『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第五部「バイオゾイド猛襲」   作:城元太

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第五拾七話

 背丈ほどに生い茂った葦原を掻き分け、良子と多岐の前に姿を現したのは、その風貌を容易に形容し難い(キメラ)型ゾイドであった。五指を備える剛腕に亀甲、異様に短い後肢二本で立ち上がり、無機質な目で女達を見下ろしている。四分割された亀甲には、飯沼の底の汚泥がこびり付き、葦の根茎を乱れた頭髪の如く引き摺っていた。

「母さま!」

 多岐が恐怖に引き攣った悲鳴をあげ、良子にしがみ付く。母の強さが、辛うじて良子の理性を保たせた。もし娘がいなければ、良子が先に悲鳴を上げていたに違いない。

(シェルカーン、それも有人の)

 右脚を引き摺って追いついた桔梗は、本来備わっていないはずの操縦席区画をそのゾイドの背部に視止めた。戦いの記憶が掘り起こされる。小次郎将門にとっての初戦、野本の戦いに於いて、常陸勢の伴類として参戦した機体である。平国香の死によって敗走したはずだが、鎌輪陥落を知り舞い戻って来たに違いない。わらわらと得物を構えた雑兵が葦原より湧き出す。良子と多岐の母子二人は完全に取り囲まれていた。

 桔梗の中で、二つの意識が鬩ぎ合っていた。

――ここで良子と多岐が敵の手によって亡き者となれば、自ずと正妻の地位は自分に回って来る――

 魔にも等しき極悪で下劣な思考である。そしてもう一つ。

――愛する者が、愛する者を守るために、我が身を投げ出す――

 究極の自己犠牲。それは同時に我が身の破滅を意味した。桔梗は伊和員経から贈られた、桔梗色の(あこめ)だけは常に携え、レッゲルの切れたデッドリーコングの操縦席からも辛うじて持ち出していた。

 その時桔梗が何を考えたかを知るには忍び難い。

 血に汚れた短甲を剥ぎ取り、薄紫の衵を纏った。傷ついた腕で着替えた為に襟は肌け、足袋と(つらぬき)を脱ぎ捨てた素足が妖艶な色香を漂わせる。下卑た笑いを浮かべ、舐め回す様に良子と多岐を眺める伴類の視線を(さら)うのは容易であった。

「そのお二人を、上総介平良兼殿の御息女と知って、狼藉を働く覚悟はあるか」

 凛とした声に一瞬怯み、伴類達は一斉に振り向く。しかし衵姿の桔梗を発見すると、一層毒々しい視線を良子と桔梗に代わる代わる注いだのだった。

「俺ら常陸の郷は将門のせいで焼き尽くされた。この女が良兼の娘ってことは、将門の女房ってことだろう。敵の女は何をしたって構わねえんだ。しっかり恨みを晴らさせてもらうぜ」

 雑兵が一斉に低く(わら)う。良子は身を竦める。

「せめて、娘は……」

 その声が、烏合の伴類の心に届く筈もない。雑兵は次第に包囲の輪を狭め、同時に桔梗にも弓と槍を翳しつつ迫って来る。

「その方を解放ちなさい。身代わりに、私の肉体(からだ)を差し出します」

「孝子殿、いけません」

 良子が振り返り叫ぶ。

「宜しいのです、良子様。あなたは小次郎様にとって、最も大切な方でございます」

 桔梗は覚悟を決めていた。

 

〝残敵掃討は如何した〟

 突如、シェルカーンの背後から四足の鋼鉄獣の影が二つ現れた。鵺型ブロックスではなく、バイオゾイドとも異なる常陸勢正規の大型ゾイドである。将官の操るゾイドの出現に、伴類達が慌てて直立し身を糾した。衵の襟を左手で押さえつつ、桔梗は反射的にゾイドの名を心の中で唱えた。

(レッドホーン、それにブラストルタイガー。さすれば、あれが平貞盛か)

 (たたら)の隙間から漏れる炎にも似た赤い筋を刻む黒い虎が、歴戦の傷を負う赤い動く要塞を引き連れている。ブラストルタイガーの操縦席が開き、坂東には珍しい細身の武者が姿を現す。色白で細面の容姿は、洗練された雅さを備えていた。眼下で怯える良子に向かい、武者は大仰に問いかけた。

「良子か、見違えたぞ。常陸の太郎貞盛だ、覚えておるか」

〝不用意に装甲を開いてはなりません〟

 操縦席を閉じたままのレッドホーンから、貞盛を諌める声が響く。

他田真樹(おさだのまき)よ、其方は女子への礼儀も知らぬのか。従妹とはいえ美しく育った女人を、直に見ずしてなんとする」

 豪胆さを示すように高らかに笑う貞盛に、桔梗は本能的に狡猾さを嗅ぎ取った。朴訥な小次郎に比べ、この男は冷徹で計算高い。

「良子、それに娘だな。二人とも、この太郎貞盛が必ず叔父良兼殿の元に届けてやろう。良いな」

 ブラストルタイガーからシェルカーン越しに睥睨すると、下卑た笑いをしていた伴類達も頷くしかない。

「して、そちらの女人が孝子だな。手練れの女傑と聞いていたが、噂とは大違いではないか。貴女のその容姿、都の香りは私にとっても懐かしい。どうだ、私のものにならぬか」

 貞盛の問いは、あまりに意外なものであった。伴類から、獲物を横取りされる野獣の呻き声が低く響く。

「悪いようにはせぬ。お前が望むなら、充分にその身を手当てし、相応の待遇をしよう」

 颯爽と流暢に語る貞盛に、しかし桔梗は更に警戒した。この男は、女である自分を籠絡して敵情を聞き出そうとしている。そしてその自信があるのだと。

 (おぞ)ましさに鳥肌がたった。例え死んでも、こんな男には従いたくはない。自然に言葉が口をついて洩れていた。

「お断りします」

 静かに応えた桔梗の瞳には、揺るがぬ意志が込められている。貞盛は怯んだ。硬い意志を読み取ったに違いない。

 この女は陥せない。であれば利用価値はない。

「好きにするがいい」

 それは桔梗と、そして伴類に向かって放たれた言葉であった。餌を与えなければ、伴類は忽ち離脱する。貞盛の意図は、良子を奪う代償に、桔梗という餌を残すという残酷な取引であったのだ。

 ブラストルタイガーとレッドホーンが機首を巡らす。レッドホーンの尾部銃座に捕縛された良子と多岐が、残される桔梗に向かい叫ぶ。

「孝子殿、一緒に参りましょう。今は耐える時です。例え敵の手に落ちても、必ずあの人が迎えに来てくれます」

 桔梗は涙を堪え笑った。

「お気遣いありがとう。でも、私は大丈夫。小次郎様と共に、どうか……どうか御多幸あられることを」

 痛みを堪え、必死に笑いを作る頬に、冷汗と、そして悲しみに満ちた涙が幾筋もの雫となって流れ落ちていた。良子の叫びがいつしか葦原に吸い取られ、ブラストルタイガーとレッドホーンの跫音も聞こえなくなっていった。

 

 その後の経過を記すのは辛い。

 戦に敗れ、蹂躙された地の女にどの様な仕打ちが待ち受けるかは、この時代の残酷な習いである。

 腕と足の怪我さえなければ、桔梗は充分に伴類共を打ち据えることも出来ただろう。しかし自由の利かない身体で、十数人の男と渡り合うのは不可能であった。

 抑え付けられ、衵を剥ぎ取られた素肌に、代わる代わる男達が身体を重ねた。

〝此の女、未だに生娘だぞ〟

 幻聴の如く、男達の下賎な歓声が聞こえた気がする。腕の痛みも足の痛みも耐えられる。

 だが只管に、心が痛かった。

 

 薄れゆく意識の中で、桔梗は最後に己の頸を絞める粗野な男の腕を見ていた。極悪な伴類の顔が、いつしか愛しいひとの姿へと変わって行く。

「こじろう……さま……」

 止め処なく涙が流れた。

 泥と異物に塗れ、渇き切っていた口腔に、いつしか甘い香りが漂い出す。

 死を直前にした幻想。

 小次郎が笑っていた。

 桔梗は涙を流し微笑んだ。

「あ、り、が、と、う」

 意識が拡散し、桔梗の心は光に包まれていた。

 

「桔梗の前よ、御苦労であった」

 死の寸前、意図せぬ意識が流れ込んでいた。

〝兄上?〟

 思いがけず、下野の営所でエナジーライガーを駆る藤原秀郷の姿が映っていた。

 

 

 藤原重房率いる湖賊衆に導かれ、襲撃の現場に到着した小次郎が目にしたものは、襤褸切れの様になって、飯沼の畔に横たわる桔梗の骸だった。

 声が出なかった。涙も出なかった。

「孝子――!」

 張り裂けんばかりの声を上げたのは、伊和員経であった。血塗れに汚れ、嬲り殺された骸の穢れも構わず、抱き上げ叫んだ。引き裂かれた衵を掴むと、更に泣き叫んでいた。

 小次郎は、桔梗の横たわった先に、血文字で何かが書かれているのを見つけた。

 

 ヨシコ タキ ブジ

 

 死の間際に遺した、桔梗の最期の伝言であった。愛した者の、愛する者を、守った証しであった。

 脳内が沸騰し、小次郎の怒りは頂点に達していた。

 

 絶対に許さぬ。そして良子と多岐を救うのだ。

 

 その時将門の脳裏に、怒りとは異なった閃光が、文字となって奔っていた。

「……無限……」

 見上げる先に、湖賊の俱した筏に載る村雨ライガーがある。

 その双眸に、新たな命の息吹が湛えられていた。

 

 

 

             第五部「バイオゾイド猛襲」了

 


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