三門市に引っ越しました   作:ライト/メモ

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迅を軸とした三人称


愛しくて憎らしくて、狂おしい

 

 まだまだ冷える2月の朝、一組の恋人がベッドの上で向き合っていた。正座で。

 

 

「言い訳があるなら聞こう。なんで、私の目覚ましアラームを消したのかな?」

 

 

 寝起きにも関わらずキリッとした表情の八神が、眠そうな、それでいて含み笑いを浮かべる迅へ問い詰めた。

 およそ恋人同士とは思えない雰囲気だが、お互いにパジャマが乱れている様は十分な仲だと言えよう。

 

 議題は述べた通り、八神が早朝訓練へ行けるようにセットしていた時刻を、迅が通常出勤の時刻へ変えていたことだ。

 

 それでも体感的に起きる時間を察した八神は、当初の予定時刻より少しだけ遅く目覚めた。けれど、今回は起きられても次回も起きるとは限らないので、目覚ましを消されない為にも迅をたたき起こしたのだ。

 

 

「なんでって言われると、寂しかったからかな」

 

「え」

 

 

 眠気で重い瞼を上げた迅が八神の意表を突く。

 

 

「だってさ、朝起きても玲がいないし布団冷たいし、朝ご飯も1人。昼間は仕事だから仕方ないけど、時間合うの夜だけってなんか寂しいだろ?」

 

 

 訴えられる内容に八神は眉尻を下げる。八神自身も多少は気にしていたのだろう。

 

 それを認めて、今度は迅がキリッと表情を引き締める。

 

 

「俺はもっと玲とイチャイチャしたい!」

 

 

 宣言より懇願である。 

 

 温泉宿から帰ってきて以降、甘さは平行線であり、以前よりも仕事に一層努力する姿勢を見せる八神に、迅は「もうちょっと束縛してもいいかな」と欲が出たのだ。

 

 

「もう少しお互いに触れ合う時間を作らないか?」

 

「うん……そうだね。ごめん、悠一に甘えすぎてた」

 

「違う違う。むしろ甘え足りないの。もっと俺にワガママとか言ってよ」

 

 

 少しだけ俯いてしまった八神に、迅は優しく促す。

 

 迅には『頼られたい』という男としての想いがあった。

 恋人になる前から八神はあまり他人に頼ることがなく、ほとんど自らの努力だけで目標を達成してきた。それがどれだけ凄いことで、恋人の心をやきもきさせていたことか、八神には自覚がない。

 

 学生の頃から行ってきた八神の努力はきちんと実を結び、組織にも影響を与えていく程に成長した。迅はそれを理解しているし、同じ組織の一員として尊敬もしている。

 恋人同士となっても、その認識は変わらなかった。

 

 けれど、迅は温泉に行った日に思い直す。

 

 今まで迅は迅なりの愛を、八神は八神なりの愛を。

 それぞれが想い合いながら、どこかすれ違っていたのだ。八神は迅の考えを自然と読み取るが、迅はそうではない。

 

 その為、少しばかり奥手な恋人の心に踏み込むべく、こうして時間を作ったのだ。

 

 

「わがまま……って言っても、すぐに思いつかないよ」

 

 

 八神にとって迅との触れ合いは充足しており、して欲しいことも急には思い浮かばない。強いて言うならば、目覚まし時計を止めるなだろうか。

 

 困ったように眉尻を下げた八神に、迅はニヤリと笑った。

 

 

「じゃあ俺は、毎朝"おはよう"のキスで起こされたい」

 

「え"……はぃ」

 

 

 思わぬ要望に八神は瞠目するが、とりあえず頷いた。

 

 迅は足を正座から胡座へ変えて要望を続けていく。

 

 

「昼と夜は仕方なくても、朝ご飯は一緒に食べたい」

 

「うん」

 

「出勤する時は"行ってきます"と"行ってらっしゃい"のキス」

 

「……うん」

 

「帰宅したら裸エプロン」

 

「ぅん?」

 

「で、"おかえり"のキスからの『お風呂にする? ご飯にする? それとも、私?』って言ってほしい」

 

「…………」

 

「それから一緒にお風呂に入って」

 

「まてまて待て待て! 途中からオカシイ!」

 

 

 ぶんぶんと、首と両手を横に振って否定する八神に、迅はわざとらしく首を傾げる。

 

 

「お風呂じゃなくて玲を選んだ時の話が良かった?」

 

「ち、ちがうっそこじゃない! 裸エプロンって何!?」

 

「そのまま裸にエプロンだけど、知らない?」

 

 

 迅の言葉に八神は黙った。ほんのり赤くなっている顔のまま目線を逸らす。

 

 

「知ってるけど……今の季節だと、さ、さむい、じゃん」

 

「……ほう」

 

 

 八神の言い訳に、迅は未来視でとある光景を視る。

 

 しかしそれに意識を向けては、この話し合いにてなし崩しになる為、なんとか目の前にいる八神に集中する。

 

 

「悠一の、その、わがままは分かったけど……もうちょっとハードルを下げてほしいです」

 

 

 真っ赤と言うほどではなくとも、顔を赤くした八神が正座を崩して迅を窺う。

 

 意図せず上目遣いになった八神に、迅は目を擦るように手で覆って感情を誤魔化し、それからヘラリと笑って目を合わせた。

 

 

「結構下げてるよ。なんせ俺は毎日でも玲を抱きたい」

 

 

 迅のストレートな言葉に、八神は今度こそ真っ赤になって俯いた。長い黒髪がふわりと流れる。

 

 

「ま、毎日は、こまる」

 

「うん」

 

「だって、子づくりするわけでもないし……べつに、悠一の子どもがいらないってわけじゃなくて、えと」

 

 

 普段はハキハキと物を言う八神の姿からは想像出来ないほど、もじもじと言葉に迷う姿は、迅の視覚へ暴力的な威力を発揮する。

 それを甘受しながら、迅は男としての衝動に耐えて先の言葉を待った。

 

 ぎゅっとシーツを握って顔を上げた八神の目は、恥ずかしさでうっすらと涙の膜が張っていた。

 

 

「気持ちよくて、悠一のことで頭いっぱいになって……バカになっちゃうから、だめ」

 

「っ、俺はそれでいいよ」

 

 

 迅は後に語る。『昔は我慢できる男だった』と。

 

 

「玲はちょっとくらいバカになっても可愛いよ」

 

 

 我慢をしても滲み出た欲情を隠せなかった迅が、とろける笑みと共にそう言えば、八神はビクリと反応してそっぽを向く。

 

 その拍子に潤んだ瞳から涙が一粒だけ流れ落ち、慌てて自分の指で拭いながら少しだけ雄から逃げるように膝をもじりと動かした。

 

 

「かわ……やだ。だってバカになったら、悠一を幸せにできない。ただでさえ、私負担になってるのに……」

 

「その負担が俺の幸せって言ったら?」

 

 

 首を振る八神に迅が優しく諭せば、さらに否定しようとする。

 

 

「そんなわけっ」

 

「あるよ」

 

 

 八神が顔を正面に戻す前に、迅が腕を伸ばして体ごと引き寄せる。柔らかく、熱を帯びた体を足の間でしっかりと抱きしめた。

 

 さながらそれは、独占欲の顕れというよりも、八神に縋っているようにも見えた。

 

 

「昔、玲が俺に『自分の力なら自分の為に使え』って言ったの覚えてる?」

 

 

 戸惑いながらも小さく頷く動作を首筋に感じながら、迅は囁くような声音で告げた。

 

 

「だから、俺は自分の為に使ったんだ。お前が死ぬってわかっても、俺が、俺の為に玲が欲しかった」

 

 

 罪を告白するかのごとく、迅はそっと言葉を続ける。

 

 

「玲が死なない未来は、俺じゃない誰かと一緒になるものだった。けど……俺はそれを許せなかったんだ。

 笑うのも、泣くのも、愛してるって言われるのも、俺の物にしたくて……玲が俺だけを見るように使った」

 

 

 きっかけは何だったのか。それは今となっても迅には考え及ばない。

 

 ただただ、"いつの間にか"好きになっていたのだ。

 "好き"という感情は溢れ、心の制御はザルのように意味がなくなった。

 

 交通事故など、苦悩なんて言葉では片付けられないほど迅を迷わせた。

 

 初めての感情の暴走に、迅は最後まで『八神を事故から助けるか否か』と折り合いがつけられなかったのだ。

 しかし、八神がいなくなった未来を視た時、ぽっかりと胸に穴が空いたように錯覚する。母や師、仲間を喪った時とはまた違う空白は、じわりじわりと迅を苛んだ。

 

 それでもはっきりと結論を出せないまま時間は進み、未来がズレ、いざ八神が助かった時には、空いた穴からより強くなった恋情が飛び出してきた。

 

 その感情が苦しくて、嬉しくて。

 空いた穴から溢れるモノに、迅の心はもう手離すなんて考えられなかった。

 

 

「玲はこの前俺にひどいことしたって言ったけど、俺の方がよっぽどひどいことをしてた。許してくれなくていい。けど、だから、玲はもっと俺に」

 

「悠一」

 

 

 今まで静かに聴いていた八神が、言葉を遮るように迅の首筋から顔を上げて名前を呼ぶ。

 

 離れるような動作に、迅は返事よりも先に腕の力を強めようとした時。

 

 

「───」

 

 

 熱く柔らかな唇が、迅の冷めた唇を塞いだ。

 

 次いで、華奢な白い手が迅の頬に添えられ、冷え性の彼女にしては珍しく温かい指先が耳を擽る。

 

 深い口付けではなく、ただ触れ合わせて表面をなぞるキス。それなのに2人の顔は熱を持ち、息が乱れていく。

 

 微かなリップ音を最後に唇を離せば、八神は優しく微笑みを浮かべた。

 何か言おうとした迅の唇に、今度は指先を当てて言葉を遮る。

 

 

「私、すっごく幸せ者だ。だってそんなに想われて、愛してる人と今も一緒にいる……」

 

「……玲」

 

「どういう経緯でも思惑でもいいよ。最終的に選んだのは、私が自分の意思で、迅悠一を選んだの。

 八神玲の愛する男は迅悠一、ただひとりです」

 

 

 きっぱりと言い切った八神の目がしっかりと迅を捉える。

 

 "たられば"を言い出せば切りがなかった。だが、目の前にいる八神の瞳には己しか映っていない。

 迅に他人の心情を深く読み取る術はない。それでも、心の底から愛する女が同じように、真剣に愛を伝えているのだと理解した。

 

 迅はゆっくりと腕を解いて八神の頬へ触れた。

 もう必要以上に拘束する意味はない。以前のような己から離れていく愛ではないのだ。

 

 

「わがまま、いいかな?」

 

 

 猫の仔のように迅の手に頬を寄せ、両手を添えた八神が迅を見上げる。

 

 

「ずっと、私のこと愛してほしい」

 

 

 当たり前のことを八神は我が儘だと言う。

 彼女らしい、とも迅は思うが、それ以上の我が儘を言って欲しいのにとも心が沈む。

 

 それでもせっかくの甘い我が儘を無碍にする気もなく、深く頷いて微笑んだ。

 

 

「いいよ。俺のことも愛してほしい」

 

「うん。あとね……結婚したら子供ほしいな。悠一にいっぱい家族を作ってあげたい」

 

 

 ふわりと笑みを浮かべた甘い要望に、沈んでいた心が一気に浮き上がる。

 精密射撃を受けたように迅の心臓は打ち震えた。

 

 

「っ」

 

 

 何故ならば八神のそれは、八神から迅へ初めての"未来の約束"だったから。

 

 迅には未来視がある。

 そのせいか、他人が迅へ未来の可能性を述べることは少ない。ましてや、不確かな言葉だけの"約束"など「未来を視れるなら知ってるだろ?」と告げられる。

 

 まさしくその通りなのだが、迅はだからこそ確実な未来へとする為に言葉が欲しかった。

 

 そういう点で言えば、八神は迅に対して"普通"に接していた。

 決して「サイドエフェクトを使えば~」とは言わず、迅の方から告げない限り深く探ることもしない。八神はただ寄り添い、在るがままに受け入れてくれていたのだと、ふと迅は思い至った。

 

 だがそんな八神でも、先を見据えた"未来の約束"を口にすることはなかったのに───。

 

 ぽたり、ぽたりと雫がパジャマを濡らし、一拍後に八神ではなく己が泣いていることを迅は自覚した。

 自覚した途端、迅の涙は量を増し、止める方法など分からないまま茫然とする。

 

 八神はそれを揶揄することもなく、そっと目を閉じて広い掌に唇を寄せた。

 

 

「私のわがまま、叶えてくれる?」

 

 

 瞼を上げた八神の黒い瞳は熱を持ち、期待とほんの少しだけ不安に揺れていた。

 

 

「っもちろん」

 

 

 迅は涙を拭うよりも先に頷いた。

 頬に添えていた手をスルリと後頭部へ動かし、もう一つの手は細い腰を抱き寄せて、華奢な肩口に額を置いた。

 

 涙は依然として流れ、八神の肩口を濡らしていく。

 

 迅の人生に歓喜の涙を流した経験なんてなかった。悲哀と悲痛の涙はあったはずなのに、これほどまでに心が揺れる涙の止め方など知らない。

 

 よしよし、といつかのように柔らかい手が頭と背中を撫でるのを感じながら、迅は「やられた」とどこか冷静な部分で内心呟く。

 

 八神をもっと甘やかしたくて時間を作った筈が、結局己がこの立場に甘んじているのだ。

 どう足掻いても迅の方が先にギブアップしてしまう。

 

 

「かなわないなぁ」

 

 

 身も心も虜にしたくて奮闘しているのに、反対に染められているのは己の気がしてならない。

 共に過ごしてそれなりの時間が経つのに、迅を魅了する八神の底が知れなかった。

 

 八神は学生の頃より綺麗になった。それでも華やかさより素朴で清楚な雰囲気が強い。

 

 だが、ふとした瞬間に、迅によって花開かれた女の顔を覗かせる。そして少女のように悪戯っぽく、戦士のように凛々しく、子犬のように弱々しく、慈母のように包み込み、悪魔のように残酷に、娼婦のように蕩ける───様々な顔を魅せ続けるのだ。

 

 八神本人にも無意識の領域で、男を惹きつけて止まないそれに、迅は息を吐く。

 

 

「ん?」

 

「、なんでもない」

 

 

 迅がポツンと呟いた小さな声は、目覚ましのアラームによって八神に届くことはなかった。

 

 

 




出そうか迷いましたが思い切って解釈メモを開示。

 ・「サイドエフェクトを使えば~」
 ↑の言葉は副作用持ちは言われ飽きた言葉なのかな、と思いました。ある意味の『特別扱い』で悪気はなくとも、良い気分ではないかと。
 悪意を持って言ったのなら、それは最大級の挑発であり侮辱だと受け取れそうです。空閑が影浦へ言った時はおそらく完全な挑発行為。あの場面は影浦が"挑発"という感情を受信したからあっさり終わったのでしょう。けれども、先天的な影浦と後天的な空閑(しかも戦場慣れ)だと、侮辱と感じる度合いに差があると思われます。
 城戸司令が空閑へ上記の言葉を言った後、すぐに謝ったのは空閑有吾との長い付き合いで副作用持ちへの対応を心得ているから。対する空閑があまり気にしていないのは、戦争で副作用の利用に慣れており「副作用持ちはそういうモノ」と捉えているから。なんて勝手に解釈しました。
 その点、八神は拘りません。迅相手に未来視で知られていようがなかろうが言動は変わらず、基本的に日常では頼りません。詮索するのも(トラウマにより)好きではないので、本当に必要な時か気になった時しか探りません。ただし戦闘が予測される場合はまた別となりますが。
 能力を知りながらもそういう『普通の扱い』が、迅が八神に惹かれたポイントの1つでもあります。

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