この話にサブタイトルを付けるなら、
『欲を満たせば笑顔になる』です。
八神視点
昨日はたっぷり寝たおかげでスッキリと起きることが出来た。
夏目ちゃんに話の途中で眠ってしまったことを謝ったら「気にしてないッス。ちゃんと休んでください」とかなり心配そうな声音で告げられた。体調管理不足で本当に申し訳ない。
本部で悠一に膝枕されるという光景を当真くんに撮られて拡散され、沢村さんには「だから言ったでしょ」と呆れられた。
ちなみに画像の中で悠一は上着を私に掛けてくれて半袖シャツ姿でピースしているのだが、拡散先で「季節感(笑)」とネタになっているらしい。確かにまだ2月なので半袖はちょっと違和感があるかな。トリオン体だから寒さはないみたいだけど。
そういえば、筋肉質な人、例として木崎さんは冬場でも半袖という時があるけど、筋肉の熱量がある故に寒くないのかもしれない。
ぐだぐだと取り留めのないことを考えながら朝食を作り、すぐに皿へと盛れる状態にしてから寝室へ向かった。
「ゆう……」
扉を開けて呼び掛けようとして途中で止める。
金曜日の朝に言われたことを思い出したからだ。"おはよう"のキスで起こされたい、と。
土曜日の朝は私の方が遅かったから悠一に起こされて、日曜日の朝は基地に泊まったため、実質的に今日が実行のチャンスらしい。
しかし、チャンスと言っても……どうしよう。
普段なら呼び掛けたり、肩を揺すったりすれば悠一はぼんやりと目を開けて、10分後にはリビングへ現れる。正直、キスだけで起きてくれるのか不安です。だって寝てる間にキスされても私はわからないし、悠一だって私が仕返しにキスマークをつけても起きなかったし。
そろりとベッドに近づいて──それから、自分の行動に呆れた。なんで私、起こさないように配慮してるんだろう。
おかしなことにドキドキと緊張しながら、気持ち良さそうにスヤスヤと眠る顔の隣に手をつく。
寝てる時の顔ってなんでこんなに無防備な感じでかわいいって思っちゃうんだろう。
ハッ、いかん。思わずマジマジと観察して目的を忘れるところだった。
「ん……」
そっと頬にキスしたが、案の定起きてはくれなかった。
こういう時って「ちゅっ」と音を出した方が良いのかな? あんまり得意じゃないんだけど、さっきのじゃあ起きないみたいだしなぁ。
もう一回頬に挑戦するが、上手く音が鳴らない。むしろ無音である。海外の人って凄いな。
場所が悪いのか、と額や顎にもしてみるけど上手くいかない。一回だけ「ちぅ」と小さい音が鳴ったくらい。悠一も起きてくれないし、これはもうちょっと練習が必要のようだ。
キスで起こすという思わぬ難題に、自分でも眉尻が下がるのがわかった。とりあえずは悠一を起こさなくては。
でもなんで起きてくれないんだ。いや、私がキス下手だからだし八つ当たりだってわかっているけど、悔しくてちょっとムッとした。
「悠一、おきて……っむ」
露わになっている耳に唇を近づけて、耳朶をかぷと甘噛みした。ビクリと動いた悠一に歯を外して唇だけでむにむにしてやる。
次いで「起きろ」と念じながら肩を軽く揺すってやれば、反撃で耳を引っ張られたので顔を上げる。
「朝から大胆すぎなんだけど……」
しっかりと目を開いて、うっすらと顔を赤くしている悠一が憮然とした表情になっていた。
やっと起きてくれたことにひとまずは安堵。あれで起きなかったらどうしようかと。
「おはよ悠一」
「おはよ……あのな、玲ちゃん」
「うん?」
耳から手を離されたが、ガッチリと二の腕を掴まれてしまった。
あれれー? 恨みがましい目で見上げられているんだが。
「勃った」
「…………」
「たっ」
「さぁて! 朝ご飯の仕上げが私を呼んでいるようだ! 早急に駆けつけなくては!」
掴まれていた腕をパッと解く。結構本気で掴まれていたっぽいが、オーケーオーケー問題ないっ。
まさか
恋人に使うとは思いもよらなかったけど!
「玲」
「じゃ! ご、ごゆっくり!」
脱兎の如く逃げる際、めちゃくちゃ
お、恐ろしすぎる。何故だ、なんでそうなるっ!?
音が出るキスは上手くいかないし、恐ろしい宣言を貰うしで朝から散々である。やっぱり悠一のワガママって難易度が高いよ。
でも"おはよう"のキスくらい一般家庭もしてるよね……練習が必要だ。
「おはよう。清々しい朝デスネ!」
リビングに来た悠一に改めて挨拶する。
決して時計を見てはいけない。大丈夫、出勤には余裕だから。
テーブルへ着いた悠一は頬杖をついて、朝食を並べる私に向かってこれ見よがしに大きなため息を吐いた。ははは、おい。
「うん、おはようさん。おれは朝からピンクな気分だよ」
「ダイジョウブだいじょうぶ、ブルーよりマシだって」
「ある意味ブルーなんだけど」
「う、うーん? それって私のせいかな?」
「もちろん。あの状態で置いていかれたオレは傷心中です。割とマジで」
「ひどい冤罪だ、論破しなくちゃ……いただきます。えっと、じゃあキスで起こすの止めた方がいい?」
「どうぞ続けて下さい。いただきます。でもなんで口にはしてくれなかったの? 待ってたら違う方向になったし……いや、あれはあれで
向かい合わせで座った悠一が味噌汁のお椀を片手に、ブツブツと煩悩を垂れ流している。きっとまだ寝ぼけているんだ、そうに違いない。
というか、待ってたってことは起きてたのか! ため息を吐きたいのはこっちもだよ。
「あのねぇ、ベッドの上で口にキスしたら夢中になっちゃうでしょ」
釈然としない気持ちになりながら、唇にしなかった理由を答えた。
ちょっと恥ずかしいけど、悠一とキスするのは好きだ。それに家の中なら人目を気にしなくて良いし。煩悩的に言えば、その、気持ちいいし、何より『愛されてる』って感じるから。
悠一以外とキスしたことないから差なんて知らないけど、あんなに気持ちいいのにキスが嫌いな人っているのだろうか。
けれど好きとは言え、お互いに働いている身。朝の貴重な時間をゆっくりのんびり過ごす為には、歯止めの効かないベッドの上でよりソファーの方が良い。
私がしっかりしなくちゃ。
「ほんとさ、玲ってさあ」
若干俯いて、お椀を置いた左手で顔を覆った悠一が自棄ぎみに喋る。
「なぁに?」
「いいよ? オレとしては嬉しいよ? でもな、マジで夜は覚悟して」
うわーどうしよう。左手の隙間から覗く目がギラギラしてますよこの
とりあえず悠一は、右手の箸で摘まんだ沢庵を早急に食べるべきだと思います、はい。
「なんのことかなー、えーと、そういえば今日は玉狛支部に行くよ。夜ご飯も支部でいただこうかなーとか思っていたり」
「ああ、メガネくんの用事ね」
「そうそう。訊きたいことがあるからって」
突然の話題転換だったが、悠一は特に突っ込むことなく乗ってくれた。ぽりぽりと沢庵も食べてくれた。ホッとする。
一時凌ぎかもしれないけど、あの話題が続けば更なる地雷を踏みそうだったから仕方ない。頼んだぞ、未来の私。頑張れ。
夕方。
『───ってとこだな。動きはそこまでねーな』
「わかりました。順調そうでひと安心と言ったところでしょうか」
冬島隊長からの報告をスマホ越しに聞きながら、エコバッグを提げて道を歩く。
途中で見掛けるご近所さんや顔見知りが手を振ってきたが、電話中だと見て声までは掛けられなかった。
私はそれに会釈と笑顔を返して玉狛支部へ足を向ける。
『対外秘だからこその運用だなこりゃあ。普段だとここまでエネルギー割けらんねーし』
「そうですね。前回のことがあって民間から特に何も言われないことも大きいです」
『なんだ計算済みか?』
「まさか。ただこれからも活動を広げるならそうなればいいなぁ~くらいしか」
『結局は考えてたんだろ。っと、俺は明日非番だな。なんかあれば連絡してくれや。出るかわからんが』
「じゃあ用がある時は緊急回線にしますよ。ゆっくり休んで下さい。事が始まれば大忙しですから」
『へぇへぇ』
通信を切って端末をポケットに仕舞った。
トリオン体の内部通信を利用しないのは、一応の警戒だ。
敵は既にこちらの世界に入り込んでいる。トリオン関係はこちらの世界よりも
エコバッグの持ち手を握り直して、もう少しだと気合いを入れた。
計画は今のところ順調。
明日の非番は太刀川隊と冬島隊だ。とは言え、太刀川隊のほとんどが本部基地に常駐しているし、冬島隊も似たようなものなのであまり関係ない気がする。
A級部隊の上位が非番で戦力が不安視されたが、侵入直後に攻めてくる相手でないことは判っている。むしろ戦力となることを当の2部隊員が理解しているからこそ、隊長たちは本命に備えて休みを取ったのだ。
私の場合はまた違ってくるのだが、色々と立場を貰っている上、それに納得しているから良いんだ。
たどり着いた玉狛支部の玄関でトリガーホルダーを認証させてパスを入力する。
開いた扉を潜って挨拶をするが、誰にも出迎えられなかった。ちょっと寂しい。
一応、玉狛第一も第二もいるみたいだけど、今は訓練中なのだろう。陽太郎くんと雷神丸はヒュースと居るようだし、林藤支部長も部屋で仕事中。少数精鋭だから仕方ないね。
要冷蔵の食材をササッと収納してから、そのままトレーニングルームエリアへ向かうと、学生服姿の烏丸くんと三雲くんがベンチに座り作戦ボードを使って話し合っていた。
先に気づいたのは、出入り口方向へ体を向けていた烏丸くんの方で、彼が会釈すると三雲くんも私に気づき慌てて挨拶する。
「こんにちは烏丸くん、三雲くん。話し合いがまだあるなら、私はご飯の仕込みでもしてこようかな?」
「え、あ」
「はい、お願いします。修、続きだ」
「は、はいっ」
何か言い出そうとした三雲くんを烏丸くんが制したように見えたが、師弟だし何か大事なことを教えている最中だったのだろう。悪いことをした。
キッチンへ向かい当番表を確認すると、どうやら今日の当番は烏丸くんらしい。冷蔵庫の中にはイタリアンの材料が揃っていたのでそうかな、と思っていたけどね。
賞味期限が近いものもなかったし、私と悠一の分まではなかったので、イタリアンは明日に回してもらおう。
さて、今日の献立はハンバーグだ。
玉ねぎをみじん切りにしてレンジで温め、その間に付け合わせのスープとサラダの準備。パン粉は牛乳で湿らせてから既に冷蔵庫の中だ。
レンジから玉ねぎを出してフライパンで飴色になるまで炒める。飴色になったら皿に移して粗熱を取り、お米を洗って炊飯器へセットしてから飴色玉ねぎも冷蔵庫へIN。
スープを作り始めて完成間近で一旦火を止め、冷蔵庫のチルド室から挽き肉を出してボウルに移し塩・胡椒を振る。
ここでしっかりと粘り気が出るまで捏ねるのがポイントだが、手で捏ねるのはNG。何故なら手の温度でお肉の脂が溶けて肉汁が半減してしまうからだ。
「よし」
取り出したのは、ポテトサラダなどで活躍するマッシャーである。ヘラで混ぜる人が多いらしいが、私はマッシャーの方が楽だったので。やりすぎるとお肉の食感がソーセージっぽく詰まってしまう為、見極めが必要ではある。
しっかりと粘り気が出てきたら冷やしていた他の材料を入れて、手早く混ぜ合わせ、痛いほど冷やした手で空気を抜きながら小判型に整形。
熱したフライパンに凹ませた面から先に焼いて、両面とも軽く色がつく程度でオーブン用の天板へのせる。全てをのせたらオーブンでじっくりと中まで火を入れる。その合間に使った器具を洗っておく。
スープとサラダを完成させて、近所からの直伝ソースと人参グラッセを作っているところで陽太郎くんが入口から顔を出した。
賢い雷神丸はキッチンスペースまでは入って来ず、ソファーの隣で待機している。
「ムムッ! いいにおいだ……これは、ハンバーグだな!」
「こんにちは陽太郎くん。そうだよ~みんな大好きハンバーグです。もうちょっと待ってね」
「こんにちはれいちゃん! おれはハラペコだ……だがハンバーグのためなら、まてる! いくぞらいじん丸! ヒュースにおしえなければ!!」
よだれを拭った陽太郎くんは、バタバタとリビングから出て行った。元気が良くて何より。
レストランなどで出される鉄板プレートをカセットコンロの弱火で温め、枚数が多いので1枚が温まってきたらその下にまた1枚を足して、と繰り返して全ての枚数の温度を保っていく。
ソースとグラッセが完成したところでオーブンの方も終了した。天板を取り出し、肉汁がほとんど溢れていないことに満足する。天板から剥がして、再度フライパンできっちりと焼き色をつけていく。
ハンバーグの焼きを確認してから、鉄板プレートをキッチンペーパーを敷いた木製受皿へ置いて、ハンバーグを移し、ソースを掛けるとじゅわっと香ばしい匂いが立ちのぼった。
「ただいまー、おっ! いい匂い」
「おかえりー。丁度良いからみんなを呼んで来てくれるかな?」
「いえっさー」
帰ってきた悠一を早々に使ってしまったが、鉄板が冷めないうちに仕上げる必要があるので仕方なかったんだ。疲れてるのにごめんなさい。
人参グラッセも鉄板プレートへ載せてから、鉄板と受皿の間に挟んでいたキッチンペーパーを取る。
油やソースの跳ねで受皿を汚さない為の物なので、敷いているかいないかで見た目の印象が結構変わるのだ。
お肉料理マスターの木崎さんが居るので、私も負けないようにハンバーグ作りは拘っていますとも。
スープとサラダもテーブルへ並べたところで、支部の皆が続々と揃い、運ぶのを手伝ってくれた。
陽太郎くんのハンバーグはヒュースが運んでくれたので火傷の心配もない。かなり仲良くなっているらしい。
「そんじゃ、いただきます」
「いただきます」
林藤支部長の音頭に続いて全員が手を合わせてから、それぞれが食事を開始した。
何気にヒュースが合掌をしていたのは驚いたが、玉狛支部に馴染んでいる証拠だろう。
「っ!?」
ナイフとフォークを慣れた様子で使っていたヒュースが、ハンバーグを口に入れた瞬間カッと目を見開いて固まった。
向かい側にいた私もそれにビックリしたよ。
「どうしたヒュース? お水いるか?」
「いや、いい」
ヒュースの隣に座っていた陽太郎くんが声を掛けると、言葉少なに断ってやっと咀嚼を始めた。
ちなみに陽太郎くんのハンバーグは既に切り分けてあり、食べる前に小皿へ移すかきちんと『ふーふー』することを義務付けている。
「美味いだろー? 何せおれの婚約者が作ったからな」
私の隣でニヤニヤと笑う悠一が、左手に付けた揃いの指輪を指してヒュースに言う。
するとヒュースはハッと私たちの指輪を見比べて眉根を寄せて黙り、ハンバーグをジッと見下ろしてから視線を上げた。
「……
「言うねぇお前」
「本音を言ったまでだ」
そこまで言ってヒュースはまたハンバーグを口に運んだ。
かなりポーカーフェイスを頑張っているが、木崎さんや烏丸くんと比べたら判りやすい。ハンバーグが口に合ったようで良かった良かった。
捏ねる段階でも、焼きの段階でも無駄な肉汁を出さなかったハンバーグ。
ナイフをスッと受け入れた瞬間、じゅわ~と初めて溢れる肉汁が食欲をそそる。一口大に切って「ふー」と冷ましてから口へ運べば、やはり最初に感じるのはお肉の食感。次いで玉ねぎの甘さ。そして、噛むと肉汁がまた出て、直伝のソースと絡み合う。
肉汁たっぷりなのにくどさは一切なく、噛む度に味覚へと訴える濃密な食材の旨みに自然と表情が綻ぶ。
うんうん、我ながら良い出来だ。こればかりは自画自賛をさせてほしい。
「うまい。れいちゃん、おれのおよめさんになるか?」
「ふふ、ありがとう陽太郎くん。でも悠一のお嫁さんになりたいかな」
「残念だったな陽太郎。玲を嫁にするには15年早い」
大人げなくフフンと笑った悠一に呆れるが、でもちょっぴり嬉しい。美味しいご飯も相俟って心がぽかぽかする。
陽太郎くんは唇を尖らせて「らいじん丸のおなか、さわりほうだいなのに」と拗ねたけど、ハンバーグを食べればコロリと笑顔になった。
みんな大好きハンバーグはやはり正義。
キスでリップ音を出せない人は一定数います。
リップ音の出し方は何通りかありますが、上手く出すにはコツがあるのだとか。
『おはようのキス』で起こす家庭がどれだけいるのか作者には不明です。おそらく八神の周囲にはそういう家庭が多かったのでしょう。