迅を軸とした三人称
2月1日。始めのランク戦シーズンが開始した。土曜日と水曜日にて開催され、シフトスケジュールの関係で3回毎に休みが入れられる。
ランク戦を行うのはボーダー組織の主力戦力とされるB級部隊だ。A級部隊とソロ隊員はランク戦に参加せず、運営補助や防衛任務を多く入れられる時期である。
「お疲れ、八神。今度の入隊希望者一覧を見たいんだが」
「お疲れ、嵐山。ごめん、まだ電子入力済んでないんだ。紙の資料なら棚の前にある赤ボックスに纏めといたよ」
新人育成部署の中にある資料室に訪ねてきた嵐山に、おざなりになってしまったが求める資料場所を教えると礼を言って資料を捲る。
「多いな……」
「うん……今のところ、前回の4倍。でもここからもっと増えそう」
「仲間が増えるのは良いことだが、教える側の数が足りないかもしれんな」
PCのキーボードを叩いて、叩いて、叩きまくっているが一向にデータ入力が終わりません。トリオン体だからいいけど、生身だったら指がつりそう。
記者会見で
そして嵐山の言う通り、教える側が足りなくなるのは必至。
そこで、とある提案書を思い出した。
「そのことなんだけど、しばらくは毎月入隊式を行おうって上に進言してるんだって」
「毎月……たしかに、小分けしないと難しいな」
「そうだよね。訓練過程がかなり過密になりそう」
入力が終わった束を抱えようとすると、いつの間にかデスクのそばにいた嵐山がサッと運んでくれた。さすが。
「休憩にしよう。あまり根を詰めすぎても良くないだろ。綾辻ももうすぐ来ると思うぞ」
「ありがとう。茎茶でもいいかな?」
「大丈夫だ!」
キラリ、とエフェクトが見えるほど眩しい笑顔で肯定された。嵐山って疲れないのだろうか。心底疑問に思う。しかし追及するのもなんか怖いので私は大人しく給湯室へ。
現在育成部署の資料室には私しかいない。部署内は色々なグループに分けられて仕事があるのだが、現在は入隊希望者を精査する為だったり、各支部への人員割り振りだったり、訓練日程調整だったり、脱退手続きだったりと、方々を駆け回っていて部署に帰ってくるのは夕方以降になるのだ。
私は最近まで休んでいたため──というより私は防衛任務や長期遠征任務、作戦会議、エンジニアとの打ち合わせなど頻繁に部署を離れるので、割り振られる仕事は主にデータ入力だったりシフト調整だったりする。居なかったら誰かがカバー出来るけど居たら便利というポジションだ。事務員ではなく戦闘員だからの違いもあると思うけどね。
さて、茎茶でも煎れようか。綾辻ちゃんも来るなら3人分だね。
茎茶は緑茶の一種。味よりも香りを楽しむお茶だ。煎茶と玉露の茎茶があるけど、玉露の茎茶は高級なのでこんな給湯室には置いていない。
急須と磁器製湯呑みを取り出してポットから湯を注ぎ、最初に湯冷まし。80℃くらいまで冷まし、急須に茶葉を適量入れて湯冷ましした湯を急須へ。1分ほど待ってから一気に注がず、人数分を少しずつ注ぎ分けて味を均一に。そうして急須から湯呑みへ最後の一滴までしっかり注ぐ。急須にお湯が残っていると、お茶の成分が侵出しきって二煎目の味が苦渋くなってしまうからね。と言っても、茎茶は二煎三煎と飲むお茶じゃないけど。
「こんにちは! 良いとこの水饅頭持ってきましたよ~」
お盆に茶托と湯呑みを載せて運ぶと、ちょうど良く綾辻ちゃんがやってきた。
「いらっしゃい綾辻ちゃん。ちょうど茎茶が入ったよ」
「やった! 良い香りがすると思ってたんです」
「お疲れ綾辻。悪いな」
「いえいえ」
資料室は来客をもてなすようなテーブルはないので、小さめのテーブルに茶托を置いて湯呑みを出す。綾辻ちゃんも水饅頭をテーブルに出した。
「ふぃ~、爽やかな味ですね。水饅頭の後味が消えました」
「飲みやすいな」
「頭がスッキリするから重宝してるよ」
各々ひと息入れてリラックス。綾辻ちゃんの持ってきた柑橘系の水饅頭と茎茶のサッパリとした味で、疲れで鬱々としていた気分が消えた。休憩って大事。
生身だとまだ消化し易い物しか食べれないんだけど、そういう意味でもトリオン体って便利だね。
「そういえば毎月入隊式を行うのはいいが、仮入隊期間はどうするんだ?」
湯呑み片手に首を傾げた嵐山に、綾辻ちゃんも傾げた。綾辻ちゃんはさっきの会話を聞いてないからね。軽く説明してから、嵐山の疑問へ。
「私の案ではないから断言できないけど、見せてもらった資料を見る限りなくなるんじゃないかな?」
「でもそれじゃあ即戦力を正隊員にするのは遅くなりそうですけど?」
「うん。けど、正直個人的には現状だとあんまり早く上にあがってほしくないかな。B級上がってしばらくはソロ隊員だし、いきなり新チームが複数入ると既存チームの連携が崩れるから、防衛任務シフト組むの大変だし」
「なるほどな」
頷く嵐山を合図に、何故か3人とも同時に茶を啜った。気づいたのは私だけのようで、1人で笑っても変だから我慢する。
「……オペレーターはやっぱり少ないですねぇ」
資料をペラペラと捲った綾辻ちゃんに同意する。オペレーター不足は私が入った頃からある問題だ。当時より増えたとは言え、戦闘員が増えていく現状でサポート側が全然足りない。
同じくサポート側のエンジニアだが、こちらはオペレーターに反して志願者が急増している。会見を見た技術者たちがこぞって遠征艇を作りたい弄りたいと日本中、いや各国から集まってきているのだ。
ただ、エンジニアも人員が不足しているが、トリオンやトリガー技術はまだまだオーバーテクノロジーでそう簡単に外部に漏らせない。その為、エンジニアは慎重に採用せねばならないだろう。
「そういえば、話は変わるけど」
「ん?」
「はい?」
思案中の2人の邪魔をして悪いと思うけど、気になったので質問を投げることに。
「2人はなんでここに? ただ入隊希望者一覧を見たいだけなら嵐山か綾辻ちゃんのどちらか1人で良かったと思うけど?」
私の問いに2人は顔を見合わせ、思い出したという風にポンと手を打つ。
そして満面の天然笑顔を2人で浮かべて。
「ああ! おめでとうを言いに来たんだ!」
「プロポーズしてもらったんですよね!?」
爆弾を落とした。
「…………え?」
固まる私に構いもせず、天然2人組は話が盛り上がっていく。
混乱する私に綾辻ちゃんは眩しいスマイルと共に、水饅頭が入っていた紙袋から新聞のとある一面を取り出して提示してきた。
『ボーダー隊員カップル成立!?
先日、三門市内の公園にて界境防衛機関ボーダーの隊員がプロポーズをしているのを目撃。男性は玉狛支部所属の隊員であり、女性の所属は不明だが隊員の男性と親密な関係から、同じく隊員であると見られ、調査したところ───』
「な、な、なにコレ!?」
新聞には大きく悠一と私のキス写真が。なんだコレ!? 待て待て待て! どうなっているの!? なんで写真!?
そこでハッと気づく。
「ひィ……もう街を歩けない……」
羞恥心で気絶したい。いや、気絶しても事態は変わらないんだけどさあ!
「どうした? あ、その新聞は出回ってないぞ」
「へ?」
嵐山の言葉にポカンとする。
え、え、嵐山さんなんて言いました? 何なの? 今日はドッキリの日なの?
「何でも、根付さんが出回る前に『2人はもう随分と前から公認の仲で、そっと見守ってほしい』って釘を刺したらしいです」
「まあ、ネットでの拡散は止められなかったようだが。でも特に困る要素もないし、めでたいことだから良かったじゃないか!」
「結局は出回ってるんだ……」
ダメだ。もう諦めるしかない。人の噂も75日、って言うよね。いや、でも75日も噂されるって当人からすればかなり厳しいんだけど。
そこで内線電話が鳴る。素早く立ち上がって応答すると、相手は根付さんだった。すぐにメディア対策室へ来てほしいという伝言に了承して、資料室を空けることを嵐山と綾辻ちゃんへ伝えると快く送り出された。
このタイミングで根付さんの用事って、きっとあの新聞内容のことだよね。怖い。
「あれ? 唐沢さんて、ランク戦とか見る人でしたっけ?」
ランク戦ロビーの2階席エリアで、紫煙をくゆらせていた唐沢の耳にとぼけたような声音が届く。
咥えていた煙草を口から離し、そちらへ目を向けると迅が歩み寄ってきていた。
「……玉狛第二、デビュー戦勝利おめでとう。今日は三雲くんは出てなかったみたいだね」
カウンター席に座った唐沢の一歩斜め後ろに、自然な動作で立ち止まった迅は1階のモニターを見下ろす。一度満足そうに笑ってから、苦笑いへと表情を変えた。
「まだ体調が万全じゃないんですよ。なんせ貫通してましたし」
「ははは。本部設立から初の大怪我人だね、彼は」
互いに三雲の怪我を思い出して納得する。無理は良くない。
また煙草を咥えた唐沢に、迅は早速本題をぶつけることにした。たとえ未来が視えてもその人物の思考などわからないから。
「なんでメガネくんを庇ってくれたんです? 玲まで使って」
少しばかり性急な本題に、唐沢は笑うことも茶化すこともなく紫煙を吐き出した。
「……もったいないと思ったからさ」
まだ長さが残っている煙草をカウンターの灰皿へ押し付けて、唐沢は視線をモニターに向けたままそう言った。
「『誰が悪かったのか』を決めたいだけの場所で、組織の
「……ありがとうございます」
後半は迅へ顔を向けての言葉だった。
お見通しか、と内心ため息を吐きながら礼を言った迅に唐沢は微笑み、カウンター席から腰を上げた。
「なに、人生の後輩を応援するのは当たり前さ。きみもいつまでも落ち込んでないで、後輩を応援してあげたらいい。三雲くんが大変になるのはこれからだ」
ポンと肩を叩く唐沢の言葉に、迅は頭を掻いて応えた。
「……おれは唐沢さんほど切り替えが早くないんですよ」
「俺はラグビーやってたからね」
「関係あります? それ……」
背を向けて去って行く唐沢に呆れていれば、背中の主がふと思い出したように振り返って迅をからかう。
「そういえば世間を騒がせているようじゃないか」
迅はそのからかいにまた悩むように眉尻を下げてから、そっとため息を吐いた。
「……今日それで根付さんに玲と呼び出されましたよ。結婚式の会場はどこかとか、日取りはいつかとか、メディア対策室が盛り上げようかとか」
「へぇ。それで?」
「正直、未来が不安定だからまだ決められない状態ですね。遠征にも行くからその時次第としか言えない」
八神の方も前回の遠征から帰ってきてすぐに情報整理を始め、迅との懸念によるすれ違いもあってか、積極的に式場の見学にも行ってなかった。さらに侵攻が終わっても入院期間と仕事復帰でそれどころではなかったのだ。
けれど本気で八神と結婚する気のある迅にとって、今回の分岐は喜ばしいことであった。
先日まで学生の頃に垣間見た八神の花嫁姿が、死という確定した未来を覆した時、何故かぼんやりとしか視えていないことに疑問を持っていたのだ。
それが件のプロポーズで謎が解けた。気づいた瞬間、迅は冷や汗をかいたものだ。八神がああ言っていなかったら、迅は焦りで未来の選択ミスをしていたかもしれない。
今回のことは世間から多少騒がれるが、どうせ結婚式でも騒がれるのだから別にいいかと割り切っていた故の行動だった。逃がすよりずっと良い。
それに、日頃から羞恥で赤くなる彼女のことを愉しんでいる男にとって、特に気にすることでもなかった。
先ほどまで盛り上がる根付と、あわあわと混乱する八神をニマニマと眺めていたほどである。
多少の腹黒さは否めないが、そういう点で八神が離れることはない為、迅も自重などしない。
「たしかに現状では難しいか……」
「まあ、でも玲と結婚する未来は視えてるんで」
「やれやれ、お腹いっぱいだよ」
迅の言い分に唐沢は肩を竦めて2階席エリアから立ち去った。
独身にはバカップルの惚気に付き合う気力などない。
迅「遠征から帰ってきたら、俺たち結婚するんだ」
・八神の正社員お仕事事情
事務やシフト調整などの仕事をしている描写がありますが、あくまでも八神は"戦闘員"として雇用されています。配属は新人育成部署で間違いないのですが、事務員ではないです。アルバイトの隊員が入れない時間帯にちょくちょく入ったり、臨時の隊長として入り新人たちの育成に勤めています。現場監督みたいな。あとは報告書等のテンプレート(ひな型)を作成して各部署に浸透させて業務の効率化に貢献したり、新人の報告書の書き方や任務中の反省・指導などもしています。
東と嵐山隊らが訓練指導、八神が実戦指導という分担と捉えていただければ。新人が確実に任務をこなす為の仕上げ&保険です。あくまでも"正社員の戦闘員"なので、事務作業等は別に八神は最低限でも良かったり。戦闘員の仕事がない時は自己研鑽をしてくれ、と考えて上層部は雇っていましたが、八神個人としては『己だけの実力なんてたかが知れてる』と周囲の実力を伸ばす方へ自主的に動いています。
任務がない時や手が空いた時は育成部署だけでなく色んな部署へ赴いて雑用を乞食してます。更に「A資料にはE資料を同封すべき。この文書を纏めるならB資料も同時進行で処理しよう」「C資料を他部署へ送信するが共にKとR資料も送らなければ分かり難い」と関連を思いつける人間なので各部署間の連携がスムーズになったなど、地味に貢献しています。
上層部の当初の予定より訓練時間は減っていますが、実力に衰えは見えない上に、渡り鳥のように巡る八神によって各部署の業務や交流(連携)がスムーズになっているので特に口出しはありません。給料が多少上がったくらいです。