「悠一は支部だから気にならないかもだけど、私は本部所属なんだよ? 恥ずかしいんだよ!?」
現在バスの中。警戒区域近くのバス停から乗ったので私たち以外に客はいない。なので横に座った悠一へ遠慮なく文句を言えるのだ。
ちなみに私の荷物は、悠一が持ってきてくれていた。冬島隊隊室の鍵付ロッカーに入れていたのだけど何故、とか疑問だったが冬島隊長がマスターキーを貸してくれたらしい。真木ちゃんと一緒にお仕置きしますよ隊長。
悠一は黙って前方を見つめたまま聞いていたが、私が一通り言い終わるとこっちへ顔を向けた。
眉尻を下げてしょぼんとした顔に怯む。
「玲って、仕事と俺だったらどっちが大事?」
何言ってんだコイツ、と一瞬思ったが面には出さない。まさか有名なテンプレセリフを聞く日が来るとは。
どう返すべきなんだろコレ。この質問が有名過ぎて返しのセリフは知らないんだけど。
「悠一の方が大事だよ。でも、一緒にいる為に仕事も大事」
日々の糧を得る為に仕事しないと生活出来ない。けれどそれって自分だけじゃなくて、恋人や家族の為という前提があるからだと個人的には思うんだ。
でも、こういうセリフを言われるってことは仕事に天秤が傾いてたのかな。
「じゃあ、俺のこと好き?」
相変わらず表情の晴れない悠一が更に質問を重ねてきた。そこで気づく。
そういえばここ最近、『好き』とあまり口に出していないんだ。
しょんぼり顔の悠一としっかり目を合わせて、口を開く。
だけど、思い直して形を変えた。
「愛してるよ」
好き、じゃ全然足りない。大好き、だってもう心が納まらない。
相応しい言葉は、ありきたりだけど『愛してる』だけだった。
想いを込めて自分から唇を合わせた。
昔みたいに失敗しなかったことに、なんだか成長を感じる。それともお互いに座ってるからかな。
「───うん、おれも愛してる」
ゆるりと、やっと笑った悠一の声は甘くて、ほんの少し震えていた。
それもそっか。私、今まで貴方にひどいことをしていたんだ。
悠一は何度も私に『愛してる』って言ってくれたのに、私は
"大好き"までは言えても、それ以上の言葉は出せなかった。
ただの言い訳だとわかっている。でも、学生のあの時に、私は何故か自分の死に何も思わなかったんだ。
ただ苦しんでいる悠一を助けなきゃ、とだけ思った。
そして、告白されて嬉しい反面、戸惑いが大きかった。
怖かったんだ。私が死んだ時に悠一が壊れちゃうんじゃないかって。
言葉は枷だ。恋よりも『愛』は信じられないくらい重くて、1人じゃ抱えられないものだった。
大切にしてくれる度に、幸せを感じる度に『愛』は溢れそうになって。でも、怖くて代わりに『好き』と言葉にした。
風に吹かれて消えるような軽い言葉を吐く自分の口に、安心していた。可笑しいよね。婚約して結婚の約束までしているけど、私はそれが無理だと本気で思っていた。
だのに、生き残った。
さすが悠一だな、と感心して別れる決意をしたというのに、唐沢さんから慰められてもう『愛』は抑えられなかった。
だから、だから──最後の賭けとしてプロポーズを強請った。
自分が卑怯だって分かっていたのに、悠一は本気で応えてくれた。
「今まで、ごめんね」
もう一度、今度は謝罪と感謝の意味を込めて口付けた。
唇が離れると、ぎゅっと抱きしめられてコツンと額同士を合わせられる。
「許す……許すから、もう
「うん。約束する」
悠一の声は震えていて、今にでも泣き出しそうだった。泣けばスッキリするのに。
どうしても泣きそうにないから、額をずらして悠一の頭を肩口で支えてよしよしと撫でる。悠一の腕の力が強められたけど、痛みはないからそのまま。
しばらくして、ふと外の景色が気になった。悠一に連れられるままてっきりいつものバスに乗っていたと思っていたが、見覚えのない景色が窓の外に広がっている。
前方にある次の到着バス停名を確認しようにも悠一を支えたままでは難しい。
「そろそろ着くよ」
顔を上げた悠一が悪戯っぽく笑う。もう泣きそうな気配はない。そしてその言い分から乗り間違えたわけではないようだ。
バス停名を告げられて降りるとなった時、戸惑いしかなかった。
「旅館……?」
和で統一された木造の建物。入口には旅館名が描かれたカンテラが提げられてぼんやりと私たちを照らした。
「温泉宿。一部屋借りたんだ」
「え」
「温泉、入りたがってたでしょ?」
そうだけど、そうなんだけど。泊まりがけは考えていませんでした。
突然のサプライズで嬉しいんだけど、何かあったかと必死に頭を巡らせる。
もしかして、と考えた時、悠一が照れくさそうに笑ってから手を繋いできた。
「女の子って記念日が好きなんでしょ? 本当は来月だけど、ちょっと忙しいから早めにって思ってさ」
旅館の入口へと歩き出した悠一に手を引かれる形で隣へ並ぶ。
どうやら同棲を始めた記念日サプライズだったらしい。悠一は恋人になった記念日を忘れていたし、同棲一年目は何もしなかったので覚えていたことが意外だったけど、卒業シーズンだったから覚えやすかったのかもしれない。
「ありがとう、すっごく嬉しい!」
「どういたしまして」
はにかむ悠一の手を柔らかく握り直す。いつも思うけど、悠一の手は温かくて大きい。男の子の手なんだなぁって改めて感じる。
「なにやってんの? くすぐったいから」
「おっきい手を確かめてるのだー」
指先を動かしてにぎにぎしてたら悠一に笑われた。くすぐったいと言いながら振りほどこうとしないのが、なんだか嬉しい。
「ふむふむ。おっきい手は好き?」
「悠一の手だからね」
「言うねぇ。じゃ、おれは?」
「ふふ、どうかなー大好きかも」
「かも?」
「クエックエッ」
「鴨じゃん」
呆れた声音だけど横顔は楽しそう。繋いでいる手を軽く引き、足を止めてからちょっとだけ背伸びする。
空いてる片手を添えて、寒さで少しだけ赤くなっている耳へ囁いた。
「貴方のすべてを愛してる」
「っ……うわー……思ってたより破壊力ヤバい、かも」
空いた手で口元を覆って顔を背けた悠一。赤さの増した耳が見えるから照れているのがバレバレだぞ。
背伸びを止めて下から覗き込めば、赤くなった目元で睨まれた。怖くない、怖くない。
「かも?」
「……くえー」
「ふふ、へたくそー」
からかってから今度は私が手を引いて歩き出す。
いつもは私が赤くなるから、立場が逆転してなんだか新鮮だな。
「玲」
名前を呼ばれて振り向けば、口元を綻ばせている悠一に抱き寄せられた。
「
同じように囁かれて、カッと頬が熱くなった。
いや、同じようにじゃない。めちゃくちゃ甘い声だった。ずるい! 私がそれに弱いの知っててやったな!?
「っ反則だッ」
「ハハハ、お返しだよ」
背中がゾクゾクして力入らないし、顔が熱いし、すっごく恥ずかしい。
さっきまで私が主導権を握ってたと思ったのに、あっという間に取り返された。もしかして逆転させてからの油断を狙ってたのか。
悠一に勝てる気がしない。
今度は手じゃなくて腰を抱かれて歩き出す。こうなると体を離そうにも不自然だし、何より温かいから離れ難い。
誰かに見られたらかなり恥ずかしいけど、結局離れないまま玄関へたどり着いた。
玄関へ入るとすぐに着物を身につけた女性2人が、カウンター越しに出迎えてくれた。
綺麗なお辞儀をする2人につられて会釈を返す。
「予約していた迅です」
「お待ちしておりました。雫の窓をご予約ですね。どうぞ、ご案内致します」
カウンターから中居さんの1人がスッと出てきて、もう一度綺麗にお辞儀してから先導へ。
案内に従いながらオレンジライトの廊下を進んで行くと、驚いたことに外へ出た。
「離れ?」
「はい。宿泊はすべて貸切りの離れをご用意しております。雫の窓は内湯と露天風呂付きの部屋でして、温泉掛け流しなのでいつでも入浴可能です。もちろん、母屋の大浴場もご利用をお待ちしておりますよ」
私の疑問に中居さんはにこやかな笑顔で説明をしてくれた。着物美人さんが目の保養です。
離れの内装は『和』だ。8畳二間で、入ってすぐの部屋に大きめの炬燵机が設置されており、既に食事が並べられていた。
「すぐに食事とお伺いしておりましたので、ご用意させて頂きました」
中居さんに促されるのに従って、お互いに向かい合う形で座椅子へ着席する。
うわー……魔性の炬燵だぁ。じわーっと足元から温まる感覚にホッとひといき。
料理コースは私と悠一で内容が違うようだ。野菜と魚中心の料理なのは一緒だけど、私の方はあっさりとした味付けだったり薄造りのお刺身だったりと、胃に優しい調理が選ばれた料理の品々。種類が多いけど一皿一皿を見れば量も控えめで、美味しく味わえる適量だ。
悠一の方は野菜と魚中心に、和牛のステーキが添えられており、厚めのお刺身やカラッと揚げられた天ぷら、味の染みた大根などなど。どちらにしても美味しそう。
温かいおしぼりで手を拭いてから「いただきます」と合掌。
「おいしい……」
「ふ~、あったまる」
先ずはお吸い物を一口。昆布と鰹節の出汁がきいてる優しい味わいに、自然と口から「美味しい」と飛び出した。
野菜類は下味がつけられており、食材本来の味を邪魔しない味付けとなっている。なんだコレ。野菜がすっごく美味しい。参考にしよう。
懐石料理での厚いお刺身とは違い、フグ刺しのようなぺらぺらとしたヒラメの薄造り。均一とした透明感にプロの技ならではだと感心する。そっと一切れを口に入れると、最初に感じたのは甘さだ。噛んでみると薄いのにコリコリとした食感で、また甘さが増して、それからスルリと喉の奥に消える。
「玲ちゃーん、大丈夫?」
あまりの美味しさに固まっていたらしい。
「ぜんぶ美味しい! 語彙力がマッハで破壊されるくらい!」
「その表現もマッハでヤバイ。うん、でもそんなに喜んでくれると、連れて来た甲斐があったよ」
うんうんと楽しそうに頷く悠一が、和牛のステーキを食べて目を見開いて固まる。
なるほど、私のさっきの状態ってこんな感じか。でも美味しい物を食べたら正しい反応だと思う。
カラン、と箸をテーブルに落とす悠一。え、そんなに美味しかった!?
「れい、あの、今なんて言った……?」
呆然としたまま何とか言葉を絞り出した悠一に首を傾げる。
「何も言ってないけど」
「そ、そうだよな。ごめん、さっきのナシ」
取り繕う悠一がヘラリと笑う。
もしかしてさっきのは美味しさに固まったわけではなく、未来視が発動して固まったのだろうか。気になるけど、悠一が言わないのならいっか。
新しい箸を悠一に手渡す。テーブルの上とは言え、落としてしまった箸だからね。洗いに行く手もあるけど、替えがあるならそれで良い。魔性の炬燵からは逃げられないのだ。
「うぅ~好い味の経験が出来たよ。主婦間の手間省き料理も楽しいけど、たまには手の込んだおもてなし料理も善いよね!」
「玲の料理は全部好きだよ。茶碗蒸しはここと負けてないと思う」
「私のおばあちゃん直伝の茶碗蒸しですから」
デザートの白玉寒天をいただきながら、料理の感想を言い合う。なんとか語彙力を取り戻せて良かった、良かった。
祖母の茶碗蒸しは実家の人間全員がお代わりする程の大好物だ。祖母は農家だからか、普段の料理は濃い味付けばかりで私は苦手なのだが、あの茶碗蒸しだけは別格。
でも今年は祖母が体調を崩していたので悠一が味わうことはなく、三門市に帰ってから私が作って出すと「これは、もう他が食べれない」と唸らせた。レシピをありがとう、おばあちゃん。
温かい炬燵に入って、ひんやりツルンとした寒天を食べる贅沢がたまらない。"炬燵にアイス"なんて派閥があるだけに、温度の相反する物を味わう感覚ってクセになりそうだ。
悠一も寒天を食べているが、どこか緊張気味。どうしたんだろう。
あ、そうだ。今のうちに言ってみよう。
「ね、お風呂一緒に入ろ?」
今度は匙がカラン、とテーブルに落ちた。
茫然と固まる悠一に『なるほど、コレを視たのか』と納得する。悠一を驚かすのって一筋縄ではいかないなぁ。
・迅と八神
迅が"結婚"というワードを出さなかったように、八神も"愛してる"というワードを口にしていません。
八神にとって相手を感情で縛るのはタブーです。意識が朦朧としていようと、寝言だろうと言わない頑固さです。その代わりにたくさん名前を呼ぶくらい。
「伝えなければ、寂しいけど心変わりして他の人と幸せになってくれるはずだ」とも考えていました。八神の勝手な考えであり、もうとっくに迅が八神以外を見ていないことに当人だけが気づいていないだけなんですがね。けれど"愛してる"と返して、もし己が死んでしまったら、迅が立ち直れないことだけは確信していました。だからチェス回では『待っていて』ではなく『次の
というわけで、誰よりも"八神玲の死"を引き寄せて確定させていたのは本人でした。遠征前は自分で迅を幸せにしてやると意気込んでいましたが、大侵攻が予測された時ストンと己の死を受け入れてしまいます。迅は情緒がまだ成長途中なので一番身近な相手の心的分岐に気づかず、色々と奔走していたのです。灯台もと暗し?
とりあえず、これでお互いに言っていなかったワードを出し合い、やっと二人三脚のスタートに立ちました。想いはまだまだ迅が先行していますし、迅の自分本位と、八神の相手本位の考え方もあまり改善されていません。が、少しずつ歩みを合わせていくことでしょう。
(作者の技量はメモ帳クオリティーなので期待は禁物です)
この選択が吉と出るか、凶と出るか。
・八神の料理のきっかけ
祖母は濃い味付けを好み(茶碗蒸しは別)、母は加古の失敗炒飯並の料理を6割の確率で食卓に出していました。現在では娘の指導により1.5割まで落ちています。幼い頃は食事が好きではなかったのですが家庭科授業で美味しい料理を知り、結果、好みの味付けと美味しい物を求めて台所に立ち始めました。