は、まだまだ続くらしい。





今更ですが、このお話の設定にはアニメと小説版とゲームをちょっと混ぜています。なので、完全にアニメの世界と言うわけではなく、型月風に言うなら、アニポケにとてもよく似た平行世界のお話です。まあ、エミヤが居る時点でアニメとはかけ離れてしまっているので、平行世界とか今更ですが……一応、本作品の大本の原作はアニメという扱いです。なので、ちょっと展開が違ったりしますが、それはこの世界のお話、と言うことで納得して下さると有り難いです。勿論、矛盾等があれば指摘して下さって構いませんので、何か気になることがあれば遠慮なく(暖かく分厚い皮に包んで)指摘して下さい。ポケモンの鳴き方が間違ってるよ! とか。
てなわけで、前日談(序章)が終わりました。そして首を絞めました(大丈夫だ。まだ慌てるような時間じゃない)。
次回が一体何時投稿できるかはわかりませんが、次回からアニメのお話になる予定です。たまに番外編としてエミヤの二年半()の話も書くと思いますが、それこそ一体何時になるやらわかりません。次回作が書けるようになれれば、そこから設定も短編から連載に移します。
手持ち抽選募集は随時受付中なので、活動報告の記事から気軽にどうぞ(詳しいことは目次にて)。

ここまで読んで下さりありがとうございます。

誤字報告ありがとうございます。

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