八神視点
レプリカさんから提供していただいたラービットの資料を、脳内で反芻しながら読み込む。エンジニアたちによりラービットの根本的なコンセプトと性能は証言された。
腹に人間を納める空間と、トリガー使いを捕らえるのに特化した腕。開発が進んでもこの2点だけは変わらない点だ、と断言してくれたエンジニアたちの頼もしさよ。
ちなみに、エンジニアにとって草案や研究段階だけでも垂涎ものらしく、すぐに脱線して自分の研究にどう活かすか、とブツブツ言い出すので話を進めるのが大変だった。そしてレプリカさんはエンジニアたちに『ああ! 神よ!』やら『知識の宝物庫』やら『RE・PU・RI・KA』やらと崇められており、心なしかレプリカさんがドン引きしてるように感じた。トリオン兵の彼にも引かれるボーダーのエンジニアたち……それだけ研究熱心なのだと前向きに考えよう。そうしよう。
「腹に納めたトリガー使いの抵抗を無力化させる、って何があるだろう……」
エンジニアたちのレプリカさん万歳コールで騒がしくなった開発室から抜けて、人気のない自販機前のベンチに腰掛ける。
トリオン体は痛覚を軽減されているので、生半可な拘束では意味がないはず。いざという時は
敵はこちらの偵察を終えて、B級以上が逃げる手段を持っているのは知っている。だのに悠一の『未来視』でラービットが投入されているのなら、何かしらの
対策会議にて私の作戦は採用された。作戦秘書なんて地位も一時的に預かった。
あの場で私は自信を持って発言している。発案者が弱々しく発言するより、はっきりと言い切ることで周囲も「なるほど」と前向きに考えてくれるから。
現在のボーダーで広範囲を守備できる隊員は、自画自賛ではなく私だけだ。広範囲と限定するなら天羽くんがいるけど、彼は守備より殲滅型なので市街地から離れた地区に投入される。もう一人風刃を持った悠一も広範囲の戦力として挙げられるが、今はスコーピオン使いとなっているので数えられない。
スパイダーとシュータートリガーを駆使したトラップで一つの方角なら防衛できると、ソロA級昇格時に私は証明している。しかし、あの時はゲート発生後から10秒以内に狙撃して敵を倒す、という方式だった。
これから予測されるのは誘導が出来ないゲート発生や、少なくて二桁、多くて四桁を超える複数のゲート同時発生だ。主力の
「……」
どう考えても、現段階の私一人で一角を守るなんて出来ない。ましてや、作戦に参加してくれるC級の命運を預かれるわけがなかった。
たとえ、一角を守れたとしても他の方角はどうする。他のボーダー隊員に任せると言っても、作戦立案の責任を彼らに押し付けてしまうのは無責任だ。
新しい技術を取得するか。否、今更間に合わない。
新しい防衛特化のトリガーを開発してもらうか。否、エンジニアはフル回転で動いており手が空いていない。開発が間に合っても使い手の練度は付け焼き刃だ。
スパイダーと繰糸を普及するか。凡人の私が使えているから才能ある人間ならすぐに物にしてくれそうだ。幸いに数名は天才型だし十分に使いこなしてくれるはず。けれど、現在の戦闘スタイルからかけ離れる為、ボーダー全体の攻撃力が落ちてしまうだろう。それでは本末転倒。
現在のボーダーの技術力。既存のトリガー。何が出来るだろう。
自販機のカラフルなボタンランプがバラバラに点滅してから、一気にすべてが同じ色に揃う。そしてまたバラバラに。ランダムに見えて実に規則的な繰り返しだ。それを何とはなしに眺めながら、また思考の海に潜る。
一つだけ、思いつくものがある。いいや、既に思いついていたことだ。他の代案が出れば、それに越したことはなかっただけ。
「『自分を守れない者に他人を守る資格はない』なんて、言ったばかりなんだけどな……」
悠一の悲痛に歪んだ顔を思い出す。
おそらく、これはずっと前から確定していた選択肢。悠一は作戦について異論を出さなかった。
つまり、私がこれから実行する
「お、八神さんじゃん。こんちわー」
「ん? お、出水くんこんにちは」
私服姿の出水くんが声を掛けてきた。
開発室近くなので隊員が通るなんて珍しいのだが、出水くんはとある飲み物を求めてボーダー自販機巡りをしていたらしい。
「『煮玉子味の何か』ってのを捜してんだけど、八神さん知ってます?」
「いやいや知らない。煮玉子味って何? 何かって何? そんなのが自販機にあったなんて初耳だよ」
「オレも初めて聞いて……たぶんハズレだと思うんで太刀川さんに届けようかと」
ニヤリと笑った出水くんの表情は、少しばかり怒りが滲んでいた。大学生の太刀川さんは課題を溜めていたり、その課題を年下の出水くんや国近ちゃんにも手伝わせてしまったりとしているのでそれ関係だろう。当真くんもたまに冬島隊隊室に持ち込んでは真木ちゃんから冷たい目で見られている。最近は鈴鳴支部の今ちゃんにお世話になっているようだが。
目の前にある自販機にもそんな飲み物は並んでいない。徹夜の為のカフェインと栄養ドリンク、糖分摂取用の甘い飲み物しか置いていない。ボーダー内の自販機で一番レパートリーが少ない自販機だと思われる。
出水くんも自販機の販売一覧を見て「やっぱりないかぁ」と納得した。
「ん~しゃあない。八神さん暇なら久々にランク戦しません?」
自販機からクルリと振り返った出水くんの申し出に、時間を確認する。休憩の残り時間は30分。ランク戦ブースから育成部署は近いけれど、仕事始めの準備などを考えれば15分か20分だろう。
思考の結論もほぼ終わった。
なら、出水くんとのランク戦で時間を潰すのも有りかな。
「うん、やろうか」
「よっしゃ! ハチの巣にしてやりますから!」
「う~ん、その言葉で受けたのをめっちゃ後悔してる」
ウキウキとし出す出水くんの背を追って、ランク戦ロビーへと足を進めた。
出水くんの身長は目測174~176cm。単純計算で歩幅は75~78cm。利き手、利き足どちらも以前と変わりなく。右足、左足、右足、左足。床に踵から着いてつま先で離れる。歩き方と腕の振りも不自然な点はない。
トリオン体になると身体能力が強化されるが、すべてが一変することはない。元になった生身の肉体情報が基礎体となり、生身からどれだけ逸脱出来るかは個人の素質であり、イメージ力が関係する。
ボーダー内でその素質が突出しているのは、那須ちゃんが一番に挙げられるだろう。
出水くんの重心が後ろへ動く。上半身を捻って私に話し掛けると予測。
「八神さんとランク戦ってひさびさっすよね」
当たり。
「そうだね。遠征前にしたのが前回だっけ?」
「おおっ、それなりに間隔空いてんな。ま、八神さん捕まえんの大変だし仕方ないっちゃあ仕方ない」
口角を上げて笑む出水くん。
顔色は上々だが、少しだけ疲労を感じ取れる。防衛任務は太刀川隊ではなかったから、先程言っていたように太刀川さん関係か、はたまた国近ちゃんのゲームに付き合っていたのか。
「私がランク戦ブースに寄ってないからもあるかな。休憩時間もらっても、単純に休憩か、スナイパーの訓練を主にしてるからね」
少なくとも出水くんはストレス発散をやりたいらしい。私のこれからの運命はハチの巣一択か。
「相変わらずの真面目ですね。太刀川さんもどうにか課題を溜めないくらいマジメになればいいのに」
「課題を溜めない太刀川さん……?」
「……果たしてそれは太刀川さんなのか?」
「哲学か!」
「やべー太刀川さんから哲学が発生するとかオカシイ」
出水くんの言い分はひどいものだが、太刀川さんは学業面で頼りないので仕方ない。
雑談に花を咲かせながらランク戦ロビーに到着。
通常ならスナイパーはこの個人ランク戦ブースに見学以外で関係ないのだが、私はシュータートリガーも取得しているのでたまに足を運んでいる。と言っても本業はスナイパーなので、シュータートリガーは補助か逃げにしか使用していないのだが。
『八神さんってポイント詐欺ですよね』
ブースに入り、モニター越しから聞こえてくる出水くんの言葉に苦笑する。
私のポイントはマスターランクに届かない残念なものだ。
個人ランク戦にあまり挑戦していないし、参加しても出水くんを始めとした、二宮さんや加古さんたち実力者に叩きのめされる。ついでにシュータートリガーで参加してもトドメに使用するのは6割狙撃だから、そりゃあポイントは上がらない。
任務などの実戦でも隊のエースを活かす戦法なので、私個人にポイントが多く入ることもない。よって、私の総合ポイントランクは下から数えた方が早かったりする。
「実際に私は敵を倒すより足留めの方が得意だから、妥当なポイントじゃないかな?」
『いやいや詐欺でしょ。もうちょっとポイント上げて下さいよ。八神さんに負けた時のポイントの減り方えげつないんで』
「ありがとうございます」
『あ~ぜってー勝つ』
出水くんへの煽りも程々にしておこう。
さて、出水くんはどう仕掛けてくるのか。道中での行動予測はほぼ的中し、久し振りではあるが出水くんの動き方も癖も変わりはなかった。
行動予測からして、開幕ハチの巣狙いだ。
では、何の弾でハチの巣を狙ってくるのか。
おそらく、威力重視のアステロイド。そして後詰めにメテオラで広範囲爆破。
メテオラは私がスパイダーを張った場合に地面と壁ごと削り取る為の処置だろう。うん、出水くんのやり方もえげつない。
ハチの巣狙いのアステロイドならば分割数を増やしてくるはず。そこが狙い目かな。分割スピードは速くて1秒、遅くて2秒。
脳内でシミュレートを重ねる。
『転送完了』
無機質な機械音声が終わるか終わらないか。スコープ越しに出水くんの胸を捉えて引き金を引く。
弾速重視のライトニングが火を噴くのと、出水くんのアステロイドが私の左腕を吹き飛ばしたのは同時。
『出水、
『八神、
僅差で私の方がベイルアウトが遅かったけど、勝敗を決せられるような時間差ではない。
私の方が遅かった理由は、左腕というクッションで心臓部へ弾が到達するのが遅れたからだ。
対する私は左腕が吹き飛ばされた拍子にライトニングの銃口が上方向へずらされたが、急所の頭部を射抜くことに成功した。
けれど、やられたことに変わりない。
『く~! 取ったと思ったのに!』
「結局私をハチの巣にしたからいいじゃんか」
悔しそうな言葉だけど、声音はめっちゃ楽しそうで何より。
先程の攻撃は私のミス。
転送完了時には
出水くんの行動予測は的中していたのだから、別にスコープを覗く必要などなかった。その寸暇がこの結果。
距離の把握も、出水くんの姿勢も、私の立射姿勢も完璧だった。
しかし、スナイパーとして"スコープを覗く"という常識行動が敗因。おそらく当真くんならしないミス。反省しよう。
まぁ、そもそもスナイパーがあの距離まで詰められるのは相当のピンチだ。というかスナイパーが正面からやり合う、この現状が間違っているんだけどね。
「まだ時間あるから2回目やる?」
『やるやる』
もうさっきの状況は作れない。けれど、開幕アステロイドは出水くんも警戒して仕掛けてこなくなった。この選択肢を潰せたのは大きい。
次に行うのは、待ちか釣りか。
残り時間は少ないが、やれることはたくさんある。この対戦も、大規模侵攻も、私に出来る限りの手を増やして行こう。
・
文字通り立った状態でライフルを構える姿勢です。原作では何気に4巻で古寺くんがやってたり、侵攻編で東さんが構えてたりします。でも画像検索が一番早くてわかりやすいかと。
作中でも書いていますがスナイパーとしてこの話の八神は色々間違っています。作者としては、八神はスナイパーというよりマークスマンに近いと考えていますが、そちらだとしてもこの話での攻防は間違っているでしょう。
一応、コンセプトを挙げるならイギリスの『英国は百戦失えど最後の一戦を穫る』なのですが、2戦目を書く気力が湧きませんでした。
・読んでも読まなくても良い八神設定
スナイパーはターゲットの動作や癖を十分に観察して行動予測をして、狙撃を行う。
という情報を知って、八神の性質(性格)設定に『相手の顔を覚えるより所作で判断する』を加えていました。八神は臨時で隊長を任されることが多いのでB級隊員の戦闘ログは暇があれば観ています。ただし顔は覚えておらず歩行間隔やテンポ、武器、癖で区別しています。
既知のトリオン兵の行動パターンは把握済みであり、人間に比べればパターンの少ない新型トリオン兵も、時間を置けば把握できます。
地味に高い能力なのですが、八神自身は周りが凄すぎて気づいておりません。回りで気づいている人間も極一部です。
一番身近な当真が感覚で撃ち抜くので、八神は「己が凡人だから考えて撃たなければ」と思っています。
ちなみに拙作でも当真はスナイパー1位です。
「八神がいるから実戦ポイントが減って奈良坂に負けているのでは?」と危惧した方がいたのかもしれませんが、この話の通り八神は主に補助であり、むしろ原作より撃破数が高いのです。嵐山隊を除いたA級で一番給料を貰っているかもしれません。
おそらく冬島はエンジニア関連での給料+A級固定給であり、八神も正社員雇用給料+A級固定給+撃破数報酬なので隊の中で金銭トラブルは一切ありません。