その邸は古く、老朽化が進んで今にも崩れそうな西洋風な豪邸だった。昔はどこかの金持ちの別荘として使われていたが『"怪音"が聞こえる』と噂になり、持ち主も気味が悪いと売りに出した。けれど、豪邸と言えどもそんな薄気味悪い邸を誰かが買うわけもなく、人が住まなくなった邸はどんどん廃れていった。管理人でさえ寄り付かない邸だった筈だが、今でも"怪音"は聞こえてくると云う───
「そんな怪談は初めて聞きましたが、私が喚ばれた理由に関係が?」
秘書さんが淹れたコーヒーを戴き、カップを持ったまま小首を傾げた。
メディア対策室の根付さんから直接喚ばれて何事かと向かえば、ちょっぴり顔色の悪い根付さんにソファーへ促され、何の前置きもなく怪談が始まったのだ。
根付さんが悲壮感たっぷりに語るから怪談話に出てくる金持ちが根付さんなのかと疑っちゃうよ。豪邸なのに売れなかったら経済的に痛いもんね。あ、でも管理費も何もないのか。ただ土地が何も活用出来ないのが問題なのか。
思考が明後日の方向へ行きかけたところで、根付さんが深いため息を吐いて頭を抱えて事情を説明しだした。それに耳を傾けながらカップへ口をつける。
「『ラッド』の目撃情報があってね……鬼怒田開発室長に探知をしてもらったが、反応はないんですよ」
コーヒーを嚥下してソーサーへ戻す。思ったより重大案件だった。
「目撃情報は『ラッド』だけですか? 情報に写真とかは?」
「写真はある……が、少々ショックの強いもので。八神くん、心臓とか弱くなかったかな?」
「弱かったら遠征なんて行けませんよ」
今更な根付さんの確認に、どんな写真か予想が出来た。それと私がここに喚ばれた理由も察する。
「わー」
思わず棒読みになってしまった。私の反応に根付さんは苦笑いで応えてくれた。
写真は、蔦の張ったレンガ壁に填められたガラス窓から室内を覗き込む形で撮られている。
内容は薄暗い部屋に、扉のない食器棚、脚の折れた椅子が乱雑に転がり、部屋の隅にぼろ布を被った男がうずくまった姿勢から充血した目でこちらを見つめ、手を伸ばしている。
しかし、肝心のラッドはよく分からない。暗がりにいるのだろうか。
「こちらが開発室に解析してもらったものです」
もう一枚出された写真は暗がりにラッドの姿を浮き上がらせており、はっきりと存在していた。
「探知出来ないんですよね……? あとこの男って浮浪者ですか?」
コクリと頷いて疲れたように眉間を押さえる根付さん。確かに頭の痛い案件だと思う。
しかし、疑問だ。探知に引っ掛からないこともだが、なぜラッドが廃れた場所へ行ったのだろう。トリオンを人間から吸い取る役割ならば人通りが多く、人目に付かない路地や溝などにいるはずだ。こんなところにいるのはおかしい。いや、偵察の役割を考えれば地形調査の為に潜り込んだ可能性もあるのか。
けれど、起動状態もしくはそのまま停止していたならば、その場所から離れないのは何故。
「そういえば、何でこの撮影者はわざわざ邸まで行ったんです?」
「ホラー写真家らしい。それで印刷時にTV放送したラッドを見つけて送ってくれたようです。今はラッドをすべて回収したと公表しているので、未回収があると世間に知られたら大事になります。だから、八神くんに回収をしてもらいたくてね」
サラリと本題を述べられた。
根付さんの言いたいことは分かる。世間が大騒ぎしては遠征計画が中止になることも有り得るし、何より会見で私の意見を通したから今度はそっちが通せということだろう。
簡単な邸の地図と外観写真も見せられ、向かうことに拒否権はなさそうだ。
「……前置きで怪談話をした理由を訊いても?」
「この写真を見せる流れとして当然かと思いましてね」
「そんな話をされた後に『よし、邸に行こう』ってなる人間じゃないですよ」
「…………ダメかい?」
「ダメです。しかしラッドの回収は行わなければなりませんし……この邸、焼いていいですか?」
「はあ!? ちょ、いきなり何を言い出すんだ!」
「誰だってこんな得体の知れない場所行きたくないですよ。幸い庭が広いから火が余所に移ることもないでしょうし、焼け跡からラッドを回収した方が暗がりを探索しないで済みます」
怪談話があるないにせよ、この荒れた邸を探索しないで済むならそれが良い。普通に虫がいっぱい居るだろうしGが出たら私は動けないんだぞ。
浮浪者には「火事だー!」と勧告すれば出てきてくれるはずだ。
「いや、一度は中を改めるべきでしょう!」
根付さんが冷や汗をかいて慌てている。焼くのには抗議がないんですね。
邸について詳しく訊いてみると、現在の持ち主名義は唯我くんの祖父。トリオン兵が潜り込んでいるなら破壊は免れないだろうし、もともと管理もしていなかった邸だから好きにしろと許可が出ているらしい。じゃあ、焼いても問題ないですよねぇ。
しかしラッド回収の為とは言え、死人が出るのはいただけない。勧告はするが、焼くのは色々と処理が面倒なので勘弁してくれと釘を刺された。正論だけど、私である必要ないですよね。
「大事に出来ないからボーダーでも情報規制が必要なんですよ」
根付さんの表情には『諦めなさい』と書いてあった。Gと遭遇しませんように、と祈ることしか私には出来ないのだろうか。
冷めてしまったコーヒーと共にため息を呑み込んだところで、ピンと来る。今日は完全にオフのはず。
「唯我くんの家が関係するなら、太刀川隊も巻き込んでいいですよね!?」
斯くしてOKを貰った私は、太刀川隊室へと向かい、何故か唯我くんと訓練していた三雲くんも巻き込んで件の邸へと赴いた。
「ここ、ですか?」
私服姿でトリオン体となった三雲くんが夕焼け色に染まった邸の門を見上げ、門の奥に見える豪邸をメガネに映してポカンとしている。
「お~。デカいけどボロいな」
「肝試しに使われそうッスね」
「まったく、ボクがこんな汚い所に来るなんて想定外だよ。しかしこれもA級の仕事ならではさ! 三雲くんボクをしっかりと見習うんだよ!」
「はあ……」
唯我くんが得意げに髪を払って言い放ったことに、生返事になってしまった三雲くん。A級の仕事も多種多様だけど、今回ばかりは特殊だと思うよ。
現在は夕焼け空だが、季節柄すぐに日は落ちて暗くなるだろう。出来れば完全に暗くなる前に片付けたい。
くそぅ……根付さんが忙しいのは知ってるけど、もうちょっと早めに言ってくれれば良かったのに。夕方は逢魔が時って言うじゃないか。
目立つことを避ける為に、全員がいつもの隊服ではなく私服姿でトリオン体になっている。私はボーダー制服の上着を脱いだくらいだけど。
預かってきた門の鍵で解錠して敷地内に入る。ザッと辺りを見回して誰もいないことを確認して、もう一度豪邸を見据えると違和感。
ひどく、不快で気持ち悪い印象を持った。
「んー」
「どうした出水、怖くなったか?」
「それはないですけど、なんか変っつーか……」
「ままままさか、出水先輩がはやくもやられた!? 出よう! やはりボクたちには荷が重かったんですよ!」
「やかましい! やられてねーっての!」
「おブッ!! ひ、ひどいボクは先輩たちの身を重んじて……」
「オレらじゃなくて自分だろ」
太刀川隊の賑やかな漫才に、三雲くんはどう反応して良いのか分からない様子だった。うん、笑うといいよ。
こうして1部隊+1名を巻き込んだのだから、家を燃やすのは最終手段としてラッドを捜すことになった。小型とは言えトリオン兵なので、一般人を巻き込まない為にも浮浪者を退かすことの優先度は高い。
「国近ちゃん、ラッドの反応はあるかな?」
『ないですね~』
これだけ近づいても反応がないのか。起動状態と想定するなら写真を撮られた時はたまたまここにいただけ、という可能性もある。
アフトクラトルとは別性能のラッドかもしれないことも考慮に入れておかねば。
「とりあえずあの中を探検すればいいんだろ?」
「はい。でも先に外周を回って撮影した場所を捜しましょう」
太刀川さんが顎髭をなぞりながら振り返ったので、最初の方針を告げる。
本当なら別れて捜した方が早いと思うが、先の違和感と出水くんの怪訝そうな顔が引っ掛かって固まって動きたいのだ。
「八神さんも出水先輩と同じように何か感じたんですか?」
緊張に顔を強ばらせた三雲くんの問いに肯定する。
すると全員が動きを固くして、顔を見合わせる。特に唯我くんなんてブルブルと小刻みに震え、顔を青ざめさせて分かり易く恐怖を表現していた。
「……帰っていい?」
「ダメです。課題地獄とお化けならどっちが怖いですか?」
「かだい……」
「なら大丈夫です」
「そうか!」
「いやいや! なんで納得してんスか!?」
「隊長冷静に!!」
『お線香は立てるから成仏してねみんな……』
「お、落ちついて下さい。八神さんが落ちついているので大丈夫ですよ」
荒ぶる太刀川隊を三雲くんが宥めてくれたけど、私は別に幽霊が怖くないとか言ってないからね。でもそれを言ってしまうとまた荒ぶる予感がしたので黙っていよう。
建物へ近づくにつれて口数が少なくなる、かと思ったが逆に多くなった。怖さを紛らわせる為だろう。あまりにも騒がしいので内部通信に切り替えてもらった。
国近ちゃんはだんだんとホラーゲームをプレイしている気分になっているらしい。男共の嘆きに軽く笑っていた。
目的のガラス窓は簡単に見つかった。写真と同じように覗き込み、国近ちゃんから視覚補助を受けて暗がりを確認したが、特に何もいない。
そして強くなった違和感に眉間を寄せた。
『居ませんね……』
『やややっぱり入るんですか?』
緊張に強張った三雲くんの声に、唯我くんが震えながらこちらを見る。
その時、ピシリ、と小さな音が私の耳に届いた。
『! 伏せろ!!』
『!!』
太刀川さんの命令に、考える間もなくシールドを広げ三雲くんと唯我くんを引っ張って地に伏せる。
『ヒィッ! タタリー!?』
覗いていたガラス窓が派手に割れて私たちに降りかかる。次いで二階のガラスが割れたかと思えば椅子が降ってきた。
回転した椅子から放られた白い物体は──ラッドだ。
『太刀川さん!』
「旋空弧月」
粉々のガラスと椅子ごとラッドを真っ二つにした太刀川さんがホッと息を吐いた。つられて心を緩めそうになった時、違和感の正体に気付く。
「急いで離れて!!」
ピシリ、ミシッという音が響いて、慌てて私は近くの2人の襟首を掴み全力で建物から離れる。
真っ二つになったラッドはスパイダーを伸ばして回収。
「うっわ! なんだぁ!?」
「危なかった……」
「危うく生き埋めになるとこだったぜ……やっぱ、タタリか?」
そこそこ大きな建物がぐしゃりと潰れ、周囲には土埃が舞っている。豪邸は見る陰もない有り様だ。
唯我くんは恐怖のあまり泡を噴いており、三雲くんは唖然として口を閉じれない様子。
「タタリじゃなくて、どうも地盤沈下みたいですよ。私と出水くんが違和感を覚えたのは、なんとなく傾いているというか歪んでいる印象を受けたからですね」
シューターは空間把握能力や立体図の展開能力が自然と磨かれていく。特に出水くんはリアル弾道を描く為に、それらは身体へ叩き込んであるものだ。私の場合はソロ活動中に必要だから覚えたものだけど。
思い返してみると最初に邸を見た時、屋根の高さがズレていたのだ。倒壊寸前だったのだろう。
根付さんから聞かされた怪談に出てきた『怪音』は、建物が歪んで軋んでいる音だと思う。そう簡単に建築物は崩れることはないが、長年ズレてきた歪みにとうとう耐えられず崩壊したらしい。
「ん? このラッド、俺が斬る前に壊れているっぽいぞ」
「だから探知出来なかったんですかね?」
「……浮浪者が拾って持ってきた、とか」
斬られた以外にヒビが走っており、背中はぽっかりと穴が空いていることに首を傾げるしかない。
まるで蝉の脱け殻のような印象を受けた。
「あ! 中に人はいなかったんでしょうか!? もしも巻き込まれてたら助けないと!」
「あ、おい!」
崩れた邸へと駆け出した三雲くんに出水くんが咄嗟に声を掛けたが、足が止まることなく「誰かいませんかー?」と瓦礫に向かって確認を始めた。
そんな三雲くんを見て、太刀川さんと出水くんも肩を竦め、4人で捜索活動を始めた。唯我くんをチラリと振り返るが、未だにショックから立ち直れないようなのでその場で放置することに。
声を掛け、慎重に瓦礫を退けながら先程のラッドを思い返す。どこかで見たことがあるような気がしたのだ。
サイズは第二次で見かけたラッドと同等だ。だが、壊れているとは言え、フォルムが若干違っている。
『怪音』というのも、地盤沈下だけで片付けられないかもしれない。
何故なら庭がこんなに広いのに建物の軋み音が"噂"になるほど響くだろうか。別荘として使っていたなら一定期間しか使わず、管理に必要な分だけ使用人を置いていたならば。
「あ……」
思い出すのは三門市に来たばかりの頃。あの時もホラー現象が"噂"になり、小型のトリオン兵が、いた。
「誰かいましたか!?」
「え、ううん! こっちはいないみたいだけど、そっちは?」
手を止めた私に三雲くんが駆け寄ってきたので、誤魔化すように訊ねると首を横に振られた。
「そっか。もしかしたら軋み音で危険だと思って出て行ってたのかも」
「それならいいんですけど……」
「念の為に色々掘り返そう」
「はい」
素直に行動する三雲くん。大きな屋根や塊は太刀川さんに切り出してもらい、崩壊に気をつけて完全に暗くなるまで捜索を続けた。
結局のところ巻き込まれた人間は居らず、私たちの作業は無駄となってしまった。でも懸念を減らせたのだし、目覚めの悪い結果にならなかったのだからそれで良いだろう。
見つかったのは最初のラッド
回収物を開発室へ届け、太刀川隊隊室にお邪魔して報告書を作成した。
第一次大規模侵攻に関係するトリオン兵かは、私の記憶情報だけでは不確かなので報告書には書かなかった。解析結果を見て、もう少し調べてから伝えた方が良い。憶測だけで述べるには、あまりに重い事柄だった。
「今日は付き合わせてしまってすみません。三雲くんも訓練の邪魔してごめんね」
隊室の扉前で今日のお礼を告げる。休みだったのに仕事をさせてごめんなさい。ちゃんと出勤の申請はやっておきますから。
「お、じゃあ迅にランク戦しようぜって伝えてくれ。200本くらい」
「せめて二桁にしましょう」
「んじゃあ、今度食堂のコロッケセット奢って下さい」
「いいよ」
「A級として! ボクは仕事をしただけですからね。女性の頼みならば紳士として当然。ボクは隊長たちみたいに何か要求するなど」
「玲さ~ん次のお休みカニ鍋しよ。そんで女子呼んでパジャマパーティーとか」
「楽しそうだね。予定が空き次第、早めに連絡するよ」
「やった~!」
「く、国近センパイ、ボクはまだ途中なのに……」
よよよ、と泣き崩れる唯我くんを誰も気にしない。反応を返した方が面倒だからだろうね。
最初は可哀想だと思ったけど、なんだかんだ唯我くんも楽しそうなので口を出したことはない。
「八神さんお疲れ様です。僕はあまり役に立てませんでしたが、少しでも手伝いが出来たのなら良かったです」
「三雲くんもお疲れ様。瓦礫を掘り返すにも人手が必要だったからとても助かったよ。ありがとう。じゃあ、明日の17時半頃に支部にお邪魔させていただくね」
「はい!」
三雲くんが頷いたのを見て、太刀川隊にもう一度お礼を伝えてからその場を離れた。