穢翼のユースティア 遡時のカイム   作:山屋

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第1話 リスタート

 

 家を出て慣れた道筋を通り、娼館街に行く。娼館街の入り口にその店はあった。今、初めて確認することでもないものの、それだけで泣き出しそうになる。ヴィノレタ。元・リリウム一の売れっ子娼婦メルトが営む酒場だ。『前回』はルキウスが行った解放で崩落し、下界へと文字通り跡形もなく消え去った場所。それがこうして無事に存在している。今はカイムがティアを身請けして間もない時期であり、ティアの力を二十九代目聖女イレーヌ――コレットが世に発表しようともしていない。ルキウスが解放を行う理由もなく時期も違うのだからこの店がここに存在していることは当たり前なのだが、その当たり前が、どれだけ愛おしいか。一度、その当たり前を失ったカイムはよく知っている。

 カララン、と入り口のカウベルを鳴らし、店の中に入る。「いらっしゃい」と聞き馴染んだ声がかけられたのはそのすぐ後だった。

 

「カイム、それにティアちゃん。よく来てくれたわね」

 

 カウンターの奥で微笑むメルトがいる。そう、メルトがいる。生きている。今、ここでこうしてカイムたちを迎えて笑顔を向けてくれている。その事実がカイムにとっては泣き出しそうになるくらい嬉しい。しかし、そんなカイムの感慨も事情を知らないメルトにとっては不可解なものにしか映らないようで、

 

「……? どうしたの、カイム? この間から、私を見て、そんな顔をして……私の顔に何かついてる?」

「カイムさん。私のことを見てもこんな感じなんですよ」

 

 不思議がる、を通り越して不審がるメルトにティアも頷く。「い、いや……なんでもない」とカイムは誤魔化した。ティアやメルト。カイムの感覚ではいなくなってしまった人たちが当たり前のようにいる。それがどれだけ嬉しいか。どれだけ愛おしいか。

 

「火酒と後は軽めの料理を適当に頼む」

「私はお酒はいりません」

 

 カイムはティアと二人してカウンター席に座る。「はいはい」とメルトは先程見せた不審さも引っ込めて笑顔で頷くと厨房の奥へと消えていった。

 酒と料理が運ばれてくるまでの間、カイムは思案する。この時間に『戻って』来てからというものの毎日のように考え込んでいた。それはカイムのことを知る人間からすれば不審にすら映る光景のようでティアにもエリスにも、このところいつも難しい顔をしているけど、どうしたのか? と訊ねられたことがある。そうか? とカイムは適当に誤魔化していたが、理由を話す訳にもいかない。カイムが考えていること。それはどうすれば『前回』と違った未来を迎えることができるか、だ。だが、それもまた正確な表現ではない。もっと言ってしまえば、どうすればティアを喪わないで済むか、ということについてカイムはずっと考えている。

 『前回』はルキウスにティアの力を知られ、ルキウスが天使の力の代わりにティアの力を使い、都市を維持しようとしたことで失敗した。人類を憎む天使の意志がティアを動かし、ノーヴァス・アイテル全体を滅ぼそうとし、カイムの説得で我を取り戻したティアが我が身を犠牲にすることでノーヴァス・アイテルを、人類を救った。

 ならばルキウスにティアの存在を、ティアの力を知られないようにするか?

 それは一番最初に考えたことだった。だが、それは良案ではない、と思う。

 ルキウスにティアの力を隠し通すこと自体はそんなに難しいことではない。牢獄で細々と暮らしていればいいだけだ。おそらくは『前回』同様、聖女イレーヌ――コレットは信託を受け、ラヴィリアを迎えに寄越すだろうが、それも断り、牢獄にこもり続けていればいい。そうすればティアの力が露見することは避けられる。だが、その結果、どうなるか。

 まずカイムとルキウスの接点は『前回』と比べ激減するだろう。ティアのことを隠し通す以上、カイムとルキウスは『前回』のような親密な関係にはなれないだろう。カイムが上層に登ることもなくなり、ルキウスの補佐官になることもないだろう。

 それはカイムとリシアの交流も消えるということだ。リシアは王としての責務に目覚めることもなくギルバルトの傀儡のまま一生を過ごし、遠からぬ内にルキウスも反乱分子としてギルバルトに粛清されるだろう。勿論、ルキウスとてただでやられることはなく『前回』同様、武装蜂起するであろうが、『前回』と違いリシアという錦の旗もヴァリアス率いる近衛騎士団の助力もない状況ではギルバルトの軍に敗れることは目に見えている。そうなればノーヴァス・アイテルはギルバルトの天下だ。

 ギルバルトがノーヴァス・アイテルのことを考え、都市を守ってくれるというのならば非情だがそれでもいい。ティアさえいてくれるのならそれも許容する。だが、ギルバルトはそうではない。ギルバルトは都市を支えている天使の力を自分の恋人を蘇らせるためだけに無用に使い、都市を危機に陥れる。とても都市のことを託せる人間ではない。

 『前回』頻発していた地震のことを考える。あれはギルバルトが天使の力を消耗させているから起きたことなのだろう。そして何より人為的に都市の一部を下界に落とすという『解放』。『前回』はルキウスも行ったことだが、ギルバルトもそれを行うようになることは想像に難しくない。むしろ、都市を守るために必要だからと行ったルキウスと違い、自分自身の私利私欲のためだけにルキウスが行った回数以上の『解放』を行い、都市を下界に落とすであろう。そして、最終的には天使の力を使い切りノーヴァス・アイテルは滅びる。

 その未来図が明確に思い描くことが出来る。やはりこの国をギルバルトの思うがままにさせる訳にはいかない。少なくともルキウスにはギルバルトを打倒し、政権を握ってもらう必要はある。

 恋人の復活という妄執に囚われ、都市のことも、そこに住む人間のこともなんとも思っていないギルバルトと、都市と国民のことを真摯に考え、都市の維持を目指すルキウス。

 この二人を比べれば、ルキウスに肩入れしたくなるのが人情だし、まだルキウスの方が説得の余地はある。

 しかし、ルキウスに協力するということはそれはすなわちティアの力もルキウスに知られてしまうということだ。

 牢獄の救済を積極的に行おうとしてくれていたり、国を牛耳るギルバルトの打倒を計画していたりとルキウスは悪人ではない。兄弟だということで贔屓はあるかもしれないが、善人だと思える。だが、彼の最大の目的は都市の維持であり、そのためならティアを犠牲にすることも厭わない。

 今の都市を支えている天使の力がギルバルトによって無駄に消耗させられている以上、どの道、都市を守るためにはティアの力が必要不可欠になる。

 考える。

 『前回』あれほど火急にティアの実験が行われたのはギルバルトが最期の道連れに天使の力を解放し、崩落が起こったことと、それによって引き起こされた牢獄民の反乱により時間がなくなってしまったせいだ。それらさえなければ、もう少し穏便に物事を進めることさえできたのなら、ティアの力を使いつつも、ティアを犠牲にしないで済む方法もあるかもしれない。

 それをするためには前回以上のスピードでギルバルトを打ち倒し、ギルバルトが無駄に天使の力を浪費することを防ぎ、天使の力を研究すること。

 そうだ、それしかない。

 ティアを救うだけではだめなのだ。この都市も同時に守らなければならない。それをするためにはやはりルキウス、兄・アイムとは協力関係を結んでおく必要がある。『前回』よりも早く、濃密に。

 そして、『前回』起こった牢獄民の反乱も今回は未然に防ぐ必要がある。牢獄民を悪く言いたくはないが、あの反乱はタイミングが悪すぎた。あの反乱さえなければもう少し穏便にティアの力の研究を進めることができたかもしれないのだ。都市を守るために必要なことが天使の力の研究である以上、それを妨げさせる訳にはいかない。無論、カイムとて牢獄の人間だ。反乱を起こした気持ちは分かるし、牢獄が崩落するかもしれないのに何もするな、などとは言えない。牢獄を恐慌状態に陥らせることも防ぐしかない。それにはやはり『前回』のように地震や崩落を連発させる訳にはいかない。どの道、早急にギルバルトを排除するという目的に繋がるということか。

 そして、最後にもう一つのことを思い起こす。天使は言った。私も救うことが条件だと。

 天使を救う。ノーヴァス・アイテルを浮遊させ続けた数百年で消耗し、ここ最近はギルバルトのせいもありさらに力を失いつつある天使の救済。可能だろうか?

 それもティアの力次第、だろう、と思う。ティアの力の研究が進めば、力を失った天使に元の力を取り戻させることもできるかもしれない。ティアも天使も両方を救うことができるかもしれない。

 そのためにもやはり、ルキウスとは協力体制を築くしかないと言うことか。

 カイムは嘆息し、しかし、導き出された結論を再確認する。ルキウス……アイム、アンタは今、何をやっている?

 ヴィノレタの天井を仰ぎ見る。その先にある上層、そこにいるルキウスの姿を幻視するように。

 

「カイムさん、どうしたんですか? なんだか、遠い目をされて……」

 

 そんなカイムを不審に思ったのかティアが声をかけてくる。「いや」とカイムは呟き。

 

「……そうだな。兄のことを考えていた」

「えっ!? カイムさんにご兄弟がいらしたんですか?」

 

 ティアが目を丸くする。それもそうだろう。全く脈絡もなく、これまでしたこともない話だ。

 

「ああ、兄がいた。もっとも、大崩落で下界へと消えてしまったがな……」

「そうなんですか……」

 

 ティアは沈痛そうな面持ちになる。今は亡き兄に思いを馳せていたとでも思っているのだろう。まぁ、当たらずとも遠からずな訳だが。

 

「カイムが身の上話なんて、珍しいこともあるものね」

 

 そんなことを言いながらメルトが酒と料理を運んでくる。ヴィノレタの料理は今日も変わらず美味しそうだ。ティアも同じことを思ったのだろう。「わ~、美味しそうですね~」なんて言いながら相好を崩す。その笑顔を見るのは悪い気分ではない。気付けば「ふふっ」とメルトが意味深な笑みをカイムに向けていた。

 

「何だ?」

「何でも。カイムったら、ティアちゃんの顔見て、気持ち悪いくらいにニヤニヤしちゃって、どうしたのかな、って思っただけ」

「ふ、ふえええっ!?」

 

 ティアが素っ頓狂な声を上げる。カイムはメルトの言葉に内心、動揺しつつもそれを表に出すことはなく意識して鉄面皮を作ると「そんなことはない」と言った。

 

「カ、カイムさん……私の顔なんて見て、楽しい、ですか……?」

「別にそんなことはない」

「あ、そ、そうですか……」

 

 即答にティアがシュンと気落ちした顔になる。この話はこれで終わりだ、とばかりに食事に手を付けようとしたカイムに「そんなことはないようには見えなかったけど」とメルトの声が届く。

 

「カイムったら、本気でティアちゃんに惚れちゃったのかしら?」

「ふ、ふえええ……!?」

 

 からかうようなメルトの声と素っ頓狂なティアの声。それを煩わしい、と思いつつも、それと同時にどこか好ましいと思っている自分もいた。メルトが自分をからかって、ティアがまた大袈裟な反応をして……。『前回』は失ってしまったいつも通りの光景。それが、今、ここにはある。そう思うと、やはり悪い気分ではなく……。

 

「あ、カイムさん。なんだかまたニヤけてますよ?」

「そんなことはない。お前の目の錯覚だ」

「ふふ、そうですか」

 

 メルトだけではなくティアにまで何か微笑ましいものを見るような目で見られる。それを不服に思いながらも、口に出すことはなく、「それよりさっさと食うぞ。せっかくの飯が冷めちまう」と言った。「は~い」とティアは笑顔で頷き、そんなカイムとティアをメルトが笑顔で見守る。取り戻したこの何よりもかけがえのない光景。今度は失わせはしない。絶対に、守ってみせる。

 火酒をあおりながら、そんな決意を固めるカイムであった。

 

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