玉狛支部の支部長室をノックして名乗ると、窓を開ける音の後に「入っていいぞー」と告げられる。
「失礼します……林藤支部長、また閉め切って喫煙してたんですか?」
暖房の熱気と充満していただろうタバコの煙が、開けた窓から目に見える形で流れていく。火災よりはマシなレベルだけど、思わずハンカチで口と鼻を覆うくらい煙たい。
どれだけ吸っていたのかと灰皿を見れば、吸い殻の山。何箱空けたんだろう。ヘビースモーカーの気持ちが分からない。
「悪い悪い。で、どこまで話したんだ?」
「……4割くらいですね」
眼鏡の奥から覗く瞳には、期待と心配の色が浮かんでいた。
私が開いた窓を指して話をぼかすと、罰の悪そうな顔になったけど。
まだ煙が凄いので窓を閉めることは私が嫌なので、ぼかしたまま答えを返す。
「表向きの理由と裏の"出入り口"、で伝わります?」
「なんとなくな。とりあえず結論は言ったんだろ?」
「はい」
「そうか……そうだよな。まだ話すべきじゃない」
目を細め、どこか遠くを見る林藤支部長。
全てを伝えるかは私の裁量に任されていたが、中学生の彼らに全てを開示する必要はないと、私は最初から結論を出していた。
それに隊長である三雲くんの負担が大きすぎる。
当初、私は玉狛支部からの報告書で、空閑くんの事情を軽く知っていただけだった。しかし対策会議後にエンジニアたちと会わせる為にレプリカさんの子機を借りた時、詳しい肉体状態を聞かされた。
『これを聞いて、レイはユーマを救う手段があると思うか?』
私は肯定することをしばし躊躇った。重要機密をそう簡単に漏らすことは出来ず、判断に迷ったからだ。
──それについては重要機密事項に触れる。
迷った末に、私は明確な肯定をせずそう答えた。
レプリカさんは満足そうに頷き、私たちボーダーに膨大な情報を渡すことを引き換えに、空閑くんを助けてほしいと請うてきた。
私は「この場で私だけでは肯定も否定も出来ない。侵攻が終わってから本部の上層部と話してくれ」としか言いようがなく、思えばレプリカさんが己を犠牲にした理由は少なからず私にもあるのだろう。あの時レプリカさんから話を聞かされたのは私だけで、それに私が責任を感じることを察していたからだ。
案の定、動いてますけどね。
ただ、レプリカさんがいなくなったのは悪手だった。
空閑くんを助ける方法を一旦置いて、"如何にして空閑くんは死ぬのか"と考えてみる。
黒トリガーの性能で2つのトリオン体を持っている空閑くんが外的な要因で死ぬ可能性は低い。戦場経験から退き際を弁えている空閑くんを殺すのは容易ではないからだ。
そうすると、極端に考えれば内的な要因。餓死、は通常のトリオン体でも起こることなので除くとして、ショック死も生半可なものでは有り得ない。1つ、トリオン体でも補えない部分──脳だ。
昔の拷問に"断眠"と呼ばれるものがあった。文字通り眠らせない拷問だ。長時間眠らなければ前後不覚になり、肉体を動かす信号が鈍り、判断力も低下し、末には表面上傷一つない死体が出来上がる。
生物には睡眠が必要不可欠なのだと分かる拷問だった。
これは脳にも老廃物が溜まるからだ。脳には老廃物を洗浄するリンパがなく、生物は睡眠を摂ることで脳の老廃物を摘出する。睡眠を摂らなかった場合、溜まった老廃物は脳細胞を傷つけていくのだ。
空閑くんはトリオン体になってから睡眠を摂っていないと言う。それを聞いた時は無意識に己の頭を押さえてしまった。
睡眠が必要ない、というがトリオン体を動かすには脳のイメージ力が関係する。つまり極端な物言いをすれば、このままだと空閑くんの肉体は真っ先に脳が死ぬことになるのだ。
日常生活用のトリオン体に自己修復機能があるから、肉体への負担は多少軽減されていると思われる。オーバーワークさえしなければ今まで通り過ごせるだろう。
だが、そこで戦闘体の"学習能力"でちょっとワケが違ってくる。
人間は睡眠によって記憶や動作を定着・学習する。
黒トリガーの性質と片付けてしまえば簡単だが、空閑くん単独での"学習"は時間が掛かるということに疑問を持った。もともと空閑くん単体専用なのだから1人での学習がスムーズでなければおかしい。
レプリカさんが離れた今、空閑くんの負担はダイレクトになっている。それは脳内の老廃物の増加に繋がり、死期が近づくことを意味していた。
おそらくレプリカさんは、治療は素早く終わると予想していたはずだ。
だが、細胞を使う件の治療法は採取した細胞を殖やすことから始める長期的なものだ。
トリオンエネルギーを使用する前よりもかなり期間が短縮されているが、それでも最低半年は掛かる。
その間、空閑くんの脳がレプリカさんの補助無しでどれだけ保つのか。
隊長であるが中学生で優しい三雲くんがこれを聞けば、レプリカさんのことを更に気に病む上、空閑くんを戦闘に出すことを躊躇うだろう。
しかしそれでは、玉狛第二はB級下位へと落ち、目的を達成するのは当分先になるはずだ。何より、空閑くんは今のところ戦うことを生き甲斐としている節があるので、戦闘から除外された空閑くんが何をしでかすか不明で怖い。
ボーダー組織としての観点から述べても、不確定要素を増やしたくはないし、戦力と情報が離れていくのは避けたいことだった。
「せっかく有吾さんが繋げた命だ。助けてやりたいが……」
林藤支部長が私の鞄へ視線をやるので、首を横に振る。書類に空閑くんのサインはまだない。
それに林藤支部長は苦く笑い、ごそごそと胸ポケットからタバコを取り出した。
「……林藤支部長」
「あ、わりぃ。つい、な」
咥えようとしたところで声を掛けると、無意識の行動だったらしく苦笑してからちょっぴり名残惜しそうに戻す。うん、悠一が成人してタバコに手を出したら林藤支部長のせいだ。
我ながら冷たい目だろうなと自覚しながら、鞄から書類ケースを取り出す。
ケースごと林藤支部長の机に提出すると、簡単に中身を確認してから、林藤支部長のトリガーホルダーでしか開閉出来ない引き出しへ仕舞われた。
「確かに受け取った。忙しいのに悪かったな」
「いえ……最初の取っ掛かりは冬島隊でしたし、レプリカさんにも頼まれましたから」
再生医療と組織工学をボーダー内で発展させたのは、冬島隊だった。
誇らしいような恥ずかしいような、複雑なエピソードがある。
「ああ、確かきっかけはお前と当真だっけ?」
「理論は真木ちゃんと隊長で、実用まで漕ぎ着けたのは鬼怒田さんです」
「ほんと、鬼怒田さんの技術はすげーな」
快活に笑う林藤支部長へ全面的に同意する。今思い出しても鬼怒田さんは鶴の一声のような神業で以て、足りなかった理論を完成させたのだ。
最初のきっかけは林藤支部長の言った通り、私と当真くんだった。
任務中、当真くんが蜥蜴を見つけて尻尾を自切りして逃げられたと話し、私が自切りについて話し出したことが後に発展する。
──人間も手足とか再生したらすごくね? トリオンで体を再現できるんだしさ。
──一応、再生医療はあるよ。でもまだまだ研究途中な部分が多いみたいだね。
この会話を聴いていた冬島隊長がトリオンエネルギーの可能性を改めて考え、悩み出した隊長を「仕事にならない」と叱咤した真木ちゃんが再生医療やそれに関係する医学資料をまとめて提出。
最終的に鬼怒田さんまで巻き込み、──蜥蜴のように手足が生えるわけではないが──再生医療と組織工学を始めとした医療分野が飛躍的に発展する結果となった。
冬島隊、というかほぼ隊長と真木ちゃんの功績である。
当真くんと私はいつも通り任務をこなして会話をしていただけだ。きっかけはきっかけなんだろうけどね。サボっていたわけではないけど、会話を丸々報告書に載せられた時は冬島隊長をヘッドロックしそうになった。
いつの間にか現れた悠一に止められたけど。
医療分野の発展は一般的には知られていないが、一部のスポンサーや一握りの医療関係者は知っている。研究資金は唐沢さんが引っ張ってくるスポンサー以外に、そういう方面からも増えたそうだ。
そんな訳で重要機密事項の一端を知り、今回の空閑くんの件にも私から提案出来たのだ。
「昔はそんなことが出来るなんて思いもしなかったからなぁ……」
椅子の背に身を預け、感慨深く遠い目をした林藤支部長。
以前、城戸司令が第一次の大侵攻より前に半数以上の隊員が亡くなった、と言っていたことを思い出す。
玉狛支部のほとんどの人員がそれに参加し、死を乗り越えて生きている。一歩違えば目の前にいる林藤支部長も、今も誰かの未来を視ているだろう悠一も、私は会えなかったかもしれない。
私だってそうだ。第一次のあの時に誰かが私の手を引いてくれたから、悠一に逢えたんだ。
そう考えると、今がとても奇跡のように感じた。
「──すみません、そろそろ帰りますね」
感傷の邪魔をして申し訳ないと思ったけど、無性に悠一に会いたくなった。
用事も一応は終えたのだし。
「ん、ああ。ありがとな。ちょっと待て確かこの辺に……」
ニッと笑った林藤支部長が思い出したように机の引き出しを探る。
まだ何か必要な物でもあっただろうか、と大人しく待っていると「ほれ」と出されたのは煮干しの袋だった。
「……だから猫じゃないですって!」
「ハッハッハ! 余ってるから持ってけよ」
今日は珍しく煮干しを見ないと思ったら支部長室で渡されるとは。何かの書類かと思って大人しく待った私がバカだった。
とりあえず好意で出されたのだとは分かっているので、釈然としないけれどお礼を言って受け取った。
「このまま帰んのか? 今から飯作ると遅くならないか?」
「実は先に家に寄ってから来てるんです。下拵えもほとんど終わってて後は仕上げだけです。悠一がお風呂に入ってる内に出来上がりますよ」
「相変わらず手際が良いなぁ。もう"奥さん"って感じだ」
林藤支部長の言葉に、嬉しいけどまだ照れが勝って顔が熱くなる。
だ、大丈夫、まだそんなに真っ赤じゃないはず!
ニヤニヤとからかってくる林藤支部長から逃げるように、素早く挨拶して退室した。
まったく、私もそろそろああいうのに慣れてもいい筈なんだけど。
悠一のお、奥さん……とか! ダメだっまだ私には早過ぎる! じゃ、じゃあ"妻"とか。いやいや"妻"単体もなんか慣れないぞ!? 夫婦だったら、何度か言ってるし言われてるからいいけど妻の単体はダメ!
「あれ玲さん? 顔真っ赤にしてどうしたの?」
「し、栞ちゃ……なんでもないよ! じゃ、お邪魔しました!」
「え!? 暗いのに1人は危ないよー!」
「そんなに遠くないから大丈夫ー!」
栞ちゃんの心配に手を振って応えて、玉狛支部の玄関を飛び出した。
変な混乱状態の姿を栞ちゃんに目撃されてしまった上に、ミニたい焼きのお礼も言ってない。でもごめん! 今は煩悩まみれでなんかいたたまれないんだ!
明日にでもお詫びを持って行こう。
しばらくして駆け足だったのを緩め、火照った身体に夜風を浴びる。冷たい空気が頬を撫でて、徐々に熱が冷めていく。
「墓穴掘った……」
林藤支部長に言われた時はまだ冷静だったのに、退室してから自分で照れを後押ししてた。何やってんだろ私。
自分に呆れてため息を吐こうとして───
「夜道で女の子ひとりは感心しないな~」
後ろから腕を引かれて拘束され、尻を撫でられる。
「っ!?」
「不審者に襲われるぞ?」
「……悠一みたいな?」
耳元で囁かれる聞き慣れた声に、顔を向けて睨むと唇の端に口付けられた。
最初の声ではわからなかったけど、尻を撫でる手つきでわかってしまった。声とか拘束された時じゃなくて、手つきってさ、どうなの私……
唇の端だったキスは、体を反転させられて頭を固定されてからきっちりと合わされる。
「ふっ、ちょ……っと、ま」
外で道端だから、と抗議しようにも言葉を紡げない。
下唇を甘く噛まれたと思ったら、優しく舐められて。上唇を軽く吸われたらビリッと痺れが走って。
「ぁ、や」
腰に回された腕からもなんでかぞわり、とした感覚が立ち上ってこわくなる。
溜まらず悠一の服を掴んで崩れるのを耐えるけど、舌を入れられると悠一の支え無しには立てなくなった。
「はぁ、はぁ、っなにするのよ……」
「お仕置き。普段の玲は無防備すぎだよ。もうちょっと警戒すべきだって」
腰が抜けて悠一に縋りつきながら抗議すれば、何食わぬ顔で注意された。お前が言うな!
息一つ乱れていない悠一に対して、すっかり腰が抜けて立てない自分に腹が立つ。いつか絶対に逆の立場を味あわせてやるんだから。
・この話の簡単なまとめ
●空閑は脳死の可能性が高い。だが色々な思惑があって本人と三雲たち(玉狛第一含む隊員)には知らせない。
●トリオンと鬼怒田さんは万能なんだ!
・迅と八神
八神は初めてからずっと相手が迅ですし、相性も良いおかげでキスや肌の触れ合いだけで満たされてます。迅は未来視で八神が本気で拒絶しなければ何でもやります。