「いよう。ご夫婦で晩餐かい? 羨ましいことだね~」
その日。夕食を食べようと、カイムがティアと共にヴィノレタに入るとそんな二人を出迎えるメルトより先に冷やかしの声が響いた。声の主は確認するまでもない。
ジークフリード・グラード。通称・ジーク。大崩落以降、牢獄を支配する一大勢力・不蝕金鎖の若き頭目であり、カイムにとって親友と言っていい男。
その男がヴィノレタの奥のテーブル席に腰掛け、ニヤニヤ笑いをカイムたちに向けていた。
「ご、ご夫婦なんて……わ、私とカイムさんはそういった関係じゃないです……」
ティアは顔を真っ赤にして否定する。カイムの方はそういったからかいも慣れたものなので顔色一つ変えることなくジークを見返した。ジークはこれみよがしに手にした酒瓶を示してみせると「とっておきの酒だ」と笑った。
「一緒にどうだい?」
「それじゃあ、ありがたく」
ジークが座っている席はヴィノレタの中でも最奥にあり、そこでの会話は他の客には聞こえづらい。ジークがこの席に座っていて自分を招くということは経験則上、厄介事を自分に持ちかけてくることだろうと分かっていたカイムは異論を挟むことなくジークの誘いを受けた。ジークの元に向かったカイムの後ろでティアが所在なく突っ立ているのを見たジークは「お嬢ちゃんも一緒にどうだい?」と声をかける。「は、はい! ご同伴させてもらいます!」と上擦った声で頷いたティアはカイムを追って席に座った。
「……で、今度はどんな厄介事なんだ?」
注文を取りに来たメルトに適当に食事を注文すると、カイムはジークに視線を向ける。そう焦るな、と笑ったジークは自分の手元にあった杯とカイムの手元に杯に本人曰くとっておきの酒を注いだ。「乾杯」とカイムとジークの声が重なり、お互いの陶坏を触れ合わせる。そして、カイムは一気にその酒を口に運んだ。
「こいつはたしかに上物だな」
「だろう? 先代が集めていた年代物だ。お嬢ちゃんも飲むかい?」
「わ、私はお酒はちょっと……」
ぶんぶん、と首を横に振るティアを見て、ジークが少し残念そうな顔をするも、その顔もすぐに引っ込めて自分の杯を口元に運ぶ。それからメルトが料理を運んで来て、しばらくは三人は他愛もない話をしながらメルト謹製の料理の数々に舌鼓を打った。やがて、テーブルの上に置かれた皿もあらかたカラになった頃、「さて、と……」とジークが呟き、カイムに視線を向ける。そのアメジストの瞳が真剣な色を帯びたのを見て、やっと本題か、とカイムは思いながら、口元をナプキンで拭った。
とはいえ、ジークが何を切り出すか、それは見当は付いている。自分がティアを身請けして家を引っ越してからしばらくして起きる出来事。それは牢獄を騒がせる化け物と噂される連続殺人犯を不蝕金鎖と羽狩り――防疫局が共同で捕獲しようという試み。――間違いなく、黒羽の事件のことだろう。
「カイムには悪いが、一つ、頼みたい厄介事がある」
「この席に招かれた時点からそれは覚悟している。……で、どんな厄介事だ?」
長年の付き合いを実感させる台詞にジークは肩をすくめて笑い、「それなんだがな」と話を続ける。
「ちょっと前に話しただろう? 化け物の噂」
前……。その言葉にカイムは少し記憶を遡る必要があった。おそらくジークにとっては『ちょっと前』だろう。だが、カイムにとっては『だいぶ前』のことだった。ジークから最近、牢獄で頻発している連続殺人について話を聞いたのはたしか、まだティアの身請けをする前だ。今回のカイムが戻ってくるより前の話であり、必然的にカイムがその話を聞いた記憶はだいぶ前まで、『前回』まで遡らなければならない。カイムの反応にジークは少し訝しんだ様子になる。
「黒羽……いや黒い化け物の噂か?」
「ああ、そうだ。黒い化け物が人を殺している、っていう噂だ」
ジークはそう言うと葉巻を取り出しシガーカッターで吸口を作るとマッチで火を灯し、口元に運んだ。ぷはぁ、と。ジークの口から紫煙が漂う。
「あの噂なんだかな。消えるどころか、どんどん広まっている」
「そうなのか?」
「目撃者も増える一向でな。なんでも真っ黒い羽を持った化け物が人をバラバラにしていたとか」
カイムは慎重に言葉を選んだ。この事件について、自分は全てのことを知っている。その噂が真実で犯人は本物の化け物……否、正確には化け物と化してしまった人間であるということ。その犯人は人間を簡単にバラバラにできるだけの超人的な力を持ち、そして、理性など残っておらず、説得も何も不可能であるということ。その正体が、この事件で不蝕金鎖と、カイムと協力して捜査に当たることになる羽狩りの隊長フィオネ・シルヴァリアの兄、クーガー・シルヴァリアの変わり果てた姿であるということ。それら全ての事情をカイムは知っている。だが、それを話す訳にもいかない。カイムは何も知らない風を装い、会話を続ける。
「そんな化け物が本当に存在していると思っているのか?」
「前にも言った通り、俺は否定も肯定もしない」
前、か。どれくらい前だったかと思うとカイムは苦笑いしたくなる気分にもなった。
「……だが、羽狩りは結構、真剣に捉えているようだ。連中の責任者である貴族から直々に化け物調査に協力して欲しいと依頼があった」
羽狩りの責任者である貴族――ルキウスか、とカイムは自分の兄の顔を思い浮かべる。その化け物、黒羽はルキウスと敵対するギルバルトの実験の末に生み出された産物だ。ルキウスがこの時点でどれほどの情報を手に入れているのかは分からないが、たしか黒羽が幽閉されていた牢獄の施設を放火したのはルキウスの手の者による仕業だったはずだ。ルキウスとしてもここで黒羽を捕らえ、ギルバルトの行っている実験、さらにはギルバルト自身の情報も得たいと思っているのだろう。ルキウスはこんなにも早くから行動を起こしていたのか。そのことに内心で感心しながらカイムは相槌を打った。
「ほう。羽狩りが化け物退治、ね」
「退治じゃないぞ。奴らが言う分には生け捕りにしたいそうだ」
「なるほど。……で、どうするつもりだ?」
カイムの問いにジークは葉巻を吹かせ、紫煙を吐き出す。
「結論から言おう。俺はこの申し出を受けようと思っている」
それは決定事項なのだろう。『前回』もジークはこの事件で羽狩りと手を組むことを選んだ。そして、不蝕金鎖を代表してカイムが協力者として出向くよう、要請を出すのだ。『前回』通りの展開だな、と思いながらもカイムは「羽狩りと手を組むのか?」と諌めるような言葉を発する。ここで難色を示すのが、この時点のカイム・アストレアだ。『前回』の経験から羽狩りに対する偏見もある程度は消え、羽狩り隊長のフィオネやその裏にいるルキウスが信用に足る人間であると知ってはいるが、『今』のカイム・アストレアは牢獄民として人並みに羽狩りに偏見を持っている、持っていたはずだ。そんなカイムの疑念を装った言葉に、お前の気持ちも分かる、という風にジークはしばらく間を置く。
「正直、羽狩りは鬱陶しい存在だが……敵対するよりは手を組んでいる方がマシだ。それに羽狩りの責任者だという貴族――ルキウスって言うんだが――にも興味はある」
「この件を切っ掛けにその貴族との間にコネクションを作っておきたいということか」
「まぁな。正直、化け物云々よりもそっちが本命だ。ルキウス卿は貴族共にしては珍しく牢獄の惨状を改善しようと積極的に動いてくれているって話だし、味方になり得る存在だと思っている」
ルキウスが牢獄の惨状を改善しようと動いているのは自身もかつては下層に住む平民であり、大崩落で全てを失い、人生を狂わされたが故のものだろう。『前回』の経験からカイムはそれを知っている。そして、そのことに関してはルキウスに含むところがないということも知っている。彼は本気で牢獄の惨状を変えようとしているのだ。
牢獄を治める不蝕金鎖と彼の間に繋がりができることは決して悪いことではない。それがやがては自分とルキウスの間の接点にもなる。
そんなことをカイムが思案していると「それにまぁ」とジークが言う。
「流石に犯人の分からないコロシが続くってのも不蝕金鎖の長としては見過ごす訳にもいかない。……って訳で俺は羽狩りと組んで、この事件の解決に当たろうと思った訳だ」
「なるほど」
そして、カイムに不蝕金鎖を代表して事件の調査に乗り出してもらいたい。ジークがこの先、言い出すのはそれだろう。しかし、今のカイムがそれを知っているのもおかしい何も知らないふりをして、「で、どうしてそんな話を俺にしたんだ?」と無言のプレッシャーをかける。
「それで、だが、悪いがこの仕事、カイムに頼みたい」
真摯な瞳でカイムを見据え、ジークが言う。カイムは嘆息すると、「まぁ、そんなことだろうと思った」と返す。
「……で仕事の概要は? 引き受けるか受けないかはそれ次第だな」
「そうだな。簡単に言ってしまえば不蝕金鎖を代表して羽狩りの代表者と組んで化け物の起こしたっていう事件を調査して欲しい」
表情を引き締めたジークが語り出す。不蝕金鎖としても羽狩りと協力して事に当たるのは悪い話ではない。かといって全面的に不蝕金鎖の力を羽狩りに見せるのもまた躊躇われることだ。一人だけの派遣でも面目が立つ程の実力を持ち、なおかつ信頼できる人間はカイム以外にいない。
……と『前回』同様のことをジークは述べる。予定調和のことだったが、カイムはうんざりした風を装い頷いていた。
「それでいて何か失態があればあれは不蝕金鎖とは直接の関係のない外部の人間だ、とトカゲの尻尾切りもできる……なるほど、たしかに俺以外に適任はいないな」
嫌味にも聞こえるカイムの言葉だったが、ジークは気分を害した様子もなく、そういうことだ、と頷いていた。
「何もただでやってもらおうなんて思ってもいない。この仕事を引き受けてくれるのなら……」
ジークのアメジストの瞳がチラリ、と先程から会話についていけず黙り込んでいるティアに向けられる。
「このお嬢ちゃんを身請けした時の残りの借金と新居代。チャラってことにしよう」
『前回』同様、なかなかに太っ腹な提案だった。もう、カイムの中ではこの話を受けることは決めているのだが、逡巡したふりをして、陶坏に残った酒をチビチビと飲む。そんなカイムにジークは「お前だけが頼みなんだ。頼む」と声をかけてきた。
「……分かった。他ならぬお前の頼みだ。この仕事、受けよう」
「……ありがたい。恩に着る」
うんざりした様子を装い頷くカイムにジークは笑みを浮かべる。
「ダ、ダメですよ、カイムさん!」
そんな時、何故かティアが異論の声を上げた。ジークは驚いた様子でそんなティアを見る。カイムはそう言えばこんなやり取りもあったな、などと思いながらジーク同様、ティアを見た。
「羽狩りさんと一緒に……その化け物さんの調査をするんでしょう? そんなの危ないですよ、私のためにカイムさんがそんな危ない目にあうなんて、そんな……」
自分に向けられた二人分の視線に気圧されながらもあたふたと言葉を紡ぐティアにカイムは「勘違いするな」とピシャリと言い放った。
「別にお前のために仕事を受ける訳じゃない。俺はジークの頼みだから受けるんだ。お前の身請け代のことはそのついでに過ぎない」
「そういうこった。お嬢ちゃん」
カイムの言葉に続きジークも笑みを浮かべたまま、しかし、真剣な瞳でティアを見る。
「てめえじゃ払えないような大金を払ってもらって自由の身になったんだろう? んでもって、カイムはそのことについて気にするな、って言ってる。んじゃ、そのことについてこれ以上ガタガタ抜かすのは筋違いってもんだろう」
微かな威圧を含めた言葉に「わ、わかりました……」とティアはシュンとなる。しかし、「でも、危ないことはなるべくしないでくださいね?」とすがるような目でカイムに言ってきた。
「分かっている。俺も自分の命は大事だ」
カイムはそう言って頷いた。とはいえ、『前回』の経験上、あの黒羽が相手となることを考えると、危ないことをするな、という忠告を守ることの困難さもまた身に染みていた。
その晩。
カイムは寝台で横になり薄暗い天井を眺めながら思考にふけっていた。隣の寝台ではティアがのんきに寝息を立てている。
『今回』に戻ってきた後のカイムは暇さえあれば『前回』の出来事を思い起こし、『今回』をよりよくするために思考にふけるようになっていた。
黒羽事件。
ついにこの時がやって来たか、と思う。
ティアを身請けしてから起きた大きな事件の中で、最初に起きる大きな事件だ。
『前回』は羽狩り隊長フィオネと協力し、偽黒羽のラングを捕縛したり、ティアが羽つきであることがフィオネに知られてしまったりしながらも、なんとか黒羽の住処を突き止め、実の兄クーガーである黒羽をフィオネが討ち取ることで解決を見た。
この事件は後々のことを思うとなくてはならない事件である。
この事件を介して不蝕金鎖と羽狩り、もっと言えば羽狩りの上に立つルキウスとの間に共闘体制が築かれることで後の不蝕金鎖と風錆の対立で羽狩りが不蝕金鎖に力添えをする布石になった。その後の牢獄を不蝕金鎖がルキウスと協力して治める上でもこの事件での共闘ということはふまえておかねばならない前段階である。
その上で自分が不蝕金鎖を代表して羽狩りに協力することに異論はない。むしろ、ジークから依頼されなければ困っていたくらいだ。
しかし……。
「…………」
今回の事件の調査対象、黒羽のことを考える。
黒羽の正体はフィオネの兄・クーガー・シルヴァリアである。
クーガーはかつての羽狩り隊員であり、自分たちが保護した羽つきたちが送られる治癒院の実態に不信を抱き、治癒院に忍び込み、捕らえられ、他の羽化病患者同様、ギルバルトの実験台にされたことで人外の存在となってしまった。
そこから何があったのかは分からないが、牢獄にあるギルバルトの手のかかった実験施設に送られ、実験を受けていたところ、ルキウスの一派が施設に放火し、その隙に乗じて逃走。しかし、正気は残っておらず人々を惨殺し続けた末に正体不明の怪物・黒羽として追われる羽目になった末、妹・フィオネの説得も残念ながら効果がなく殺すしかなかった。
『前回』はそうだった。
『前回』はそうするしかない、とカイムもフィオネも納得していた。
しかし、『今回』はどうだ?
カイムは視界を向け、隣の寝台で眠っているティアを見る。
こちらには天使の御子・ティアがいる。『前回』と違い、この時点でカイムはティアが天使の御子であることを知っている。
この時点ではティア自身も知るゆえもないことではあるが、ティアには天使の力を受け継いだ不思議な力がある。
それは羽つきたちの羽を溶かすようにして消し去ってしまい、その羽から作られたと思わしき黒い粉、福音を消し去ってしまう力だ。
天使の力で作られたものを浄化する力だと推測されていた力だが、その力を持ってすれば黒羽をも浄化することが可能ではないだろうか? 変わり果てた姿になってしまったクーガーをも元に戻すことが可能ではないだろうか?
その可能性は高い。そして、できるのならそうするのが良いのではないだろうか、とも思う。
黒羽を生け捕りにするという目的は『前回』は叶わなかった。だが、『今回』、ティアの力で黒羽を元に戻すことができれば生け捕りにすることは充分可能だ。そして、その黒羽が引き渡される先は羽狩りを統べるルキウス。
ルキウスなら黒羽の捕獲に成功したという事実もその黒羽から聞き出した情報も、ギルバルトに漏れるようなヘマはしまい。黒羽を浄化するということは兄を助けたいというフィオネ個人の願いを叶えるだけではなく、ルキウスにとっても、そして、カイムやティアにとってもプラスになることだ。
とはいえ、不確定要素を含んだことであることも否めない。
まず、そもそもいくら羽化病患者を治すことができるティアでも黒羽のレベルになるまで変わり果ててしまった人間を元に戻すことができるのか。
治すことができたとしても近付く者全てを殺そうとする程、理性のなくなっており、妹のフィオネが家宝である恩賜の剣を見せることでようやく正気を少しだけ取り戻すことができた黒羽相手にティアがそんなことをする余裕があるのか。
それらを考えると安易にティアを黒羽に近付けるというのは躊躇わられる。
しかし。
「…………」
穏やかな寝息を立てるティアを再び見る。
それを試みることでこいつを救うことに繋がるというのなら……。
やってみる手はあるかもしれない。
そんなことをカイムが思いながら、夜はふけていくのであった。