翌日。いつもの様に聞き込みを開始しようとしてフィオネとの集合場所になっているヴィノレタに向かったカイムを待っていたのはかしこまった顔のフィオネだった。「熟考の末に私服姿で聞き込みをすることにした」と語るフィオネ。それはいい。大歓迎だ。これで昨日までの無駄な時間も報われるというものだろう。だが、フィオネは続ける。着ていく服がない、と。ならば買えばいい、とカイムは当たり前のことを言うのだが、自分には服を選ぶセンスというものがないとフィオネは語る。最初はメルトに見てもらうつもりだったようだが、メルトからそういうことならカイムが詳しいと聞かされてカイムに服を見立ててもらおうと思い、こうして待っていた、とフィオネは語る。
ああ、そういえば、そんなこともあったな、とカイムは『前回』の記憶を思い返した。カイムに服を選ぶセンスなどない。メルトの言葉は最近、親しくしている(ように見える)カイムとフィオネの間を仲立ちしようとする余計なお世話ではあるのだが、それを否定することに回す労力を考えるのもまた億劫だった。仕方がなく『前回』同様、カイムが私服の見立てをすることにする。フィオネと二人して市場に行き、考えるのも面倒だったので『前回』と同じ服を選んだ。尚、ここで服の代金をカイムが持ってあげる……というような甲斐性などカイムにはない。何故だがカイムが選んだ服を手にしたフィオネは上機嫌そうに見えた。
それから時間が惜しいということでフィオネは羽狩りの詰め所で着替えることにしたらしく関所にある羽狩りの詰め所に向かう。勿論、カイムも同行した。少し待っていてくれ、と言い詰め所の中に入って行ったフィオネを見送ると程なくして詰め所の中からラングと数人の羽狩りが顔を出した。ラング……。黒羽の仕業に見せかけた連続殺人を犯している偽黒羽。カイムは無意識の内に感情が強張るのを感じたがそれを顔に出すことはなかった。ラングはそんなカイムの内なる敵意に気付いたのか気付かなかったのか、「おや、また君か」と呟く。
「こんな場所で何の用だ?」
「アンタらの隊長さんのお供だ。そういうアンタらは?」
「我々はこれから巡回だ。牢獄民のために、な」
一々、嫌味ったらしくラングは言う。ラングの後ろに控えていた別の羽狩りが下卑た笑いを浮かべながら言う。
「兄ちゃんよぉ。ウチラの隊長と随分、仲がいいみたいじゃねえか」
「俺たちの可愛い姫様に手を付けてもらったら困るぜ? ひひ……」
他の羽狩りも同調して笑う。仮にも国家機関の人間でありながら、その辺のチンピラそのものといった態度だった。それにしても自分たちの隊長のことを指して可愛い姫様とは。フィオネの苦労を思い、カイムは嘆息したくなる気持ちも堪え「誰があんな堅物に手を出すか」と言った。
「それならいいんだけどな……きひひ……」
「おい、お前たち。いつまで無駄口を叩いている。そろそろ行くぞ」
流石に放っておけなくなったのかラングが一同に声をかける。相変わらず身に付けた香水の臭いが不快に鼻腔をくすぐる。
「アンタ。余計なお世話かも知れないがそんな臭いを付けて仕事に差し障りないのか?」
カイムの言葉にラングは嫌味たっぷりの皮肉げな笑みを浮かべて答える。
「フッ、牢獄の醜悪な空気にこの身が染まらないようにとの配慮だ。それと、薄汚い牢獄の犬に一つ教えてやる。これは臭いではない。香り、というのだ」
そう言ってラングは気取った動作で踵を返すと、もうカイムのことなど気にも止めてないという風に歩き出す。その後ろを羽狩りの隊員たちが続いた。
(『今回』も相変わらずか、あの副隊長さんは……)
呆れ果ててカイムはその長髪を見送る。この分だと『今回』もやはりあの男は偽黒羽であることに違いはないだろう。自尊心が高く嫌味な副隊長、程度なら放っておけばいいのだが、そいつが連続殺人を行っているとなれば放っておく訳にもいかない。やはり、『前回』よりも早くあの男の犯罪は暴かなければならないだろう。
それからはフィオネが出て来るのを一人、待った。あまりの遅さに様子を見に行こうとも思ったが、たしか『前回』はそうして見に行った結果、着替えを覗く羽目になってしまったのだと思い出し、思い留まる。たしか包帯を巻き直しているのに時間を喰われたとかだったか。そうして、さらにしばらく待っていると私服姿に着替えたフィオネが詰め所から出てきた。「すまない。遅くなった」と詫びる彼女に「いや、構わん」と返す。
「では、早速、聞き込みに行くことにしよう」
フィオネにそう言われるまでもなく、カイムは歩き出す。それからの聞き込み作業は昨日までの徒労っぷりが何だったのかと思える程に順調なものだった。羽狩りの制服ではなく、私服を着ているフィオネに対して拒否反応を示す人間はおらず、断片的ながらも黒羽に対する情報は集まってきた。
その中で注目すべき情報はは化け物に殺されかけたと吹聴している男の存在だった。その男は十日程前に化け物に至近距離で遭遇し、殺されかけたもののなんとか一命を取り留めたのだという。ならば、その男の所に話を聞きに行こうという流れになるのは当然のことだった。だが、
(……たしかもう殺されてしまっているんだったっけな)
その目撃者の男が目撃したのは偽黒羽、ラングだったのだろう。『前回』はカイムとフィオネが男の家を訪れた時には肩から腰にかけて剣で斬り裂かれたような傷を持った死体がお出迎えだった。ラングの手による口封じと見るべきだろう。
目撃者の男の家を訪れたカイムたちだったがやはりそこにあったのは男の死体だった。
「人相から見て死体は目撃者の男だ」
「殺された、ということか」
「ああ……もしかしたら口封じなのかもしれん」
カイムの言葉にフィオネは考え込むしぐさを見せる。羽狩り内部に犯行を行っている人間がいる。その話を切り出すのなら、今だろう。そう思いそんなフィオネにカイムは声をかける。
「なぁ、フィオネ。羽狩りは俺たちと組む前から黒羽の調査を進めていたのか?」
「まぁ、ある程度はな」
「もし口封じならこの男に羽狩りが聞き込みをしていたことを犯人は把握していたんじゃないのか?」
そうだ。おそらくはこの男が目撃した黒羽は、偽黒羽ラングでラングは口封じのためにこの男を殺したのだ。カイムの言葉にフィオネは眉根を寄せて、見るからに不快感を露わにする。
「冗談はやめてくれ。我々に身内を疑えと言うのか?」
「他にも疑わしい要因はある。昨夜の黒羽に被害者は人知の及ばない強大な力でバラバラに引き裂かれていた。だが、この男の死体はどうだ? まるで剣で斬り裂かれたかのような傷跡しか残っていない」
カイムの言葉にフィオネはさらに不愉快そうに眉をしかめるが、カイムの言葉にも一理ある、と判断したのか続けろ、と目で示す。
「これは俺の推測だが……俺たちが追っている犯人は二人いるんじゃないのか? 一人は昨夜のような人間離れした化け物、もう一人は剣などといった武器を用いて相手を殺害する人間。そして、羽狩りの隊員は自分たちが目星を付けた羽つきが次々に殺害されているとも言っていた。もしかしたら後者の犯人は羽狩り内部に……」
「やめろ!」
これ以上は我慢ならん、といった様子でフィオネは怒声を持って、カイムの言葉を遮る。
「カイム、我々は誇り高き防疫局だ。その内部に黒羽と繋がっている者や、ましてや黒羽のような犯行を犯している者がいるなどあるはずがない。それはカイム、お前の思い込みだ」
「そうかもしれないが、疑わしいのはたしかだ」
カイムの言葉にフィオネは不愉快そうにカイムを睨む。「そう言うんなら、試してみようじゃないか」とカイムは口にした。カイムは『前回』ラングをおびき寄せた手段をフィオネに説明する。羽つきが匿われている家がある、という偽のタレコミを羽狩りの詰め所に入れておく。その場所は空き家だが、それを見た者に羽つきへの殺意があるのならやって来るかもしれない。そう説明するとフィオネは渋々と言った様子で「わかった」と頷く。
そして、フィオネは連絡を取るために作った呼子笛が完成したことを告げる。これで羽狩り全体と不蝕金鎖全体に笛が行き渡ることになる。
明日の囮作戦に備えて今日はこれで解散となった。フィオネは最後に「だが、私は部下を信じる。防疫局の中にそんな汚らわしいことに手を染めている者などいないと信じている」と言っていたが、その内に確かな疑念があるのは確かだった。『前回』よりかなり早いタイミングでの作戦実行だが、『前回』もフィオネはカイムの指示もなしに回収した黒い羽根に印を付けておくという行為をしていたのだ。『前回』カイムが羽狩り内部が怪しいと言う前から内部犯の可能性を疑っていたのだろう。そしてカイムは『前回』同様に空き家に羽つきが匿われているとのタレコミを羽狩りの詰め所に放り込んで帰宅した。
その翌日。カイムはフィオネと合流すると貧民街の一角に向かった。『前回』は一人でやっていたことだが、フィオネがいても特に支障はあるまい。むしろ犯人が羽狩り内部の人間であると分かってもらう必要がある。羽つきが匿われているとタレコミを入れた空き家に一見すると中の様子が分からないようにカーテンをかけておき、カイムとフィオネは少し離れた辺りが見渡せる小高い場所に陣取る。さて、これで後は待つだけ、だ。『前回』通りなら奴は必ずやって来る。偽黒羽・ラングは。
カイムとフィオネが息を潜めているとややあって羽狩りの隊員二人がやって来た。
「おお、ここだ、ここだ」
「しかしまぁ、タレコミってのは信用できねえよなぁ。ほとんどがイタズラだもんな」
「だが十回に一回は当たりがあるから放置もできねえ。報奨金は欲しいしな」
そんなことを言いながら羽狩りの隊員たちは遠巻きに羽つきが匿われているとされた空き家を監視する。途中、羽狩りたちは談笑の中でフィオネのことを『姫様』などと呼んだりしてカイムの隣のフィオネは眉根を寄せたが飛び出して行って怒鳴りつけるような真似はしなかった。そんなことをされては全てが台無しになってしまうところだ。
やがて日も傾いた頃、目標に動きがないと分かると二人の羽狩りは退散していった。無駄口を叩きながらも、真面目な職務遂行に監視していたフィオネも満足のようだった。
「カイム。やはり私の配下の隊員たちに不埒なことを企んでいる者などいないのではないか?」
「しっ。そろそろ日も暮れる。これからが本番だ」
そう。太陽は西の空に沈み、夜の帳が下りる。偽黒羽が動き出すのはここからなのだ。
やがて辺りは宵闇に支配される。息を殺していたカイムとフィオネは空き家に近付いてくる足音を耳にしてハッと意識を集中させた。月の光だけが光源の夜の貧民街では来訪者の詳細な姿は見えない。だが、黒っぽい外套を身に纏った人間であるらしいことは分かった。間違いない、偽黒羽・ラングだ。フィオネが息を呑む気配が伝わる。来訪者は空き家の様子を近付いて伺うと、懐から長剣を取り出し、空き家の中に押し入ろうとした。
カイムは手にしたナイフを投擲する。真っ直ぐに飛んだナイフは来訪者の体にたしかに突き刺さった。「ぐっ!?」と苦悶の声が漏れる。カイムとフィオネは飛び出して、来訪者のところに迫る。嵌められた。それを察したのだろう。来訪者は慌てて踵を返し、逃走しようとする。「待て!」とカイムとフィオネの声が重なる。カイムは出来たばかりの呼子笛を吹き鳴らした。逃走速度はのろく、黒羽のような人間離れした速度ではない。『前回』は逃してしまったが、『今回』は逃がさない。再びカイムはナイフを投擲した。真っ直ぐに飛んだナイフが逃走者の背中に再び突き刺さり、逃走者は「うぐっ!」と声を漏らし、速度が緩む。その隙を逃さずカイムとフィオネは逃走者を捕らえる。黒い外套を頭から被った男。カイムの二度のナイフ投擲を受けて血をしたたらせたその男が被っていたフードを強引に引き剥がし、素顔を露わにさせる。その顔は、羽狩り副隊長・ラングのものだった。「ラング……」とフィオネが絶句する。疑念は抱いていても本当に自分の部下が凶行を及んでいるなど信じたくはなかったのだろう。顔面蒼白になったフィオネをよそに「お前は羽つきを殺そうとしてやって来たんだな?」とカイムは声をかける。ラングは何も答えず皮肉な笑みを浮かべるだけだった。やがてカイムが鳴らした笛の音を聞きつけて羽狩りと不蝕金鎖の面々がやって来る。黒い外套を身にまとい、血を流し、拘束された羽狩り副隊長。一同は目の前に広がる光景に思わず絶句していた。説明を求める目がカイムとフィオネに向けられる。
「諸君、見ての通りだ。ラング副隊長は黒羽と通じていた。防疫局の隊員でありながら羽化病患者を殺害しようとしたのだ」
そのフィオネの説明に一同の視線が一斉にラングに向く。だが、そんな視線にも構わずラングは哄笑を上げた。
「ははははははははっ! 私が黒羽と内通していた? ご冗談はよしてもらいたい。私は、単独犯ですよ」
もう言い逃れができない状況と考え、半ばヤケになっているのだろう。皮肉っぽく顔を歪め、ラングは笑う。
「ラング副隊長! 何故だ!? 何故、このようなことを?」
「羽つきどもをこの世界から抹消すること。それが私の使命だからですよ、隊長殿」
平然とした様子でラングは答える。
「羽つきなどという天使様のまがい物はこの世界に存在してはいけない汚物なのです。だから、殺していた。それがどうかしましたか?」
「貴様……! そのような痴れ言をほざくか……!」
フィオネの顔は怒りに歪んでいる。遠巻きに見守る羽狩りも不蝕金鎖の面々も頭のおかしい人間を見る目でラングを見ている。
天使様のまがい物、か。羽つきが、羽化病患者が、その天使の力によって生まれたものであることを知っているカイムにとっては何ともいえない感情を抱かざるを得なかった。
「フッ、なんとでも言って下さい。ですが、私は正義ですよ。ふ、はっはっはっはっ!」
「就縛しろ!」
フィオネの一声に成り行きを見守っていた羽狩りの隊員が前に出てラングを拘束する。ラングは皮肉げな笑みを変えることはなかった。
「おい、気を付けろ。そいつ剣を奪って自害するつもりだぞ」
「え? あ、ああ……わかった」
カイムはラングを捕らえている羽狩りに助言する。『前回』はそうだった。ラングは捕らえられた後、一瞬の隙をついて剣を奪い、自らの喉を掻き切ったのだ。別にこんな最低の人間を助けることもない。だが、自分でもよく分からない内にカイムはそんなことを口にしていた。それまで余裕の態度だったラングの目が細められ、一瞬、カイムを睨むも、すぐに余裕の笑みを取り戻す。
「黒羽が羽狩りだったってことは……この事件はこれで終わりってことですかい?」
訳が分からない、という風に状況を見守っていたオズがそんなことを言うが、「いや」とカイムはそれを否定する。
「こいつはあくまで黒羽の犯行に乗じた模倣犯に過ぎない。本物の黒羽……化け物は別にいる」
「ふ……ひゃははははっ! そういうことだ! 化け物は私の他にいる!」
何がおかしいのか、カイムの言葉にラングは狂ったように笑い出す。
「私が殺したのは羽つきどもだけだが、化け物はそんなもの見境はないぞ! お前たちもみんな殺されろ! 死ね! ひゃっはははははははっ!」
「ラング副隊長! 見苦しいぞ!」
「見苦しい? こうなっては見栄も何もないでしょう、隊長? ひゃははははは!」
フィオネの叱責もまるで堪えた様子はなく、ラングは狂ったように笑いながら連行されていった。後には気まずい静寂が残る。「カイム」と申し訳なさそうにフィオネが呟く。
「すまなかった。お前が予想した通り、本当に私の部下に殺人犯が……。申し訳ないと言って許されることではないと分かってはいるが……すまない」
「気にするな。アンタのせいじゃない。あいつがイカれていただけだ」
「それでも、部下の不始末は上司の責任だ。……すまない」
犯人が捕まり、集まってきた羽狩りも不蝕金鎖の面々も既に解散の動きを見せている。そんな中でフィオネはひたすら沈痛な面持ちで詫び続ける。
「それより今後のことを考えよう。ラングは捕まったが、本物の黒羽は別にいるんだ。目撃情報をこれまでの捜査資料と照らし合わせれば黒羽の根城も見えてくるかもしれない。捜査資料……見れるか?」
「うむ……そうだな。本来は難しいが、事態が事態だ。取り計らってみよう」
「頼む。こちらの情報も出せるだけは出す」
正直に言えば今更、捜査資料など必要なかった。『前回』の経験があるカイムは黒羽が根城としている隠れ家の情報も知っている。だが、何もなくいきなりその場所を言う訳にもいかない。一応、捜査資料と照らし合わせた結果、予測がついて隠れ家を突き止めた、というポーズがいる。
今夜の収穫はそれなりに大きかった。偽黒羽・ラングを『前回』より早くに捕まえることができた。この調子で本物の黒羽も『前回』より早く何とかして、被害者を減らせれば万々歳だ。そんなことを思いながらカイムはフィオネと別れ、自宅に戻る夜道を歩いて行った。