午後の、結婚式の時間が来る一時間ほど前。会場である教会の前に一台の馬車が止まった。シャーレイとミラの二人はもちろんその馬車が止まった時、視界にその馬車が収まるような場所で隠密をしており、その馬車をパンと水片手に眺めていた。何で食べながらだったのか、と言われると単純に朝早くに朝食を食べたから腹が減った、としか言いようが無かった。
誰にもバレないように教会近くの林の木の上で待機していた二人は馬車が来る音を聞いて慌ててパンを水で胃の中に押し込むと、予め買っておいた双眼鏡で馬車を見た。ギリギリ見える、まるで貴族が乗るような馬車のドアが開き、中からはまず男が降りてきた。そして、それを見た瞬間、ミラは悪寒を感じた。まるで、背中に氷柱を入れられたかのような冷たい感覚。その感覚から、相手が明らかに人間ではない、何か力を持った存在だという事が分かり、この時間、この場所に現れるそんな存在と言えばヴァルコラキしか居ないと判断し、あの男は正真正銘ヴァルコラキだと理解した。
まるで二十代前半。いや、下手すると十代後半に思える外見。外見を見れば確かにイケメンと言えるが、シャーレイのようなレズな一般人は何も感じないにしろ、レズではない一般人が彼の姿を見たら少しはときめくであろう。それくらいに、ヴァルコラキの顔は整っていた。だが、ミラにとってはアレは畏怖でしかない。こうして双眼鏡越しに姿を見ただけで気圧され、今の状態では絶対に勝てないと分からされる。シャーレイは中指を立てながら双眼鏡を覗き込んでいるが、そんな事をヴァルコラキの目の前でやったら確実に殺される。幸いにもヴァルコラキはこちらの視線には気づいていないようだった。
「……ヴァルコラキッ」
自然とその声は出ていた。
最早確信したが故に言葉に出てしまったとも言えるが、それも仕方ない。
何故なら、ヴァルコラキは母の仇だ。魅了を使い、父から母を寝取り、そして犯し尽くして殺した仇だ。そんな物を目の前にして憎しみを込めた声が出ない訳がない。いくら物心がつく前、記憶に母の顔が残る前に殺されたとは言え、親の仇だと知れば自然と憎しみが湧いて出てくる。
今すぐにでも不意打ちで斬って捨ててしまいたい。そんな気持ちで一杯だが、自ら理性を捨ててひなたまで殺させる訳にはいかない。だから、今は理性で抑え込む。この怒りと憎しみを全て自制し、自分達の座っている枝を握りしめる。
何時の間にかリミッターをぶっちぎっていたのか、木の枝は音を立てながらヒビが入っていく。その異音を聞いたシャーレイが落ちたらミラはまだしも自分は大怪我間違いなしなのでミラの肩を掴んで揺らす事で木の枝を握力だけで折るという普通なら考えられない現象を止める。
ミラはそれでようやく止まり、木の枝がまだ二人を乗せ続ける事が可能だと数秒待って確かめてから再び双眼鏡を覗き込む。
ヴァルコラキは馬車の中から出てきてから暫く、馬車のドアの方へ向かって手を刺し伸ばしていたが、暫しして内側から出てきた手にそれを払われた。その数秒後に手を払いのけた緒本人が出てきた。
銀色の髪の毛に、純白のドレス。まるで何処かのお姫様のような、幼さを残した少女。つまりはひなただ。
「ひなたちゃん……綺麗……」
「……結構新鮮」
ミラの言葉の通り、今のひなたは今まで見たひなたよりも、女らしさとでも言うべきものが増しているようにも見えた。
その理由は、今までスカートなんて一度も履かずにショートパンツや普通のズボンを履いていたひなたがスカートの付いた、フリフリのドレスを着ているという至極単純な理由だったが、軽く化粧をされた顔と今まで以上に整えられた髪の毛、更に隻腕を隠すための人の手と大差ない精巧な義手が今までどちらかと言えばボーイッシュだったひなたから女らしさを引き出している。態度は完全に今まで通りなのでホッとしているが。
ヴァルコラキの手を払い、一人教会の中に入っていくひなたの表情は暗く、重い物だった。少なくとも、今から結婚をする人間の表情ではない。それでも後ろから声をかけて着いてくるヴァルコラキに中指を立てて教会の中に入っていったひなたを見送ってから、シャーレイとミラは顔を見合わせた。
「全然、変わってなかったね」
「……何時も通り」
婚約者相手に中指を立てるような人間なんてひなたしか居ないだろう、と二人の意見は一致し、同時にひなたに遠慮なく誘拐が出来ると改めて考えを固めた。双眼鏡を仕舞い、ミラが木の上から飛び降り、シャーレイは飛び降りてからすぐにバランスを取り、片足で立つミラの元に飛び降り、抱きとめて貰うとそのまま地面に降りた。少しふら付いたが、この程度でミラは倒れなかった。
「じゃあ、後は待機して突入を待つだけだね」
「……情報によると、後一時間で式が始まる。もう余裕はない」
「大丈夫。準備はもう終わってるから」
何度も忘れ物が無いか確認した。何度も持っている物に不備が無いかを確認した。何度も作戦自体を確認した。準備は上々。仕掛けは流々。後は仕上げをビシッと締めてこの件を終わらせるだけだ。
ひなたを殺させたりなんてさせない。犯させたりなんてしない。今持てる全力を持ってひなたを助け、そしてまた三人でゆったりと余生を過ごすだけだ。
二人は配置に着く。シャーレイは教会の入り口に近い場所に陣取り何時でも突入出来るように待機し、ミラはその後方で支援の準備を済ませている。
そして、一時間が経ち――最初にして最後のひなたを奪還するチャンスが巡ってくる。
****
ひなたとヴァルコラキの結婚式は、ヴァルコラキの身内……いや、彼が眷属化した従者達だけを招待し慎ましく行われる。
大きなイベント等は無く、形ばかりの結婚式。二人で入場し、誓いの言葉を言いあい、キスをするだけの、短く慎ましい結婚式。これはヴァルコラキが同じ場所で留まっていては余計な事が起こってしまうかもしれないという懸念によりそうなっており、何人か前の花嫁との式を挙げた時からこうなっている。
確か、十人程前の花嫁か。とある男の元に居た花嫁を連れて結婚式を開いたらその男が花嫁を奪いに来た。その剣士の男は撃退し、花嫁は花嫁として最期を迎えたが、少し彼女の知人も招待したのが仇になった。そのため、ヴァルコラキはそれから花嫁の知人も呼ばないようにしてる。面倒だから。
そうして多少無駄な事を考えたヴァルコラキだったが、既にその横にはひなたが居て、暗い顔でヴァルコラキの従者の前に立っている。既に入場は終わり、後は誓いの言葉を言ってからキスをするだけだった。
「どうしたんだい? そんな表情をして」
「……頭沸いてんの?」
色々と心の中に募る物があり、しかし既にもうどうしようも出来ないから、ひなたはヴァルコラキに対して辛辣な言葉を並べて放つが、最早手遅れと言える領域に来てしまっている。
今日、この結婚式でこのクソ野郎に唇を奪われ、夜には犯される。それが嫌で嫌で仕方ないが、突きつけられてしまった条件がそれを拒み助けを呼ぶことを諦めてしまっている。精々出来る反抗という物がこういう毒舌と辛辣な言葉。そして決して絆されないという感情、憎悪の感情。
女の体になった事を心底後悔しながら死んでいく人生になるだろう。しかし、幸せだった時間というものは少なくはない。それを思い出し目の前の男に唾を吐いて死んでいくしかない。それしか出来ない。
既にヴァルコラキの息がかかった神父が何やらこの世界の結婚式の常套文句とでも言うのか、誓いの言葉とでも言うのか。ひなたにとっては幸せ感なんて一切ない結婚式への説法のような物を口にしている。下らない、クソみたいだ。そんな気持ちを口に出してやりたいが、そんな事を口にして横の男にまた魅了された結果、この光景が最後に理性を持った状態で見た光景、なんていう展開は避けたい。
最後は自分の意志をもって死んでやると決めた以上、下手な真似はできない。
「それでは新郎、ワラキア・ヴァルコラキさん。あなたはこの女性を健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も愛し合い敬いなぐさめ助けて変わることなく愛することを誓いますか?」
「誓います」
よくもまぁ心にも無いことを。そんな事を思い視線を地面へと逸らす。犯して犯して壊した後は殺して捨てる癖に。そんな事を思い何もない地面を向く。
そして、次がひなたの番になる。
「新婦、ヒナタ・アカツキさん。あなたはこの男性を健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も愛し合い敬いなぐさめ助けて変わることなく愛することを誓いますか?」
冗談を言うな。そんな事を誓ってたまるか、と思うものの、横の視線が何やら怪しくなってきている。
言わなかったら無理矢理にでも言わせる。そんな視線を感じてしまう。
どうせ心の底から思っている事じゃない、上辺だけの言葉だ。適当に流してしまおうと半ば諦めた心で口を開く。
「誓い……ち、かい……」
だが、どうしても口淀んでしまう。
嘘だとしても、この男に対してそんな事を誓いたくない。そんな心がどうしても誓いますの一言を阻止している。
徐々に視線と共に顔が下を向いていき、ヴァルコラキの視線が厳しくなってくる。
「ちか、い……」
目を固く閉じ、口を開く。
もう逃げられない。観念しろという視線ともう逃げられない。諦めろという心が諦めたくないという心を押し込んでいく。そして、残りの言葉を、観念して口に――
「――誓わせない。そんな事、絶対に」
「……へ?」
物音一つ聞こえない会場に少女の声が響いた。
聞き覚えのあるその声が会場に響き、ひなたが顔を上げる。いつの間にか涙を流してしまっていたのであろう。少し歪む視界で後ろを向く。
その瞬間、かなり乱暴に教会のドアが蹴り開かれ、そこから現れたローブを羽織った人物が懐から何か丸い物を次々と取り出し、それを次々と協会の中に投げ込んでいく。それは地面に当たった瞬間に割れ、割れたそれからは白い煙が朦々と立ち上り視界を隠す。それはひなたの視界も同様で、隣のヴァルコラキすら見えなくなってしまう。だが、その中でただ一つ、足音が聞こえてくる。
自分へと向かって来るその足音は、止まる事無くひなたの目の前までやって来て、止まったかと思うと煙の中から手が伸び、ひなたの右手を掴む。
「うわっ!?」
慣れないヒールとドレスによってたったそれだけでバランスを崩しかけるが、すぐにまた伸びてきた手がそれを支える。
「ひなたちゃん!」
「え、シャーレイ!?」
そして、ほぼ零距離まで近づいてきた下手人がローブを取り去ってひなたを引き寄せ小さな階段を無理矢理下らせる。
濃い煙の中でも互いの顔を確認できるほど顔を近くして、シャーレイはようやく掴んだ人物がひなたなのだと確認すると、すぐに説得に入る。
「ここから逃げよう! もう準備は出来てるから!!」
「に、逃げるって……」
「外に馬車もある。ミラちゃんのお父さんももうすぐ来る。だから、一緒に逃げよう!」
時間はあまりない。近くにヴァルコラキが居る以上、死角からの攻撃が迫ってこないとも限らない。シャーレイは焦りを感じながらも自分の要件だけを捲し立てる。
大丈夫だと。策は万全だと。そう説得する。
「お願い、一緒に逃げて! 後はこっちでなんとか出来るから! だからっ!!」
涙を目に溜めながらシャーレイはひなたに縋りつくように叫ぶ。
シャーレイからひなたの表情を見ることは叶わなかった。顔を下げ、半ば頼み込むように声の限り叫んでいるから。
既に周りは騒がしく、この煙をどうにかするために換気をしろ、という声が聞こえてくる。この煙は煙玉本体から煙が持続して出ることは無く、一瞬だけだが辺り一面に煙を散布して一瞬だけでも視界を遮るための物だ。だから、換気なんてされればすぐにこの煙は外へと逃げていき、やがてシャーレイの姿は目撃されてしまうだろう。
もう残された猶予は少ない。今すぐにでもひなたの手を引いてここから出ていかないと間に合わなくなってしまう。
言うことを言い尽くし、息を切らしながら縋り付くシャーレイ。ひなたはゆっくりと自分の肩にある手に手を当てた。それに対してシャーレイはようやく顔を上げた。
手を取ってくれた。信じてくれた。後はここから脱出して馬車に行くだけだと。
「――ごめん」
だが、返ってきた言葉は、予想していなかった言葉だった。
軽く、ゆっくりと肩から手を払われ、そしてその言葉を無情にも言い渡され、シャーレイは困惑した。
なんで? どうして? そんな事を考えている内にひなたは次の言葉を口にする。
「……ボクは、ここから逃げられない」
「な、んで!? 走って外に行くだけで……」
「それでも。ボクは、離れられない」
俯きながら点々と言葉を放つひなた。それとほぼ同時に、窓が開けられる音がして徐々に視界が晴れていく。
それは、ミラのシャーレイとひなたの回収の合図でもある。あと数秒も経たない内にミラはこの教会の中に入ってシャーレイを回収する事だろう。その手の先にひなたが居なければ……それまでだ。
「本当はね、嬉しかったよ。ここに来てくれた時……ボクを助けようとしてくれた時。凄く、ホッとした」
「それなら……一緒に逃げ……」
「だから、安心して死ねるよ。最後にこうして会えただけで、満足だから」
食い気味に言葉を口にしたひなたがようやく顔を上げる。
その表情は、笑っていた。泣きながら、笑っていた。まるでもうこの世に未練は、悔いは無い。そう何の迷いもなく言える。そんな表情だった。
「ひなたちゃん……」
「でも、最後に……最後に、我儘をさせて?」
呆然とするシャーレイ。そんな彼女の首にひなたはゆっくりと手を巻き付け、そのまま彼女の体を自分の元へと引き寄せる。呆然としていた故か、ロクな抵抗が出来なかったシャーレイはそのままひなたに引き寄せられ、その勢いを少し殺した所で、ひなたと唇と合わせた。
たった一秒程度の短な、唇と唇が触れるだけの優しいキス。シャーレイが呆然としている間に行われたそれは、シャーレイがようやく自我を取り戻した所で終わり、そっと胸元を押され、後ろへと押しやられた。それに反応できず、たたらを踏んで後ろに後退すると、後ろに既に居たのであろうミラにそのまま抱きかかえられた。
「元気でね」
「そんな、嫌だよ! 私、まだひなたちゃんと!」
「……もう、時間ッ」
既に煙はたたらを踏んで離れた距離にいるひなたの全身がハッキリと見える程度には晴れてしまっている。きっと、すぐ近くの従者にはシャーレイの顔が完全に分からないにしろ、体格や着ている物、髪の毛の色等は見えてしまっているだろう。
今すぐ離脱しなければ、素性がバレてしまう。
ミラもひなたを抱えてここを脱出したい。したいのはやまやまだが、ひなたの後ろに既に何者かの影が見えているため、これ以上ひなたに近づくことが出来ない。ミラは歯を食いしばりながらもシャーレイを抱えると、ひなたに背中を向けた。その時にも、シャーレイは色々と言っていたが、それでもミラは一気に離脱するために足に力を込めた。
そして、煙の合間から外が見えた。片腕の杖にも力を込めてバランスを取りながら離脱するために一気に地面を蹴る。
「大好きだよ、シャーレイ」
その勢いのまま外へと飛び出す時、そんな声が聞こえた。
だが、その時には既にミラはシャーレイを抱えて外へと飛び出しており、振り向きざまに嫌がらせ兼復讐を込めて入り口から魔法を乱射して式場を滅茶苦茶にぶっ壊してからミラはそのまま追手が来ないように林へ向かって飛び出していった。
ひなたはそれを見送ると、目から流れていた涙を拭き煙が晴れ、代わりに氷の魔法が撃ち込まれて滅茶苦茶になった式場を見た。
「全く、よくもこんな目出度い日にやってくれた物だ」
「ボクは精々したよ」
「そうかいそうかい。で、愛しの花嫁はあの子達に着いていかなくて良かったのかい?」
「……クソ野郎が」
「花婿にそう言う物ではないよ」
散々になった式場の中。いつの間にか背後に立っていたヴァルコラキがひなたに声をかけた。
先ほどまで笑顔を浮かべていたひなたの顔は、既にそれを消し去り、ヴァルコラキを睨んでいた。
「これでは式は中止か……二度目をやる気なんて無いから、君の結婚式はこれで終わりだ」
「それはそれは光栄な事だね。こんな男との結婚式なんて挙げたくなんてないからね」
「……その軽口が何処まで続くかな?」
「そりゃ、死ぬまで」
「ふっ……小娘が、いい気になるなよ?」
「黙れジジイ」
ヴァルコラキに対し中指を立てるひなた。その様子にヴァルコラキは少なからずの苛立ちを感じているようだった。
式を滅茶苦茶にされた挙句、式場を破壊されて中止にされた。その事実はヴァルコラキを苛立たせる位にはなってくれたらしい。二人に改めて感謝をしながらざまぁみろと内心ケタケタと笑いながらひなたは立てた中指を折り曲げてから下に向かって親指を立てた。
ひなたが殺されるまでのカウントダウンは、着々と近づいてきていた。
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