三門市に引っ越しました   作:ライト/メモ

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お待たせしました。
3章となります。この章から、原作が連載再開されたら削除するものです。
序盤はあまり変わらないと思うのですが、原作の再開具合で手直しの必要がありそうなので。


迅を軸とした三人称
八神視点の一人称


今期のランク戦は波乱模様、との噂
生き残った感情


 

 

 

 「一度学習した高エネルギー運用比率を、元の比率へ戻すことは時間が掛かる。人間は忘れる生き物と言われるが、厳密には忘れておらず仕舞っているだけだ。八神の脳も一度覚えたエネルギー運用を一時的に封じても、ふとした瞬間や緊急時は使ってしまうはずだ。目覚めてもしばらくは無理をさせるんじゃないぞ」

 

 

 鬼怒田の宣告に迅は、曖昧に笑みを浮かべるしか出来なかった。

 

 迅の様子に鬼怒田は「しっかり支えんかい!」と叱ろうとしたが、思い直して口を閉ざした。八神が実行した今回の試みに、加担した己が言えることではないと思ったからだ。

 

 

「すまなかったな……本来なら子供のお前さんらに負担を掛けた大人の責任。いくら八神が言い出そうとも却下すべきだった」

 

「鬼怒田さんは悪くないよ。玲がこうと決めたら、言いくるめられない人間なんていませんって」

 

 

 手をヒラヒラと振った迅の言葉に、今度は鬼怒田が苦笑を浮かべる。その通りだったからだ。

 雰囲気を作るのが上手いのか、それとも言葉選びが上手いのか、八神が言うことには最終的に納得してしまうものがある。

 

 

「それに、なんか城戸さんに怒られてる未来が視えるけど」

 

「なに……? むっ!」

 

 

 思い至った内容に鬼怒田は元から悪い顔色を更に青くする。

 

 大規模侵攻へ備えて、忙しなく活動していた鬼怒田を始めとしたエンジニアたちは、活動報告書の提出を後回しにしていたのだ。その中には今回の八神の提案書類なども含まれ、他にも新調した防衛装置の機構詳細や、C級トリガーの問題点など城戸へ提出していないものがたくさん。

 いつもなら何かとエンジニアたちの世話を焼いてくれる八神が自発的に持って行ったりしていたのだが、今回ばかりは八神も己の訓練と防衛対策会議で使う資料作成などで手一杯だった。それは鬼怒田も気にかけていたが、次々と出てくる開発問題に耳を傾けていたらすっかり忘れていたのだ。

 

 慌てて去って行く鬼怒田の背中へ迅は頭を下げて見送り、ベッドの傍らに用意された椅子へ腰掛ける。

 

 幽かに呼吸を繰り返しながら眠っている八神の手に触れる。冷たい。だが、死人の冷たさではない。

 

 八神の状態は本当に眠っているだけだ。脳は睡眠時、2種類の睡眠を摂る。誰もが一度は聞いたことがあるノンレム睡眠とレム睡眠だ。特に八神が必要とするのは脳の加熱を防ぐノンレム睡眠なのだろう。

 

 2種類の睡眠を簡単に分けるとしたら『脳と身体を休める』ことがノンレム睡眠、『身体を休める』ことがレム睡眠とされる。ノンレム睡眠は肉体の活動を抑え、通常の覚醒している時に消費する約20%のエネルギーを約8%までに落としている。そして脳下垂体から成長ホルモンが分泌され、子どもの場合は身体の成長に、成人では身体の組織の損傷を修復する。脳を酷使した八神の場合は、日中で受けた脳のダメージをこのノンレム睡眠で修復している真っ最中だろう。

 

 対してレム睡眠は、身体に力は入っていないが脳の活動自体は起きている時と変わりない。覚醒時に損傷した肉体の修復や、次の活動に備えると同時に活動結果を知識・記憶として脳と肉体へ整理結合するためとされている。

 

 八神が目覚めるのは早くて3日、遅くて2週間。

 

 

「……あんまり早く起きちゃダメだよ」

 

 

 迅の言葉は祈りだった。

 

 自己を守るため、強制的に気絶をした脳がダメージを受けているのは明白。更に高エネルギー運用を学習してしまった脳は、ありもしないエネルギーを肉体中からかき集めて運用しようとする。そして、他の臓器が活動する為のエネルギーさえも消費してしまえば最悪、死んでしまうのだ。

 

 現在は点滴や薬などで消費エネルギー分を供給しているが、少しずつ供給分を調節して、睡眠中に脳が元のエネルギー運用へ転換できるようにしなければならない。早い覚醒により不完全な修復となれば、八神はすぐに加熱してしまう脳を抱えてこれからの問題へ向き合ってしまうだろう。

 

 八神玲という人間に「頭を使うな」なんて言葉を向ければ、おそらく鼻で笑われてしまう。

 

 

「思考にこそ人間の尊厳はあるんだよ、か」

 

 

 とある哲学者の言葉を借りた八神が、昔そう言っていたのを迅は覚えている。その時は彼女らしいと笑ったが、もし今この瞬間に目覚めたならば土下座してても眠ってもらわなければ。

 

 医務室の花瓶に飾られている紫のアネモネへ視線をやった。

 

 

『悠一から紫のアネモネを私に贈ってほしいな』

 

 

 侵攻前に挑んだチェスの対局で、八神が勝利した場合の別の命令がこれだった。

 

 紫のアネモネの花言葉は"あなたを信じて待つ"。八神が迅から贈ってほしいということは『私を信じて待っていて』ということだ。

 

 その命令ではなかったが、迅はあえて見舞いの花にそれを選んだ。

 信じて待っているから、早く目覚めてほしい。でも、まだ目覚めないで。

 

 相反する願いを胸に抱えて、侵攻後の1日目が終わった。

 

 

 

 

 

 

 ───通りゃんせ、通りゃんせ。

 

 幼い頃に聴いたことのある唄だ。今もたまに聞く唄かな。

 

 ふと目を開けると、私は自宅のベッドに座っていた。隣には誰もいない。なんとなく寂しくなって、ベッドに手を這わせるけど、何もない。

 

 仕方ないと考えてベッドから立ち上がる。

 

 ───カチャカチャ、がちゃカチャ。

 

 部屋の外がどこか騒がしい。立ち上がって扉のノブに手を掛けた。

 

 

「開けちゃうの?」

 

 

 弾かれたように、突然掛けられた背後からの声に振り返るけれど、誰もいない。おかしいな。さっきの声が自分の声に聞こえた。

 

 ───御用のないもの通しゃせぬ。

 

 また唄が続いている。扉の向こうから聞こえる。

 

 躊躇いはあった。だけど、このままここに居るのも良くない気がしたから。

 ゆっくりと開いた先に見えるのは暗い廊下。すごく、恐い。

 

 

「うしろの正面だぁ~れ?」

 

 

 また聞こえた声に振り返る気は起きなかった。走って逃げたいけど、足は何でか重たくて、一歩一歩慎重に歩くしか出来ない。おかしいな。

 

 

「行きはよいよい、帰りはこわい」

 

 

 背後の声は私から離れない。唄も、いつの間にか声が発している。

 

 

「ねぇ、こわい?」

 

 

 遅々として進んでくれない足を懸命に動かしていれば、そんな当然の疑問を投げられた。

 

 

「わたしもこわかったの」

 

 

 何を言っているのか不明だった。声にこわいものなどあるだろうか。

 

 廊下の先にはまた扉が見える。あそこが出口だろうか。

 

 ───がちゃ、カチャ、タッタッ。

 

 どこかの扉が開いた。軽い足音が声に伴う。

 

 

「幻だよ」

 

 

 おかしい。何がなんだかわからない。ここは一体どこなんだろう。自宅ではなかったのだろうか。

 

 

「おかしいね」

 

 

 やっとの思いで辿り着いた扉に手を掛けると、服の裾を引っ張られる。何なんだ、行ってはいけないのか。

 

 

「ねえ、こわい」

 

 

 今度は感想を伝えられた。

 

 さっきまで軽かった手が重くなる。扉を開ける動作にこんなに苦労するのは初めてだ。

 

 

「こわかったの」

 

 はいはい、それはわかった。

 

「だって、悠一に会えなくなるから」

 

「……え?」

 

 

 扉を思いっきり開けば、そこには高校の制服を着た私が、教室の真ん中に座っている光景があった。

 

 気づけば私はボーダーの制服を着て、高校生の私と向かい合って着席していた。

 

 

「どうしてあんなことしたの?」

 

 

 主語なんて何もないのに、不思議と彼女が言いたいことが解った。大侵攻のことを指しているのだ。

 

 口を開こうとしたけれど、手の次は口が重くなる。やっぱりおかしな夢だ。夢?

 そうか、これは夢なのか。

 

 

「わたし、悠一が好きだよ」

 

 私も好きだよ。

 

「わたし、幸せだよ」

 

 それは何より。

 

「私は幸せじゃないの?」

 

 違うよ。でも、私が幸せだと伝えるべきは、高校生の自分なんかじゃなくて、悠一なんだ。

 

「よく解らないや。ここにはわたししかいないのに」

 

 そうだね。だから、早く起きなくちゃ。

 早く起きて、■■■しないと。

 

「まだダメだよ」

 

 そうかな。でも、早く起きたいんだ。

 

「だって、こわいもの」

 

 今度はこっちがわからないや。何がこわいの?

 

「だってツラい」

 

 

 夢の中はよくわからない。気づけば高校生の自分は消えていて、教室で1人ポツンと残されていた。

 

 ───通りゃんせ、通りゃんせ。

 

 また童唄。どうやら移動の合図のようだ。

 

 椅子から立って教室の開き戸に手を掛けた。

 

 

「行っちゃうの?」

 

 

 背後から聞こえた自分の声に、振り返ることはしなかった。どうせ誰もいない。

 

 開き戸の先にはボーダー本部基地の通路が続く。

 

 

「こわいね?」

 

 

 声はずっと着いてくるらしい。重くはならなかった足で通路を進む。

 

 

「仕事は好き?」

 

「好きだよ。だって必要とされてるから」

 

 

 声が2人になった。どちらも同じ声でややこしい。自分の声だけどさ。

 

 ボーダー内にこんな曲がり角も、扉も何も見えない一本道なんてあったかな。

 

 

「扉があるよ」

 

「あそこに入ろう」

 

 

 声の言う通り扉が見えた。ちがう。

 

 無視をしてそのまま真っ直ぐ通路を歩く。

 

 

「また扉」

 

「じゃあ、あそこ?」

 

 

 違う。

 

 次々と現れる扉。その度に声たちは騒ぎ立てる。

 夢なのは分かるけど、いったいどういう夢なんだろう。いや、夢に意味を探すのは無駄だったね。

 

 ふと、芳しい香りを感じて足を止める。なんの匂いだろう。

 

 自然と足はそちらへ向かう。変わり映えのしなかったボーダーの通路が板張りに変わった。

 

 声たちはいつの間にか消えていて、それに気づいた時。

 

 

「あ」

 

 

 床が前触れもなく消えた。やっと出てきた言葉はその一文字だけで、私は下へと墜ちた。

 

 

 

 

 

 「……知らない天井だ」

 

 

 目が覚めると真っ白な天井と、クリーム色のカーテンが飛び込んできた。

 

 自宅ではない。さっきの妙にリアルな浮遊感を体験した後だと不思議な、納得出来ない気分になった。どんな夢だったっけ。

 

 

「そうなんだ。結構お世話になってるって知ってるけど?」

 

 

 何故か久し振りのように感じる、聞き慣れた声が傍らから降ってきた。

 

 そちらを見ると、悠一が木崎さん並みのポーカーフェイスで椅子に腰掛けてこっちを見ていた。呟きを聞かれた。たしかに以前から基地の医務室にお世話になってたんだけどさ。

 

 

「い、いやーちょっと言ってみたくて」

 

「記憶喪失を疑うからやめてね」

 

 

 鉄壁の無表情を纏った悠一が手を伸ばしてくる。これは、怒ってますね~ですよねー。

 

 

「ごめんなひゃい」

 

 

 ぎゅむっと割と強い力で左頬を抓られて、言葉が不自然になった。痛いです。

 

 しばらく悠一は無言で頬を抓っていたが、だんだんと無表情が崩れてきて、最終的に眉尻を下げて空いている手で顔を覆った。

 

 

「……無事で良かった」

 

 

 心の底から漏れたらしい言葉に、体温が上がる。

 言葉に出来ない温かさとか痛みみたいなものが込み上げてきた。

 

 

「なんで笑ってんの」

 

「んーいや?」

 

 

 自然と持ち上がる口角。頬を抓っていた悠一にも伝わったようで、覆っていた手を少しだけズラして睨んできた。そんなことされてもこの感情は抑えられないって。

 

 悠一は溜め息は吐いて私の頬から手を離した。

 

 

「あのな、今回俺はかなり心配したから」

 

「うん」

 

「色々頑張ってたんだぞ……聞いてる?」

 

「うん。悠一、おいで」

 

 

 めちゃくちゃ重たい体をなんとかベッドから起こして、両腕を軽く伸ばす。うん、なかなかダルい。

 

 悠一は一瞬、ぽかんとしたけど、私の意図を汲んで体を寄せてくれた。なんか少しだけ躊躇いが見える悠一だけど、私は遠慮なくぎゅうと抱きしめた。

 

 

「玲……あの」

 

「悠一、ありがとう。私すっごく幸せだよ」

 

「!! ああ、もう! 俺の方が幸せだから!」

 

 

 愛しさが溢れて正直にそれを伝えたら、悠一もぎゅうぎゅうと抱きしめてくれた。

 何故かヤケクソ気味に聞こえたような気がしたけど。

 

 

 

 




"紫のアネモネ"は別の未来だったものです。
この世界線では違います。

医務室の住人たち
「おい、検査の為に中断させてこいよ」(コソコソ)
「キミが行けばいいだろ」(コソコソ)
「私は空気私は空気私は空気」(ブツブツ)
「おれは椅子おれは椅子おれは椅子」(ブツブツ)
「煎餅美味い」

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