迅の攻撃を軸に八神と米屋は善戦している。
致命傷を与えられていないものの、ハイレインのトリオン体は細かな傷が多く、トリオンの煙が上がっている。
勝利は目前。だが、八神は敵の動向にますます警戒心を強めた。
移動用のトリガーが敵にあるのは分かっている。指揮官を失えば一時的にも部隊が混乱する為、損傷しているハイレインは早々に引っ込むべきなのだ。
だのに、そのまま戦場に残っているのは愚か者か、もしくは策を残しているかのどちらか。
『円城寺さん、ワープ使いはまだ屋上ですか?』
『ええ。相変わらず狙撃手を牽制しているわ』
問いの答えに八神は思考を走らせる。もう一人の援護があるのかと思えばそうではない。
そうして何度目かの鳥の弾丸を避けた時、事は起こった。
「なっ」
ピシリと八神の視界に亀裂が走る。
『これは設定不良!? ちがっ、早く繰糸を解除して!!』
「!!
自らの意思で強制的に繰糸を解除すると、有り得ない量のトリオン流出が止まる。しかし残されたトリオン量ではギリギリ戦闘体を維持するのがやっとだ。
戦闘になど参加出来ない。
八神に冷や汗が浮かぶ。
「八神さん……!?」
動きの止まった八神に米屋が振り返った。
八神のトリオン体はヒビが入り、目に見えてトリオンが足りないことが知れる。
そこでハイレインの弾丸が飛ぶ。
米屋は瓦礫で防御も兼ねた牽制を行ったが、八神は左腕に食らって足元に小さなトリオンキューブが転がった。弾丸の大きさよりも小さなそのトリオンキューブが、八神に残っているトリオン量が窺い知れる。
ピシリと亀裂が増えていく。
八神はもうどうしようもないことを、素早く回転した思考で結論した。
何故なら、
既に八神には、通信を受信するトリオンも尽きていた。
「(この未来になったか)」
迅はハイレインを翻弄しながら、進み出した未来に息を呑む。望んでいたけれど、決して歓迎していない未来の分岐だった。
高校時代から迅は八神が死ぬ、もしくはいなくなる未来を視ていた。時には悪夢なのか未来視なのか、曖昧になるほど混乱したこともある。
だが、それでも迅が絶望に心を染めなかったのは
時はしばし遡る。
迅は親友が高校で出来るという未来が視え、大侵攻の後処理でバタバタするなか入学式に参加し、八神と出会った。
力押しが目立つボーダーに、八神は策を弄するタイプの人員になると判断して勧誘した。サイドエフェクトを知っても、親友として対応を変えないのだと視て安心を覚えていた。
当初、八神はとある2人の人物どちらかとの幸せな未来を歩んでいた。どちらの未来でも八神は笑顔で、迅もその未来を応援していた。
その筈だった。
はっきりといつから、なんて迅にも解らない。けれども現実で楽しそうに笑う八神に、未来視で視た幸せそうな笑顔を重ねていた。
『
そう、心のどこかで考えていたのだろう。
気づけば無意識に八神と相手のフラグを折っていた。そして、己との未来分岐が八神に視えた時、震えるような歓喜と苦悩が同時に迅を悩ませた。
当初あった未来を折った代償なのか、迅と歩む未来で八神は危険な目に遭う場面が多かった。笑顔はある。幸せそうにもしている。
けれど、他の2人との未来にはなかった受難が八神を襲うのだ。悩んでも、もう元の未来分岐は過ぎていた。
苦悩すれど恋心の制御など、若者には無理である。
そして、それは今までの迅という人間に変革を齎したものでもあった。
当時、幼い頃から他人の未来や死を視てきた彼は、自我が不完全に成長していたのだ。通常、成長していく上で心は他人への思い遣りや情愛を学んでいく。しかし、迅は
何故なら、
それなのに、常識はしっかり学んでいるし、相手の喜ぶことも、悲しむことも視て識っているから、誰も迅の
サイドエフェクトは正しく、副作用であった。
そうした理由があって、迅は自我の制御などしたことがなかった。常識的な哀しみを覚えることはあっても、恋心なんて激しい自己主張で感情が乱されることなどなかったのだから。
更に、想いが後戻り出来ない強さだと自覚したのは、八神の『己の能力なら己の為に使え』という言葉だった。
今まで迅は己より周囲の人々の為に未来視を利用してきた。時にはどうしようもない未来もあったが、己の為になんて使ってこなかったのだから。
───ああ、じゃあ、そうしよう。
その時から迅は、自分の為に行動を始めた。
もちろん強力なサイドエフェクトだからこそ、周囲の人々に迷惑はかけず、それまで通りに振る舞った。ただ、迅は八神に関してだけは我を通すことにしたのだ。
どれだけ八神が危険でも、迅は己の為に、己の欲する未来の為に動く。
恋心は重く、深く、罪悪感はあれど、後悔はしなかった。
今回の大侵攻で八神の死は確定的だった。どれだけ迅が駆けずり回ろうとも、その未来はズレることなく八神に視えていた。
そうして三雲を助けたあの夜、やっと未来の分岐が訪れた時、迅は1人静かに涙を流した。
「どうやら糸使いは不調のようだぞ? 婚約者殿」
「うわー白々しいな」
ハイレインが口角を上げて迅を挑発する。
迅には未来が視えている。
挑発に乗って八神へ視線をやれば、その隙を突かれて
気にはなるが、ここで退場すれば八神が隣から消えることを識っていた迅は、ハイレインから目を離さずスコーピオンを片手に握った。
チャンスは一度。タイミングを間違えれば敵に悟られる。
出水が称したわくわく動物野郎の名に相応しく、多種類の弾丸がハイレインの攻防を兼ねる。
迅はそれに斬り込み、時には遮蔽物を使って、内へ外へと相手を振り回しながら虎視眈々と機を待った。
対するハイレインは婚約者の危機には目もくれず、それまでよりも鋭さを増した攻撃を繰り返す迅に舌を巻いた。
改めてもう一度迅の技量を評価し直す。
八神はまともに動けそうになく、米屋は彼女を庇いながら瓦礫をハイレインに放っている程度だ。
援護と呼べるものはないのに、手を弛めない迅の実力はただ者ではない。
八神が離脱しないことは想定外だったハイレインだが、足手まといとなった上に逃げられないのなら捕縛は容易である。C級の脱出機能について騙されたばかりだが、八神の状態で離脱しないのはおかしい。
つまり、逃げられないのだ。
ハイレインがミラへ指示したのは、各地に配されたスパイダーにラッドを取り付かせることだ。
これまでの記録から、八神のスパイダーは大きな物や激しい動きの物が接触すると反応していた。だからこそハイレインはラッドにゆっくりと触れるように指示し、スパイダーを通してトリオンを吸収させたのだ。
八神は大侵攻に備えて大量のスパイダーを街に張り巡らせていた。本来なら近場のスパイダーしか
普通なら処理出来ない情報量なのだが、そこで八神はエンジニアたちと手を組んで実行する。
普段、情報を処理・伝達する脳は全体エネルギーの約20%を消費して活動している。ちなみに成人の脳が20%で、子どもは50%、乳幼児は60%だという説があり、人間は成長につれて少ないエネルギーで多くの情報を処理・伝達するプログラムを脳に搭載していくのだ。
効率的に使用する約20%のエネルギーに余力はなく、脳は複数の行動ができない。2つや3つのことを同時進行出来る、と思えるのは経験として無意識に体へ覚えさせていることを繰り返しているからだ。ひとつの作業に集中して行う時より、複数の作業が
そこで今回、八神は脳にトリオンを情報処理・伝達エネルギーとして誤認させて効率を上げることにした。
もともとスパイダーの扱いや、考えながら行動するなどの下地があったことも作用したが、帰宅せず開発室に泊まり込んでまで特訓していた成果により、トリオン総量の40%をエネルギー転換へと成功させた。
しかし、大きなデメリットが2つも浮上する。
いくら平均より上のトリオン量を持つ八神と言えど、思考リソースとする40%は通常のトリオン体では賄えない。その結論に至った時、八神は鬼怒田に直談判した。
「私は防衛の要です。侵攻が終わるまで戦場から離れないのだから、
鬼怒田は猛反対したが、頑固にも言い募る八神に根負けして許可を出した。
斯くして
もう一つのデメリット。
トリオン体を解除した時、トリオン体だからこそ意図的にトリオンを脳へと誘導出来ていたが、生身では通常の20%に戻るのだ。
結果、生身ではエネルギー供給が追いつかず自己防衛の為に気絶、ひどい時には呼吸が停まるなどの反動が出る。
そのため安易にトリオン体を解除できず、これも帰宅がままならなくなった理由だった。
「八神さん、ベイルアウトは?」
「……諸事情で外したんだ。足手まといになってごめん」
ピシリ、ピシリと刻一刻と、カウントダウンのように亀裂が増えていく。
このままトリオン体が解除されれば、八神は強制的に気絶した上に、最悪の場合呼吸か心臓、もしくはその両方が停まるだろう。
「ま、前半にトリオン兵を受け持ってもらったし、後半はオレらに任せて休んでて下さいよ」
米屋が瓦礫を蹴り上げて鳥を防ぎ、八神を脇に抱えて地を這う蜥蜴を避ける。
着地と同時に、米屋の通信へ冬島の声が届いた。
『すまん米屋、スイッチボックスの上にウチの参謀を投げてくれ』
『投げていいんスか』
『おう。それが最短だろ』
『うぃーす』
気の抜けるような通話をしながら、冬島がスイッチボックスを用意する瞬間を待つ。
・拙作の迅について少しだけ。
こちらの彼は感情移入が苦手です。
国語などのテストで「この文章での筆者の気持ちは?」「この文章を読んであなたはどう思いますか?」などの問題がかなり苦手で、常識的な答えしか書けません。
答えを提出すると「そうなんだけど、ちょっと惜しいなぁ」と採点者によって○か△が付けられる程度。
ズレているけれど、上手く世間に隠れる術を幼い頃から取得していたツケというか、歪みというか。
もう一つ例題を挙げるなら、幼児は『お裾分け』という行為を周囲の大人が教えないと出来ないのだそうです。幼児は与えて貰う側なので"美味しい"や"楽しい"を分け与えるという行為を最初は知らないらしいです。
しかし、迅の場合は周囲の大人より先に未来視が教えます。渡すと相手が笑顔の未来が視えるからです。
前者は大人から「分かち合うと"美味しい"も"楽しい"も2倍になるんだよ」的な感じで教えられてプラス感情が成長します。
後者は未来視で"相手が笑顔になるから何かを分ける"という行動面が先に成長し、"なぜ笑顔になるのか"は考えに至りません。
こういうちょっとした違いなんですけど、伝わりますでしょうか……説明下手で申し訳ありません。
・とあるニュアンスの違い
●迅が母と最上さんの死を視た時
「死んでしまうから、どうにかしなくては」
●迅が八神の死を視た時
「死んでしまうから、どうにかしたい」
ちょっとした違いではありますが、自分から望んだか望んでいないかの心情で覚悟の仕方が変わると思います。
どちらの未来も望んではいないでしょうが、他から課せられるか己から動くかの違いです。
『恋を定義するのは難しい。強いて言えば、恋は心においては共感であり、そして肉体においては、おおいにもったいをつけて愛する人を所有しようとする、穏微な欲望に他ならない』
┗ラ・ロシュフコー の言葉より。
『愛とは何か。一方に全世界を、もう一方には愛するもの以外、何一つ置くまいとする情熱である』
┗ナポレオン一世 の言葉より。
↑ちょっとしたテーマですね。
拙作の迅についてはまだまだ説明していない空白が多いのですが、作中での表現はなかなか難しい。