更新するかどうかはまだ未定です。
「――ふむ、ようやく許容安定度の範囲内に収まったみたいだ」
複数の研究者も感嘆の音がスピーカー越しに聞こえても、最後まで耳に入ってきたのは“先生”の声だけだった。
一人の女性から発せられたその言葉を聞き、その意味を理解した瞬間に彼は拳を握りしめながら、小さくその喜びを顕わにした。
「よし……これで、次に進める!」
ここまで来るのにかなり時間が掛かった気がする。具体的にどれくらいかと聞かれると約一年ほどなのだが、一所懸命に実験を続けてきたため実際には二倍にも三倍にも感じていた。本当にこのまま続けて先に進めるのか、と“
しかし、彼は実験を投げ出さなかった――いや、投げ出さずにはいられなかったのだ。何としてでも彼はこの実験を完遂しなければならない。
それが、彼と彼女に共通した使命なのだから――
* * * * *
それが今の彼の名前である。昔は仮に付けられた別の姓だったが、今は一人の女性と義姉義弟関係であるために木山と名乗っている。
「……長い一年、だったな」
実験室から出てきた木山を出迎えてくれたのは“先生”――
なぜ先生と呼んでいるかと言うと、“実験者”と“被験者”の関係であり、今もあまり変わっていないからである。それに、いくら義姉弟であると言っても今更に呼び方を変えるというのは難しい事であった。
もちろん先生は昔から変わらず木山の事を名前で呼び続けているので、この事について気にしたことは無いだろう。
「本当にね……。でも、まだまだこれからだよ――」
そう、この実験――“
一段階目は“能力体結晶”――体晶を用いた暴走能力の法則解析用誘爆実験による被験者の厳選である。体晶は木山の脳内からの分泌成分を元に作られており、彼以外の被験者に適応性が有るかどうかを調べるという実験だった。
被験者として体晶を投与されるたのは、全員が小学生低学年あたりの、
また、先生とは最初から気が合ったというのも大きく影響していた。
そうこうしている内に実験当日はあっという間にやって来ていた。暴走能力の法則解析用起爆実験――いや、建前は“AIM拡散力場制御実験”という実験が行われていた。
木山と先生に伝えられていた実験内容は、彼の能力によって発生するAIM拡散力場を、微弱量被験者の脳波に干渉させることで能力開発を円滑に進める、という技術を開発するものだった。先生曰く理論上は成功する可能性が高い上に、被験者には短時間の副作用である頭痛が生じるだけ、とのことだった。
そのため、木山も先生も、そして被験者である子供たち全員も……笑顔のまま実験を開始した。
――結果は失敗だった。
子供たちは昏睡状態に陥り、今もその状態がずっと続いている――
(いや、今はやめよう――)
これ以上思い出しても、過去の自身への苛立ちと罪悪感しか沸いてこないのだ。先が見えないでいる彼らのためにも、自分たちが前を見ないでどうするのか――
「改めて結果を見たが、第二段階はかなり良いレベルで成功していたよ」
先生から渡された用紙を木山は受け取って目を通す。
実験の第二段階は、木山の能力の
「本当だ……殆ど、誤差が無く――ッ!」
用紙に書かれている文字列が歪み、視界が不鮮明になり始めたのを感じた時には、先生に体を支えられていた。
「大丈夫か?」
「……ああ、いつもと一緒」
最初こそは嘔吐や吐血を繰り返していたものの、一年も経てば自然と体が慣れていた。今となっては体晶一個あたり数分の頭痛程度で済むようになっている。
「先生、ありがとう。もう大丈夫」
「……本当か?」
「本当だって。ほら、ぜんぜんふらつかないし」
お互いにこの副作用には慣れているのだが、先生はいつまで経っても木山の事を心配してくる。それは、一年前のあの事件を境目にして木山が唯一の生徒であるからだろう。そのため、多少過保護になってしまうのは仕様が無いことだった。
「一応検査したほうが……」
「大丈夫だって! 取りあえず着替えてくるから、少し待ってて」
「……あぁ」
ようやく先生から解放された木山は、足早に更衣室へ駆け込んだ。いくら義姉と言えども、血がつながっていないのだからあれだけ密着していると意識せずにはいられない。だから、最近は彼女となるべく距離を置こうとしているが……上手くいっていないのが現実だ。
(まあ、これからもっと忙しくなるわけだし……)
そこまで心配しなくても、木山は先生と必然的に疎遠になっていくだろう。
何故なら、一週間以内には実験は第三段階に入るからである。今後、今回成功した実験の検証や木山の身体調査などを手早く行われていくことは目に見えている。
(結局、第三段階についての情報は無し、か……)
実のところ、実験の第三段階については何も知らされていない。いや、正確にはまだ方針が決まっていない、と言ったところだろうか。この計画に大きく加担している先生が分からない、と言うのだから、本当なのだろう。
まあ、今まで基礎的な内容をしていたため、今度は応用を利かせた実践的なものであるに違いない。実は第四段階がある、などと言われない限りはほぼ確実と言っていい。
(どんな試練でも、超えて見せるさ――)
この確固とした意志がある限り、木山はどんな過酷な実験でもやり遂げるだろう。いや、やり遂げるしかないのだ。この実験そのものが、木山の人生そのものであり、それが出来ないとなれば自分は生きている価値などあるのだろうか――
私服に着替え終わると、木山はゆっくり扉を開けながら自分を待っているであろう人物に話しかけた。
「ごめん、少し遅くなって…………ん?」
いつもなら“お疲れ”と言ってコーヒー缶を差し出してくれる先生の姿が何処にも見当たら無かった。
(トイレか?)
まあ、どちらにせよ二人が戻る部屋は同じであるため一緒に行く必要もない。もしかしたら、他の研究者に呼ばれてどこかへ行ったのかもしれない。
少しだけ待っても先生は帰ってこなかったため、ここへは帰ってこないという線が濃厚であると木山は考えた。
「……よし、戻ろう」
いつまでもここでじっとしていても仕様が無いため、取りあえず部屋へ向かうことにした。廊下ですれ違う研究者たちに会釈しながら、木山はようやく目的地に辿り着いた。
“木山春生”と表札がある部屋のセキュリティーを慣れた手つきで解除して、中に入る。
(やっぱり、呼び出されたのか?)
部屋に人の気配は無く、木山の足音だけが静かに響く。
実験が成功したことで、今後の方針を決定する緊急会議が開かれたか、実験結果に間違いがあったか、という感じだろうか。この二択ならば、絶対に前者で有って欲しいが……。
「はぁ……また、散らかってる――」
机には散乱した書類や底に干からびたコーヒーが張り付いているカップ、画面が傾いたパソコンなど、見るも無残に荒れている。一昨日綺麗にしたはずなのだが、あの綺麗な机の面影は一つも無くなっていた。
先生は根っからの研究者であり、実験についてはかなり高度な技術を発揮するのだが、こうした生活力については丸っきり駄目なのである。もし木山が掃除しなかったら、この研究室もそうだが、社宅はゴミ屋敷になりそうである……。
「うわ、これ賞味期限切れてる……」
何気なく目に入ったスナック菓子の袋の数字が、木山にため息をつかせた。今思えば一年前はまだ割と掃除もできていたし、薄らと化粧をするなど、品が有ったのだが今は全く正反対になってしまっている。
(……後は義姉さんが帰って来るまで待とう)
取りあえず片付けても問題ないものだけ処理をしておいた。一番机が散らかっている原因の書類については、先生が居ない状態で片づけることは出来ない。
何故なら、前に彼女が部屋を空けている間に勝手に書類を整理した時に、酷く怒られたからである。本人曰く、書類は自分が置いた状態でないと場所が分からなくなるから、だそうだ。どう見ても綺麗に整頓した方が良いと思うのだが、彼女に取ってはこの状態がベストなのである。
(少し、寝よう)
先生がいつ帰って来るか分からない上に、実験の疲れが出始めて来たため、木山は睡眠を取ることにした。今日はいつも以上によく寝れそうだ、と考えている内に木山の意識は無くなっていた。
* * * * *
「…………んん」
木山はふと目が覚めた。どれくらい寝ていたのだろうか、と部屋の時計を見ようとするが部屋は薄暗くて確認できなかった。
体を起こすと同時に机側から“カタカタ”、とキーボード特有の音が聞こえてきた。
どうして部屋に電気を付けないでいるのだろうか、と不思議に思いながら先生の方を見る。
「……先生?」
パソコンの光に照らされた先生の顔はいつも以上に暗く、そして目が充血していた。淡々とキーボード打ちこみ続けるその姿を見て、不安な感情が沸き出てきた。
“あの時と、同じだ――”
先生は木山が起きた事に全く気がつくことなく、パソコンの画面に縛られていた。木山はすぐに立ち上がり、部屋の電気を付ける――
「先生!」
「…………あぁ、君か。く、暗くて気が付かなかったよ」
木山の方を見た先生は一瞬酷く動揺した様子を見せたが、すぐに普段通りに戻った。ということは、やはり木山に関係していることで何か不味い事があったという事だろう。
彼女の動揺は一瞬であったため、電気を付ける前の彼女の様子を見ていなければ木山であっても気が付かなかっただろう。それほどに、彼女は本心を隠す能力には長けているのだ。
(書類が、片づけられている……!)
寝る前には机を覆っていた書類が、束となって置かれていた。それほどに、何か重大な事があったというのか――
「ん……もう二時だし、そろそろ帰ろうよ」
ようやく明るさに慣れた目で時計を確認すると、既に日を跨いでいた。いつもなら一二時頃になれば社宅に帰ったいるし、そもそも木山が寝ていたらいつもは起こしてくれていたのだが……。
「君は先に帰っていてくれないか? 明日の朝までに、完成させないといけなくなったのでね……」
そう言いながら、先生は忙しく手を動かし続けている。たまにこういう事もあるので、いつもならばそのまま素直に帰っているのだが……今日に限っては全く足が動かなかった。
「ん……どうした? ああ、ご飯なら私はもう食べたよ。だから、私の分は無くて大丈夫だ――」
これもいつもの会話であり、いつもの日常である。しかし、彼女の笑みの裏に見える悲痛な叫びを知っているため、胸がどんどん痛くなってきた。
「どうしたんだ……? もしかして、今日の実験の副作用が――」
「ねぇ、先生…………いや、義姉さん――」
「こらこら、研究所内ではその呼び方は禁止だろう?」
木山が“義姉さん”と言った瞬間に、先生の目が少し見開かれた。
どうして彼女は、そこまでして独りで抱え込もうとするのだろうか。一年前のあの事件からずっと一緒に実験をやってきたというのに、裏切られたような気がして堪らなかった。
「実験の第三段階の内容について、教えてよ――」
第三段階、という単語を聞いて先生は手を止めた。木山が先生の方へ回り込むと、手が震えているのが分かった。
「義姉さんと俺は、一心同体だよね? ……それなのに、どうして隠そうとする?」
「それ、は……っ」
先生は視線を逸らして下唇を噛む。パソコンの画面から何かわかるかと思ったが、よく分からないグラフが沢山あって何が何だが分からなかった。
「……義姉さんは、あの子たちを救いたく無いの?」
「そんなわけ無いだろう! 救うことが出来るのは、私たちだけなんだッ!」
「だったら、こんなところで足踏みしている場合じゃないよ?」
「分かっている……分かっているよ、そんなの……! でも、駄目なんだ……!」
少し意地悪な誘導尋問をしてしまったが、これで先生が何故苦悩しているかということが分かった。
先生がパソコンを操作して、“第三段階実験”というPDFファイルを開いた。
「他に方法が有るはずなんだ! こんな実験を君には……諒にはやって欲しくない、やらせたくないんだ……ッ!」
木山は瞳を少し潤ませている先生とは裏腹に、口角を上げながら鼻で笑った。
「なぁ、義姉さん……俺たちの決意は、そんな軟なものじゃないだろ?」
実験項目に記載されている実験内容を見ても、木山は先生の様に絶望しなかった。それどころか、ようやく第三段階の内容が分かったという嬉しさが沸き出てきたくらいである。
「なっ……!? 本気で、言っているのか!?」
先生は勢いよく椅子から立ち上がり、木山に対面した。ようやく、こうしてお互いの本心をぶつけ合うことができる――
「本気も何もないよ……やるんだ、俺は! あの子たちを救うためだったら、なんだってやるんだよ!」
もはやここまで来て手段を選べるはずが無かった。上層部に敷かれたレールを走っているだけと分かっていても、そこに少しでも可能性があると言うのならばいくらでも走ってやる――
「諒…………すまない――」
先生は木山の肩に手を置いて、鼻をすすり始める。木山は目を瞑って一年前のことを思い出しながら、強く拳を握った。
(殺ってやるよ……何人でも――)
“第三段階実験内容:
試験的に
その後、被験者の能力成長度を測定して、将来性がある場合は、第四段階――