野生のラスボス降臨
真祖ブラッドフォード。その名は知る人ぞ知る。
本名は分からず、かつてブラッドフォード伯爵と呼ばれていた最強の真祖。その活動頻度は他の真祖よりも早く、そして短い。にも拘わらず名が知れているのは何故だろうか。
簡単だ。強かったからだ。
圧倒的にして無慈悲。理不尽と絶望を織り交ぜ、この世界に生きる者の頂点となるべくして生まれたと言っても過言ではない力も持ったそれは人間がその才能と限界を突破させようとも敵わない。例え真祖が束になろうとも、あの真祖にだけは敵わない。そう言われる程の、圧倒的な強さ。それを持つのがブラッドフォードだ。
一度戦ったひなただから分かる。あれには絶対に勝てないと。力を持たないシャーレイにも分かる。あれには絶対に勝てないと。人間としての限界を超えたミラだからこそ分かる。あれには絶対に勝てないと。
「まさか我の尻尾をほんの少しではあるが掴むとはな」
「あ、ぁ、ぁぁ……」
恐怖で声が出ない。
かつて仇を取るためと固めた心は仇を前にしても戻ることはなく、むしろ砕かれる。
あれには勝てない。逃げろ、なりふり構わず逃げろと本能が叫ぶ。
この場にいる全員が、逃げないと死ぬと悟っている。しかし、逃げ出すための足が動かない。奴から発せられる尋常じゃない威圧感がそれを封じ込めている。
「あの若造が余計な事をしたせいか? まぁ、よい。あれを己が力で解決したのは称賛に値する」
「わか、ぞう……?」
「確か、ヴァルコラキと言ったか。奴に殺されるようなら我が引導を渡してやっていたのだがな。だが、それを乗り越え我の尻尾としたことは褒美を与えても良い事だ」
つまり、ひなたがヴァルコラキにみすみす殺されるような事があれば、その前にブラッドフォードがやってきていた。
そんなのひなただけのバッドエンドじゃない。あの街に生きる全ての人間にとってのバッドエンドだ。
「そして、そこの娘。まさか我が眷属と運命を共にするとはな。貴様のような活きのいい小娘は暇つぶしのグールの素材に丁度良かったために狙っていたが……我が眷属への称賛はそこにもあるな」
その言葉は、ひなたとシャーレイが初めて出会った時の事を言っているのであろう。
だが、その内容はシャーレイへのショックが一番大きかった。
「ねらって、いた……? じゃ、じゃあシャロンちゃんは……」
「シャロン……? …………あぁ、あの娘か。死んでいなければ最高のグールとなったであろうな」
「お、まえが、シャロンちゃんを……」
「間違ってはいない。いや、事実だ」
自分が狙われていた、という事実ではなく、シャロンがこの男の手によってあんな姿に変えられた。
察してはいた。明らかにあの時、ひなたが吐かせたバックの存在。それがブラッドフォードだという事は、なんとなくだが察してはいた。
だが、改めてそれを事実だと肯定され、その仇が目の前にいるという事実がシャーレイの中に怒りと憎しみを募らせる。だが、それをぶつけるには至らない。至れない。ぶつけた所で自分が気づく前に肉塊に変わることが分かっているから。
「ふむ、心地よいな、その憤怒は」
その怒りと憎しみを受けてもブラッドフォードは何の気にもしていない。
一々、シャーレイ程度の木っ端を気にかけている暇はない、という事なのだろう。
「しかし、あの実験で作り出した魔獣のバックには気が付けなかったようだな」
「ま、じゅう……?」
ひなたが何とか声を捻り出す。
魔獣。気が付けない。そのキーワードから探り当てれたのは、ミラと初めての会合を果たしたとき。あの時、ひなた達の傍にいた一人の少女は体内に水の魔獣がいた。それは解決策を見出す事もできず、目の前で見殺しにしてしまい、最終的にミラが己の足を犠牲にしたあの魔獣。
「あれは我が百年程前に何匹か作って離した魔獣だったのだがな」
「……なん、だって?」
「だが、あれは我とて予想はしていなかった。仕方のない事だろう」
つまり、あの魔獣は。あの悪魔のような魔獣は、ブラッドフォードの作り上げた、本来この世界には存在しない魔獣だという事。
だとすると、あの男は、ひなたがかつて暮らしていた村の人たちとシャロンの仇だけではなく。
「……お前が、ルナを……あの親子を!」
罪もない、小さな少女と、その母親を殺した仇。
恨みが、憎しみが、怒りが募り、それが口に出した言葉に乗る。手にした剣が震える。
しかし。
「――だとしたら?」
「っ……」
その剣が振るわれる事はなかった。
ブラッドフォードの圧倒的な威圧感により、心が折れかけ、剣を振るうにまで心が至らない。
「……刃向かわぬか。我が眷属はそれでも刃向かったのだがな。つまらん」
そう呟くブラッドフォード。
その手には、いつの間にか刀身も柄も何もかもが真紅の剣が握られていた。
「ならば、斬ってしまうか」
そうブラッドフォードが呟いた瞬間、ミラの心が死んだ。
刃向かえない。立ち向かえない。抗えない。あれには死ぬしかない。逃げることも耐え忍ぶ事も、何もかもが不可能なのだと心が察してしまい、生きることすら諦めてしまう。
ブラッドフォードが降りてくる。あぁ、あの足が地に付いたら自分は死ぬ。そう確信してしまう。
そして、ブラッドフォードの足が、地に付く。
「――ジェノサイドバスター・マルチレイドォッ!!」
しかし、ミラは死ななかった。
後ろから放たれた銀色の数多の砲撃がブラッドフォードの足元へ着弾したから。
その直後にミラの体が後ろへと引っ張られ、更に腹に衝撃が走って一気に後ろへと吹き飛ばされる。その衝撃が魔弾による一撃であり、人を殺せるような威力は乗っていなかった。だが、それ故に後ろへ吹っ飛ぶだけで済む。
「ミラ、シャーレイを連れて逃げてッ!!」
それを行ったのは、他でもない。この状況で一番絶望を感じ、動けない筈のひなただった。
彼女が歯を食いしばり、ミラに背中を向けている。折れた心を無理矢理補修し自らの足を動かし、蛮勇で己の中のすべてを染めて、大切な人たちを守るために戦う。
「男が、女守れずにどうするってんだよ!!」
ひなたが叫びながら二つの魔弾を生み出し噛み砕く。
しかし、その瞳は翠のまま。つまり、吸血も食人もしていない素の状態のひなただ。そんな彼女がブラッドフォードに勝てる訳がない。
ひなた自身、それは分かっているが、それでも立ち向かわざるを得なかった。ミラを守るために。
「ジェノサイドブラスターッ!!」
今の体には過剰な程の魔力の循環。それを行ったことで体内の魔力がごっそりと削られ、更に無理をしたことで体中から血が噴き出す。
だが、知ったことか。今は二人を逃がすための時間を稼ぐほうが先決だ。
起爆銃の銃口から銀色の砲撃が放たれる。それが未だに立ち込める粉塵の中へと消えていく。しかし、撃って尚ブラッドフォードの声は聞こえず、しかし殺ったという手ごたえもない。
体中に響く痛みに耐えながら第二射のための魔弾を作ろうとして。
「弱い」
自分の横を何かが通り過ぎていった。
それと同時に後ろの方で何か大きい物が崩れる音がした。振り返ると、ひなたの真横の地面には何か鋭利な物が地面を削りながら通って行ったような跡があり、その先にある馬車が、真っ二つになっていた。馬と、御者ごと。
血が舞い、馬車だった物が倒れる。明らかに全盛期のミラすら超えた斬撃。いや、イヴァンすら超えているだろうそれを見て、ひなたの背中を冷たい物が走った。あれが当たっていたら、間違いなく死んでいた。ひなたの真後ろのミラとシャーレイごと。
「ふむ、少し手先が狂ったか」
その声は、ひなたの真後ろからした。
ひなたは今振り向いている。つまり、ブラッドフォードが居た場所とは正反対の場所を向いている。
つまり。
「今度は外さぬ」
真後ろには、ブラッドフォードがいる。
「しまっ――」
その瞬間、己の腹に凄まじい衝撃が走り、景色が前へ向かって流れていく。
「きゃっ!?」
「うぐぅっ!!?」
そして、その後すぐにシャーレイとミラの声が聞こえ、景色が流れていく速度が一気に失われ、自分の体がそこで止まったとようやく認識する。
だが、それからすぐに体に力が入らない。口から暖かい物が流れてくる。息がし辛い。腹が熱い。
「ひ、ひなたちゃん!!?」
「ヒナタッ!!」
そこでようやく、今の自分が後ろに居たミラに抱えらえるようにして止められた事を把握し、ブラッドフォードが剣を振りぬいていることを把握し、そして視線を下にやって、ようやく。
ようやく、自分が腹から臓物をまき散らしながら吹き飛んでいた事を把握した。
「ごふっ……」
痛みよりも、意識が失われていくような感覚が先に来た。
痛みは、結局来ない。痛みよりも、自分の体から暖かいものが流れ落ちていく感覚と意識が今にも落ちてしまいそうな感覚。そして、もう何回目かも分からないこのままでは自分は死ぬという確信。
腹に大きな傷を受けたのはこれで何度目だったか。と考え始めてしまう位には、今のひなたは死にかけていた。走馬燈も流れ始め、自分の体が指先から冷たくなっていくのを感じる。
ミラとシャーレイが何か叫んでいるが、徐々に聞こえなくなっていく。目も段々と見えなくなっていく。
視界が黒に塗りつぶされていき、自分が今どういう体勢なのかすら分からず、何も聞こえず。これが死なんだな、とゆっくりと自覚していく。
だが、自分の口の中に冷たい何かが流れ込んでくる。
それが喉を通って、斬られた胃に流れ込むと、そこから痛いまでの熱が発せられ、徐々に体の感覚が戻っていく。
そして、体感で十秒もしない内に腹の激痛を認識し、それが徐々に収まっていき、体の内側から流れていったものが戻ってくる感覚がする。
「げふっ、ごはっ!?」
そして、口から何かを吐き出した。それが血なのだと自覚したのは、己の口に手を当てて、それを目の前に持ってきたからだった。
視界も戻った。感覚も戻ってきた。なら、聴覚も。
「ヒナタ! しっかり! 意識を保って!」
「ひなたちゃん! 死んじゃやだよ!」
戻ってきた。二人の声が聞こえる。
どうやら、ぎりぎり死の世界に両足を突っ込むことは回避できたようだ。と、なると口に流れてきたのはミラの持っている秘薬だろうか。あれは確か回復魔法よりも強い効果を発揮したハズだ。
そう考えながら大分楽になった体を起こす。
「あぁ、大丈夫。なんとか死なずに済んだ」
二人に自分は何とか無事だと伝え、立ち上がる。
全身から流れた血に加えて腹から流れた血のせいで全身が真っ赤だ。だが、こんなのよくある事。むしろ死にかけて蘇生するまでがノルマだ。後ろのホッとしている二人には悪いがノルマ達成、と心の中で思いながら口の血を拭い、前へ出る。
目の前にはブラッドフォード。あいつの視界をどうにかしないと逃げられない。逃げられなければ、死あるのみ。
「ふむ、加減を間違えたか」
「普通死ぬっての……」
「そうか。まぁ、その程度些細な事だ」
些細な訳あるか。こっちは死にかけているんだ。
目の前の仇を睨みながら心の中で反発する。
「今回は褒美を授けに来たのだがな。そこの娘を斬る事で忘れていた」
「なに……?」
褒美? 何を言っている。
そういえば、最初のほうに褒美に値するとかそんな事を言っていたような気はするが。
ひなたが怪訝な顔をしていると、ブラッドフォードが剣を何処かに消し去り、ひなたの方へ手のひらを向けた。まさか、魔法で攻撃か? と自分の考えられる中での手を思い浮かべ、シールドを張るために起爆銃を構える。
しかし、魔法は一向に撃たれない。が。
「ひゃっ!?」
「なに、これ!!?」
声は後ろから聞こえた。
まさか、後ろの方から何か、と振り返る。
自分の真後ろでは、シャーレイとミラが深紅の……いや、血液で出来た檻の中に一人ずつ入れられ、空へと浮かばされていた。シャーレイは完全に思考回路が停止して困惑しており、ミラは己の剣で檻を破壊しようとしているが、弾かれるだけで有効打を打てていない。
その檻はブラッドフォードの方へと向かっていき、いつの間にか宙へ浮いていたブラッドフォードは二人の入った檻を左右に携えた。
「まずは二択だ。この二人を生贄とすれば貴様の命だけは保証しよう」
「な、に……?」
二人を見殺しにすれば、ひなたは助かる。ブラッドフォードはそう言っている。
そして、もう一つ。
「もう一つは、我が城へこの二人を迎えに来い。そこで新たに二択の選択肢を与えよう」
「ふ、ふざけるな!! 今すぐ二人を――」
「反抗するなら、この場でこの二人を殺すが?」
「ぐっ……」
そんなの、実質死にに来いと言っているようなものだ。
奴の城になんていったら、命が幾つあっても足りない。なのに、それを唯一の選択肢にするということは、ひなたが道中や城の中で惨殺される所を酒の肴にでもするつもりなのだろう。
「ひなたちゃん、私たちの事はいいから!」
「ヒナタは生きて!!」
「と、言っているが……果たしてどうする?」
「そんなの……」
二人は、もう自分は助からないと踏んでいるのだろう。だから、唯一生きるための選択肢があるひなたを生かそうとしている。だが、ひなたにとって二人は居なくてはならない存在だ。二人が消えればひなたにとっては生きながら死ぬと言っても過言ではない。
二人が居ない世界で生きていくなんて、地獄だ。それなら、まだ三人一緒に死んだほうがマシだ。だけど、二人は生きろと言っている。言っているが、自分の意志はどうしても変わらない。
「貴様には我が城が見えるようにしておこう。期限は一週間だ」
その言葉と同時に、馬車が進む道の先の方に何かが現れた。
城だ。今まで見えていなかったが、大きな城が見える。歩いて一時間もしない内にたどり着けるような場所に城が出現した。あれがブラッドフォードの城だと言うのなら、本当にブラッドフォードはあの街のすぐ傍にいた事になる。
一週間という期限は、ひなたが一人で生きると決めた後の心変わりを想定してだろうか。それとも反抗するための武器を集める期間を想定してだろうか。
「一週間はこの娘達の命は保証してやろう。しかし、城には貴様一人で来い。さもなければこの二人も貴様も殺す」
これでイヴァンに頼るという選択肢は完全に潰えた。
ひなたには、生きながら死ぬか、死ぬかの二択しか与えられなかった。どちらも、死だ。
「では、返事は行動で示すがいい」
「ひなたちゃんだけは逃げて!!」
「私たちの分も、生きて!!」
そう告げると、ブラッドフォードは消えた。空に溶けるようにして、消えていった。
同時にシャーレイとミラの入った檻も消え、ひなたは一人となる。
風が流れる音だけが響き、二人のいない完全な孤独感を味わう。その中で。
「……そんな選択肢、一つしかないじゃん」
その中でたった一人。ひなたは呟いた。
選択肢? そんな物に迷っている暇はない。ひなたは崩れた馬車から今の自分に必要な最低限の物を拾い集めポーチに入れ、御者の人に手を合わせて一言謝ってからジェノサイドバスターで腕を焼き切り、食う。
味は、良くも無く悪くも無く。シャロンの時のような美味しさはなく、ヴァルコラキの時のような不味さもなく。可も無く不可もなく。しかし、人の肉は己に力をくれる。手の肉を食い切り、食えない部分を吐き捨て骨を埋め、目の前の城を紅に染まった眼で睨み付ける。
「あぁ、死にに行ってやるよブラッドフォードッ!!」
ひなたは今から、死にに行く。
そしてここから最終決戦……?