馬車での旅は、前と比べてとても快適とも言えた。
予め用意しておいた食料やら何やら。それに加えて馬車内の備品がある上に馬車自体に衝撃を軽減するための処置がしてあるらしく、クッションや布団の上なら衝撃はあまり気にならなかった。それでもひなたが日本にいた頃に乗っていた車に比べればまだまだ衝撃はあるが。
一般的な馬車よりも遥かに乗り心地のいい馬車に乗って一日が経過した。その間に御者は一旦交代……ではなく新人らしい御者が先日乗っていた御者の代わりに馬車を動かし、その間に初日の御者は就寝と休憩。そして夜中いっぱい新人に動かさせた後に再び初日の御者が馬車を動かし始めた。その間に食事やら煙草やらは補給できたらしく、今でも三人のいる荷台には御者が煙を吐く音が聞こえてくる。
ひなたも昨日からずっと煙草を吸っており、昨日だけで二箱も煙草の箱を空にしていた。一応荷台にはランタンがあるのでそれを使って本などは読めるのだが、あまり沢山新しい本を買ってこなかったので読み続けてしまうとすぐに読み終わってしまい暇になってしまう。なので時々読んでそれ以外の時間は寝たり食事したり喋ったりと暇を潰していた。
ゲームなどがあれば、積んであったゲームを消化するのにはピッタリな時間だったのだが、無い物に関してグチグチ言っても仕方がない。
「……それで、その時パパが井戸に落ちちゃって」
「えっ……なにそれ間抜け……」
「……昔は一般人だった」
「あ、私も落ちたことあるよ?」
「よく死ななかったね……」
「人間って案外頑丈だから」
「……普通死ねる」
今は食事時でも読書の時間でもないため、三人はそんな毒にも薬にもならない他愛もない会話を繰り返していた。
ひなたの表情にはやはり翳りがあるが、それでも二人とも会話が楽しくないという訳ではないため心からの笑顔を浮かべていた。こんな精神的に参ってしまっている時でも見捨てずにこうして一緒に居てくれる人達がいる。それすらも今のひなたにとっては救いだった。
そうして話していると、馬車が少し今までとは違う揺れ方をした。何かあったのかと思いミラが御者に聞こうとする前に御者の方がひなた達の方へ顔を見せた。
「やばい、魔獣が近づいてやがる!」
その声は、危機感を孕んでいた。
今、魔獣避けのための結界は正常に作動している。少なくともこの世界で移動の際は馬車を使ってきたミラの目にも、この中では魔法を主体とするため魔法や魔力の知識に長けたひなたにも、装置はしっかりと問題なく動いているようにしか見えなかった。
「えっ……?」
「……結界は作動している筈」
ミラが改めて装置を触り、ひなたが結界を発生させるための魔力を使う機関等を外から見てみるが、特に違和感は無く、装置は正常に作動しているとしか言えなかった。
しかし、馬車に魔獣が近づいてきているのは確かなのだろう。御者台の方から馬を見てみると、馬は今にも暴れだしそうな雰囲気を醸し出していた。ミラは舌打ちをして馬車の中にある己の剣を手に取った。
「……私が仕留める。ひなたも、馬車の外に出てシャーレイを守って」
「わ、わかった……」
杖を片手に剣を抜き、馬車から飛び出すミラ。ひなたもシャーレイの手を握ってそれに続き、起爆銃のシリンダーの中の魔弾を一回全部排出させ、シューターが二発、シールドが四発の守りに特化した構成へと変化させる。
そして御者は馬を落ち着けさせるために御者台に戻った。
ミラが馬の前に立ち、ひなたとシャーレイは馬車の横で馬車を背にした状態で何時でもシールドを使えるように待機する。
そうして完全に臨戦態勢を整えたとき、この馬車に近づいてきていた魔獣が姿を現した。
「……狼型が十匹。熊型が五。なんでこんなに」
「落ち着け、落ち着きやがれっ!」
ミラが現れた魔獣たちを視界に入れ、そしてこれ以上周りに魔獣が存在しないことを気配で察知し、目の前の魔獣に集中することにする。
そして後ろの馬はどうやら魔獣たちを見てしまった事により動揺しているらしく、かなり五月蠅く動き回っている。ひなたとシャーレイが馬に蹴っ飛ばされないかが心配だったが、ちゃんと暴れ始めてた辺りで馬車から少し離れた場所で自分の背中にシールドを張った状態で警戒しているようだったので安心した。
「……すぐに決める」
駆除連合の一員として、そこのトップクラスとして名を馳せた少女にとって、目の前の敵は足一本が無い程度、ハンデにもならなかった。
魔力を剣に宿した状態で片足を前に、杖をその一歩後ろに配置し、一瞬の溜め動作の後に魔獣にも、人にも視認が困難な速度で魔獣の群れの中に突っ込む。そして、剣に纏わせた魔力を氷に変換し長く鋭い氷の刃を生成すると、それを体を一回転させながら振るった。
それに魔獣は反応する事が出来ず、一秒にも満たない時間で十五体の魔獣は体を真っ二つにされて消えていった。
「……終わり」
この戦い方は少し魔力の消費が激しく疲れるためあまりしたくはなかったが、逃したらひなた達の危険に繋がるし、足を失ってしまうかもしれない。だから、こうして多少の消耗は覚悟で相手を切り飛ばす事を選んだ。
剣の先に生み出した氷を消し、馬車の方を見る。これで馬も落ち着いてくれた事だろう、と。
だが、馬は未だに暴れており、この場を全力で逃げ出そうと必死になっている様子だった。それを御者は止めようと必死に手綱を動かしているが、馬が暴れだすのも時間の問題だろう。これは一旦馬を気絶させて落ち着きを取り戻させないといけないかもしれない、とミラは荒っぽい事を視野に入れた。
「……え?」
――その時、どうしてかシャーレイの発した小さな言葉が耳に届いた。
馬が五月蠅い中でシャーレイの声は間違いなく離れた場所にいるミラに対しても聞こえており、その声が呆けているような、唖然としているような、絶望したかのような。そんな、良くないニュアンスを含んでいるように聞こえた。
いや、良くないニュアンスを含んでいるようにしか聞こえなかった。
どうしてか。どうしてそんな声を出すのか。脅威は今しがた排除したのに。今こうして切り払ったばかりなのに。
――ほう、我に気が付けるか――
その瞬間、どれだけ自分が愚かだったのかを察した。
脅威は排除した? 馬鹿を言うな。馬の、動物の感性は、危機感は明らかに人間を超えている。馬が動揺しているのに人間が動揺しない理由なんて、決まっている。馬には分かる、野生の直感とも言える物が死を悟らせた時だろう。
そして、それが目の前にいる時。
――気配は殺していたのだがな。だが、良かろう――
後ろを見た。いや、正確には、己の後ろの空を。
そこには、居た。
金色の髪を風に任せ、裏地が赤の黒いコートを羽織った、赤色の瞳の男。
その背中には一対の蝙蝠のような翼があり、その体からはまるで余剰にあるからこそ無駄にしていると言わんばかりの真紅の魔力が溢れ出している。
見た瞬間に分かった。あれは、人間ではどうしても立ち向かう事なんて不可能だということを。いや、この世のどんな種族だろうとあれには敵わないということを。あれこそが、世界最強であり、この世に舞い降りた絶望そのものだという事を。世界の生み出した理不尽そのものだという事を。
「……久しいな、我が眷属よ」
その男の名は。
この理不尽と絶望を詰め込んだような存在の名は。
「ブラッド……フォード……」
「そうだ、我こそが真祖にして真祖を超えし者。ブラッドフォードだ」
真祖、ブラッドフォード。
ブラッドフォード「登場をお望みと聞いて」
三人娘「帰って!!(涙目)」