穢翼のユースティア 遡時のカイム   作:山屋

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第3話 羽狩りの女隊長

「おはよう……って何してるの?」

 

 朝一番。家に入ってきたエリスに怪訝そうな目で見られる。カイムはそれを続けたまま「見れば分かるだろう」と答えた。

 

「腕立て伏せだ」

「腕立て伏せですね」

 

 カイムの言葉に朝食を準備中のティアも笑顔で続ける。カイムがそのまま腕立て伏せを続けていると、「いや、そりゃ、見りゃ分かるけど……」というエリスの声を聞いた。

 

「私は何度わざわざそんなことをしてるのか、って訊いてるの」

 

 さっぱり理解できない、という顔で椅子の一つに腰掛けるエリス。「鍛錬だ」とカイムは答えた。

 

「俺はまだまだ弱いからな。少しでも強くなろうとこうして鍛錬をしている」

 

 そう。『前回』思い知った。自分はまだまだ弱い。牢獄随一のナイフ使いだの、不蝕金鎖の頭目にも頼りにされる用心棒だの、なんだとおだてられて、いい気になっていたが、自分の強さなどたかが知れていたものだった。

 ガウ・ルゲイラ。『前回』は幾度となく刃を交えたあの女暗殺者の顔を思い浮かべる。執政公ギルバルトの飼い犬でバルシュタインの狂犬と恐れられた凄腕の女暗殺者。結局『前回』はあの女に勝つことはできなかった。ガウは自分などより遥かに上を行く強さの持ち主だった。『今回』も『前回』同様、叶わずじまい、という訳にはいかない。おそらくは『今回』もいつかは自分の前にはあの女が立ちはだかることだろう。ガウだけじゃなく他にも多くの敵がカイムの前には現れるはずだ。その時になって自分の力不足を嘆いても遅い。だから、カイムはこうして地道に自分を鍛えているのであった。今日は朝から腹筋、背筋。そして今の腕立て伏せというコースだった。

 

「それはそれは、向上心のあることで何より」

 

 あまり感心した様子もなくエリスがそんなことを言う。

 

「お褒めに預かり光栄だ……っと、こんなものでいいだろう」

 

 カイムは腕立て伏せを終えて立ち上がる。流石にこの程度で悲鳴を上げる程やわな鍛え方はしていない。息一つ切らしていないカイムは何事もなかったかのように席につき、ティアが作る朝食が運ばれてくるのを待つ。

 

「そういえば、今日からですよね。羽狩りさんとのお仕事」

 

 ティアがテーブルの上にパンの皿とサラダを盛り付けた皿を並べながらそんなことを口にする。「ああ」とカイム。「何それ」とエリス。

 

「そんなこと私、聞いてないんだけど」

「話してないからな」

「羽狩りと仕事って、どういうことよ、カイム?」

 

 エリスに軽く睨み付けられる。「ジークの頼みだ」とカイムは答えた。

 

「羽狩りと協力して化け物の調査をしてくれってな」

「化け物……最近、噂になってる人を殺して回っているっていう黒い化け物のこと?」

「ああ。羽狩りの責任者の貴族サマが直々にジークに頼みこんだらしくてな。この事件は羽狩りと不蝕金鎖が協力して解決しようってな。それで不蝕金鎖を代表して行くのが……」

「カイムって訳ね」

「そういうことだ」

 

 エリスはため息を吐いた。

 

「はぁ。この小動物を抱え込んでるだけでも大概なのに、また厄介事を抱え込んで」

「ジーク直々の頼みだからな。断る訳にもいかんだろう。それにこの事件を通して羽狩りの、いや、羽狩りの上の貴族とツテを作っておくことは不蝕金鎖にとっても悪いことじゃないんだ」

 

 カイムの言葉にエリスは目を丸くした。何だ? と思う。自分はそんな変なことを言ったか?

 

「あら、意外。カイムがそんなことを考えるなんて。上層に居て、牢獄に来ることもない貴族のことなんてどうでもいいって思ってたんじゃなかったの?」

 

 ああ、そういうことか、と納得する。たしかに『前回』のこの時点の自分なら羽狩りの上にいる貴族のことなど気にもしなかっただろう。ましてやその貴族と不蝕金鎖との連携がどうのこうのなど口に出すはずもない。こういう時、ついポロッと『前回』の経験を踏まえて変わった自分が出てしまう。

 

「俺だってたまにはそういう政治的なことも考えることもある」

 

 気を付けなければいけないな、と思いながらもカイムはそう言い切り、会話を打ち切った。

 

 

 

 リリウムに来てくれ、とジークからは言われている。朝食を食べ終わり、昼といっていい時間になると、カイムはティアやエリスに自宅を任せ娼館街に向かった。

 夜は賑わう娼館街もまだ日も登っているこの時間帯では人通りも少なく閑散としている。そんな道筋を通り、リリウムを訪れると、受付を顔パスで通り奥の階段に向かう。ここは不蝕金鎖の応接室になっている。扉を軽くノックしてから開いたカイムはそこに予想通りの人間がいるのを確認した。

 羽狩りの制服を隙無く着こなし、生真面目な正確を表すかのように背筋をピンと伸ばして長椅子に腰掛け、傍らに長剣を携えた女。

 羽狩り隊長・フィオネ・シルヴァリア。『この』時点のカイムでも何度か顔を合わせた仲であり、『前回』の経験を持つカイムにとっては少なからず信頼を寄せている女性。

 フィオネはカイムに気付くと軽く会釈した。会釈を返すカイムに「よう、カイム。よく来てくれた」とジークの声がかけられる。フィオネの向かいの席に座っているジークがフィオネを示し、「こちらは羽狩りの……」と言いかけたところでフィオネが軽く咳払いをする。ジークは苦笑すると「失礼」と言って言い直す。

 

「こちら、防疫局強制執行部特別被災地区隊長のフィオネ・シルヴァリアさんだ。今回の件では先方の代表を務めてくれる」

「なるほど。つまり俺は彼女と一緒に仕事をするということか」

 

 『前回』の経験ゆえの先読みした発言に「そういうことになるな」とジークも頷く。既知のことなので驚きはなかった。最も、『初めて』のフィオネはそうではなかったようで、少し驚いたように目を丸くする。が、それも一瞬のこと。細められた視線がカイムの方を向く。

 

「すると貴殿が不蝕金鎖を代表して協力してくれるのか?」

「ああ、そういうことになるな。隊長さん」

「うちの代表のカイムだ。まぁ、仲良くしてやってくれ。見ての通り、ぶっきらぼうな奴だが、腕は立つ」

 

 フィオネは立ち上がるとカイムに右手を差し伸べてくる。カイムも手を伸ばしその手をギュッと握った。

 

「フィオネだ。よろしく頼む、カイム殿」

「ああ、よろしく」

 

 握手を終えるとフィオネは少し不思議そうな顔になる。なんだ? とカイムが思っていると「貴殿は不服ではないのか?」とフィオネが口を開いた。

 

「不服? どういうことだ?」

「いや。今回の件は上層の貴族、ルキウス卿の直々の依頼だ。それなのに派遣されるのがこんな女一人で不満ではないのかと思ってな」

 

 ああ、そういうことか、と思った。彼女は荒療治が担当の羽狩りの隊長という立場には不釣り合いな程の見目麗しい女性だ。それ故にこれまで不当に軽く見られることも多く経験しているのだろう。しかし、今回のカイムはそれがなかった。それが不思議なのだろう。

 たしかに『前回』は貴族直々の依頼の癖してやって来たのはこんな女一人か、と不満に思ったような覚えはある。しかし、『前回』の件を経てフィオネの実力・人柄共によく知っているカイムには不満などあるはずもなかった。

 

「あんたはそのルキウス卿から全権を委ねられて来たんだろう? なら、卿の名前に泥を塗るような下手な真似はしないと信じているさ」

「無論だ。私のせいでルキウス卿の名を貶める訳にはいかないからな」

 

 よどみなくフィオネは答える。

 

「まぁ、二人共気が合いそうなら、何より。今後の具体的な方針については二人で話し合って決めるのがいいだろう」

 

 ジークが笑う。名目上はこのリリウムで不蝕金鎖と羽狩りが黒羽対策の打ち合わせをすることになっているが、実際にはカイムとフィオネに丸投げされることが『前回』の経験上分かっていたカイムは呆れることもなく、そんなジークの言葉を受け止めた。「じゃあな。頼んだぜ、カイム」とかけられた声に頷く。

 

「それじゃあ、少し行ってくる」

「では失礼する。ジーク殿」

 

 フィオネが一礼する。カイムとフィオネは二人して応接室から外に出る。

 

「それで、カイム殿」

「カイムで構わん」

「そうか……では、私のこともフィオネと呼んでくれ。貴殿とは対等な関係を築きたいと思っている」

 

 対等な関係、か。『前回』の自分なら斜に構えて捉えてしまった言葉かもしれないが今のカイムはそれを素直に受け入れた。

 

「打ち合わせをするのはいいが、どこかいい場所はあるか?」

「ヴィノレタという馴染みの酒場がある。他に候補がなければそこでしようと思うが?」

「そうだな。我々の詰め所という訳にも行くまい。その酒場で異論はない」

 

 カイムの言葉にフィオネは頷いた。ヴィノレタはリリウムからそう遠くない位置にある。早速、中に入り、最奥の、周りの人間に話が聞かれづらいテーブル席に陣取る。フィオネと二人してやって来たカイムを見たメルトは目ざとく「あらあら、カイム。羽狩りの隊長さんと二人っきりで食事なんてどうしたの?」などとからかいの言葉をかけてきたが、「仕事だ」の一言で会話を断ち切った。丁度、昼食時だったこともあり、適当に注文をする。酒は、と考え、目の前の堅物隊長のことを見て自重する。たしか彼女は酒の類とはてんで馴染みのないのだったか。

 『前回』の記憶通りならこの打ち合わせはあまり有意義なものではなかったはずだ。お互いの情報を交換するといっても、不蝕金鎖も噂話以上の詳細な情報は掴んでおらず、羽狩りの方もこの時点では過去の報告書すらロクに纏められておらず目ぼしい情報はなし。結局、足を使って調査する、ということを決めるだけにとどまったはずだ。

 とはいえ、そんな風に打ち合わせが終わることをあらかじめ知っているというのも妙な話なのでカイムは運ばれてきた食事を食べ終わると口を開いた。

 

「さて、それじゃあそろそろ今後の方針を確認するか」

 

 待っていた、とばかりにフィオネも頷く。

 

「うむ。ルキウス卿からは黒羽の生け捕りを命じられている」

「黒羽……化け物のことか?」

 

 勿論、カイムは今回の事件の犯人の化け物のことを羽狩りが黒羽と呼んでいることも、そこから伝わり不蝕金鎖や牢獄の民の間でもその通称が使われるようになることも分かっているのだが、現時点ではその呼び名はまだ羽狩り内部だけで使用されているはずだ。何も知らない風を装い訊ねてみると、フィオネは神妙に頷いた。

 

「今回の連続殺人事件の犯人を我々は黒羽と呼んでいる。目撃情報によると黒い羽を持っているらしいことから付いた名だ」

「なるほどな。噂によると相当な化け物のようだが、そんなものが本当にいると思っているのか? 正直、眉唾な話ばかりだと思うが……」

 

 言いながらカイムは何を白々しいことを言っているんだ、俺は、と苦笑いしたくなった。黒羽という存在がいる。そのことは世界の誰よりも自分が知っていることではないか。「我々は実在すると思っている」とフィオネは大真面目に答える。

 

「しかし、そんな存在を生け捕りするとなると手間だな。殺してしまってはダメなのか?」

「ルキウス卿はあくまでも生け捕りを命じている。我々はその使命を果たすべく全力を尽くすだけだ」

 

 真剣な瞳で話すフィオネを見ながら、生け捕り、か、とカイムは思考する。黒羽の正体は目の前のフィオネの実兄・クーガーだ。彼女のためにも生け捕りにできればこれ以上のことはないだろう。もっとも、それにはやはり昨夜考えた通り、ティアの協力が必要不可欠になるだろうが……。

 会話を進めながらもカイムは考える。黒羽の正体や羽狩り副隊長ラングによる偽黒羽事件。今、自分だけが知っている、それでいて重要な情報はいくつもある。だが、それら全てをこの場で話すというのは無理だろう。どだい信じては貰えまい。かといってあまりにも秘密を秘密にし続けるのもどうかと思う。『前回』はこの事件で牢獄の民間人にも不蝕金鎖にも羽狩りにも多数の死傷者が出る結果に終わってしまった。それはできれば防ぎたい。黒羽や偽黒羽ラングによる犠牲者の数も減らすため『前回』以上に早急に事件を解決させたい。そのためなら自分が持っている未来の知識を活用する必要もある。どのタイミングで話すか、その見極めは重要になってくるだろう、と思う。

 結局、『前回』同様、そこまで有意義な打ち合わせにはならず黒羽について聞き込みをして回るということで話が決着し、ヴィノレタを後にする。黒羽と遭遇した場合の連絡手段として呼子笛を用いようという話も『前回』同様まとまり、『前回』とは異なり、不蝕金鎖の構成員全員に行き渡る必要最低限の量だけを作るように言っておいた。笛屋が開けるだけの量を作ってもらった『前回』のせめてもの罪滅ぼし、というものだった。

 それからは二人して聞き込みを行った。しかし、残念ながら『前回』同様、羽狩りの制服を身に纏ったフィオネに協力的になってくれる住民はおらず、調査一日目は目ぼしい情報を得ることもできないまま、徒労に終わるのだった。

 カイムは『前回』同様、フィオネに私服に着替えるように忠告するものの、この忠告もしばらくはこの女隊長は意地と誇りを押し通し、聞き入れてもらえないであろうことも分かっていた。

 

 

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