『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第五部「バイオゾイド猛襲」 作:城元太
「あの糞坊主は何時まで居座る心算だ」
錫杖を手に海を見つめる乞食僧の背中に、巡察を兼ねてやって来た津時成が吐き捨てた。その言葉は波涛に砕かれ、空也の耳に届いたのか定かでない。吹き荒ぶ潮風に襤褸切れを靡かせ、遊行僧は唯黙々と海浜に佇んでいた。
海賊衆の頭目藤原純友が、この僧都を日振島に置いておく理由はあった。まずは龍宮ディガルドの動きを多く把握していることだが、それ以上にして最大の理由は、この遊行の乞食僧が高い地質学の知識を有していることであった。
館での問答の後「細やかな礼ではあるが」との前置きをすると空也は島の散策を申し出た。そして館裏の切り立った岩盤まで降りて行くと、徐に岩石の亀裂前に立ち錫杖を突き刺した。行動を見守っていた海賊衆の面々は、空也が岩を穿った次の瞬間、亀裂から勢いを付けて水飛沫が迸る光景を目の当たりにしたのだ。
周囲を海に囲まれた孤島では、専門的な土木技術を持つ者は稀であり、水脈を掘り当てることは難しく、常に真水が不足している。それをこの遊行僧は事も無げに探し出してしまった。純友が忌み嫌う浄土への唱導も一切行わず、その後も彼方此方に出掛けて次々と水脈を掘り当てるこの乞食僧の価値を、宗教者を嫌う純友も認めざるを得なかったのである。
しかし津時成を筆頭に、魁師の中にはこの妖しい僧の存在を煙たがる者も多い。海浜に結んだ草庵の周囲は常に監視され、不穏な行動がないか逐次警戒されていた。魁師津時成が直々に巡察に訪れたのも同じ理由であり、いつまでも島から出て行こうとしない不気味な存在として忌々しげに睨み続けていた。
その時、海を見つめていた空也がゆっくりと振り向いた。時成に視線を合わせると、無言で歩み寄って来る。時成も身動ぎもせず、乞食僧の姿を見据え身構えた。空也は一瞬目を伏せ呟いた。
「坂東が燃えている。多くの命が灰燼と帰していく」
空也の頬に、無数の水滴が纏わりついているのを、時成は目にしていた。
バイオトリケラのヘルツインホーンの前には、鎌輪の館の土塀など一溜りもない。圧し折られた塀の隙間から、構造色を光らせた数機のバイオゾイドが雪崩れ込む。警護に当たっていた寡兵を薙ぎ倒すと、直ちに館へ続く長い馬場に至っていた。
進路にトレーラーを牽引した鋼鉄の蟲が立ち塞がる。
「この先には行かせん」
館に残されていたグスタフを操り、傷ついた伊和員経がバイオトリケラに対峙した。絶望的な戦いであった。勝敗は見えている。唯一言えるのは、グスタフの装甲を貫くには、例えバイオゾイドであろうと相応の時間が掛かるということだけであった。
グスタフの裏に、今しも飛び立とうとするレインボージャークの姿がある。
「良子様、なんとか大国玉の平真樹殿の館まで飛んでいけば活路も見出せます。御子をお頼み申します」
〝員経殿、無事を願っています。絶対死なないでください〟
か細い通信の声に、多岐の引き攣った泣き声が重なっている。
「承知致した。必ず生き伸びて、皆再びお会いしましょうぞ」
言葉の直後、レインボージャークが蒼空へと飛び立った。火器を持たないバイオトリケラが菫色の孔雀の飛翔を憎々しげに見送り、直上に撃ち上げられるバイオメガラプトルのヘルファイヤーも、舞い上がった標的を捉えることができず虚しく天空を仰ぐばかりであった。
グスタフの風防越しに見上げる伊和員経は、深い安堵の溜息をついていた。
「良子様、多岐様、どうか御無事で」
あとは自分の身を晒せばいい。
再会を誓った直後、忠実な上兵は主君の妻子の為に命を投げ出す覚悟を決めていた。
だが員経は、見上げた空に構造色を煌めかす影が舞うのを目にした。
「まだ新手がいたのか」
舞い上がったレインボージャークを追撃し、新たな翼竜型バイオゾイドが坂東の蒼穹に飛来していた。
バイオケントロのソードダンスが、
(いっそ村雨ライガーに戻ってしまうか)
だが、太刀ムラサメソード一振でもまた、この剣竜型バイオゾイドに敵わないことも目に見えている。更に小次郎が望むべくもなく〝ハヤテ〟の力は衰えを見せ始めていた。
小次郎はその時、館からレインボージャークが舞い上がる姿を目にした。
「無事であったか」
その菫色の孔雀に、愛おしい妻子が乗っていることは疑いも無い。館は燃えたとはいえ、辛うじて無事を確認できただけでも心安い。ところが次の瞬間、立ち昇った黒煙を切り裂き飛来した影が小次郎の心の平安を打ち砕いたのだ。
「空飛ぶバイオゾイドだと」
〝殿、クナイが来ます〟
疾風ライガーを庇って、デッドリーコングの棺桶に5本のバックランスが突き刺さる。棺桶中央の隻眼が大きく見開き、一斉に可動肢を突き出して届く限りのバックランスを払い落とす。同時に緋色の獅子は、見る間に碧い獅子に戻って行った。疾風ライガーは限界稼働時間を迎えたのだ。再度バックランスの群れが村雨ライガーとデッドリーコングを襲う。刃の豪雨の後ろでは、真正面にビーストスレイヤーを構えたバイオケントロが、妖しい剣舞を未だに舞っている。そして空では、レインボージャークとバイオプテラの激しい空中戦が繰り広げられていた。
「泣くものではない。多岐は坂東の勇者、平小次郎将門の娘であろう」
良子は泣き叫ぶ幼子を宥めつつ、必死でレインボージャークを操っていた。
妻となり、夫を支える身となっても、毎日欠かさずゾイドには接していた。小次郎の上洛により、暫く離れていたレインボージャークが一層愛おしく思え、またレインボージャークも良子の思いに応えるようになっていた。一度多岐を抱え飛んだ時には、敢えて急制動をせずに緩やかに飛ぶ気遣いさえ見せる様になっていたのだった。
ゾイドは優しい生き物だと、改めて認めていた矢先に、子飼いの渡しでの敗北が伝わった。良子は争いを好まなかったが、それが坂東で生き残るための
信念と誇りを貫く坂東武者であって欲しい。良子はそんな夫を愛し続けている。だが今、その愛する夫との生活が断ち切られようとしていた。生きていなければ繋がる事はできない。だから死にもの狂いでレインボージャークを操っていた。
「
いつしか良子の口調は、嘗て野山を駆け巡っていた自由奔放で粗野な坂東の女に戻っていた。
「私だって、孝子殿には負けないんだから!」
逃げ回ってばかりでは活路は見いだせない。レインボージャークはリーオ製のフェザーカッターを展開し、バイオプテラに突入する。それは通常のゾイドであれば決して回避できないほどの高速であった。
「そんな馬鹿な……」
しかしバイオプテラは、突入の瞬間バーニングジェットを噴出し、レインボージャーク渾身の一撃を回避していた。恐るべき旋回性で後ろを取ると、菫色の孔雀の背部をグラップフットで強かに殴りつけた。
バランスを失い、錐揉みとなったレインボージャークが、地平の彼方に霞む湖沼に向けて落下していく。
(あれは葦津の江。せめてあそこに着水できれば)
錐揉みによって朦朧とする意識を振るい起し、良子は懸命に下総に広がる広大な湖、飯沼の西岸に向け、落下するレインボージャークを懸命に操っていた。
人の命の儚さに、小次郎は押し潰されようとしていた。
悔しかった。
異形のバイオゾイドによって蹂躙されること。肉体の不調によって満足な戦いも出来ず、不様に散って行くこと。愛する妻子と死別してしまうこと。そして、やっと告げることの出来た桔梗への約束を果たすのが出来ないことに。
村雨ライガーは、操縦席で苦しむ主君を守ろうと懸命に戦場を駆けて行く。だが猛々しさを失った小次郎との繋がり無しに、充分な力を発揮する事など出来ない。
碧い獅子は、次第にバイオゾイドによって追い詰められていた。
戦場に呪を唱える声が轟いた。
小次郎も、バイオゾイドの群れも一斉に声のする方向を向く。
その視線の先には、左腕を高々と揚げ、梵字の描かれた帯を解放する黒き猩々の姿があった。
「桔梗……なのか」
解かれて螺旋状に伸びた帯の下、猩々は凶悪な八振の刃を展開させ、鬼神の形相で聳え立っていた。