翌日の聞き込みも目ぼしい成果は上がらなかった。足を棒にして一日中聞き込みを続けたものの全く成果はゼロだ。既に空の太陽は傾き、夕闇の差し込む時間帯となっている。
羽狩り――フィオネはあくまでも防疫局と主張するが――相手に好感も持っている牢獄民などおらず、ほとんどの家で門前払いを食らう羽目になった結果だ。それでもフィオネは一々、慇懃に礼を言っているが、正直、こんな無駄なことに付き合わされる方の身が持たない。
いずれはカイムの助言を聞き入れて私服で聞き込みをするようになると分かってはいるが、こうして時間を無駄にしていていいのだろうか、という焦りにも似た感情が胸の中で湧き上がる。自分は知っている。黒羽の正体も、その黒羽の犯行に見せかけて羽狩り副隊長ラングが犯行を重ねているということも。だが、それを表に出さずこうして『前回』同様、無駄な聞き込みを続けていていいのだろうか。 そんなことを思っていると一人の少年が恐る恐る、と言った様子でカイムたちに話しかけてきた。羽狩りの保護を望んでいる羽つきがいる、という話だ。それで思い出した。ああ、そういえば『前回』もこんなことがあった、と。
少年に連れられカイムとフィオネはとあるくたびれた一軒家を訪れた。そして、その中で待つ老婆と出会った。フィオネが老婆の背中を、羽を確認する間、カイムは外で待たされたがまた逡巡する羽目になってしまった。これは『前回』もあったエピソードだ。自分の人生の終着点を見定め、自ら羽狩りによる保護を望む羽化病患者の老婆。その老婆はフィオネに対し、自分を保護してくれることへの感謝を述べ、形見代わりのブローチをフィオネに渡し、治癒院に連れて行かれるのだ。『前回』は感動的な光景だな、と思った覚えがある。羽狩りが羽つきを治癒院に連れて行くなど羽つきの意向を無視し、無理矢理連れて行くばかりだろうとカイムは思っていたからだ。そうではなく、こういう平和的な形での保護もある。それを知らされたカイムは自分がまだ知らない世界の一端を見せられたかのようで、思わずフィオネに食事をおごるくらいには清々しい気分にさせられたのだ。だが……。
(ダメなんだ、フィオネ、婆さん……治癒院は……)
苦虫を噛み潰したような顔になる。今のカイムは羽狩りが保護した羽つきが連れて行かれる先、治癒院の実態を知ってしまっている。あそこは羽狩りに知らされており、公に宣伝されているような穏やかな場所ではないのだ。執政公ギルバルトの元、天使の力を取り出すための人体実験が平然と行われている施設だ。そこに送り込まれた羽つきたちはその羽に宿る天使の力を根こそぎ搾り取られ、その果てに羽をむしり取られた挙句、処分される。『前回』システィナに連れられて見せられた大量の羽つきの死体を乗せた馬車が下界にその死体を投棄していた光景が脳裏をよぎる。ダメだ……治癒院に連れて行かせるのはダメだ。そう思う。治癒院に連れて行かれたこの老婆を待つのは人間扱いすらされない悲惨な末路だけなのだ。
……だが、どうする?
今、ここで治癒院の実態をフィオネに話してやめさせるか? いや、聞き入れられるはずがない。カイムが何を言おうと、到底、信じては貰えないだろう。ならばこの老婆を連れて、ここから逃げ出すか? 既にフィオネは老婆を保護するための他の羽狩りを呼んでしまっている。そこから無理矢理、羽つきの老婆を連れ出せば、それは大事になってしまうだろう。少なくとも不蝕金鎖を代表して羽狩りと協力している人間が取っていい行動ではない。カイムは苦渋の思いで決断を下した。
(仕方がない……ことなんだ)
羽つきの老婆から馬車に乗せられて去って行く。それをフィオネは満足げな笑みを浮かべて見送っている。そう、仕方ない、ことだ。いくら自分が未来から来た人間であろうとも未来の知識を持っていようとも、万能の神になった訳ではない。全ての人間を救うことなどできないのだ。カイムは拳をきつく、きつく握りしめた。その様子にフィオネが少し驚いた様子で「どうしたのだ? カイム」と声をかけてくる。
「いや……なんでもない。それより今日はこの辺にして、食事にしないか?」
カイムの提案にフィオネは少し考え込んだ後、「そうだな」と頷く。そこに「服装のことに関しても考えて欲しいものだが」と続けて言う。『前回』通りならこの羽つきの老婆の保護がフィオネの心情にも変化を促し、ようやく私服で聞き込みをするというカイムの提案も受け入れてくれたはずだ。案の定、カイムの言葉に「わかった」とフィオネは頷いた。
「前向きに考えてみることにしよう」
「それはよかった」
カイムは頷き、フィオネと共にヴィノレタに向かった。カイムの記憶がたしかなら今晩、再び黒羽による事件が起きるはずだ。犠牲者のことを考えれば事前に阻止したいとも思うが、
それだけではない。たしか今夜は本物の黒羽だけではなく、
そして、ヴィノレタでの食事が終わろうかという時、血相を変えて娼婦のリサがカイムの名を呼び、ヴィノレタに飛び込んでくる。ティアが襲われた、と。場所はどこだ! とカイムが訊くと娼館街の裏路地、と『前回』同様の答えを言ったリサの言葉に頷き、カイムとフィオネは慌ただしく店を出てそこへ向かう。裏路地の四つ角にティアとエリスの姿があった。「ティア!」と思わずその名を呼ぶ。自分の名を呼ばれたティアはハッとしたように顔を上げるとカイムの方を見た。
「あ……カイムさん」
「大丈夫か?」
「はい。私は大丈夫です」
力強くティアは頷く。分かっていたことだが、大事に至っていないことを確認し、カイムはホッとする。つとめて冷静を装いカイムは訊ねる。
「襲われたと聞いたが、襲ってきた奴はどんな奴だった? どこに逃げた?」
その問いに答えたのはティアではなく一緒にいたエリスだった。
「顔は分からないけど、黒っぽい格好はしていた。あっちに逃げた」
エリスは路地の奥を指差す。カイムはフィオネと頷き合うと、「襲ってきた奴を追う。ここは任せた」と言い残し、二人で駆け出す。女性の悲鳴が響いたのはそのすぐ後だった。偽黒羽の後は本物の黒羽のご登場か……。カイムはそう思いながらも駆ける足に力を込め、一刻も早く現場を目指す。角を曲がるとムッとした死臭が鼻についた。この先に広がっている光景を嫌でも連想させられる粘ついた、それでいて、不快な臭い。カイムはフィオネに「この先は見ない方がいい」と忠告するもフィオネは気丈に首を横に振り、カイムと共に足を進めた。果たして、そこには予想通りの光景があった。
首、腕、足。体中のパーツがバラバラに分解されて真っ赤な血溜まりと共に地面に散らばっている。飛び散った際についたのか壁には血と共に臓腑などがこびりついており、その側で娼婦らしき女性が腰を抜かしてへたり込んでいた。こんなことは
羽化病患者……。我々の仕事だな、と言ったフィオネが増援を呼びに行く間、リサから話を聞いたのか不蝕金鎖の面々が連れ立ってやって来る。先頭を切るのはジークの腹心・オズだ。不蝕金鎖の面々が現場を調査する傍ら、カイムは地面に落ちた黒い羽根を見つけた。
そして、フィオネとラングを先頭に羽狩りの部隊が到着する頃にはすっかり辺りは野次馬に取り囲まれていた。どけどけ! と乱雑に野次馬の列を押し退けて羽狩りたちが現場に辿り着く。
「カイム、現場保存、すまない。後は我々が引き受けよう」
「ん? また君か。君のいる所にはいつも血の臭いがあるな」
慇懃に礼を言うフィオネの隣で副隊長のラングが嫌味を言う。その体から殺人現場には場違いな香水の臭いが漂っていて、カイムは不快感に眉をしかめた。何が、いつも血の臭いがあるな、だ。お前は黒羽の事件を真似て連続殺人を犯している身ではないか。そう問い詰めたくなる気持ちをカイムはなんとか抑え込んだ。今、ここでこの男を糾弾しても証拠がない。カイムが訳の分からない事を言っているだけとしか捉えられないだろう。
「おいおい、羽狩りさんたちよお! 何が羽つきの保護だぁ!?」
「捕まえる前に殺されてりゃ世話ねえなあ!」
酒の勢いもあるのだろう。辺りを囲んだ野次馬たちから下卑た野次が飛ぶ。「なんだと!」「そもそも、お前たちが匿っているからだろうが!」などと羽狩りの方も売り言葉に買い言葉で言い返し、現場には不穏な空気が流れる。それをフィオネが一喝し、なんとか現場が平静を取り戻した頃にカイムはフィオネに先程見つけた黒い羽根を渡すと、フィオネの表情が変わった。預かっていいか? という彼女に黒い羽根を渡す。
「あ! 畜生! この羽つき、俺らが目を付けていた奴じゃねえか!」
「本当だ。くそっ、報奨金がパアじゃねえか」
そんなカイムとフィオネの後ろで羽狩りがバラバラになった死体を見ながら悔しそうにそんなことを言う。
「くそ。今月に入ってから何件目だよ。俺たちが目をつける度にそれを先読みするかのように黒羽の奴が羽つきを襲うんだ」
忌々しげに口にしたその言葉を耳にし、当然だろう、とカイムは思う。今回の件は本物の黒羽の仕業だが、それ以外の羽狩りが情報を掴んでいた羽つきを殺したのはおそらく偽黒羽ラングの仕業だ。羽つきの情報を仕入れる度にその情報を司る副隊長自身がその羽つきを殺して回っているのだから、当たり前のことだった。ラングの方を横目で見る。
「…………」
偽黒羽はこの現場にも動じた様子はなく、すました顔で凄惨な殺害現場には不釣り合いな香水の臭い――本人曰く臭いではなく香りだというが――を辺りに撒き散らしていた。そんなカイムに「カイム」とフィオネが声をかけてくる。
「今回の件だが、どうやら黒羽の仕業ということで話が固まりそうだ」
フィオネが言うには直接、黒羽が殺害を犯した場面を見た者はいないそうだが、黒い影が人間離れしたスピードでこの場から離れて行く姿を多くの人が目撃しているらしい。それにカイムが拾った黒い羽根のこともある。カイムは頷くと「じゃあ、後はあんたらに任せていいか?」と訊ねた。この現場で自分ができることはもうないだろう。フィオネが「任せてくれ」と頷いたのを確認するとカイムはその場を離れた。最後にもう一度、ラングの方を一瞥したが、ラングは気付いた様子もなかった。
その後、家に戻ったカイムはティアから事情を聞き、ティアにぶつかった襲撃者――おそらくは偽黒羽、ラング――が言葉を発していたとの情報を得て寝床に付くのだった。その情報は『前回』の経験があるカイムには既知のものだ。今回の連続殺人を起こしている犯人は黒羽も偽黒羽も両方、人語を発するくらいの知能はある。黒羽の方は正気をほぼ失ってはいるが。どちらにせよ、黒羽を捕らえるのは手間だが、偽黒羽は、ラングはただの人間だ。捕らえることはそう難しいことではない。なるべく早くその犯行を暴かなければならないな、と思った。カイムは博愛主義者ではない。だが、犠牲者は少なければ少ないにこしたことはない。その程度の倫理観はカイムといえど持ち合わせているものだった。